Usual Quest
ユージュアル・クエスト

番外編「エマ、笑う」前編

さんさんと降る日光の下、背の低い草を踏みしめながら、僕とキャムは歩いていた。
首都マグンからひとつ村を超えた、ゼオ高原。
時々吹いてくる尾根降ろしの風が肌を優しく冷ましてくれる。
ピクニックであれば「ここで食事にしようか」なんて言ってしまう程の心地よさだ。
だけど現実はそこまで甘くない。
僕の横をだるそうに歩くキャムは「……めんどくさい……帰りたい……」と間断なく呟いている。
首都マグンを出てすぐに、キャムの右手が僕の服の裾をちょこんと掴んだ。それからずっとそのまま。
コレが意中の女の子だったら、あまりの愛おしさに抱きしめたくもなるのだけれど、相手はキャム。
『ぜったい、逃がさない』という思いが衣服を通じて伝わってくるようだ。
「おぉーい、お二人さーん! 置いていくぞぉー!」前を行く二人が声を張りあげた。
僕たちの前方で、リブレさんとグランさんが手を振っている。
「はーい、すぐ追いつきまーす!」僕も声を張り上げた。
裾が引かれた気がして、キャムをちら、と見た。
「……エマ、投擲するものはないの」
その言葉をきいて、僕は足元に転がる『投げるには手ごろな石』を遠くに蹴り飛ばした。

首都マグン、ルーザーズキッチンで急遽開催された異種格闘技戦は、奇跡的にひとりの死者も出さずに、僕の勝利で幕を閉じた。
本来ならもう首都マグンを出て、チアの街にいって社長に報告をしなければいけなかったのだけど、
こちら(の悪魔)が原因で、陸に揚げられた魚のように床を転がる二人を無視して帰れるほど僕は冷徹じゃなかった。

「ほっとけばどっかいくさ」と言うマスターの言葉に従わずに、固く絞ったタオルを借りて、まずロッシさんの顔に当てた。
「う……つめてっ。くそ、綺麗な顔が台無しだぜ……おいグラン、生きてるか?」
受身を一切取らずに床とこんにちはした割には、ロッシさんの軽口は相変わらずだ。その根性だけは認めてもいいかも知れない。
「無理。死んだ。俺もう駄目。絶対脳みそこぼれてる」
グレンさんが言いながら上体を起こした。頭をさする。
「知ってたかグラン、空っぽのグラスは倒れても何もこぼれないんだぜ」
「おめーこそ腹筋をもっと鍛えろよ。俺ならあんな女の子のパンチ……あれは無理だけどな」
この二人の会話は先が見えない。ほっといたらどこまでも続きそうだった。
こちらとしては平気なようなら、お詫びだけをしてさっさと立ち去りたい。
原因の悪魔は並べたスツールの上で規則正しい寝息をたてている。
なんで謝るのはいつも僕の仕事なんだろう。
「あの、お二人とも、すいませんでした」
初めて僕に気がついたように二人がまっすぐ僕を見た。
「謝ることはねぇよ」
「……そうだな。こっちも絡んで悪かったしな」
その返答に虚をつかれる思いがした。なんというか、あっさりしすぎていた。
思ったよりいい人たちなのかも知れない。
ふと見たマスターが腕を組んで苦い顔をしていた。
なんというか、悪いことを企んでいる子供を見ているような……。
「まぁなんだ」
ロッシさんの声に振り向いた。
右手は顔にタオルを当て、左手はこれ見よがしにお腹をさすっていた。
キャムが空気を揺らす前のような感覚が僕を包んだ。
なんだか、すごく、やな予感。

「お二人さんは、このあと暇かい?」
ニコっと笑ったロッシさんの端整な顔の中心から、鼻血がひとすじ垂れた。


なに、簡単なことさ。
俺達は今日ここで四人でしかいけないクエストを受けようと約束していた。
ところがどっこい、後の二人が来やしねぇ。やっぱ女は二人集まるとダメだってことだな。
内容的には俺達二人で充分すぎてお釣りがくるほどなんだが、人数がまず問題ってんじゃしょうがない。
どうしようもなくなって、いつもは飲まない酒と飯をかっ喰らっていたところに、お二人さんだ。
まさに天の助けだと思ったね。ぱっと見たときに、コイツらは違う、って空気っていうのかな、
その、なんていうか、あれだ、その、分かるよなグラン。(おお、分かんねぇけど、分かるぜ)
……ごほん、まぁそのなんだ、見たところというか喰らったところ、弱くはないようだし、
どうだ、謝らなくていいし、気にする必要もない。
ぱーっと終わる簡単なクエストだし、簡単に言えば……俺達もう仲間だろ!!

以上、僕の記憶のロッシさんの言葉。かつてこんなひどい誘い文句を聞いたことがない。
考える術を与えないというか、考えることを考えるような説得に、
正直なところ「もうどうでもいいや」と思ったのは嘘じゃない。
「……この寝ている女の子の、許可がとれたら……いいです」
思わずそう言ってしまった。

目を覚ましたキャムは、アルコールのおかげで前後の記憶が曖昧で、
「ちょっと困ってる二人がいたから、簡単なクエストに付き合ってあげよう?」と言って納得してもらうことにした。
(ちなみにキャムが起き上がったとき、KOされた二人の顔色が少し悪くなった)
しばし考える風をして、キャムが言った言葉。
「明日の昼までの食事代プラス、下になって」
僕は本当に、心から、この世から消えてなくなりたかった。
食事が抜かれることもだけど、なにより後者の要求が僕を打ちのめした。
「下」とはそのまま、キャムの下になること。
つまり、アッパーガーデンのあるチアの街まで、キャムをおんぶすること。
ああ、明日になったら足が二倍くらいに太くなってますように――。
僕の(叶うはずのない)天への願いの横で、グレンとロッシさんが手を合わせてはしゃいでいた。

一時間後に北口で合流する約束をして、ロッシさんたちと別れた。
「よっし、準備してくるか」二人はルーザーズキッチンを意気揚々と出て行った。
マスターは終始苦い顔をして何も言わなかった。
別れ際、思い出したようにグレンさんに渡されたクエスト契約書を開く。

「……この条件はバカにしてるの」覗き込んだキャムがもらした言葉の通り、内容はともかく受注条件がよく分からなかった。

クエスト(依頼)内容:創作の補助業務又はアイデアモデル。
受注条件:以下四点の条件全てを満たすこと。
@四名以上のパーティーであること。
A一名以上の女性をパーティー内に含むこと(全員女性は不可)
B剣士又はナイト、魔法使い又は魔道士、もしくはその職業に準じる者を各一人以上パーティー内に含むこと。
C後記の場所まで自力でたどり着けること。
受注(業務)場所:ゼオ高原北奥にある白の邸宅。

「具体的に何をするのかまったく分からないなぁ」
「わたしはなんでこんなことになってるのかが分からない」
「うーんと、これも運命じゃないのかな?」でまかせ。それ以外になんて言ったらいいんだろう。
キャムの眉が少し斜めになった。
「エマのお人よしが原因だと思う。はやくかえってチアの花串が食べたいのに」
なんという物言い。「元はといえばキャムが……!」声を荒げて途中で押さえた。
キャムは何をしたか覚えていないのだ。一度捕まえた猛獣を、「再現してみろ!」と檻から出すのは馬鹿のすることだ。
空気が揺れた。いつもより、鈍い。馬鹿は僕だった。
「わたしが、なにを、したの?」疑問系のキャム。スコールのように突然襲い掛かる敵意の風。
「な、なにって……」
「気がついたらそこに横になってた。なにをしたの?」地響きのような低いキャムの声。
「な、なにもしてないです! 僕のおせっかいです!」
僕を情けないというのなら、一度でいいからキャムの目の前で食事を投げ捨てて欲しい(出来たら僕のいない場所で)
キャムと出会ってから、僕は『悪くないのに謝ることが大人』だと言う大人を信じなくなった。

「喧嘩はそんなもんにしときな」
マスターがキャムの逆立つ髪の毛に、ぽん、と掌を置いて言った。
「……関係ないと思うの」
神の助けを振り払うか如く、キャムがマスターを見ずに返す。
マスターは、ふん、と鼻息を出して、ゆっくりと諭すように言った。
「関係なくはねぇさ。ココは俺の店で、あんたらは客だ。客同士のいざこざで店が壊れることだってある。喧嘩だって店の外でやってくれりゃあ止めはしないさ。でもココは、俺の店ん中だからな。分かるか?」
口調も変わらず、表情は柔和なままなのに、有無を言わせない重さがある。
キャムがふぅ、と一息吐いて「分かった。確かにそう。納得する」とマスターを見上げた。
「納得した、じゃなくて納得する、か。いい女だな、アンタ。将来化けるぞ」マスターがニヤリと笑った。後の言葉は僕に向けてだ。
「いい女かどうかはどうでもいい。でも子ども扱いされるのは嫌。手、どけて」キャムが睨む。不思議といつもより威圧感がない。
「おっと、すまんすまん」マスターが照れたように身を引いた。
なんだこれ。年頃の娘とその父親みたいな……。
「エマ」
「はいっ?」
「馬鹿みたいに口を開けてないで。頭悪そうに見えるから少しはしっかりして。はやく支度していくの」
旗色は悪くないようだ。マスターに心の中で感謝状を送る。
「ってことは、僕、頭悪くないってこと?」単純ながら嬉しくなってしまった。
キャムが薄汚いネズミに向ける眼で僕を見た。
「……その質問が憐れ」

ルーザーズキッチンを出る時、マスターが「途中で嫌になったらばっくれちまえな」と言った。
今になって考えれば、この言葉がこれから先の暗示をしていたのだろうと思う。

「あ、いた」
「……いなければよかったのに」
北門に立つ衛兵の横にロッシさんとグレンさんを見つけた。
グレンさんは何箇所か穴が開いた臙脂色の外套を纏い、ロッシさんは少し色あせてはいるけど濃紺の色をした動きやすそうな素材の上下と、背中に細身のロングソードを身につけていた。
こちらに背中を向け二人で顔を付き合わせるようにクエスト依頼書を覗き込んで、時々なにか話している。遠目からでも、その姿は熟達の旅人のように落ち着いて見えた。
「すいません、お待たせしました」
振り向いた二人がまず僕を見た。そのあと、僕の頭一つ下のキャムを見て驚いたように顎を引いた。
「お、おお。来てくれたか」グレンさんが身構えた。
「……来なくてもよかったなら帰る」
いきなり(何度も言うけど、原因は僕じゃない)クエストに巻き込まれて、キャムは不機嫌だ。
「あ、ああ、そういう意味じゃないんだ、待ってたよ」
ロッシさんがすかさずフォローに入った。
「……そう。何に怯えてるか分からないけど、そんなに身構えなくてもいいと思うの」
チラ、とキャムがグレンさんに視線を向けた。
グレンさんは無意識のうちにだろう、頭を押さえていた手を下ろして、「っはは」と乾いた声で笑った。
「契約書は読んでくれたかな」
ロッシさんが僕を見た。
「はい。細かい点がよく分からなかったんですけど」
「俺たちもさ。とりあえず現地に行ってみないと分からないな、って話してたんだ」
「場所はどのあたりにあるのか、ご存知ですか?」
ロッシさんが大きく頷いた。
「ああ。ゼオ高原には何度か行ったことがある。大体の目処はついてるさ」
よかった。これで「分からない」と言われたらどうしようかと思っていた。
「早速、出発しますか? 出来たら夜までに終わっていただけると助かるんですが……」
ロッシさんが両手で「まぁまぁ」のジェスチャーをした。
「そんなに慌てなくても、大丈夫さ。それより、大事なことを一つ忘れてるんじゃないか?」
大事なこと? なんだろう……。
「俺は、さっきも言った通り、リブレ・ロッシ。職業は剣士をしている」
「グラン・グレン。オリジナルの炎系魔法を中心にしてる魔術師だ」
そういえば、こっちはちゃんと名前も言っていなかったことに気付いた。(一応)これからのクエストのパーティーになるんだし、戦闘メインのクエストでなくても、職と名前くらいは知っておいたほうがいいのだろう。
「遅くなってすいません。エマ・ティンカーといいます」改めて頭を下げる。
興味がなさそうに衛兵を眺めているキャムの背中をつついた。
「……キャム・A・ハーミット。なんて呼んでもいいけど、ちゃんづけだけはやめて」
二人がおどけて軽く頭を下げた。
「呼び捨てでいいかい? 敬称をつけて呼ぶことになれてなくてね」
ロッシさんが恥ずかしそうに言った。キャムが小さく頷いて、僕もそれにならった。
「ありがとう。エマ、キャム。……それで、キャムは剣を?」
当然の疑問だろう。ただ、困ってしまった。
不釣合いに大きな剣を腰に身につけているキャムの戦闘は、簡単に説明することが出来ない。

「僕たちは正式に決まった職業がないんです。キャムは帯剣をしていますけど……」
キャムが僕の言葉をさえぎった。
「後々訊かれるのも面倒だから、いい。言う」
二人の視線が同時にキャムに向いた。

「この剣は抜かない。お守りみたいなもの。わたしを職業で言えばストライカーだと思ってくれればいい。それと……」
キャムが言いづらそうに。それでもはっきりと言った。
「……例え、モンスターでも殺せない。弱らせることはできるけど。それを望むのなら……期待には添えない。他の人に当たって欲しい」
それなりに、このクエストに参加するふんぎりがついたようだった。キャムが自分からこういった話をするのはとても珍しいことだ。

「なるほど……まぁ、理由はいろいろあるだろうから、訊かないよ。まぁ戦闘自体あるかどうかが微妙なとこだしな。なによりこのへっぽこ剣士は、いつでもモンスターの気が読めるんだ。エンカウントはあってないようなもんだ。その点は安心していい」
グレンさんがキャムの言葉を気にする素振りもなく言った。

驚いた。モンスターの気が読めるということは、終始『サーチ』を詠唱し続けているということだ。今までそんな人にあったことがない。本当にすごい二人なのかも知れない……。

「キャムはストライカーね。で、エマは? 魔術師には見えないけど」
ロッシさんが僕に視線を移した。僕の場合、説明するのがめんどくさいというより、なんて説明したらいいのかが未だに分からない。キャムは昔、僕の職業のことを「どっちつかず」と言った。
「ええと、見てもらったほうが早いと思います。キャム、いい?」
キャムが仕方ない、というように頷いて、僕に左の掌を向けた。
担いでいた荷物を地面に下ろして、キャムの掌に、僕の右の掌を合わせた。
目を閉じた。『理力』を身体の中心から右手に流す。
「……川、春の風、時、放送、血液……すべからく流れるもの」
『理力』を使うのは久しぶりだ。思い出すように『理力』を練るイメージを口に出す。
右手が一瞬熱くなり、キャムが「もう、いい」と言った。
二人は眉をしかめて僕たちを見ている。
「違ったらすまん。少し理力の流れを感じたけど、魔法じゃなくて?」
グレンさんは魔術師らしい言葉を口にした。
「僕は魔法が使えません。格闘も強くないです。でも、気がつけば『理力』だけがあったんです」

『理力』。生命ならどんなものでも持つ、理の力。地方によっては『魔力』だとか『魔法力』などと呼ばれている。この力を体内で増幅し、それを元に攻撃魔法や補助魔法に転化することが出来る職業を魔術師ないし魔道士と呼ぶ。魔法はその内容を文字通り『理解』し呪文を覚えることで唱えることが出来る。
だけど、僕は格闘も剣も扱えなかった。ただ、人よりその『理力』だけが使い道もないままに増えていった。僕は一切魔法を唱えることが出来ない。何度呪文書を呼んでも、その内容を『理解』することが出来なかった。(僕の頭が問題なのではなく、相性の問題だということを分かって欲しい) その代わり、あるときから、『理力』を、そのまま使う方法を見つけた。

「今キャムは『パオ』、と僕が呼んでいる状態にいます」
「……何も変わったように見えないけど、魔法状態みたいなもんか?」
ロッシさんが疑いの眼でキャムを見まわす。
「……信じられないなら、わたしに触れてみればいい」
キャムが仕方ない、というように呟いた。
「そんでは、さっそく。失礼」
魔術師の勘がそうさせるのか、好奇心いっぱいの表情で、グレンさんがキャムに手を伸ばした。
キャムの風に揺れるブラウンシュガーの頭に触れるか触れないかの距離で、その手が止まった。グレンさんが手を引いた。その表情に驚きが見て取れる。
「驚いた。リブレ、キャムに触ろうとしてみろよ」ロッシさんに顎をしゃくった。
「なんだってんだ? ……なんだか照れるな」
ちょっと頬を赤らめながら、今度はロッシさんがキャムに近づいた。
「変なことは考えないで」
キャムの一喝。ロッシさん、それでも照れ笑いをしながら、キャムに手を伸ばす。
指が、その頬に触れようとするところで、頬との間に1センチほどの間隔があいて、止まった。
久しぶりの『パオ』が1センチなら、僕の調子は悪くないようだ。
「……さわれねぇ。なんだか見えない膜があるような感じだ」
ロッシさんが的確な表現で伝えてくれた。
さて、僕の拙い説明で分かってくれるだろうか。

「そうですね。今、キャムは僕の『理力』そのもので包まれている状態です。殴られたり、切られたり、攻撃を受けても、この『パオ』がなくならない限りは、キャムの身体にダメージはありません」
二人が同時に「おぉ」と声を上げた。心なしか頬が上気している。
「ただし」
ここからが重要だ。正直、あまり頼りにされても困るというのが本音だ。
「ただし?」
オウム返しに二人が言った。本当に仲がいいんだなぁ……。

「魔法ではないので、時間が切れるまでずっと、というわけでもないんです。このほかにも違う効果のあるものがあって、理力をそのまま放つという意味で、まとめて『理砲』と言っています。『理砲』全体で共通しているのは、僕の『理力』がなくなれば、効果がなくなってしまうことです。『パオ』で言えば、本来キャムが与えられるはずのダメージを、僕ではなく、僕の『理力』に移し変えているだけなんです。もちろんキャムだけでなくお二人も『パオ』をすることができますけど……あんまり過信されても、って感じです。三人を『パオ』すれば、その分僕の『理力』が早く尽きるんです。……微妙な力ですいません」
最後に一言付け加えて、謙遜ではなく、心から謝った。

魔法であれば、パーティーメンバー全員に効果のある防御補助魔法を唱えればいいだけなのだ。時間制限はあるし、『理力』を消費するにしろ、そっちのほうが簡単で、誰にも負担をかけない。もっと言えば、防御効果のあるスクロールを購入して、詠唱すれば、『理力』も消費しない。言うならば、僕の『理砲』は、『理力』が人より少しだけ多くて、戦闘もできない僕が、魔法を唱える代わりに考えた『苦肉の策』でしかないのだ。

「以上です。分かりにくかったらごめんなさい」
軽く右手を振って、キャムの『パオ』を解く。身体の中心に『理力』が戻ってきたのを感じた。

「……すげぇな。これってすげぇんだろ、グラン」
思いもしなかった言葉に、顔を上げた。
「ああ。『理力』をそのまま、か。……考えもしなかったな」
そう言って、グランさんが僕に手を差し出した。
「……グレンさん?」グレンさんも『パオ』をしてほしいのだろうか。
「鈍感。風邪をひいたナメクジだってもうすこしマシ」
キャムの辛辣な、呆れた風な物言い。
「ははっ、いい例えだな。……グラン。苗字で呼ぶのはやめてくれ。お前もいいだろ」
手を出したまま、グレンさんがロッシさんに顔を向けた。
「あったりめぇだ。ロッシなんて呼ばれたことねぇから緊張しっぱなしだったぜ」
ロッシさんが腕を組んで笑った。
「手が差し出されたら、叩かれるか、握手しかない。エマはグランに叩かれるようなこと、したの」
すでに呼び捨てのキャムの言葉で気がついた。
差し出されたグランさんの手を握った。力強く握り返してくる。
「改めて、よろしくな、お二人さん」
グランさんが整った顔をくしゃくしゃにして笑った。
「……こちらこそ、よろしく、お願いします」
握手などほとんどした記憶がなかった。それでも、悪い気はぜんぜんしなかった。
キャムが憮然とした表情で僕を見ている。
グランさんの掌は少しゴツゴツしていて、ひんやりと冷たかった。


そして今、ゼオ高原。
前を歩いていた二人が立ち止って、僕たちを待っていた。
「ペース、はやいか?」グレンさんが心配して声をかけてくれた。
「いえ、遅くなってすいません。大丈夫です」
大丈夫じゃないのはキャムの機嫌だけだ。予想以上に歩いたからか、その表情ははっきりと苛立ちが見て取れる。
「ここからモンスターの気配が濃くなってきた。できたらくっついてきてくれ」
リブレさんが辺りを見回した。
首都マグンを出て小一時間ほど経っただろうか。僕たちの前方に、針葉樹の森が見える。明るく拓けたゼオ高原の中で、あそこだけが暗く、陰鬱な様相を感じさせた。
僕の視線に気付いて、グランさんが言う。
「あの森か? あそこは『モザの口』って呼ばれてる、入ったら文字通り喰われて出て来れないって言われてるところだな。モザ、ってのは木の幹に付着した薄い皮みたいなモンスターで、人や動物に張り付いて生き血を吸うそうだ」
恐ろしい。巨大に広がったヒルを想像した。
モザの口を指さす。恐る恐る尋ねた。
「あそこを……?」
二人が勢いよく首を横に振った。
「とんでもない! あそこは熟練のパーティーでも避けて通る場所だ。いくら金を積まれてもとおらねぇよ」グランさんが慌ててまくし立てた。
「白の邸宅はこっちだな。暗くならないうちにいこうぜ」
リブレさんが森を左手に見て、ゼオ高原の奥を示した。
「……まだ歩くの」
明らかな不満を口にしたキャムに、僕はため息を吐いて、しゃがんで背中を向けた。
「……はい、どーぞ」
なんの言葉もなく、キャムが僕の背中に身体を預けてきた。
「チアの街までとは別件」
はっきりとしたキャムの声。
分かってるさ! 泣きたい気持ちを抑えて足を踏み出した。
グランさんが僕と背中のキャムを見て、リブレさんを見た。
「リブレ、しゃがもうか」
「ふざけんな。……今ほどお前が巨乳の女だったらと強く思ったことはねぇよ」

それからまた一時間ほど歩いて、ようやく僕たちは『邸宅』にたどり着いた。
背の高いカブラマツが、名前通りに白い壁の屋敷に寄り添うようにしてたっている。
「やっとか……クソ、あいつらさえいなきゃ……」グランさんが息を荒くして悪態を吐いた。
実は、三十分ほど前に、この白の邸宅を遠目に見つけることが出来ていたのだ。
目標が確認でき、少し駆け足になりかけたころ、リブレさんが大きく「まて!」と叫んだ。
「マジかよ。いんのか、リブレ」グランさんが問いかけた。
「しっ……あそこだ」リブレさんが指を刺したのは、まさしく白の邸宅の方向だった。僕たちの立っている地面と地続きに背の低い芝生があり、その先に腰の高さほどの草が生い茂っていた。邸宅の屋根はそのむこうに覗く。
「でかいか?」グランさんが外套から手をだして身構えた。
「いや……数が多いな」リブレさんは剣を抜き、反対の手で腰につけているポーチからなにかを取り出した。
「あの……」僕が声をかけた瞬間。
「いくぞっ!」二人が声を合わせた。
グランさんが走りながら胸の前で手を組んだ。その中心が淡く光る。
振りかぶって、その光をリブレさんに投げつけた。
「おおおっ!!」
リブレさんの背中に小さな炎がともり、走るその速度が倍ほどになった。
「お、やった。成功した」グランさんが立ち止まって呟いた。成功……?
「くらえっ! 爆・砕・火・粒!!」(バースト・ドロップと聞こえた気がしたが、あまりにアレなのでここは伏せさせてもらおう)
そうリブレさんが叫ぶやいなや、僅か前方にある、揺れる長草帯に向け、隠し持っていたなにかを投げつけた。
届かない! そう思ったが、リブレさんは抜き身の剣で『何か』を打ち据えた。勢いよく『何か』は飛んでいき、草原の中で音が弾けた。続いて細かな煙。
「ギュグゥワヴァッ!」
草陰から飛び出てきたのは、小柄なドワーフほどの大きさしかないゴブリンが1匹。
リブレさんは立ち止まって、僕たちを見た。
「よし、いいか!?」
グランさんがうなずく。キャムが僕の背中から降りた。
拳を握った。運足の幅に足を開いた。
僕は『理力』を胸のなかで練り始めた。

「「逃げろ!!!」」

言い終わるか終わらないかの内に、リブレさんとグランさんは草むらとは反対方向に駆け出していた。
「え」
思わず口にしてしまった。
「ギョギョゲ……ルゥゥンヴァッ!」
ゴブリンの鳴き声で、はっとした。
草むらからゴブリンが一匹、飛び出てきた。
「ヴォッヴォッヴォッオォオ!」
ゴブリンがもう二匹、その奥からまた一匹……。

キャムの手をとって、すでに遥か遠くに見える二人の背中を追いかけた。


「まぁ、いつもの俺たちなら余裕だったけどな。二人がいたからな」
誰かに(自分に?)言い聞かせるようにリブレさんが言った。
なんだか突っ込みをいれるのも疲れてしまった。
キャムも何も言わずに邸宅を眺めている。
なんの気もなしに、邸宅の簡素なポストにかかる表札を見た。

「タダン!!」思わず叫んだ。キャムがじろ、と横目で僕を睨んだ。
「あ、ごめん……」
「いきなり気持ち悪い声あげないで」
そう言うと、キャムはもう興味がなさそうに目を閉じ、西から吹く風に頬を冷やしている。

タダン・クリケット。
『ボー・ヴォワール騎士団物語』といえば分かる人も多いだろう。
稀代の冒険作家にして、稀代の変人と呼ばれ、自宅から一歩も出ないまま、小説を書き続けていると言われている。
ひょんなことから、ヒノクニという異世界に迷い込んだ『ボー・ヴォワール騎士団』が、元の世界に戻ろうと孤軍奮闘する代表作は、タダン氏のうわさから、矮小な世界から生み出される壮大な物語、と文学界の一部で絶賛された、タダン・クリケットその人の名前が色あせたポストに記されていた。
何を隠そう僕も、通称『ボー騎士団』のファンの一人なのだ。
埃がチラチラと舞う社長室で、社長に「コレ、読んでみないかい」と渡されたのがその出会いだ。
キャムの相手もそこそこに、一日で読みきって社長室を訪れたとき、社長は「やっぱりね」と笑った。
「ティンカー君なら好きだろうと思ったよ」
その社長の読みどおり、冒険に次ぐ冒険、危機また危機の息を吐かせぬ展開に、僕はすっかり魅了されていた。
「はい、素直に面白いと思います。なんというか、ある意味作者の勝手というか……」
ぱん、と社長が手を叩いた。「そこなんだよ」
「人によっては『内容がガキっぽい』と罵るかもしれないけどね。
 男なら誰だってもっていた冒険心を、ここまであからさまで奔放で、なにより自分勝手に書いているのが、一部の人にはとても心地いいのだろうね」
最後に付け加えた。「もちろん、私もその一人だよ」

「ん、この依頼人、有名なのか?」
失礼ながら、見るからに読書をしなそうなリブレさんがグランさんに訊ねた。
「ふむ。ボーヴォワール騎士団、か。名前は知ってるな」
グランさんもはっきりしない口調だ。
「ボーなんとかって、エマが必死に読んでいたあれなの」
キャムが僕を向いた。僕は頷いた。
「確かに、売れているとはお世辞にも言えないかも知れません。だけど……」
「売れてなくて悪かったな」
割り込んできた声はドアの向こうから聞こえた。
恐る恐るドアを見やる。ゆっくりと開いて、隙間から見事な総白髪が覗いた。
細身のグラスが鼻の上に乗っかっている。
いつか雑誌の対談で一度だけ見た、タダン・クリケットだ。
「あ……すいません、そういう意味では……」
なんてこった。これでは『ボー騎士団』の底に流れる子供なら誰でも持っていた熱さだとか夢だとかを理解しないまま、その作品の表面だけを受け取って、こき下ろす批評家と同じではないか。
釈明をしようとした僕を、タダン氏がさえぎった。
「いや、いい。わしは売れたくて書いておるのではないからな。それより、お主らが……クエスト受注者か?」
ドアから顔だけを出したまま、四人を見比べた。
「ふむ……一応条件はクリアしておるようだな……時間がない。はやく入るがいい」
声をかける間も無く、タダン氏は家の中に引っ込んだ。
「……だってよ」リブレさんが呆れた風に呟いた。
「変人が好む人は、やっぱり変人なの」
キャムのその嫌味さえ、甘んじて受け入れるしかなかった。

僕たちは居間に案内された。足の長いシュラの木製テーブルに同じ素材のイスが四脚。使用感のないキッチンの横の棚には数えられないほどのトロフィーや賞状が乱雑に放置されている。
「……評価に興味はないのでな」
僕の視線に気付いたタダン氏が独り言のように言った。
僕の隣にキャム、向かいにリブレさんとグランさんが座った。対面の二人は質素な部屋をもの珍しそうに見回している。キャムは僕たちに背を向けキッチンに立つグラン氏をじっと見ている。

「花茶だ。飲みなさい」
テーブルに置かれたカップの中、透き通った薄茶色の液体から甘い香りが立ち上る。
「……どうも」リブレさんがいぶかしげに頭を下げた。
「いや、君たちの喉を潤そうというものではない。もてなしでもない。私が飲みたいからだ。私だけ飲むわけにはいかんだろう」
横に立つタダン氏の右手には同じカップが握られている。
「ごもっとも」グランさんが肩をすくめた。カップを手に取った。
僕もカップに口をつけた。香りだけを口の中に残して、胃が少し熱くなった。
それでは。タダン氏が口を開いた。

「私は……そこの黒髪の少年は知っているようだが……ある種の冒険小説を書いて生活をしている。内容を知っていようが感想をどうもたれようが、そこは関係ない。十五人の騎士団が架空の世界に迷い込み、元の世界に戻る方法を模索する、つまらない話だ。私だけ楽しければいいと思っておるのだ。……前作までは十五人全体が中心の話だったのだが、今作からすこし視点を変える必要が出てきた。簡潔に言おう。いま現在執筆している内容にな、四人のパーティーを出そうと思っておるのだ。君たちにはそのモデルになってもらいたい」

クエスト依頼にあったモデルとは、そのまま小説のモデルだったのか。
リブレさんとグランさんは腕を組んで同じポーズで話を聞いている。キャムは聞いているのか分からない表情で花茶をすすっている。
「んで、具体的にはどんな内容なんだ?」
グランさんが訊いた。
タダン氏はキッチン横の出窓を眺めている。
「なに、サンストリートの有名人二人に依頼するには、つまらない内容だ。そこの若い二人は知らんが、お主らの話はよく耳にしとるよ。正直なところ、後の二人はランサーとヒーラーが来ると思っておったがな」
リブレさんとグランさんは面食らった表情で眉をしかめた。
「……俺たちもそのつもりだったさ」
自嘲気味に呟いたグランさんを見てタダン氏が笑った。
「なんと、逃げられたか。これはすまぬ事を訊いたな」
「うるせえよ。こっちは時間がねぇんだ。さっさと進行しやがれ」
リブレさんの口調には苛立ちが見て取れた。グランさんも憮然とした表情でタダン氏を睨んでいる。
「それも一理だな。これはつまらない話をした。では……さっそくこちらに来てもらおうか」
二人を気にする風でもなく、タダン氏は玄関とは逆のドアを開いた。
どすどすと足音を鳴らしながら、リブレさんとグランさんがタダン氏の後を付いていった。
「……つまらない、ね。そうでもないように見えるけど」
僕だけに聞こえる声でキャムが呟いた。

通された部屋は、正面に執筆用だろう、小ぶりな机。その手前に少し間隔をあけて横に長いソファーが置かれた書斎だった。
「そこに掛けなさい」
タダン氏が椅子に腰掛けた。こちらに背を向けなにかを書き始める。
「これからそれぞれに質問をする。例外なく答えてもらおう」
「答えたくない質問はどうするの」
キャムはいつもより低い声だ。無理やり参加させられた上に、タダン氏の応対に少なくとも苛立っている。
タダン氏が振り向いた。眼鏡を下にずらし、キャムを見据えた。
「……答えられない質問は答えなくていいが、答えたくない質問は答えて欲しい。そういうクエストだからな。私が訊く。君たちは答える。それが仕事だ」
空気が粘った。隣に座る僕だけが分かる範囲でキャムが風をまとった。
キャム注意報、発令。各自嵐に注意してください。

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