王都マグンは、堅牢な城壁に囲まれたマグン城の一室。 「……という話もあり、第百四十勇者エルネスト・コロッソの現状について、もう一度調べ直す必要がありそうです。騎士団からも一週間以内に調査団第四師団をガーサの町へと派遣予定です」 長いテーブルを囲うようにして、青い鎧を着た男女が話し合いをしている。 王都マグンの治安維持や周辺地域のモンスター退治などを一手に引き受ける、マグン騎士団の幹部ミーティングである。現在は素行不良の「勇者」について、その処遇を話し合っている。こうした調査や判断も騎士団の職務のひとつなのである。 そんな中、討伐部隊長のイナフ・ストラウフは、テーブルに頬杖をついてぼおっとしていた。 「イナフ隊長は、この件についてどう思われますか?」 「へっ!?」 急に問いかけられ、イナフはびくりとした。 「……あ、ああ! そうだな……。し……支援金を増やすのはどうだ」 団員は困惑した様子で手を広げた。 「コ、コロッソへの支援を増額するのですか? それではまるで逆効果では……」 イナフは慌てて大きな咳払いをした。 「そ、そういうことではない! 調査師団を向かわせるのだったら、そちらの支援を増やせということだ」 「なるほど。そういうことでしたか。貴族会にかけあいましょう」 「そ、そうしてくれ。悪いが体調が優れないので、私はこれで失礼する。その件については後で報告書をくれ」 イナフは逃げるようにして席を立った。 城内の自室に戻ったイナフは、ベッドに腰掛けてふう、と息をついた。 さっきのは危なかった。話がほとんど耳に入っていなかったのだ。なんとか切り抜けられたようだが、このままではいつか大きなミスを犯すだろう。 彼女は近頃、ずっとこんな具合だった。 なぜか心がふわふわと浮ついていて、夜もあまりよく眠れない。剣のけいこにも、身が入らない。 あの派手な甲冑を失ってからというもの、「黄金の騎士」の様子がどうもおかしいということに気付いている騎士団員も少なくないだろう。 彼女はその原因を探る。 睡眠不足。食欲がない。愛刀「ガルズ」の調子が悪い。ちょっと風邪っぽい。頭がくらくらする。 そこまで考えたが、答えはもうわかりきっていた。 「リブレ・ロッシ……」 彼女はひとこと、そうつぶやいた。 どうしたことか、リブレと剣を交えたあの日から、久々に敗北の味を思い出したあの日から、イナフは気付けば彼のことを以前よりもよく考えるようになっていた。 彼女はその感情について、絶対に認めたくなかった。だからこそ、逃げるようにして、彼のことを忘れようと何度も試みた。 だがそのたびに、あの時の強いまなざしが、強烈にフラッシュバックした。 「く、くそおっ!」 イナフは思わず地団駄を踏んだ。 そんな、ばかな。いったいどうして。 どうしてよりにもよって、あの男なのだ! どうしてあんなに嫌いだったあいつが、こんなにも頭から離れないのだ! イナフはその夜、王都の街に出た。 今夜は久々の非番なので、騎士団の青い甲冑は身につけていない。あれを着ていることで人々から警戒されるのは慣れっこだし望むところだが、何より色が気に入らない。彼女は普段着として着用している、簡素ななめし皮のアーマーを選んだ。ただし色はかなり派手なイエローである。 もういい時間だというのに、メーンストリートの往来は昼間と比べてあまり変わらない。いつ犯罪が起こってもおかしくないということにもなる。 普段だったらそんなことが起こればすぐにでも駆けつけてやろうと意気込むところなのだが、今夜は正直、そんな気分にはならなかった。 彼女は女性でありながら、そうであることを拒んで生きてきた。騎士団の中にも、イナフが女性であることを知る者はほとんどいない。数少ない自分の過去を知る人間にも口止めし、かつての勇者パレット・ストラウフの「弟」であることを続けている。今着ているアーマーも、膨らんだ胸を隠すために着ているようなものだ。 それらは彼女自身が持つ、兄への強い畏敬、誇りといったものによって成り立っていたものであった。 しかし先月、その価値観が揺らぐ出来事が起きた。 『パレットさんの願いは、妹であるあなたの幸せ、ただそれだけだった』 リブレ・ロッシとの決闘の中で兄の真意を知り、彼女はうろたえた。 それでも、今更自分を変えるなんてことはできはしない。 だから自分は自分の道を行くと、そう決めた。 決めたはずだったの、だが。 イナフは、いつしか人気の少ない道を歩いていた。 王都マグンは、南ゲート付近のサン・ストリート。 「あの男」が住んでいる場所だ。 「認めんぞ。絶対に認めん。そう、私は一人で勘違いしているんだ。そうに決まっている。待っていろリブレ・ロッシ! 化けの皮を剥いでやるぞ!」 イナフは自分の気持ちを否定するため、歩き出した。 リブレの家には一度行ったことがあるため、迷うことはなかった。しかし、その窓からは光が漏れていなかった。 イナフはこんこんとドアをノックしたが、反応はない。 「留守か。それとももう眠ってしまったのか……?」 「あっ……!」 そうつぶやいたところで、背後から声がした。振り向くと、ひとりの男が身構えていた。 「イ、イナフ……!」 こちらにシリアスな顔を向けているのはロバート・ストラッティである。 「貴様か。しばらくだな」 「……こんなところまで、何の用だ」 ロバートの口調には、はっきりと敵意が込められていた。彼女が先月、彼にしたことを考えれば当然のことではあった。 「リブレ・ロッシはどこにいる?」 「て、てめえ、もしかしてまた!」 ロバートがきっとイナフをにらんだところで、彼女は彼を手で制した。 「早まるんじゃない。先日はすまないことをしたと思っている。貴様もだいたいの話は聞いているだろう。やつに改めて、詫びを入れようと思ってな」 イナフはそう言って、皮製のバッグから酒瓶をひとつ取り出した。 ロバートはそれを見て、若干ではあるが警戒を解いたようだった。 「なんだ、そういうことかよ……。リブレは『ルーザーズ』にいるはずだよ。覚えてるだろ。あの酒場だ」 もちろん覚えている。かつて、兄がよく通っていたという店だ。もっとも、彼のことを思い出してしまうので、これまでは近づく気にもなれなかったのだが。 「わかった。そちらに向かおう。感謝する。ところで……」 イナフは考えた。 ロバートから、リブレの悪い噂のひとつでも聞くことはできまいか。 そうなれば、自分の中に巣くう彼を否定する判断材料を増やせる。 「リブレは普段、どんな奴なんだ?」 「いい奴だよ」 即答であった。 「あれだけ嫌がっていた今回の必殺剣の件だって、あんたのことを思ってやる気になったと聞いてるよ。感謝だったらあいつにしてくれよな」 その瞬間、イナフの心拍数が一気に上がった。 しかし彼女は胸をおさえつけた。 これは罠だ! 勘違いなのだ! 負けるなイナフ! ロバートは葛藤する彼女の異変に気がついた。 「……どうしたんだ?」 「な、なんでもない。だがリブレは、勇者採用試験の最終試験に来なかったな。おおかた、この王都を守護する誇り高きマグン騎士団をなめくさっているんだろう。全くふざけた男だ」 ロバートはちょっと黙ってから、改めて言った。 「それも、あんたに必殺剣を使ったせいだよ。俺も詳しくは聞いてねえけど、あれを使うと寝込むらしい。あいつ、あの夜泣いてたんだぜ、体が動かないってさ」 とくん。 「ま、待て。だとすれば奴はあの日、来たくても来れなかったとでもいうのか……?」 「そういうことになるだろうよ。まあ、あんたが途中まで受からせてたらしいから、どっちにしろ今回は不合格ってことで納得したみたいだけどな」 イナフのハートを、何かが強烈な勢いで貫いた。 しかし彼女は、高まる鼓動を必死に押さえ込んだ。 だからどうした! すっぽかしたのは事実だ! そもそも、なぜこんなに動揺する必要がある! イナフはそこではっとして、ロバートを再び見た。 「……貴様、もしやリブレから何か言われているのか?」 「……はあ?」 困惑するロバートを見て、イナフはにやけた。 「とぼけても無駄だ。私が来たらそのように言えと、奴から指示されていたのではないか? もしや……あの男はまた私を試そうとしているのか!?」 「あ、あの……?」 「おっと、その手には乗らんぞ! 貴様も、よくもまあここまで自然に演技ができるものだ。全く関心する。まあいい、奴に会えば全て済む話だからな。待っていろリブレ! そうと決まれば先を急ぐことにしよう。失礼させてもらう!」 イナフは稟とした表情で踵を返した。 残されたロバートは、目をぱちくりさせて頭をかいた。 「……なんだ、いまの」 イナフは「ルーザーズ・キッチン」への道を急いだ。 彼女は悔いていた。自分の浅はかな行動を。自分がここに来ることが、何を意味しているのかを。 ここは、敵地なのだ。 あれだけのことをやったのだ。当然今のように、リブレも手を打ってきているはず。 それを考慮せずに、むざむざと攻め込んで来てしまった。 あまりにも愚鈍すぎた。なんという失態だろうか。 きっとこの近辺全てに、自分を欺くための罠が用意されているに違いない。 急ぐのだ。とにかく奴に会うことを優先せねば。 イナフはそう決め、モンスターの巣に入った時のように、目を鋭くさせて辺りを警戒しながら歩みを進めた。 |