Usual Quest
ユージュアル・クエスト

サイドストーリー「アムルとレン〜自己中女がデレるまで〜」
8.「朝までに出て行って」

 夕方。
 私たちは「トランセンド」の事務所を出て、王都のメインストリートを歩いていた。

「すげー額。こんなにもらっちまっていいのかな」

 バズールが報酬の入った袋の中身を見つめながら言った。

「トランセンドってやっぱり儲かってるんでしょうね。うらやましいな」

 リーザも満足げだ。

 私も、自分の袋をあけてみる。……ちなみに腕のけがは、すでに「トランセンド」のヒーラーに治してもらった。
 1、2、3……1万ゴールド硬貨が、10枚入っている。
 思わず手が震える。ほんとに10万も入っている。たった1日のクエストでもらえるような額じゃない。メガネはきょう、このクエストにいくら使ったのだろう。もっとも、最近じゃ貴族護衛のクエストなどもこなしているヤツら「トランセンド」からすれば、この程度ははした金なのかもしれないが。

 けっきょく、本日のクエストは成功ということでぶじ終了した。
 しかし、メガネの表情は最後まで曇ったままだった。

「まあ、今回は魔人を発見できたということで十分成功といっていいでしょう。すでに騎士団には通報しましたから、数日中には討伐隊が山に向かうはず。そうなればヤツも終わりですよ」

「終わり」。
 何度も何度も、彼はそう言った。
 そう願いたかったのかもしれない。

 「魔人」。
 あいつと対峙した時のことは、正直思い出したくもない。
 オーガなんか目じゃない……。立っているだけで消し飛ばされてしまいそうな、なんとも言えない絶望感と恐怖感。この先もトラウマみたいになりそうだ。
 生きて帰ってこられたのは、運がよかっただけだと思う。
 あいつは、私たちが手を出していいような相手じゃない。しかるべき人たちが退治すべき相手だ。
 ま、今日のクエストはもう終わったのだ。あとは騎士団に任せればいい。私たちは日常に帰ればいいのだ。

 それに。

「アムル、さっきの話どうするの?」

 リーザに言われて、思わず頭をかいてしまう。
 バズールも笑った。

「ああ、すごいよな。『トランセンド』からスカウトだなんて」

 そう。そうなのだ。
 「魔人」出現や、高額の報酬よりよっぽどすごいことが起きたのだ。

 帰り際、メガネがこう声を掛けてきた。

「アムルさん。私はあなたのことを誤解していたようです。オーガに囲まれた時の、あなたのとっさの判断力と、作戦立案の速さ。近くで見ていて、非凡なものを感じました。それに、自らの命を顧みず、リーザさんを守ったという話も聞きました。あなたがいなければ、私たちはここに戻ってくることはできなかったかもしれません」
「必死だっただけよ」
「確かに、性格面に問題はあるかもしれませんが……それを差し置いても、あなたのような人材はうちにほしい。ぜひ『トランセンド』に入ってもらえませんか」

 驚きすぎて、卒倒するかと思った。
 あの有力ギルドのマスターが、私をスカウトしてきたのだ。
「性格面に問題はあるかも」とか抜かしたから保留にして帰ってきたが……受けてもいいかもしれないと思っている。
 じいさんの畑のことも気に入っているけど、やっぱり私はクエストがしたいからね。

「なあアムル。今から皆で飲み会しないか? いろいろと話がしたいんだ」
「そうそう。私も命を救ってもらったんだもん。お礼したいわ。アムルの分は私のおごりでいいから、来てよ」

 バズールとリーザはニコニコと笑う。
 今日の朝まであんなに嫌いあっていたというのに、いきなりフレンドリーになりすぎだろ。
 とはいえ、オーガ複数体に追い回されて生きてるなんて奇跡に近い。今日は全員が死にかけた上で生き残ったのだ。
 ある種の一体感みたいなものが生まれて、ハイになっているのは確かだろう。

 それにしてもこいつら、けっこう笑うんだなと思った。
 これまで2人とも、仏頂面を向けてきてばかりだったから、初めて知った。
 そしてたぶん、今の私も全く同じように思われているのではないだろうか。

「うん……そこまで言うなら付き合ってあげてもいいわ。ねえ、レン」

 振り返って、後ろを歩くレンに声を掛ける。

「……えっ? なんでござるか……?」

 らしくない、歯切れの悪い返事。聞いていなかったようだ。

「飲み会だよ。行くわよね?」
「お、応。もちろんでござる」
「よっしゃ! そうと決まったら急ごうぜ。この先にうまい店があるんだ」
「お、応……」

 レンは浮かない様子だ。元気がない。明らかにおかしい。
 実は、帰りからずっとこんな調子なのだ。
 あの「魔人」との一件から、ずっとなのだ。
 ……ええい、仕方がない。

「あー……えっと、ゴメン。実は、すっごい腕が痛くってさ。また今度でもいい? 服もめちゃくちゃだし。このままじゃおっぱい見えちゃうわ」
「あ、ああ。そうか。そうだよな。アムル、お前オーガに攻撃されたんだろ? なら仕方ないよな……服は、ずっとそのままでもいいけど」

 すぱん、とバズールの頭をたたくリーザ。

「わかったわ。また今度にしましょう。アムル、今日のことは忘れないからね。……本当にありがとう」

 2人は去っていった。
 レンは困惑したようすで、私を見た。

「よ、よかったのでござるか?」
「別に。さあ、行きましょ。行くべき場所があるでしょ?」
「……どういうことでござる?」

 レンはたじろいでいたが、私はその手をつかんで彼を引っ張りだした。

「ここは……」

 たどり着いたのは、例の武具店。

「あんた、いくらもらったの?」
「よ、予定通りの30万でござるが」
「んで、今の所持金は?」
「……40万でござる」

 やっぱりな。
 私は、自分の報酬が入った袋をヤツに放った。

「私は10万よ」

 あわせて、80万ゴールド。

「ア、アムルどの、まさか……」
「これであの籠手が買えるでしょ」
「そんな! こんな大金、受け取れぬでござるよ。拙者のためにそこまでする必要はない」
「違うわよ、勘違いしないで。別にあんたのためじゃない。……人のためにしたことは、巡り巡って自分に返ってくるんでしょ? 私は自分の未来のために投資をしたいだけよ」

 本当は、ちょっとだけ嘘だ。
 本人には言いたくないが……この男が教えてくれたことは、どうやらある程度は本当らしい。もちろん全部がそうだとは思っていないが。
 だからこそ、少しだけ礼をしたかった。
 でもそれだけだ。本当にそれだけ。
 それ以上の感情はない。

「らしくないわよ、レン。あんたはいつもみたいにニコニコしてればそれでいいの。おおかた、オーガを察知できなかったことを気に病んでいるんでしょうけど……報酬が満額なのは、メガネがそこに至るまでの過程を評価してくれたってことでしょ。私は……箔が付いたってもんよ。これからはこう名乗ることにするわ。『数十体ものオーガを、聡明かつ冷静な頭脳をもって退けた知的美女・アムル』ってね」

 さすがのレンも、ちょっと笑った。

「ちょっと形容詞が多いでござるな。しかもちょっと盛ってるでござる」
「嘘じゃないわ。退けたのは事実だし」
「だったら『知的美女』より『知的巨乳美女』にするべきでござる」
「それだとなんか、イメージ的にバカっぽいでしょ。巨乳女なんて、私以外みんなバカなんだから」
「それもそうでござるな」

 はははと笑うレン。彼は私をまっすぐに見て言った。

「ありがとう。頂戴するでござる」
「……うん」

 慣れないことをしたので、なんだか顔が熱い。
 断っておくが、慣れないことをしたから熱いのだ。
 それ以外の感情は、ない。





 その夜。
 レンの周囲から、ちりちりと青白い電撃が走った。
 彼は半身になり、ゆっくりと自分の刀に手を向かわせる。
 その手には、買ったばかりの魔力籠手「紅雷」が装着されている。

「『木枯らし・改』ッ!」

 瞬時に抜刀し、刀を振り切るレン。
 すると、目の前にあった大きなケヤキの木が、一瞬にして横一文字に切り裂かれた。
 木は、風に吹かれて一瞬宙に浮くと、無数の斬撃に切りつけられはじめた。
 じゅいいいいんと、ものすごい高音を立てて削られながら、その場にずしんと倒れる大木。
 その後、なぜかボボっと火がついた。

「……もはや、ワケがわからないわね。なんなの、それ。どうして一回斬りつけただけの木がガリガリ削られて、最後には火が付くの」
「雷属性でござる」

 レンはバケツに入れていた水を木にかけながら言った。

「風の剣技『木枯らし』に、雷属性の魔具が力を与えたのでござる。風に雷が加わると、無数に『按』の力が生まれるでござろう。その末にできあがるのが『炎』なのでござる」

 ごめん、聞いてもよくわからないんだけど。
 この国の魔法のセオリーを完全に無視している。こいつらの剣技は、きっと理論そのものが私たちの魔法と違うんだろう。

「正直、驚いたでござる。威力が数倍以上に跳ね上がっている。これでこの技は完成したと言っていい。さすが、この国の魔具は噂に違わぬ質の高さでござるよ」
「……え? その魔具って、あんたの技のためだったの? 妹さんのために買ったんじゃなかったっけ?」

 沈黙。

「も、もちろんそうでござるよ? ただ、拙者の技にも必要なものだったのでござるよ」

 なぜか早口になるレン。

「ともあれ。ようやくこの籠手を買えたでござる。アムルどのには重ね重ね感謝の念を……」
「そういうのはもういいってば。それで? もう国に帰るの?」
「そうでござるな。この生活もなかなか楽しかったでござるが、これで拙者の目的は達成した。明日にはアスカのところに帰ることにするでござるよ」
「そっか」

 2週間とちょっと。過ぎてみればあっという間だったな。

「そんじゃさ、今日はうちに泊まっていきなさいよ」
「もちろん。あの草むら、案外気に入っているのでござる」
「……えーと、そうじゃなくてさ」

 ……こいつ、どエロのくせに鈍感だな。

「草むらじゃなくて、私の家のほう」
「えっ」

 硬直するレン。
 直後、だんだん赤くなるレン。
 いきなりシリアスな顔になる、レン。

「い、いいのでござるか?」

 手のひらをこちらに向けて、何かを揉む仕草をするレン。

「その謎の動作を今すぐやめたら入れてやる」
「い、入れてやる!? 入れるのはこちらのほうではないのでござるか!? そういう嗜好なのでござるかッッ!? それはそれで、良しッッ!!」
「だから、違うっての!」

 若干危険だが、今日くらいはいいだろう。
 私はレンを初めて自宅に招いた。





 レンは、私の家をいたく気に入ったようだった。
 中に入れたことと、きちんと整理整頓されていることに感動したらしい。アホか。
 ムカついたので、いろいろとごちそうしてやった。
 得意料理の「アルタ肉の串焼き」はもちろん、付け合わせとして王都の露店で買ったシャンテ草をサラダにして用意。アムル秘伝の激ウマドレッシングをわざわざ作ってかけてやった。レシピは秘密だ。
 さらに、スライスしたトマーヤ芋と鶏肉を重ね合わせて焼き上げた「トマーヤ・ストラグル」や、近所の農家に挽いてもらった牛肉をこねまくって焼いたハンバーグも用意した。
 肉ばかりなのは、単なる好みだ。

「う、うまい! アムルどの……あんがい料理が得意なのでござるな」

 レンは次々に料理をほおばっていく。

「どういう意味よ。まあ、独り暮らしが長いからね」

 串焼きに王都で買った高級チーズを乗せ、火炎魔法で炙る。
 とろとろになったところが食べ頃だ。
 口に含んだ瞬間、辛口の白ワインを流し込み、そのマリアージュを堪能する。
 この最強の組み合わせに、思わず声が漏れる。
 生きててよかった。

 しばし2人で、幸せな時間を享受した。
 けっこうな量があったが、レンはすべて平らげてくれた。

「もう食えぬ。ごちそうさまでござる。いやぁ、最高でござった」
「見直した?」
「ああ。アスカといい勝負でござる」

 こんな時まで妹さんとは。本当にシスコンだな、こいつ。

「そういや、アスカさんってどんな人なの? 身体的特徴は、何度も聞いてるけど……」
「前にもちらりと話したが、年齢は拙者の2つ下。おそらくアムルどのと同じくらいでござる。アスカはその……あらゆる点において天才でござるな。剣術にしろ、料理にしろ」
「へえ。あんたにそう言われるくらいなんだから、剣術のほうは相当すごいんでしょうね」
「応。たぶん拙者より強いでござるよ」
「えっ、あんたより!?」

 何者なんだよ、妹さん。

「病気する前は、我が妹ながら、ほれぼれするほどの太刀筋でござった。魔具の扱いも一級品でな……」
「病気なの?」
「ああ。天才ではあるが、生まれつき体が弱くてな。だからこそ拙者がお使いに参ったのでござる」

 わざわざレンがここまで来たのには、そういう理由があったんだな。

「ふーん、そういうことか。あんたが帰ったら喜ぶでしょうね」
「…………ああ。きっと待ちわびているでござるよ」
「そっか。じゃあ早く帰りたいわよね」
「むろんでござる」

 そっか。
 やっぱり帰りたいんだな。

 ……帰って、しまうんだな。

 今更、気が付いた。
 私、この状況がひどく残念らしい。

 先ほどのお店での行為を後悔してしまう。
 金なんて出さなきゃよかった。そうすれば、あと何日か猶予があったかもしれない。
 しかし、もう遅いのだ。

「ねえレン。ほんとに、よかったらで、いいんだけどさ。あの……今度さ」

 いや、待て待て。
 私はなにを言おうとしているのだ。

 そんなの迷惑に決まっている。

「そっちに行ってみても、いいかな?」

 レンは、はっとした顔でこちらを見ている。

「え、えっと! 勘違いしないでよ? だってさ、あんたの技って、本当にすごいんだもん。あんたに会いに行きたいとか、そういうのじゃないよ? 興味が湧いたから、一回くらい、見学したいなと思ってさ」

 レンは、静かに笑った。

「いいかもしれぬ。こことはまた違った魅力がある場所でござる」
「そう? じゃあ、その時は案内してよね」
「応」
「約束よ。絶対だからね」
「うむ。そんなに念押ししなくても逃げないでござるよ」

 2人で笑う。

 こいつは、本当にいいヤツだ。

「アスカさんとも、一回会ってみたいな。あんたがそこまで言うんだもん。きっとすごい人なんでしょうね」
「ああ。何にせよ、家族というのはいいものでござる。両親が早くに死んでからというもの、アスカと2人で生きてきたが……、彼女なしでここまでやって来られたとは思えぬ。それくらい、たくさんのものをくれた妹なのでござる」 
「そっか」

 レンは、ワインに口をつけた。
 これまでは苦手とか言ってたくせに、やたらペースが早い。

「だから、アムルどのも家族というものをもっと信じるべきだと思うのでござるよ」

 ぴしり、と、空間に亀裂が入ったような気がした。

「……はぁ?」
「ご両親を恨んでいるようだから、気になっていたのでござる。きっと何か理由があったのではないか?」

 私は、ワイングラスをどんと置いた。

「今日も洞窟の中で言ったけど、違うと思うわ。奴らは私がいらなかったの」
「拙者は、そうは思わぬ」
「どうしてあんたにそんなことがわかるのよ? あんたはいいわよね。親はいないみたいだけど、妹さんと幸せそうだもの」
「そうでもないのでござる。拙者も両親はいない。だが、恨んではいないでござる」
「どう思うかは人の勝手じゃない」

 両親のことだけは、絶対に納得することはできない。今後もこの意見が変わることないだろう。
 何も見ていない他人に、どうこう言える筋合いは、ない。
 たとえここまで心を許したレンでも、そんな勝手なことを私に言う資格はないはずだ。

 ああ。
 どうしてもダメだ。
 私の心の燭台に、火が付いてしまった。

「両親に裏切られたせいで、私は誰も信じられないの。川に捨てられたのよ? それをどう良心的に解釈すればいいっていうの? もちろん、あんたの言うことが全部間違っているとは思わない。でも、その価値観をこちらに押しつけないで。そもそも生まれ育った環境が違うんだから。あんたみたいに幸せなヤツに、私のことなんかわかりっこない」
「拙者が言いたいのはそういうことではなくて……。両親を恨み続けるなど、悲しいではないか。それに普通、できるはずがない」
「何が?」

 レンはちょっと悲しげに言った。

「家族がいらなくなり、殺すなどと……そんな悲しいことが、できるはずがない。よほどの理由がなければな。むろん、恨む気持ちはわかる。だが、断言してもいい。何か事情があったのだ」
「そんなの詭弁よっ! あんたに私の気持ちがわかるはずないっ! 私は……私は、いらない人間だったの!」

 いらない人間だった――。
 状況的に考えて、そう思わざるを得ないのが、辛い。

 どうしてわかってくれないのか。
 こんなにも苦しいことを。
 こんなにも、悲しいことを。
 それが、どうにもならないことを。
 だからこそ理由付けをして、仕方ないと思いたいんじゃないか。

 こいつなら、私のことを理解してくれるかもしれないと思っていたのに。

 しばらく不毛な口げんかは続いた。

「……もういい。私は寝るから、朝までに出て行って。あんたとはこれでお別れよ」
「アムルどの……」
「けっきょくはあんたも、ほかの奴らと一緒だった。信じようとしたのがバカみたい」

 レンは私の名を呼んだが、無視した。

 私はほんの少し後悔しながら、自分の部屋のドアをたたくようにして閉じた。
 すっかり見慣れた自分の部屋のベッドに飛び込む。

 ……ほんの少し、というのは、嘘だ。
 すごく後悔している。後悔しまくっている。

 なにやってんだ。

 確かに、レンの言うことには賛同も納得もできない。
 できれば両親の事には触れないで欲しかった。
 「捨てられた」という事実がある以上、彼が言うような良心的な捉え方はできないのだ。
 だが、今夜はケンカするつもりで彼をここに呼んだワケじゃない。
 本当は、もっといろんなことを話して、楽しく過ごすつもりだったのだ。
 でも、今から謝るのはちょっと気が引ける。

 だが、それでも言うべきだと思う。
 言うのだ。レンに謝るのだ。
「納得はいかないけど……あんたが言うなら、信じてやってもいいかな」みたいなことを、言うべきだ。折衷案で折れるべきだ。
 レンはもう、ここでの目的を果たしてしまった。
 明日には帰ってしまう。
 今、なんとかしなきゃ。
 しかし、勇気が出ない。
 どうして、よけいなことは反射的に口から出てくるのに、こういう重要なことは言えないのだろう。
 でも、なんとかしなきゃ。
 なんとか。なんとか。なんと……か……。





 私はふと、ぱちりと目を覚ました。

 いつもの暗い天井が見える。
 いくらかの染みが点々とついていて、汚い。
 3つの点が、まるで顔みたいに見えてくる。だが、いい顔とは言えない。疲れ切ったおっさんって感じ。
 だからこの天井を見ていると、テンションが下がる。
 さっさと目を閉じて、もうひと眠りしよう。
 空の暗さからして、まだまだ朝までは時間があるだろう。
 朝になったらひとまず、レンを起こして――。

「ああっ!!」

 私はベッドを跳ね起きた。
 最悪! あのまま眠ってしまった!

「レン、レンッ!?」

 私は部屋のドアを空け、リビングに声をかける。

 返事はない。
 部屋には誰もいなかった。

 食器がきれいに片づけられている。きっとレンがやってくれたのだろう。

 私は家を出て、離れにあるレンのねぐらがある草むらへ走る。
 きっと、ここのテントで眠っているはずだ。

 だが、草をかきわけた先には、何もなかった。

「うそ……」

 何もない。
 テントはもちろん、日用品や、ちょっと前に買った革製のカバン、刀などの装備。
 レンの私物が、何ひとつない。
 ただの草むらに戻っている。

 そんな。
 そんなの、アリかよ。

「レン……レン!? どこにいったの!?」

 私は、しばらく周囲を探した。
 草をかきわけ、道を魔法で照らし、最終的には家の屋根の上まで登った。
 しかし、彼を発見することはできなかった。

 うそだろう。
 どうしてあんなくらいで。
 もしかして、本当に怒ったのだろうか。
 私の態度に、さすがに愛想が尽きたのだろうか。
 それとも、元々帰るつもりだったのだろうか。

 確かに、そうかもしれない。
 私との関係も、結局はお互いに利益があったからだ。あいつは寝床と魔法が使えるパートナー。私はお金と仕事。
 レンがあそこまで優しく接してくれたのは、その環境を失いたくなかったから。それだけ。
 きっと、それだけだったのだ。
 じゃないと、私なんかと一緒にいようとは思わないはずだ。
 意見を聞くどころか、誰でも彼でも口で叩きのめしてしまう、性格の悪い「いらない人間」なんかと――。

 私はとぼとぼと、自宅に戻る。
 少しだけ、鼻がツンとする。
 やめろ。今泣くんじゃない。
 今泣いたら、止まらなくなる。我慢しろ。

「ううう……」

 嗚咽が漏れだしたその時。
 小さな紙がテーブルに畳まれて置いてあるのに気が付いた。

 周囲の棚をめちゃくちゃに倒しながら、私は紙をつかんで開いた。

 レンの字だ。

『アムルどのへ
 今日はどうもありがとう。お料理堪能させてもらった。最初に書いておくが、拙者は、お主の言葉に苛立ったから出て行くのではない。だから、どうか「裏切られた」と考えるのはやめてほしい。そうなってしまっては本末転倒だし心残りだから、こうして手紙を残すことにした。』

 ひとまず、絶望的な内容ではなさそうだ。

『それでも、お主は理由を追求しがちだから説明が足りないかもしれぬ。だから、あえて書いておくことにする。出て行くのは、本国に帰るからではない。拙者は、今の状況に耐えられなくなったから、出て行くのでござる。』

 ……え?

『拙者は、あの籠手を買うためにこの国まで来たのではない。拙者は、お主に嘘をついていたのだ。罪滅ぼしではないが、ここにその顛末を書かせてもらいたい。』

 これは、どういうことなの。

戻る 次へ