王都マグンは、サン・ストリート沿いの酒場「ルーザーズ・キッチン」。 「よし、よし、よし」 グランが時計を見ながらつぶやいている。もう時刻は深夜に近いが、彼の友人たちが何人か店内に残っている。 テーブルに座ったままその様子をみていたリノは、肩をすくめた。 「ほんと、みんなしておおげさなんだから」 「リノこそ、きょうは帰らないんだね」とリブレ。 「よし、あと一分だ! あと一分!」 グランは時計の針が進むのを見て、いすに乗りカウントダウンを始めた。完全に仕事を放棄しているが、マスターはとくに注意することもなく、カウンターごしにグラスを拭きながらそれを見てほほえんでいる。 「さん、にい、いち!」 そして、その時がやってきた。グランがうれしそうに腕を挙げる。リブレがそれを掴んで一緒に万歳をした。ロバートもそれに加わる。 マスターが手を叩いて言った。 「よーし、本日はこれにて閉店。グラン、わかっているだろうがこれで借金完済だ。今までごくろうだったな」 「まったくよお、安い給料でこき使いやがって! ようやく肩の荷が降りたってもんだぜ! マスター、明日からは客だかんな。ちゃんとおもてなししてくれなきゃ食べてやんないぜ」 マスターは餞別用に用意していたワインを取りだそうとしてやめた。 本日は「ルーザーズ・キッチン」の給料日。そしてグランは、この日で今までのつけを全て返済することに成功したのだ。 「グラン、やったな!」 「ああ、これでようやく郵便配達にも本格復帰だぜ。マタイサ自警団の運搬クエストでもがっぽり稼げそうだしよお! 楽しくなりそうだな、おい」 リブレとグランはわははと笑ったが、ロバートとリノは微妙そうな表情だ。 「グラン、グラン。そこの空気の読めないボケ・ロッシ君と抱き合う前にやることがあるでしょ。それともやっぱりホモなの?」 リノが親指をつきたてた先には、アイが立っていた。 アイは恥ずかしげに前に出た。 「グラン、よかったね」 グランは頭をかいた。 「お、おお」 二人はちょっと照れくさそうにお互いを見合った。 リノはそれを見て、ようやくにひひと笑った。 「ちょっと、はやくキスでもしなさいよ。もしかして恥ずかしいの?」 アイが赤くなる。グランは頭をくしゃくしゃとした。 「おい、うるせーんだよ! とにかくみんな、リブレの家に行って飲みなおそうぜ。こいつ、最近マタイサのクエストで酒を分けてもらって貯めこんでるんだ。ここと違って飲み放題だぜ」 リブレが額に手をやった。 「バカ、なんでバラすんだよ! リノに全部飲まれちゃうだろ!」 リノの目が光った。 「へー。私に全部飲まれちゃうから、内緒にしてたんだ。へえー」 「ち、違うんだよ、リノ」 「何が違うの? バレたわけだし、もう文句言えないわよね。さあ、行きましょう」 リノが立ち上がる。リブレが言い訳しながらそれを追い、アイは少し残念そうにグランと店を出る。最後にロバートが「それじゃマスター、また明日」と言ってドアを閉めた。 マスターはロバートに軽く手を振ってから、ふうと息をついてカウンターの一番端を見た。 「だってよ、セーナちゃん。行かないのか?」 そこには、すっかりできあがったセーナ・メーシーズが目を赤くしながらぷるぷるとふるえていた。 「どうして、私が行かなくちゃならないんですか。私に行って、見せつけられて死んでこいって言うんですか? まったくどうして、どうして、どうして?」 セーナはカウンターに突っ伏して連呼した。マスターは肩をすくめる。 「セーナちゃん、気持ちはわかるが、祝ってやれ。アイはこの店に来た頃からずっと、グランに片思いだったんだ。君も知ってると思うが、本当に一途だったよ」 セーナはマスターをにらんだ。 「そんなの、関係ありません! お姉さまは、お姉さまは!」 「わかった、わかった。何か温まるものを作るから、ひといきついてから帰るといい」 マスターはカウンター奥に引っ込んでいった。 セーナは、マスターにあたってしまった自分を恥じた。 そう、彼の言うとおりだ。 アイ・エマンドは、こちらに振り向きもせずに、いつだってあのにくたらしいグラン・グレンを見ていた。 それがとうとう叶ったのだ。本当なら祝福すべきことなのだ。 だが。 「お姉さまと、グランが……あのふたりが! 想像したくもない。悪夢だわ!」 セーナにとってアイの存在はそれくらい大きなウェイトを占めていた。 祝福すべきなのはわかっている。でも。 「決めた。私は、最後まであらがいたい。残っている可能性が一パーセントでもいい、最後まで、自分を貫きたい! もう、自分に嘘をつくのはイヤ!」 セーナは心を決め、席を立った。 「さあ、できたぞ。セーナちゃん、あったまるし心も落ち着くぞ。今日はこれを飲んで……」 店には誰もいなくなっていた。マスターは少し笑ってから、ココアを全部飲み干して電気を落とした。 翌朝、セーナはギルドのクエストに出向いた。クエストの内容は、キーバライの森でのモンスター討伐。参加者はセーナ、パイカーのレスター・モス、ヒーラーのコリンズ・バイド、そしてアイ・エマンド。 「お姉さま、おはようございます」 セーナはギルドについてすぐ、アイを見つけて声をかけた。 「ああ……きょうも元気だね、セーナ」 アイは頭を抱えながらランスを背負った。後ろにいるレスターが笑う。 「なんだアイ、君のほうは珍しく元気がないな。今日は大好きな討伐クエストだぞ。はは、わかったぞ。例の彼氏ととうとうやりあったな」 セーナはものすごい形相でレスターをにらみつけ、彼をたじろかせた。アイは手を振ってそれを否定した。 「違いますよ……。昨日、友達と飲み過ぎちゃって……」 「アイさん、昨日はデートするんだって言ってませんでした?」とコリンズ。 「うん……そうしたかったんだけれど、友達みんな集まって、宴会が始まっちゃってね……そうなっちゃうとさ、もう、なんていうか、そういう感じにならないでしょ? 思わずやけ酒だよ。タダだったし」 アイは眉間をつねりながら言った。コリンズは笑った。 「なあんだ。アイさんならそんなの気にしないと思ってた。さすがのアイさんも、好きな男性の前じゃ女の子なんだなあ」 「どういう意味だい、それ! ああもう、大声出させないでよね。頭がガンガンするよ……」 セーナは胸をなでおろした。どうやらなにも起こらなかったようだ。もっとも、それは折り込み済みだ。あのメンバーが集まったらもうロマンチックなムードなど出ない。 四人は出発し、その日のクエストを何事もなく終えた。 「お姉さま、お姉さま」 帰り道、セーナはアイに声をかけた。 「なんだい」 アイは上機嫌だった。戦闘したことで、二日酔いもすっきりしたらしい。何より彼女は戦うことが大好きなのだ。 「その、今日もすばらしかったですわ」 「まったく、セーナもそうやって私をいじめるんだね。さっきからレスターさんも、コリンズも同じことばっか言って。どうせあたしは戦闘狂いだよ」 「違います! 戦ってる時のお姉さまは、本当にすてきなんです」 アイはほほえんだ。 「おせじかい? でもありがと」 セーナはそれを見てうれしくなる。しかし、やらねばならない。 セーナは心を決めて、下を向いた。 「でも……」 「でも?」 「ちょっと心配なんです。確かに美しいんですけれど、それじゃ男の子はちっとも喜ばないんですもの。男はいつだって、可憐で、優雅で、弱々しい子が好きなんですもの」 アイはそれを聞いて、不安げになる。 「確かに……そうかもね。あたしとは正反対だ。今、グランとつきあってるのだって、自分で信じられないよ。こないだだって、失敗しちゃったしさ」 セーナはぐっと拳を握る。 「お姉さま、私はお姉さまが好きなんです」 アイは例によって困った顔をして何か言いかけたが、セーナは「待って」と声をかけて続けた。 「勘違いしないでください。私にとって最大の幸福は、お姉さまの幸せなんです。だから、グランさんとうまくいくように応援したいと思っているんです」 「そ、そうなの?」 「そうです! だってお姉さま、グランさんとあまりうまくいってないんでしょ?」 アイは頭をかく。 「うーん、そうなのかなあ。こういうのって初めてだから、わからないんだよね」 「キスはしました?」 アイはしばらくもじもじしていたが、やがて言った。 「まえ、その、見てたでしょ? でも付き合い始めてからは、まだ一度も……ね」 セーナは彼女に指をさした。 「ほら、うまくいってない!」 「え、えっ!? でも、まだ半月だよ」 「半月も、ですよ。半月もしたら、ふつうの男なんてもうとっくに我慢できなくなって、襲いかかってきてますよ」 アイは衝撃を受けたようだった。セーナは少し心が痛んだが、もう考えまい、と思った。 「セ、セーナ。それって本当かい? 『月刊メリッサ』だけの話じゃないのかい? まえリノに相談したら、えらくバカにされたよ」 セーナはなにも言わずに首を振った。アイは小さく「そんな」と言った。 「お姉さま、私もこんなことを言うのは辛いんですけれど、ひょっとしたらグランさんはもう、お姉さまと別れるかどうか、考えている段階に入っているかもしれません」 「そんな! そんなのってないよ!」 「じゃあ確認させてください。お姉さま、グランさんはあなたに食事をごちそうしましたか?」 「う、うん」 「グランさんは、あなたと手をつなぎましたか?」 アイはこくこくと頷いた。 セーナはわざとらしく、大きくため息をついた。 「なんてこと。それらは全て、いわゆる『終了間際』のサインです」 アイは、それを聞いて地獄に落ちた。 「それじゃ……あたしたちはもう……もう終わりなの? まだ二回デートしただけなのに。いったいなにが悪かったんだろう、ねえセーナ!? どうすればいいの!」 セーナはパニックに陥るアイの手をとった。 「落ち着いて。きっとお姉さまの魅力がグランさんにきちんと伝わってないんです。もちろん協力します。ちゃんとした手段でグランさんにアピールすれば、すぐ大逆転ですよ!」 アイはそれを聞くと途端に顔を明るくし、セーナの手をぶんぶんと振った。 「ううっ、ありがとう! ミランダのアドバイスは極端すぎるし、リノはあんまりまじめに聞いてくれないし……ちゃんと話を聞いてくれるのはセーナだけだよ。それで、まずどうすればいい?」 セーナは手をぐっと握って、アイをじっと見た。彼女の瞳は少しうるんでいて、こちらをまっすぐに見ている。 セーナ。心を鬼にするのよ。そう、じゃないと絶対に後悔する。 セーナはこくんと頷いて、ゆっくりと言った。 「そうですね……デートの時に、『つまらない』って言うんです」 アイは目をまるくして首をひねった。 「……セーナ、それって逆効果なんじゃ?」 「お姉さま、お言葉ですけれど、そう思うってこと自体がもう、なんていうか、ズレてるんです。『つまらない』は魔法の言葉なんですよ。男の子は、この言葉が大好きなんです。なにがあっても『つまらない』って繰り返すんです。お姉さまは不思議に思うかもしれませんし、確かに最初は相手に怒られます。でも、続ければ絶対にグランさんはお姉さまのことを大好きになっちゃいますよ」 アイは「そ、そうなの?」と小さく言った。セーナは目をつむって、決意してから頷いた。アイはしばらく無言だったが、セーナをそっと抱きしめた。 「セーナ……気持ちはわかったよ」 セーナもさすがに笑ってしまう。我ながらひどい嘘だ。やっぱりバレバレだった。でも、これでやれるだけのことはやった。そんな気がした。これでよかったのだ。 しかし、アイは涙ぐみながら鼻をすすっていた。 「セーナ、あんたは本当にあたしたちのことを思って……ありがとう! さっそく今日、試してみるよ!」 「へっ?」 セーナは驚きのあまり「あ、え、はい」と言うしかなかった。アイは彼女を解放すると、スキップしながら「ルーザーズ・キッチン」へと向かっていった。 |