澄み渡った青空の下、週末の賑わいを見せる首都マグン、クラウドストリート。 思わず見上げてしまう空とは真逆に、露店街を歩く僕とキャムの気分は最低だった。 「……エマ」 キャムが顔を上げずに僕を呼ぶ。 「なんでしょう、キャムさん」 「……やっぱりさっきのクソガキ、来る途中にあった沼に投げ捨てて三日三晩放置する」 「本当にしないでくれたらありがたいけど、気持ちは同感」 「あのラパ、おいしかったのに」 キャムが小さく呟いた。 キャムの言う『ラパ』とは、チアの街を中心としたカトウィ地方の家庭料理だ。 カトウィ地方は全国でも有数の塩湖集合地区で、その塩湖で獲れるシジカという魚を、各種の香野菜と混ぜ、パン生地で包んで釜で蒸し焼きにする。 表面が黒焦げになったら食べ時で、表面の焦げを少しずつ剥がして中身を取り出す。 こうして蒸しあがったシジカと、その旨味のエキスを吸ったパン生地と香野菜を小分けに盛り付けると、『ラパ』という料理になる。 僕達が直接に社長から請け負った依頼は、チアの街からここ首都マグンへの『ラパの配送』だった。 チアの街、依頼人のカガおばさんから、首都マグンで暮らす孫のリアさんへの誕生日プレゼント。 もちろん僕達もカガおばさんの家でラパをご馳走になった。 はじめは遠慮していたのだけれど、釜から漂ってくる香ばしい匂いに、キャム。 「人の好意を無駄にするのはよくない」 そこでタイミングよく僕のお腹が鳴って、カガおばさんが大笑いした。 結論を言うと、それはもうとてもおいしかった。 どれぐらいおいしかったかと言うと、あまり説明すると伝わらないだろうから、一言で。 キャムは無言で半分食べた。(僕が半分) ああ、あともう一言あった。 キャム、二匹目食べた。(一人で全部) リアさんへの特別大きなラパを持って、ついさきほど、首都マグンのリアさんの家へたどり着いた。 チャイムを押す。ドアの内側が非常に騒がしい。 誕生日パーティーでもやっているのだろうか。 もう一度押して、待つこと2分。 ドアを開けたのはカガおばさんによく似た目尻の娘さんだった。 「あの、チアの街のカガさんから、誕生日プレゼントの配送です」 「……おばあちゃん?」 「はい。メッセージも預かってます。えーと、お誕生日おめでとう、おいしいラパだよ。だそうです」 リアさんの眉がきゅっ、と寄った。 「あー、まぁったそれか」 「え?」思わず聞き返してしまう。 「もう、おばあちゃんいつもコレなんだから。私コレ好きじゃないのよねー」 「……はぁ」この時僕は後ろに手を回し、隣に立つキャムの剣の柄を必死で押さえていた。 部屋の奥から「りーあー! なにしてんのー!」と呼ぶ声がする。 リアさんが「なんでもなーい!」と叫び返す。 「あの……」 「まぁ、もらっとくよ。そうしないと帰れないんでしょ? 紙かして。……はい」 そういってリアさんは受領書と引き換えにラパの包みをひったくるようにして、僕達の鼻先で勢いよくドアを閉めた。 内側からさっきより大きな騒ぎ声がする。 僕は手を動かせないでいた。キャムが終始、剣を抜こうと歯を食いしばっていたからだ。 というわけで二人とも、なんともいえないモヤモヤを抱えて歩いていた。 「食べ物にも……今の自分の幸福にも感謝しない人間なんて、生きている意味あるの」 怒りは収まったらしいが、今度は悲しくなったようだ。キャムの声のトーンは低い。 「んー、それが彼女の幸福なんじゃないのかな」 「そんな幸福……お腹減った」 「は?」 「二度言わせないで」 「はい。はい。かわりに二度返事させていただきましたので。さて、今日はなんにしましょう」 本当にキャムの胃袋は謎の構造をしている。 「エマがつまづいた先に奈落があればいい……ここの名物はなんなの」 「そうしたら隣のキャムもいっしょに落ちるね。僕もあんまり首都には来たことないからなぁ」 「本当に無能。役立たず」 なんでここまで言われなければならないんだろう? 通りの雰囲気が変わった気がして、顔をあげた。 「ここからサン・ストリート、だって」 大通りから一歩曲がったその通りは、商店街というより住宅街で、ひどくのんびりとした雰囲気だった。 「道具屋」 キャムが指差すその方向には確かに小さな道具屋があった。 「そうだね、プロ……道具屋だね。なにか買うの?」 「エマは物事を深く考えたことないの」 「失礼な。いつだって広く深く考えて生きてますよ」 「ならたぶん深さの単位が違うのね。はやく学んで。おすすめの店きいてくる」 「あーなるほど」 答えた次には道具屋のドアを開いていた。 腹減り+イライラのキャムには、もうなにも言えない。 こじんまりとした道具屋の主人は、小さなグラスをかけた目で、キャムと僕を何度か見比べた。 「いらっしゃい」 「申し訳ないけど買い物じゃないの。近くで美味しいお店、ないの」 問答無用。店に入って「買わないけど教えて」なんて真顔で言えるのはキャムだけだろう。 キャムの後ろで必死に手を合わせて頭を下げる。逆撫でだけはやめてください。 グラスが光を反射してきらっ、と光った。 「失礼な嬢ちゃんだな。おすすめ……ああ」 「はやく。お腹すいてるの」 今答えようとしてたじゃん! 僕はいそいで特技の『マタタキ』を決める。 まぁ、キャムにバレないような、ただの『音無し土下座』なんだけど。 「……この通りのもう少し奥に、『ルーザーズキッチン』ってな店がある。料理屋じゃないが、味はいいな」 「覚えた。なにがおすすめなの」 まだ情報を得ようとするキャムの心臓にはジョウモンスギの根でも張っているのだろうか。 「そうさな、この通りで一番の有名といえば、『グラン』と『リブレ』だろうな」 グランとリブレ? なんだか人の名前みたいな料理だ。 「グランとリブレ。覚えた。また来る」 キャムは止める間もなく店を出て行った。 「すいません!」 閉まったドアを眺める主人に向かって謝る。 「さっきの意味は『何か欲しいものがあればココに来る』って意味ですので気にしないでください!」 怒っているかと思った主人は、からからと笑った。 「なに、いいさ」 「今は持ち合わせがないので今度本当に……」 「はっは。……ああそうだ、それじゃあとで感想を聞かせてくれ。それでいいよ」 「……はい、わかりました。すいませんでした。ありがとうございました」 頭を下げて僕も店を出た。 燦々と日光が照りつけてくる。キャムは店先にしゃがんでいた。 「おそい。はやくいく」 「……ごめんなさい」 なんだか僕、今日は謝ってばっかりだ。 『ルーザーズキッチン』はすぐ見つかった。 古びた木製のドアや手すり。どうやら酒場のようだった。 お酒が飲めない僕達には、あまり馴染みのない種類の店だ。 「酒場、だね。どうする?」 「関係ない。おいしいものはおいしい。いく」 「もう限界だもんね。了解しました」 まだ昼過ぎの明るい時間なら、そうおかしなことも起こらないだろう。 キャムが扉を押し開いた。 店内は思ったよりも明るく、お酒の匂いもしなかった。 カウンターとスツール、テーブルが少し。そっちには少し遅めの昼食をしている人たちもいる。 みかけは酒場だけど、普通の料理屋としても営業しているようだ。 「いらっしゃい」 肩幅のある、いかにも『マスター』な男の人が声をかけてくれた。 僕とキャムの組み合わせを見ても、表情に出さない人は久しぶりだ。 キャムは頭も下げずにスツールに腰掛けた。僕もその横に座る。 座り心地がよくないのか、キャムが何度かお尻の位置を動かした。 「ここいらじゃ見ない顔だな。食事かい? 酒……はまだ早そうだな」 マスターがグラスの水を出しながら言う。 「食事。道具屋におすすめ聞いたらここだって教えてくれた」 マスターがニヤっと笑った。笑うと目尻が下って優しい顔になる。 「それはありがたいね。メニューはいるかい」 「それも聞いてきた。グランとリブレ、ちょうだい」 後ろでガタタっ、と椅子が倒れる音がして、思わず振り向いた。 テーブル席に座っていたローブを着た長髪の男性と、帯剣した短髪の男性が床に倒れこんでいた。 すぐにマスターが大爆笑した。 キャムは「なにがおもしろいのか分からない」表情で怪訝そうにしている。 「なぁ、きいたか」 「おお、聞いたぜ」 「俺、呼ばれたよな」 「ばかやろう、俺のほうが先だった」 「どっちでもいいよもう」 「そうだな。マリーちゃん以外に指名されることってないもんな」 気が付くと、倒れたはずの二人がキャムの後ろに立っていた。 マスターの笑い声はまだ止まらない。 キャムが振り向いた。 「なに」 長髪の男性がにやりと笑った。 「ご指名いただき、誠にありがとうございます。あ、隣のヤツは無視してくれて結構です」 短髪の男性が長髪の肩を叩いた。 「イチゴのケーキのイチゴは最後に食うだろ。誰だってそうする。俺だってそうする」 「俺は最初に食っちまうから、関係ないな」 「あ、こっちのヤツはすぐ服とか燃やすんで気をつけたほうがいいですよ」 「あの、どういう意味ですか?」これは僕の言葉。 まったくもって意味が分からない。 二人は初めて僕に気が付いたようだ。 「なんと男連れだったな」 「なに、一人じゃ恥ずかしいから付き添いについてきてもらったんだろ」 「なるほど、さすがの読みだな」 短髪の男性が僕を指差した。 「エスコート、ありがとう。ここからはまかせな、坊や」 この物言いと訳の分からなさに、ちょっと、というかかなり頭にきてしまった。 「あの、僕は坊やじゃないですし、あなたの言っている意味も分かりません。キャム、出よう」 だけどキャムは微動だにしない。背後に立つ二人にも興味がないようだ。 「グランとリブレはどうなってるの。バカみたいに笑ってないではやくして」 キャムに睨まれてもマスターは笑っている。 「また呼ばれた!」 「これは惚れられてるな。俺の経験上間違いない。ちなみに後に呼ばれた俺が本命だ。間違いない」 「え、経験なんてあったんですか」 「おまえ、今度覚えてろよ」 唐突に、分かった。 「あの、お兄さんたち」 二人が僕を見た。 「ん?」 「なんだい、ボーイ」イラっ、その2。 ここは我慢。キャムが爆発する前に真実を知らなければならない。 「……グランさん?」長髪の男性を見る。 「三度目は男からか。悪い気はしないね。俺がマグン一の魔法使い、グレン・グランさ」 髪をファサァッ。端正な顔立ちだけに決まりすぎた。イラッ、その3。 落ち着け、エマ。怒るのはキャムの役目じゃあないか。 「得意なのはロウソクに火をつけるコトです! 焚き火もできるよ!!!」 茶々を入れる短髪の男性に手を向ける。 「そちらは、リブレさん?」 「そう、勇者リブレ・ロッシとは俺のことさ」 「サビサビロングソードのリブレとは彼のことだよ!」 「まだ言うか。買い換えたばかりのピカピカロングソードのサビとなれ!」 「結局サビサビになるんじゃん」 「言葉のアヤだ」 小競り合いを始めた二人を無視して、大分落ち着いた様子のマスターが言った。 「道具屋の店主は冗談が好きでな。そう、そこの二人が首都マグンのお荷物、グランとリブレだ」 「つまり、僕たちはだまされたんですね」 「そう言うな。悪気があるわけじゃないんだ。すまんな。代わりの注文……」 ゾクっ、とした。ここまで黙ってたキャムが臨海寸前。キャムセンサーが注意報から警報に引き上げられた。 「……で、なにが出てくるの」 マスターがまたニヤリと笑った。 「まぁまぁ。すぐにウチ一番のメシつくってやっから。おいそこの二人!」 後の方はリブレさんとグランさんに向けられたようだ。組み合っていた二人ともが直立に「ハイ!」と返事をした。 「そういうわけだから。この嬢ちゃんは諦めろ。……諦めなかったら殺されるかもな」 キャムの後姿しか見えない二人は、今のキャムの表情は分からないようだ。 しぶしぶと元のテーブル席に戻って食事を再開した。 魔王も裸足で逃げ出してマキビシを踏んでしまうほどの恐ろしい顔をして、キャムは料理を待っている。 |