酒場「ルーザーズ・キッチン」にはクエストを探しに多くの冒険者が集う。 イコールそれはクエストの依頼者も数多く訪れるということであり……中には無理難題を押し付けてくる客もいる。 今、酒場のマスターの目の前にいる老人も、その手合いだろうか。 この後ろ向きな名前の店にはまるで似つかわしくない雰囲気を纏っており、 目深に被った薄緑色のローブからは険しく、しかし射抜くような眼光を覗かせている。 「……」 「……」 その視線に負けじと、マスターはせわしなくグラスを磨く速度を上げた。 キュッコキュコと小気味のいい音が耳朶を響かせて、精神の安定を図る。 ……その行為自体が余裕のなさを現しているというのに。 老人は小さくクックッと笑い、懐から緑色の紙を取り出した。 「……(日雇い、か)」 酒場の入り口に備え付けてある依頼書の束は、酒場のマスターの自作である。 店を始めたばかりの時は、直接話を聞いてから依頼書を作成する流れだったが、 それなりに月日が経ち、おなじみの社交場としての機能を持ち始めたあたりから、 少しでも手間を減らそうと思い、依頼者に直接依頼書を書いてもらうシステムを採用した。 内容、場所、日数、募集人数、その他の制限、報酬。 また、依頼書にはそれぞれ色がつけられている。 緑は日雇い、黄色は二日から一週間、赤はそれ以上の期間――と、一目でだいたいの作業期間が分かるようになっているのは、マスターのサービス精神によるものだ。 「……明日までに頼めるかね?」 「……」 マスターは老人から依頼書を受け取って、それぞれの項目に目を通す。 ざっと流し読みしたところ、案外普通の依頼のように思える。 ……クエストの場所が一体どこなのか分からない以外は。 「……(確か、そろそろマタイサの町からアイツらが帰ってくることだったか)」 「預からせてもらう」 「へっへ、ありがとよ」 酒場のマスターが依頼書を受け取ること、すなわちそれは『受けるヤツのアテ』があることを暗に示すことに他ならない。 もっとも、募集期間の長いクエストであればそんなやり取りに意味は無いが、 こと急を要するクエストにおいては、酒場のマスターとしても安易に依頼を預かることは、信用に関わることになる。 万が一受注者が現れなくとも実質的な損害はないが……酒場にはそういった斡旋的な意味合いの仕事も含まれているらしいことを、 マスターを続けていく上で身に染み付いてきていた。 「そいじゃあ明日、また来るでな」 用は済んだとばかりに、老人はしっかりとした足取りで酒場を出て行った。 カウンターには――この店で一番強いはずの酒――シュレディンガーを注いだジョッキが残されていた。 手に取ってみると、間違いなく飲み干されている。どこかにぶちまけたような跡も無い。 間違いなく、今夜の客はただ者ではなかった。 マスターは今更ながら、老人の依頼を安請け合いしたことに、軽い戦慄を覚えた。 日付が変わり、昼下がりの午後。 常連である剣士リブレ・ロッシと、その連れである魔術師グラン・グレンが、互いに不景気な表情を浮かべながら酒場に顔を見せた。 「マスター、何か楽な仕事ない?」 「こう、それでいて稼げるっていうか……ワリのいい仕事っていうか」 「……」 酒場のマスターはチョイチョイと掲示板を指差す。 その方向には、場所だけが黒インクで塗りつぶされた緑色の依頼書が張ってあった。 「えーと、なになに?」 『1日限りの派遣作業です。動物たちと触れ合いながら、楽しくお金を稼ぎましょう! 作業内容 :動物のお世話(餌やり、毛のトリミング、その他園内業務のお手伝い) 作業場所 :■■■■■■ 日数 :一日 募集人数 :一〜二人 その他制限:健康な成人男性であれば問いません。冒険経験者歓迎』 「何だこりゃ? 園内って、動物園なんて近くに有ったのか?」 「それに、何で場所が黒く塗りつぶされてるんだ」 「何かうさんくせえな……」 依頼書を前に訝しがる二人に、マスターが指している指を下へとずらす。 指先を目線で追うと、そこには、 『報酬:十万ゴールド』 「「じゅっ……十万ゴールド!?」」 二人の声が見事にハモる。いつもの郵便配達の十倍の報酬が一日で手に入るのだ。 確かに怪しい箇所はいくつかあるが、それを差し置いても報酬のうまみが勝る。 「ま、まあ十万って言ってもな……こんな怪しい依頼は……」 「お、おや? グレン先生は十万ゴールドが欲しくないので?」 「そそ、そんなわけないじゃないか。イヤだなあ、リブレ君は……はは」 「いやいや、無理する必要はないんだよ。俺が二人分働いて、二十万ゴールド稼いでこようじゃないか」 一見するとリブレは既に行く気満々なようだが、どうという事はなく、どちらも牽制し合っているだけである。 しばらくそれは続き、いいかげんしびれをきらしたマスターが依頼書を剥がそうとすると、 二人は依頼書を寸前ではっしと掴み「行きます」と答えた。若干グレンの方が手が早かった。 「ほっほ、話は決まったようじゃな」 いつの間にか酒場の入り口に老人が立っていた。 昨日訪れたときのようにローブを目深に被っており、背丈よりも大きい杖をついて、依頼書を手に取ったままの二人に近づいてくる。 「うむ、うむ……ちと経験不足なきらいもあるが、条件としては問題無いようじゃな」 「ヌシら二人、わしの依頼を受注すると……相違ないな?」 『経験不足』と言われて一瞬カチンときたところもあるが、これだけワリのいい仕事の依頼主だ。 下手に怒らせてヘソを曲げられても困る、とリブレとグレンはアイコンタクトで伝え合った。 「はっ、もちろんでありますおじい様!」 「粉骨砕身、精一杯努めさせていただきますとも!」 「よろしい。ではマスター、この二人借りていくでな」 老人が二人を連れて外へ出る。 大きな杖の先を地面にゴリゴリとこすり、円を描いたかと思うと、内部に複雑な紋様を描き始めた。 リブレは気づいていなかったが、魔術師であるグレンはそれが魔法陣であることが分かった。 しかし、知識にある魔法陣の紋様とはどれも異なり……その用途の検討がつかなかった。 「こんなもんじゃな。さ、二人とも乗った乗った」 二人は老人に背中を押されつつ、陣を崩さないように中央へと乗せられる。 最後に老人がヒョイと乗って、魔法陣の起動式と思われる箇所へと杖を突いた。 瞬間、陣の外の風景が歪み――瞬く間に別の場所へと跳躍する感覚に襲われる。 「……おい、グレン先生」 「なんだ、リブレ」 「これってすごい魔法なんじゃないのか?」 「……転送魔法自体は、魔術師なら習おうと思えば三年ぐらいあれば習得できる」 「だけど、これだけの時間、これだけの人数を乗せたまま転移し続けるのは、聞いたことがないな」 「そうなのか」 「ヌシら、無駄口を叩いとる暇はないぞ。そろそろ着くでな」 ルルルル……とだんだんと周囲の音が戻ってくると共に、フッと垂直に芝生に落とされるような感覚を受ける。 というより、転移中に感じなかった重力が戻ってきたようにも思えた。 「ふー」 着くや否や、老人は被っていたローブを首の後ろにずらす。 陽光を受けて輝く禿頭には、後光すら感じられた。 「とりあえず、じゃな……ようこそ、エーリルの島へ」 島、と聞いて二人は辺りを見回した。 雲ひとつ無い青空と、シーキャットの鳴き声と……そして、後ろには断崖絶壁と見渡す限りの海が広がっている。 吹き付ける潮風に危うく落ちそうになったが、それを差し置いても呆然とした感覚が二人を襲っていた。 「何をしとる? こっちじゃ」 老人は大きな杖をつきながら、森の中へと入っていこうとする。 しばし呆然としていたリブレだったが、このまま立ち止まっていると老人に置いていかれると思ったのか、 未だ呆けているグレンに軽く張り手を打ち、気を確かに持つように声を掛ける。 ……えらいとこに連れて行かれたと思いながらも、二人は老人の背を追った。 だが、森を抜けた後にはさらなる驚愕が待ち受けていた。 「今日はここで仕事をしてもらう」 一見すると牧場風にも見えるのどかな風景。ひたすらに広がる芝生の上には幾重にも囲いがあり、 その傍らには、やはり幾つものログハウスが立ち並んでいる。 しかし、その中には――明らかに動物ではなく、モンスターが飼育されていた。 「ああ、そうそう。まだ自己紹介をしとらなんだな」 「わしの名はダライ。人はわしのことを、モンスターじいさんと呼んどる」 「ったく、こんなことならリブレの誘いに乗るんじゃなかった!」 「よく言うぜ! あの依頼書に手を伸ばしたとき、俺より早く取ってたヤツが!」 「ヌシらー、手が止まっておるぞー」 ダライは高所から見下ろしながら、メガホンを手にとって二人に指示を与えている。 その二人はというと、ひたすら牛型モンスター――ホルスタンクから乳絞りをやらされていた。 しかし牛型と言えどモンスターはモンスターである。 人間に体を触られるだけで狂気をあらわにし、体のあらゆる部位を振り回しながらも的確にダメージを与えてくる。 そのたびに老人から回復魔法を受け、さらには補助魔法を使用されながら、馬車馬のように働かされ続けていた。 「だいたい、速度倍化魔法なんてかけられたら、実質二日間じゃねえか、ぜぇ、ぜぇ」 「しかも、代謝促進魔法なんてのも、寿命縮めるしな、はぁ、はぁ」 「安心せえ。縮んだ寿命は後で戻してやるきに」 「ほれ、次はそこの十八号ちゃんやで」 ホルスタンクから撃ち出された糞弾を間一髪で避け、 指し示した先には、一回り大きな牛柄の虎型のモンスター――ビナトルガがいた。 図鑑でしか見たことは無いが、間違いなく素手で手に負える相手ではない。 「あれ牛型じゃなくて虎型だろ!? 回復間に合わねぇって! 一発でやられる!」 「もーやだ、疲れた死ぬ。おい、じいさん」 「なんじゃ?」 「あっちのモンスターの乳絞りやらせてくんねえかな……なんて」 グランが指した先には、同じモンスターでも人間の女性に近い容姿を持った者たちが居た。 普段のグランなら例えどんなに色っぽくてもモンスターはモンスターと割り切って性欲の対象になどしないと誓っていたが、 この疲弊からか、はたまた本気で生命の危機を感じているからか、さっきからそういう目で彼女たちを見ていた。 「……残念じゃが、あっちの子らの乳を搾っても、酸か毒しか出んぞ」 「ヌシみたいな若い男を食うために居るような存在じゃからな」 「生きながらバリバリ喰われて、餌にされたいってんなら考えんでもないが……」 「いえ、やっぱり遠慮させていただきます」 二人に気づいたのか、女性型モンスターたちは一斉に蟲惑的な視線が投げかけてきた。 それ自体が魔力を含んだものなのか、甘ったるいような空気がリブレとグランを包む。 ダライは咄嗟に魔力防護壁を張り、魔力干渉をシャットアウトした。 「全く、最近の若いもんは……分かった、ソイツで最後じゃ」 「それが終わったら休憩にしてやるから、はようせい」 「おい、リブレ」 「なんだ?」 「お前、あれ持ってただろ」 「ああ、あれか。最後だっていうんなら、使うのもアリかもしれないな」 よし、と二人は頷いて互いの位置をとり始める。 グランはビナトルガに気づかれないように後ろへと回り込み、リブレは挑発するように正面から少しずつ近づいていく。 そしてビナトルガの中心にした円周上、リブレとグランが相対する位置に着いた時、そのタイミングに合わせたかのようにビナトルガはリブレに飛び掛った。 「くらえ!」 リブレはポケットに忍ばせていたかんしゃく玉を取り出し、ビナトルガの鼻先で爆発させた……はずだったが、予想していたような閃光と音は現れなかった。 どうやら偶然にも飛び掛った瞬間に口の中に入り、そのまま爆発したらしい。ビナトルガは煙を吐き出しながら気絶していた。 「ラッキー!」 「よし、今だ!」 これ幸いとばかりに、ビナトルガの体を起こして乳絞りを始める。 虎というだけあって数が多かったが、何とかこなすことができた。 もし、気絶させずにまともにやろうとしていたら、いつまでかかっていたのだろう…… 二人はそんなことを考えつつも、困難を乗り切ったことに充足感を得ていた。 「あの二人……なかなかやりおるわい」 一方。一連のやり取りを見ていたダライは、ヒゲを撫でながら感心したように呟いた。 「いや、お疲れじゃったな。メシを用意してあるから、遠慮せずに食え」 「ぜぇ……ぜぇ……」 「…………」 食堂に連れてこられた二人は補助魔法の反動からか、身動き一つ出来ないでいた。 それでも晩メシは運ばれてきており、食器のモンスターたちが次々と口に運んでいく。 むせようものなら、座っている椅子のモンスター――チェアキングから手がにゅっと伸び、背中を叩いて無理やり咳を止めようとする。 食事も自由にとれず無理やり流し込まれる様は、ある意味では地獄絵図とも取れるかもしれない。 「夜からは、各種モンスターの体毛を収穫してもらうが……」 「え……まだ働ゴブッ、の……」 「ああ、まあ昼みたいなコトにはならん。あーいうのは昼だけじゃ」 「それに、そろそろ体が回復してくる頃かと思うが……どうじゃね」 味も分からない謎の食事をして十分経ったぐらいだろうか、 二人の疲弊していた肉体と精神は、まるで目覚めた時のように爽快感にあふれていた。 「すげえな、この肉」 「ああ、このスープも、今まで味わったことがない」 体力が回復すると、食事の味わう余裕が出てくる。 出されていた食事はお世辞にも豪華とは言えない風情だったが、それにしてもしっかりとした味付けと、 素材そのものの力が流れ込んでくるような力強さが、噛むたびにじわりと口の中に広がっていく感触があった。 「うまいか、ヌシら?」 「ああ、うめえ」 「そうか。ちなみに食ってるの、それ全部モンスターじゃよ」 ブーッと噴き出す音が食堂にこだました。 めぇー めぇー めぇー めぇー 「あー……」 夜の牧場に羊っぽいモンスターの合唱が響く。 確かに凶暴な目には合わないが、精神的にはゴリゴリと何かが削られるような感覚が、この空間を支配していた。 専用の機械を手にしつつ、ジョリジョリと体毛を剃っていく中、周りを見渡せば、羊、シープ、スリープ……。 さっき回復したはずなのに、二人の体力は、もう底をつきそうになっていた。 「ほれ、キリキリ働けい」 右手で器用に体毛を剃りながらも、左手を動かして杖でリブレをたたき起こすダライ。 唐突に襲った痛みに思わず上を見上げると、夜空にはオーロラが掛かっていた。 「オーロラだって? 一体ここはどこなんだ」 「だから、エーリルの島じゃよ」 「聞いたことないぜ、そんな島」 「……そうか」 少し寂しげにうつむくダライ。が、それも一瞬のことで、すぐにまた体毛の収穫に戻った。 オーロラが出るような辺境の地のモンスターだらけの島で、一人っきりでこの老人は生きている。 一体どういう人生を送ったらこういう境遇に落ち着くのか、少しだけリブレは興味が沸いた。 「なあ、じいさん」 「なんじゃ」 「何で俺らみたいなのに依頼したんだ? なんていうか、俺らなんて、冒険者としても半人前だし……その日ぐらしの生活しかしてないし」 「だいたい、じいさんみたいなすげえ魔法使いなら、他にもアテなんていくらでもあるんじゃないか?」 昼のことはあまり思い出したくはないが、それでもリブレは覚えていた。 この島へ来るときの転送魔法、ダメージを受けるたびに的確に与えられた回復魔法、その他の多重にかけられた補助魔法。 並の魔術師じゃ、あんな使い方をすればすぐにでも魔力が尽きて倒れてしまう。 それらを難なくこなし、今も元気に体毛を収穫し……そもそも、こんな数のモンスターを従えているというのが常識的にありえない。 「従えている、というのはちと語弊があるのう、若いの」 「リブレだ」 「リブレ。おヌシは何のために生きておる?」 「俺は……」 リブレはいきなり突っ込んだ質問をされて困った。 答えはいつも心の中に秘めていて、それを口に出したことはあまり無いが、 何故かこの場では隠すことがためらわれるように思えた。 「いつか『勇者』になるためだ」 「本当にそうなった時の重圧だとか、責任とか……考えずに漠然とそう思ってるだけだけど、 今の俺を支えているのは、その望みがあるからだな」 「『勇者』……か」 ふぉっふぉっ、とダライは愉快そうに笑った。しかしそこに軽蔑の意志はなく、本当に心の底から愉快そうに笑った。 「いや、失礼。でものう、リブレのような若いもんが『勇者』に憧れるっていう世界はの」 「わしらみたいなもんには、本当に救いのあることなんじゃ」 ひとしきり笑ったあと、ダライは一旦体毛を剃る手を止め、リブレに向き合って言った。 「さっきの質問じゃがな」 「わしは、モンスターを従えているのではない……あくまで、わしの罪に付き合ってもろうとるだけじゃ」 「罪に付き合う?」 「そう、罪じゃ。わしは昔、取り返しのつかん過ちを犯してしもうた」 「大勢の人が死んだ。わしの家族も、皆いなくなった」 「でもわしは死ぬことよりも……生きて罪を償う選択を選んだ」 淡々と語り続ける背中には、哀愁と怒りがないまぜになったようなものが立ち込めている。 声色は相変わらずに淡々としていたが、リブレには、今ダライの顔がどういう表情をとっているのかを覗き見るような度胸はなかった。 「……付きおうてもろとるモンスターどもには申し訳ない気持ちもあるんじゃが」 「でも、わしはもうこういう生き方しかできんのでな。仕方のないことなんじゃ」 その言葉を最後にダライは話を打ち切り、また体毛をジョリジョリと剃り始めた。 結局、何故俺たちのような冒険者に依頼を持ってきたのかは聞けずじまいだったが、 それ以上に何かを聞くのは野暮な気がして、リブレもまた体毛の収穫を始めることにしていた。グランは寝ていた。 |