どうやら、間に合ったらしい。 全身全霊の力で放った「ファイアウォール」は、まだ私の背後でごうごうと炎の柱を立たせている。 しばらくは近づけないはずだ。 「アムルどの……」 眼前には、すっかりボロボロになって倒れ込んでいるレン。 声を聞いて安心したが、出てきた感情は怒りだった。 「このバカッ! いったい何考えてんのよ!?」 言いつつも、回復魔法を重ねがけする私である。 こいつのことだ、すぐに動けるようになるだろう。 だが、レンの表情は曇ったままだ。 「なぜ、ここまで来てしまったのだ。来るなと書いたはずでござる」 「『今から最愛の妹を殺すけど、自分も死ぬかもしれないから来るな』……なんて手紙を残されて、見捨てられるとでも?」 レンはもしかしたら、後腐れがないように手紙を残したのかもしれない。 だが、私にとっては逆効果だった。 私は手紙を見てすぐ、お隣の農家の納屋から馬を拝借し、ここまで来てしまった。 途中の川も、すごく怖かったがお馬さんの力で渡ってきた。 「……拙者は、こんなことをしてもらうためにあれを書いたのではない! そしてこれはお主が介入できるようなことでもない。さあ、今からでも遅くはない。帰ってくれでござる!」 「うるさいんだよ」 常人離れしたスピードでサクっと体力を回復させたレンが言うが、ぺしりとその頭をはたく。 「確かにさ……ちょっとどうかなって思ったよ、アンタの話。わざわざ嘘ついてたのもムカつくし、そもそもの目的が、妹さんを殺すことだったなんてさ……。しかも、自分も死ぬ気だなんて。手紙見た時は、正直引いたよ」 「ならば、なぜ」 「確かに私には理解できない。おかしいと思う。でも……」 きっと彼は知っていたのだ。 「家族を殺す」という気持ちを持つことの苦しさを。 だからこそ、両親を憎む私に対して、あんなに食い下がってきたのだろう。 そして、私はこの数週間で理解した。 自分の考えがいつでも最良とは限らないことを。 だからこうして、ここまで来たのだ。 「少しくらい『わかってみよう』と思ったんだよ。理解できないからこそ、ね。それに私は、知っての通りわがままなの。アンタがこのままいなくなるだなんてこと、耐えられないよ」 「アムルどの……」 「少しだけ手伝ってあげる。でも、ヤバくなったら『リターン』ですぐ逃げるからね。わざわざクソ高いスクロール、持ってきたんだから」 炎の壁がようやく消える。 先には、あの「魔人」……いや「黒者」と呼ぶべきだろうか。やつがたたずんでいた。 ものすごいプレッシャーだ。 いっきに空気が張りつめる。 しゃ、シャレになってないわ、これ。 この勢いのまま、少しくらいはいけるかなと思ったけど、絶対に無理。体中の細胞すべてが逃げろと叫んでいる。 「逃げるわよ!」 私はレンの手を取って駆けだした。 直後、さっきまでいた場所の地面がどかりと弾けた。 「黒者」が放った攻撃だ。どうやら握っている刀のようなもので、錬成した“魔力”の塊を、そのまま斬撃として投げつけているらしい。 ムチャクチャだ。どんな“魔力”があればこんなことができるのだろう。 「ちょっ……アムルどの! 言っていることとやっていることが矛盾しているでござる!」 「バカッ! おかしいでしょ、あの“魔力”の高さ! こんなのさっさと逃げて、騎士団におまかせしちゃいましょう。そうすれば妹さんの望み通りになるじゃない!」 「そうはいかぬよ! アスカは拙者が!」 「だーかーら、それができないから逃げるんでしょうが!」 「やっぱり帰ってくれでござる!」 「やだ!」 口げんかしながらも、ドカドカと攻撃されている私たち。 だが、どうにも当たるような気配はない。 「何よ、てんでへたくそじゃない」 「違う、逃げるコースを誘導されているでござるよ!」 私たちが走る先には……巨体が待ちかまえていた。 「またオーガ!?」 「アムルどの、手を離して。あいつならなんとか倒せる!」 「ダメよ、止まったら『黒者』に攻撃されるわ」 「大丈夫だから、離してくれでござる!」 「やだ! 私も巻き添えなんてゴメンよ。考えがあるから、心配しないで!」 「信用できぬ!」 言い合いながら走る私たち。待ちかまえるオーガがどんどん近づいてくる。 私はヤツの眼に「フラッシュ」を撃つため“魔力”を練る。 だが、その時。 あろうことか、レンが私の手を無理矢理ふりほどき、小刀を抜刀した。 「『空風』!」 「あっ!」 私が“魔力”を込めた手と、彼の刀とが交錯する。 瞬間、周囲から光が漏れた。 必殺剣「からっ風」。 一度の攻撃で相手を何度も切り刻む、レンの得意技だ。 だが、今回は少しばかり様子が違っていた。 レンの小刀が、青白い光を纏いながらものすごい勢いで伸びてゆき、周囲の地面を弾けさせながらオーガを一刀両断。 直後、オーガは砂になって消えた。 「なっ……!」 「伏せて!」 なぜか硬直したレンを突き飛ばし、地べたに倒れ込む。 背後の木々が爆発した。「黒者」の攻撃だ。 「すごいわね。今のが魔具の力で完成した必殺技なの?」 レンは答えない。彼は自分の手を見ている。 よく見ると、小さくふるえている。 「ちょっと、どうしたのよ?」 やがて彼は言った。 「自然の剣技と“己力”の組み合わせ……! そうか、そういうことだったのか! わかったでござる、わかったでござるよ!」 彼は即座に立ち上がると、私の体を引き上げ、そのまま走り出した。 「アムルどの。どうやらお主との出会いは、運命だったらしい。感謝する」 「なんなの。ちゃんと説明しなさいよ! 魔具の力じゃないの?」 「魔具はとっくに壊れているのでござる。ちょっと“己力”……“魔力”を練ってくれでござる」 言われた通りに“魔力”を練る私。 レンは小刀――よく見たら折れた刀だった――を抜いた。 そのとたん、周囲からごうごうと音が聞こえた。 髪と服が、異様にふわふわと揺れる。 走っているからじゃない。 風だ。私たちを中心に、風が起きているのだ。 遠目から「黒者」が剣を振るのが見えた。 こちらに向けて、例の“魔力”の塊が放出される。 とっさにコースを変えて避けようとしたが、レンが私の手を強く掴んでそれをはばむ。 「ちょっ……!」 言い終わる前に“魔力”の塊は私たちの目の前で消え去った。 どうやら、強力な結界のようになっているらしい。 信じられないほど強い“魔力”のような何かが、走る私たちの周囲に集まっている。 「なによ、これ!?」 「お主の“己力”と、拙者が呼び出す自然の力。それらが混じり合っているのでござる」 そうか。 私の“魔力”が、レンにとっての魔具と同じ役割を果たしているのか。 私たちは立ち止まった。 「アムルどの、力を貸してくれ。ありったけの“魔力”を、ここで練り上げて放出してほしい。アスカのために」 私は黙ってうなずき、杖を構えて全力で“魔力”を錬成する。 呼応するかのように、レンの刀から輝く刀身が現れた。 彼は刀を振りかぶり「黒者」を見据える。 どんどんと風が強くなる。 だが、不思議なことに気分は悪くない。 荒々しいはずなのに、なぜか心地いいのだ。 それを見て「黒者」が叫んだ。 まるで、私たちを拒絶するかのように。 「黒者」は、走って湖の方へと向かう。 水面に足が触れたが、「黒者」はそこを踏みしめた。 湖の上を、走っている。 やがて、湖の中央付近にまでたどり着いたヤツは、こちらを向いた。 「水上か。どうやら落雷を拡散させて応戦する気らしい」 「ちょ、ちょっと待って。まさかあそこまで行くの!?」 「問題ないでござる。ここまでの風の力があれば――」 「えっ……ちょっと、マジで?」 「大丈夫でござる」 私たちは、歩いて湖へと足を踏み出した。 レンが水の上に立つと、足下に“魔力”の輝きがまたたく。確かに、問題なさそうだ。 ここまで来たのだ。もうやるしかない。 おそるおそる、足裏を水面につける。 すると、私も同じように立つことができた。 2人で立つと、風がさらに強くなる。 それを見て、「黒者」が再び声をあげた。 「興奮するのもわかる。これは紛れもなく、拙者たちの剣技の神髄だ。最後にこれを見せられて、よかった」 「レン……」 「ゆくぞ。頼む、アムルどの!」 「わかった! はああああっ!」 レンの合図に合わせ、ありったけの“魔力”を放出する。 つむじを巻いていた風がさらに勢いをつけ、竜巻を起こした。 レンが、ギュッと私の手を握る。 私も、思い切り握り返した。 「黒者」が、こちらに近づきながら剣を何度も何度も振り下ろす。 “魔力”の塊は、すべて私たちの起こした「風」に弾かれた。 上空が何度も輝く。 落雷攻撃がこちらに効いている様子は、ない。 レンと私は、前進する。 「黒者」に……アスカさんに向かって。 この呪縛から解放してあげるために。 ……この呪縛から、解放されるために。 未来に向かって、走り出す。 「黒者」が目の前にまで迫った。 荒々しい“魔力”。のっぺりとした黒い体。光を反射してぎらぎらと輝く、黒い瞳。 瞳以外は、まさしく「真っ黒」だった。 口を開いた先にも、闇が広がっている。 こいつはもはや、闇そのものだと言っても過言でないだろう。 こんな風になるのなら。 私も、レンと同じ道を選ぶかもしれない。 「『春一番』!」 ルハーナ湖をどかりと踏み、一閃。 今まさに剣を振ろうとした「黒者」に、一筋の輝く線が入る。 レンが刀を振り切ると、風は一瞬にして止んだ。 「黒者」は、動きを止めた。 先ほどの線から、ちらちらと光が溢れ出す。 かと思うと、黒い体がボロボロと朽ちてゆき、さらに強い光へと変わりだした。 光は、上空へと向かっていく。 「アスカ!」 レンが叫ぶ。 「黒者」に反応はない。 ただボロボロと、輝くのみだ。 そうして「黒者」は、天へと消えていった。 ★ 「終わった……」 刀をぼちゃりと落とし、レンが静かに言った。 「レン」 「これで、よかったのだろうか」 「黒者」は、今和の際に正気をとり戻したわけではない。奇跡が起きて、人間に戻ったわけでもない。一言でも何か感動的な言葉を残したわけでも、ない。 モンスターとなった彼の妹は、ただ消えていった。死んでいった。 ただ、殺しただけかもしれない。 やってはいけないことをしたのかもしれない。 それでも、レンはやろうと決めたことを、やりきった。 彼の表情に、ほんの少しだけ安堵感みたいなものが見て取れるのは、決して不思議なことではないだろう。 「さあね。それは、あんたが決めることじゃないの」 「……そうでござるな」 彼はちょっぴり悲しげにほほえんだ。 と、同時に背が縮んだ。 「えっ?」 足下を見ると、先ほどまで輝いていた“魔力”の光が薄くなり、レンの足がずぶずぶと沈み始めているではないか。 「ちょっとレン、沈んでるけど」 「……どうやら、アムルどのも拙者も、力を使い果たしたらしいな」 「いやいやいや、冷静に何言ってるのよ! 沈む前に早く戻りましょうよ!」 「そうしたいところだが、まったく体が動かせん。さっきの技の反動でござろう。アムルどのもそうなのでは?」 確かに、言われてみるとほとんど体が動かないし、私の体も沈み始めているではないか! 「ちょっと! マジでどうすんのよ、これ!」 「落ち着くでござる! 今拙者も考えている! 考えているから!」 言っている間にも、じわじわと足が入水していく。 足が、だんだんと冷たくなっていく。 血の気が引き、一瞬失神しそうになる。 これじゃ、水没する前に死にそうだ。 「レ、レン……あんたどうにか泳げないの」 「す、すまん……。どうにもならん」 「ふっざけんな! どうしてこうなるって予想できなかったのよ!?」 「わかるわけないでござろう!? アムルどのだって止めなかったではないか!」 「元はといえばアンタが!」 「拙者だけのせいではない!」 口論しながら、私たちは湖に落ちた。 なんとも言い難い、不快感。悪寒。冷たさ。 耳に鼻に、水がゴボゴボと入ってくる。 最後の最後に、こんな目に合うなんて。 こんなの、アリかよ。 なんとか脱出したいが、元々私の体は水中で思い通りに動けるようにできていない。 レンが沈んでいくのが見える。あまり動いていない。動けないのだろう。 だんだん、息が苦しくなってくる。 体は、少しずつ湖の底――闇に、取り込まれていく。 今度の今度こそ、終わった――。 私の人生、これで終わりだ―――。 息が続かない。限界だ。 ごぼり、と、水を飲んでしまう。 泡がのどから這い出て、水上へと上がっていく。 ああ。 あんな風になれたら、どんなにいいだろう――ー。 目の前が暗くなっていく。 全てが、終わる。 闇が私を飲み込んで、全てを黒く染めていく。 命が、奪われる。 この、温かい水中で。 ……温かい? 「アムルどの!」 聞き覚えのある声。 「アムルどの、目を開けてくれ!」 なぜ。なぜこんな声が聞こえる。幻聴か? 「ええい、仕方がない。人工呼吸だ! まずは胸を揉みしだく!」 「待てや! どさくさに紛れて何しようとしてんだ!」 ……あれ? 「おお、生きておったか! 心配したぞ」 目の前に、レンの顔。 とてつもない、違和感。 なぜだ。 さっきまで、水中でもがいていたはずなのに。 服はビチョビチョに濡れている。 だが、苦しくない。 ヤツの顔をどけ、体を起こす。 「なに……これ」 そこは、深い青色の丸い空間だった。 ぬっと、何かが目の前を通った。 魚だ。 つまりここは、水中。 私たちは、泡のようなものに包まれていた。 「なんで……?」 「胸を見るのでござる」 言われるがまま、胸元を見る。 「っ!」 言葉に、ならなかった。 輝きを放っていたのは、鳥の形をしたネックレス。 両親が残した、私の宝物だった。 そんな。 うそだ。 どうして。 どうして、このネックレスが。 「見た目ではわからなかったが、どうやらそれは、水に反応する魔具だったようでござるな」 ネックレスが、水に反応する、魔具。 「それって……」 「ああ。アムルどの、やはりそうだったのでござる」 そんな。 そんなことって。 つまり、私の両親は。 「ご両親は、お主が生き残る手段を用意していた。つまり、お主が川に捨てられたのはきっと、何か理由があったのでござろう。今となってはわからぬが……お主は『いらない人間』などではない!」 そう言われた瞬間、自然と涙が、つうと流れた。 そうだったのだ。 私は、いらない人間なんかじゃなかった。 いらないから、捨てられたんじゃないんだ。 そう考えたら、心がいっぱいになって、涙が溢れてきた。 手で受け止めたが、どんどん流れてくる。 止まらない。 ぜんぜん、止まらない。 「そ、そんな……今さら! なんだっていうのよ……。私が、どんな思いで、ここまでやってきたのか……! ふざけんな……ふざけんなよおおおお!」 泡は、地上に出てもしばらく空中を漂っていた。 東から差し込む朝日を見ながら、私は泣いた。 こんなにもうれしいのに、涙が出るなんて不思議だった。おかしいと思った。 それでも、涙は止まらなかった。 |