拙者は、嘘つきだ。 夜の道を進む。 満月が出ていることもあって、今夜はやたらと明るく感じる。 だが周囲は、ざり、ざりと自分が土を踏む音しか聞こえない。当然だが、歩く人はいない。 風すら吹いていない、静かな夜。 拙者はこんな夜が大好きだ。 しかし、心は晴れない。 心残りというか、心配事がひとつだけあるからだ。 けっきょく、アムルどのに何も言えぬまま、家を出てきてしまった。 今夜はいい機会だとも思ったが、やはり言えなかった。 彼女のことを考えると胸が痛む。 黙って出てきてしまった拙者のせいで「また人に裏切られた」などとは考えていないだろうか。 この数週間の彼女の進歩を、ふいにしてしまってはいないだろうか。 誤解を避けるため、やむを得ず手紙を残しはしたが、それだけが心残りだ。 拙者は、彼女に嘘をついていた。 魔具を手に入れ、本国に持ち帰るためにここまで来た。 アスカという妹が、帰りを待っている。 これらは、だいたい半分くらいは本当だ。 だが、そのうち半分は拙者が作った嘘。 半分以上の真実が混じった嘘は、簡単には見抜けない。日常会話の中で本当のことを話せるので、リアリティが増していくからだ。 悲しいかな、拙者はこのテの嘘を構築するのが得意らしい。 今まで知る由もなかった、拙者の才能である。 魔具が必要だったのは、本当だ。 必殺技「木枯らし」を完成させるためには、この国が誇る「ブッフェ工房」の良質な魔具がどうしても必要だった。 だが、国に持ち帰る気は、毛頭ない。 アスカという妹がいるのは、本当だ。 血はつながっていなかったが、大切な妹だった。 だが彼女は、拙者の帰りを待ってはいない。 彼女はもう、国にはいない。 アムルどのには申し訳ないと思う気持ちもあるが、仕方がなかった。 やはり、巻き込みたくない。 拙者の自己満足に付き合わせる訳には、いかないだろう。 拙者の目的。 それは、とてもシンプルなことだ。 拙者の国には、奇妙な病がある。 “己力”……この国の人々が“魔力”と呼ぶ力によるものだ。 そもそも拙者たちの使う技は“己力”を媒体としない。どれも周囲の自然から、少しばかり生命力を拝借するものだ。だから、アムルどのがやるような「錬成」「展開」といった、自分の体から何かを取り出すための行為も必要ない。この国の人たちが威力の違いに驚くのは、そもそもの仕組みが違うことを理解していないからだろう。自然の力がどれだけ強いか知らないのだろう。 実際、拙者たちよりはるかに強い種族もいる、モンスターと呼ばれる生命体も、拙者たちと同じように自然の生命力を使っている。だからこそ、拙者にはその流れ、意識が読めるのだ。 ……話が逸れた。 しかし、拙者たちの技にも短所はある。この力を行使する以上、どうしても周囲の環境に縛られる。その場その場でできることが限られるのである。 そんな時、この国の魔具がものすごく役に立つ。 “己力”を引き出すノウハウがない拙者たちでも、少し練習すれば自在にその力を引き出すことができるようになるからだ。 2つの力を掛け合わせた時の効果は、まさに絶大。 数百年という永きに渡る鎖国が終焉し、5年ほど前にこの事実が発覚してからというもの、拙者の国では魔具を使うことが一般的になった。 だが。 自然から力を借りつつ、自らの力も使う。 それはあまりにも、傲慢な行いだということなのだろう。 ごくまれに、行使者へと天罰が下るようになった。 魔具が暴走し、力そのものに取り込まれてしまうのである。 発生条件はわからない。現在は力を過信し、自らの欲のためだけにその力を使い続けた人間が取り込まれるというのが一般的な解釈なのだが……拙者は、そうは思わない。 ……ともあれ、魔具に取り込まれると、まず風邪に近い症状が出て、病床に伏せる。 この時点では、そうだとはわからない。もっとも、わかったとしても治す方法もわからないのだが。魔具から離すといい、と言われてはいるが、そうではないパターンも知っているのであてにはならない。 拙者がこの現象を「病」と表現するのは、この特徴から、本国でもそう言われているからだ。 数ヶ月か、数年か。 いずれにしろ期間を置いて「病」は本格的な発症を迎える。 そうなったら最後。 強大な力を得る代わりに、人間としての記憶、尊厳はおろか、果てにはその自我や姿まで失う。 すべてが、黒く染まってしまうのだ。 「黒者(こくじゃ)」。 病にかかり、最終的に人ですらなくなった悲しき姿を、我らはそう呼ぶ。 そうなってしまう者は1年に数人いるかどうかだが、助かった者、治った者は、1人としていない。 これが、拙者の国で恐怖の象徴となっている「黒者病」である。 「黒者」になった者は、不思議なことに国を去る。 そして、どこかに居住地を見つけてひっそり暮らすのだという。 ……人を襲う、強大なモンスターとして。 妹が。 アスカが、今年この病にかかった。 拙者は必死で治療法を探したが、無駄だった。 1ヶ月ほど前に、とうとう発症。 「黒者」となった。 拙者は、涙を流しながら必死で彼女を呼んだ。 それでも、声は全く届かなかった。 彼女は、ある時ふっと何かに呼ばれるようにして、歩き出した。 拙者は、その姿を必死で追いかけた。 しかし、彼女が歩いていった先は、とある岬。 水面を歩くようにしながら、彼女は飛んでいった。 遥か水平線の向こうに見える、この国に向かって。 妹は、発症前によく言っていた。 「にいさん……私が『黒者』になったら、どうか殺してほしいの。……私は、今のにいさんみたいに家族を失う人を増やしたくない。そんなのは嫌。だから……殺してほしいの」 そうだ。 拙者の目的は、この国で「魔人」と呼ばれる「黒者」を殺すこと。 モンスターとなってしまった妹の、天寿を全うさせてやることだ。 「黒者」は、不思議なことに感知能力では知覚できない。 だから最初は、見つかるかどうか不安でしょうがなかった。 よくない事が起こる前に、早く見つけなければと心ばかりが焦った。 とは言え、拙者はここ数年魔具を使っていなかったので、発見したところで倒すこともできない。 どうしても、この国で拙者の技を高める魔具を手に入れる必要があった。 「黒者」を追いかけてこの国にやってきた拙者は、すぐに名工と名高いブッフェ工房を探した。 だが、王都を目前にして、金を盗られてしまった。 相手は、しょぼい盗賊団。 奴らに取り囲まれても、拙者は焦らなかった。自分の実力なら、すぐに全員を倒し、事なきを得ることが出来るはず。 だが、迷いが生まれた。 拙者は、本当に「黒者」を、妹を、倒したいのだろうか――? 妹に手をかける。それを考えるだけでこんなにも苦しいのに、やるべきなのだろうか――? そう思った。思ってしまった。 気づけばボコボコにされ、死ぬ寸前になるまでやられてしまった。 しかし不思議なことに、それでいいような気がした。 だから、なすがままに拙者は殴られ続けた。 人の少ない街道沿いに捨てられた後も、拙者は動かなかった。 このままでいいような気がしたのだ。 やるべきではないからこそ、こうなっているような気がした。 本当は妹も、殺されることを望んでいないのではと思った。 さも「その通りだ」と言わんばかりに、数体のモンスターが現れた。 ああ、いよいよこれは当たっているぞと思った。 拙者は、ここで死ぬべきなのだと思った。 そんな時だ。 「後味が悪すぎるわ。私の足を引っ張らないで!」 そう言って拙者を救ってくれた女性がいた。 アムルどのである。 神は……いや、女神というべきか。女神は拙者を殺さなかった。 死ぬなと言った。 拙者はその時に思った。 確かに、このままではあまりにも後味が悪い。 あの優しい子が自分の意志ではないとは言え……モンスターとして他人を殺すなど。 そちらの方がつらいはずだ。 そんなことはあってはならない。 もしかしたらこれは単なる「自己満足」かもしれない。 しかし、だからこそやり遂げようと思った。 むろん「黒者」は強い。とてつもなく、強い。 仮に勝てたとしても、独りでは命を犠牲にする必要があるだろう。 だからと言って誰かと一緒に、とは考えなかった。 もう、妹という一番の希望を失った拙者は、もうそれで死にたかったのだ。 ……死にたかったのだ。 拙者は、最後に目の前の女神に礼をしてから、ゆっくりとそれを成し遂げようと思った。 女神は、見ていて残念になるほど欠点だらけだったから、彼女のためになることをしてやろうと思った。 ところがアムルどのは、拙者が考えるよりも早く成長を成し遂げた。全く大したものだ。 だから、ちょっとだけ決心がにぶりかけていた。 どんどんと成長する彼女を見ているのが楽しくなり初めていたのだ。 この生活が、楽しくなってきてしまったのだ。 しかし今日、改めて「魔人」……「黒者」になった妹を見て、考えを改めた。 背丈といい、存在感といい――。 もう少しモンスターらしかったら、違う感情を抱いたのかもしれないが。 ヤツはまだ、妹そのものだった。 だからこそ――。 だからこそ、拙者はやるのだ。 「待たせたな――」 3時間ほど歩いたか。 回想し、思い出に浸るには十分すぎる時間だった。 到着した。 ルハーナ湖に。 妹の元に。 目の前には、影をまとった人間だったモノが、1人。 ソレはただ、そこに立っている。 きっと、もう感情などないのだろう。 「アスカ。やはりお主のことは、ゆっくり眠らせてやりたい。今こそ約束を果たすぞ!」 拙者は刀を抜いた。 ★ 戦いは、まったくの互角だった。 ……最初の数分までは。 「ぐっ……」 思わず、ひざを付いてしまう。 「黒者」がこちらに歩いてくるのが見える。 なんとか立ち上がり、籠手の魔具で“己力”をチャージ。 稲妻をまといながら、地を蹴って攻撃を仕掛ける。 「『木枯らし・改』ッ!」 抜刀。 手に持つ黒い剣のようなもので受け止める「黒者」。 衝撃で、周囲の地面が弾ける。 「ぬおおおおっ!」 気合いとともに刀を振り抜き、「黒者」を吹き飛ばす。 だが、それを遠くで巨体が受け止めた。 オーガである。 かと思えば、すぐ横から大きな雄叫び。 拙者は後方にステップし、攻撃をかわす。 攻撃を仕掛けてきたのは、またしても、オーガ。 拙者は間髪入れず「空風・改」を打ち込む。 着地すると、オーガはバラバラになって崩れ落ちた。 完成した必殺技をもってすれば、オーガはなんとか倒せる。現に、周囲には拙者が倒したオーガが何体も横たわっている。 直後、頭上から爆音。 がりがり、という何かが散る音とともに、体に電撃が走る。 今日の昼間にも見た、落雷攻撃だ。 しかし、ダメージはほとんどない。 同属性の魔具が相殺してくれているのだろう。 だが。 「ぐぬっ!!」 さらに、腹に強烈な衝撃。 拙者の体はめちゃくちゃに吹っ飛ばされ、木に打ち付けられた。 激痛をこらえながら、追撃を避けるために横に転がる。 直後、目の前の木が衝撃と共に、根本からどごんと折れた。 その先には「黒者」がいる。 拙者がオーガを倒すために技を放つと、その隙を狙って「黒者」がこの謎の攻撃を仕掛けてくる。 落雷はなんとかなるが、こちらはタイミング的に防ぎきることができないでいる。 おそらく“己力”によるものなのだろうが、どういった性質のものなのかがまったく見抜けない。 魔具に頼り“己力”研究を怠ったツケを、この土壇場で支払うハメになってしまった。 立ち上がった「黒者」は、ふと手をかざした。 すぐ先から光が溢れ、そこから新たにオーガが現れる。 一番の誤算は、ヤツのこの能力である。 どうして、この湖に異様なほどの数のオーガがいたのか、よくわかった。 ヤツが、「黒者」が生み出していたのだ。だからこそ昼間のクエストのときも、存在を察知することができなかったのだろう。 「黒者」は件の落雷によって、自分が生み出したオーガを何度も殺している。不可解だが自分で作り出せる以上、気にもならないのだろうか。 「はあ、はあ……それにしても、これではきりがないでござるな……」 すでに体力は限界に近い。 強い――。 まさか、ここまでとは……。 このままでは、相討ちどころか単なる犬死に。何もできないまま終わってしまう。 やはり無謀だったのか。 いや。諦めるな。 「黒者」に攻撃が効いていないとは思わない。 立ち上がれ。もっと自分を鼓舞しろ。魔具の力を引き出せ。 拙者の力は、こんなものではないはずだ。 最後まで諦めるな! 「うおおおおッ、アスカァァッ!!」 無我夢中で刀を振る。 オーガ数体を叩き斬り、再び「黒者」に襲いかかる。 「『山背・改』!」 呼吸を止めて、瞬時に4度、技を振るう。 これが今の拙者が出せる、最高のスピードだ。 しかし「黒者」は、それを黒い剣で4度とも受け止め、5度目のタイミングで拙者の刀を持つと、こちらに斬りかかってきた。 「ぐああッ!」 同時に、例の衝撃。 至近距離で食らったためか、その威力は先ほどの数倍に跳ね上がっていた。 拙者の体は湖を滑るようにして飛ばされて落水した。 必死で手をかき、なんとか水中から脱する。 陸に上がると、「黒者」がすぐ近くにやってくるのが聞こえる。 武器を構えろ。さもなければ、やられる。 「ぐッ!」 思わず、声が漏れる。 刀が、根本から折れていた。 同時に、ヤツの姿が見えた。 ならばせめて、魔具の力で――と思ったのだが、“己力”が出てこない。 壊れたらしい。 ふたたび距離を詰められ、あの強烈な斬撃をまともに食らう。 避けようとしたが、体が動かなかった。 もう、まともに動ける力が残っていないようだ。 地面に突っ伏す。土の味。 目が霞む。 体が熱い。 今にも意識を失いそうだ。 そうなれば、まず間違いなく死ぬだろう。 だが、まあ――。 よく、やったかもしれない。 すでに人間の姿をしていないとはいえ。 最期にアスカに会えたのだ。 あの太刀筋は、まさしく妹のそれだった。 それだけで、なんだか懐かしくて、うれしかった。 これ以上ないことではないか。 もう、拙者には何も残っていない。 だから、これでよかったのだ。 きっとこの「黒者」だって、何日かすれば騎士団に倒される。 そうなれば、彼女とは再会できる。 そう考えたら、先に逝くのも悪くないと思えた。 「黒者」が、アスカが。拙者の服をつかみ、持ち上げた。 いよいよ、その時がきた。 「……やれ。先に待っている」 拙者は観念して、体中の力を抜いた。 「黒者」が黒い刀身をこちらに向ける。 すべてが、終わる。 そう思った時だった。 「ざけんなぁぁぁーーーッ!!!」 甲高い声とともに、目の前で爆発が起こった。 拙者は爆風に飛ばされ、地べたに転がった。 眼前に、ごうごうと燃えたぎる炎の壁が立っていた。 まさか―――。 あってはならないことだ。そう思った。 だが、いる。 女神が、燃え上がる炎をバックに仁王立ちしている。 |