最悪の状況だった。 「聞いてませんよ、レンさん……」 すぐ背後にいるメガネが毒づいた。 私たち5人は、お互いに背を合わせるような形で陣形を作っている。 「すまぬ。どうやら探知をしくじったらしい。こやつら……できるようでござるな」 レンがぎりと奥歯を噛む。 視線の先には……オーガ。そして、背後にもオーガ。 2体のモンスターは、私たちを挟み撃ちするような形で仁王立ちしている。2体とも、とくに距離を詰めてくる様子はない。そのさまは、私たちの隙を伺っているというより、まるでこの状況を楽しんでいるように見えた。 少しでも動けば、攻撃してくるつもりだろう。なんと憎たらしい。 「助けてくれたのはありがたかったけど……どうしてよりにもよって、こいつら相手にそんなミスをしたのよ」 「……面目ない。普段はこんなことはないのだが」 せめて「トランセンド」の連中がいれば、なんとかなるかもしれないのに。 この状況で生き残ったパーティは、そうは居まい。 考えたくもないほどの状況だ。 さきほど2度も死にかけたばかりなのに、またである。 もう頭がおかしくなりそうだ。 「ヘイブンどの。ほかのメンバーは」 「湖の反対側です……。おそらく、こちらに気づいてもすぐには来られないでしょう」 「ど、どうすんだよお」 弱気な声をあげたのは、私のすぐ左にいるバズールである。 がちがちと鎧がゆれる音が聞こえる。どうやら震えているようだ。 「聞いてねえぞ、こんなの……。オーガ2体だなんて……どんなにレンさんが強いったって、勝てっこねえよ。お、おしまいだ」 「落ち着いてよ、バズール」とリーザ。 「うるせえんだよ、リーザ! だったらお前が囮になれよ! いつもうちのギルドでやっているみたいに、胸元を見せてあいつらを誘惑してみろ!」 「……最低」 だが、このバカが言うことも一理ある。 囮でも使わない限り、ふつうなら全滅だ。 「落ち着いてください、バズールさん。ここでオーガを刺激して攻撃されたら、それこそ助かりません。なんとか、隙を探しましょう。倒すのが難しくても、脱出くらいはできるはずです」 「できるわけねえだろ! あいつらは足が遅いって言っても、腕が長いし、攻撃だけはメチャクチャ速いんだぞ。お、俺の友達は、こいつに殺されたんだ。こうなったら、最後は男らしく戦って死んでやる!」 「待って。うかつに動いちゃダメ!」 思わず私は杖を落としながらも、剣を構えるバズールの手を取った。 こいつ、本当にバカだ。 それは最悪の手段。「殺してください」とこちらからお願いするようなものだ。 だが、どうする。 このままじゃこいつが限界になって突っ込んでしまうだろうし、オーガもいつまでも待ってくれるワケじゃない。 何か手はないのか。 「……魔法を使えるのはアムルさんだけです。『リターン』は覚えていませんか」 「リターン」。術者が指定した場所に戻ることのできる、移動魔法である。 ヒーラーよりの魔法だが、錬成を補助するスクロールさえあれば、例によって私も初歩的なものを使うことができる。消費“魔力”はアホみたいに高いが、100メートルくらいは移動できるから、使うことさえできれば、すべて解決だ。 だが。 「残念だけど左腕が折れてるみたいなの。『リターン』を使うほどの“魔力”は錬成できないわ……スクロールもないし」 「ちっくしょう! だったらもう、戦うしかないじゃないかよ!」 「待て、やめるんだ! もっといい方法を――!」 その時、最悪の事態が、最悪のタイミングで起きた。 私とバズールの前にいるオーガが一歩、足を踏み出したのだ。 単なる一歩。まだまだ私たちとの距離はある。焦る必要はない。 だが、ここにいるバズールという男の精神を限界にさせるには、あまりにも十分すぎた。 「うあああああっ!!」 「バズール!」 とうとう剣を持って走り出すバズール。 オーガは、さっき私にやったみたいに、腕を振りかぶって構えた。狙いはもちろん彼だ。 私には、その様子がスローモーションで見えた。 脳が、フル回転して思考を巡らせる。 ダメだ。このままでは、バズールが死ぬ。 確かにイヤなヤツだが……。 さっき、リーザを助けた時。 彼女は、私を抱きしめてきた。 私を、抱きしめてきて、くれたのだ。 私に、感謝してくれたのだ。 まだそういう、可能性が残っていたのだ。 レンが言っていたことが、ようやくほんの少しだけわかってきたところなのだ! だから、見捨てたくはない。 今出来ることを考えろ! 全力で考えろ! そして、動け! 「くっ!」 私が選択したのは“魔力”の錬成だった。 腕が折れているので激痛が走るが、すでに痛すぎてもうよくわからない状態になっている。問題ない。 「リターン」ほどの“魔力”は錬成できない。「ファイアウォール」もダメ。 だったら、どうすればいい。 攻撃魔法は? 弱いものしか撃てない。それじゃ意味がない。 回復は? 腕はもう間に合わないし、治ったところで次の魔法を準備することはできない。 だったら――! 「『アクセル』ッ!」 「アクセル」。対象の動きを一時的に速める、支援魔法である。 もちろん、私の使うそれは微力なもの。1秒か2秒、動きが速くなるだけだ。 だが今回は、それで十分だった。 「なっ!?」 つんのめって、その場にずっこけるバズール。 彼の先にいたオーガは、攻撃を外して地面を殴った。 ここに、少しばかりの隙が生まれた。 「いまだ! 全員あっちに走れ!」 私の叫びと共に、全員がバズールの方に走り出す。 最も早く駆けだしていた私は、オーガの目の前に出ると、その顔に「フラッシュ」をお見舞いした。 さすがに、この魔法は至近距離なら効く。ひるんだ隙に、バズールをすぐにたたき起こす。 「『空風』!」 そこに走ってきたレンがオーガに必殺技をぶちかますと、追ってメガネがタックルを食らわす。 ずしーんと、地響きをたててぶっ倒れるオーガ。 その脇を一斉に駆ける私たち。私はそんな中でも“魔力”を錬成し、それぞれに合図をしてから「アクセル」をかけていく。 全員が脇目も振らず走りまくった。 ★ 「はあ、はあ……」 数分後。私たちは、洞窟の入り口付近まで戻ってきた。 オーガの姿は見あたらない。 「なんとか、撒いたみたいね」 「ナイス判断でござった、アムルどの。加速魔法でバズールどのを転ばせたのでござるな」 そう。 支援魔法は、かける側とかけられる側のコミュニケーションが必要不可欠だ。 突然足が速くなったら、当然ビックリしてコケる。今回はそれを利用させてもらった。もちろん、ここまでうまくいくとは思っていなかったけど、結果オーライだ。 バズールは、ぜえぜえと息を吐きながら座り込み、放心した様子で地面を見ている。 やがて、彼はすっくと立ち上がると、私たちの前で頭を下げた。 「すまん! パニクっちまった。あやうく全員を殺すところだった」 「気にしないでください。私にもいくつか策がありました。もっとも、アムルさんにいいところをすべて持って行かれてしまいましたが」とメガネ。 「あ、あれだけの状況だったら、しょうがないわよ」とリーザ。 レンはこくこくと頷いていた。 最後にバズールは、私を見た。 彼はちょっぴりうつむいてから言った。 「アムル、礼を言わせてくれ。どうもありがとう。悪かったよ。いろいろとさ……。お前のことを、誤解していたと思う」 なんだこいつ。 イヤなヤツのくせして、礼なんか言いやがって。 似合わないっての。 「別に、アンタのためにやったワケじゃない。私たちが生き残るためには、ああするしか……痛っ!」 そこで、私の腕に激痛が走る。 そうだ。折れているんだった。 もう腕の感覚がほとんどなくなりかけている。 「大丈夫、アムル? 回復魔法は使えないの?」 「私がスクロールを持っています。帰り道で治しましょう、アムルさん」 「お、俺にやらせてくれ! アムル、俺のせいでケガしたんだろ」 「違うわ、バズール。私のせいなのよ。さっきも私のことを命がけで守ってくれたの。本当にありがとうね。お礼はきっとするわ」 なんだろう。 腕は死ぬほど痛いのに。 こいつらのことなんて、大嫌いなはずなのに。 なんでだろう。 ほんの、ちょっぴりだけど。 私はいま、間違いなく笑っている。 なぜか笑っているのだ。 「そういえば、ほかのメンバーはどこに行ったのでござるか?」 「近くにいるでしょう。先ほど、魔法で合図を送りましたから、そろそろ戻ってくるはずです。『魔人』がいないというなら用はありません。早めに撤退を……」 その時。 ズドドン! と、後方から轟音が響いた。 すぐさまそちらの方向に走る私たち。 そこには、「トランセンド」のメンバーたちがいた。 彼らは尻餅をついて、前方を見ている。 周囲にはこげた木々が散らばり、ちらちらと燃えていた。 「どうした、何があった!?」 駆け寄るメガネ。 「あ、あ……あいつが……」 すっかりおびえた様子の剣士が指をさす先には……丸焦げのオーガが1体倒れていた。 初めて見た。 あのオーガが、絶命している……。 私たちは、その先を見やる。 誰かが、遠くに立っていた。 大きさは、人間とほぼ同じ。オーガとは違うが、人型だ。 だが、そいつが人間でないことはすぐにわかった。 丸焦げになったオーガよりも、真っ黒なのである。 いや……黒というよりは、「闇」とでも言うべきか。 周囲の光を全く取り込んでおらず、黒色なのではなく、単に暗いというか……。 動いてはいるが、生き物のようには見えない。 「全員! すぐに逃げろッ!」 怒号。 一瞬、誰が言ったのか、わからなかった。 声の主はメガネの前に立った。 「レ、レンさん……?」 「急げ! 死にたくなかったらすぐにここから離れろ! お主たちが勝てる相手ではないッ!」 レンは焦った様子でまくしたてた。 こいつがこんな風になっているのは、見たことがない。 おそらく、そこにいる誰もが感づいただろう。 こいつが、「魔人」――。 メガネはすぐさま、全員に命令した。全力で退却すると。 「トランセンド」のメンバーのうち2人が、「リターン」の“魔力”錬成に入る。 私も、錬成の手伝いに入る。 その時、オーガがまた2匹、森の中から出てきた。 思わず、顔がひきつる。 さっき、私たちを追っていた奴らが追いついてきたのだ。 だが、さらに恐ろしいことが起きた。 紫色の火花がオーガたちのほうにちりちりと走った、その瞬間。 ぶっとい稲妻が、2体のオーガに落ちて爆発した。 地面が弾け、ドガンと腹に響く低い音。周囲が揺れる。 その、とんでもない魔法を使った黒い何かは、挙げていた手を下げた。周りには、先ほどの稲妻と同色の火花が舞っていた。 ヤツだ。ヤツがやったのだ。 私たちは、距離を取りながら「リターン」の錬成作業を大急ぎで進めた。 誰も、何も言わなかった。 言えなかった、という方が近いかもしれない。 私はただ、恐怖におびえながら“魔力”を錬成した。 それ以外、何もできない。できはしない。 「『リターン』!」 魔法が詠唱されて、視界が“魔力”のフィールドに覆われるまで。 黒い魔人は、ただこちらを見ていた。 |