その夜、いつものように「ルーザーズ・キッチン」に常連客が集まり始めた。 「おーっす、客が来たぜ! 客だぜ、客!」 グランがリブレと共に大声で入ってきた。アイはグランに声をかけ、テーブルに座らせた。リブレもそれに同伴しようとしたが、リノに耳を引っ張られてカウンターへと着席させられた。 アイとグランは料理を注文し、食事を始めた。二人はしばらく他愛のない話をしていたが、アイがそわそわしていることにグランが気が付いた。 「おい、どうしたんだよ? トイレならあっちだぜ」 アイはつっこまずに、意を決して言った。 「つ……つまらない」 グランはフォークをおいた。 「はい?」 「つ、つまらない!」 アイはまた言った。グランはしばらく沈黙した。 「なにが? いきなりどうしたんだよ」 「つまらない」 グランはこの三度目を聞いて目の色を変えた。 「てめえ……この俺のなにがつまらねえってんだよ」 アイはじっとグランを見つめて言った。 「つまらない!」 「おい、こら。ちゃんとなにがつまらないか説明しろ」 グランが眉間にしわを寄せた。アイは思った。本当にセーナの言った通りだ。 「つまらないもんは、つまらないのさ」 グランは、ついにテーブルを叩いて立ち上がった。 「てめえ、表に出ろ!」 こんな文句にひるむアイではない。 「つまらない!」 グランは怒りを露わにしてアイにつかみかかり、外へと連れて行った。 「つまらねーってんならな……」 グランはドアを閉めて路地に入ると、腕をクロスして“魔力”を練った。アイも、それを見てさすがに狼狽する。 「ちょっ、ちょっと! ちょっと待って! 今のはセーナに教えられて……」 アイの言葉は、途中で切れた。 グランの周りに光があふれはじめた。マジック・アートだ。彼はだらだらと汗をたらしながら言った。 「予定より早いが、見せてやるぜ。俺様の新しい作品をよ。これでも俺がつまらねー男だってんならな、それでもいいぜ。なにが悪かったのかは知らねーが、お前がそう言うのならしょうがねえ。もう勝手にしやがれ。でも、おまえだけのために作ったんだ。今から一時間、限界までやってやる。せめて最後まで見ていけよ。あと、欲しいものがあったら言え。クエストもできるものがあれば手伝う」 翌日、ギルドへ出勤したセーナは、アイが来るのをわくわくしながら待っていた。 全くあんなことを信じるだなんて。お姉さまはきっと、昨日で破滅したはずだわ。きっと意気消沈しながらやってくるはずよ。「今のあたしには、戦うしかないんだ」とか言って。でも、奇跡がおきるの。すぐに救われるのよ。セーナ・メーシーズに導かれるの。そして私を抱きしめて……私はこう言うの。「気を落とさないで。お姉さまには私がいます」 ドアが開いた。 「あっ、セーナ!」 アイは入ってくるなり、セーナに飛びついてハグをした。 セーナは急な展開に驚きつつも、感動にうち震えた。 「お、お姉さま。気を落とさないで。お姉さまには私が……」 「本当にありがとう、セーナ! おかげでグランとうまく行きそうだよ!」 セーナはアイを離して首をひねった。 「うまく行きそう?」 アイは昨日起こったことを簡単に話した。 セーナは思わず頭を抱えた。 「つまりグランさんが、お姉さまのためにマジック・アートをやって、欲しいものを買ってくれて、クエストも手伝ってくれると?」 「そうなんだよ。今までそんなそぶりなんて全くなかったのに。もううれしくってしょうがないよ! 全部セーナのおかげさ」 セーナは固まった。この展開は予想外だ。 でも、こんなところでくじけてはダメ。 セーナは笑顔を作って手を広げた。 「そ、そうでしょう? お役に立てたようでよかったです。これからもぜひ、私に相談して下さいね」 「ありがと。それで早速なんだけど、相談があってさ。今夜グランとデートなんだけれど、その……なんとかして、どっちかの家でさ……わ、わかるでしょ? お願いセーナ。また『魔法の言葉』みたいなヤツ、教えておくれよ」 セーナはひきつった笑顔で頷きながら、心の中で大きな悲鳴をあげた。 それだけは絶対に阻止しなければならない。 セーナはしばらく「うーん」と言いながら、考えた。 どうやらグラン・グレンの性格を考えると、けなしたりするのはよくなさそうだ。 「そうだ……それでしたらやんわりと『ごめん』って言うんです。それで、断る方向に持って行くんです」 アイはあごに手をやった。 「なるほど。やっぱりよくわからないけれど、そう言えばうまくいくってわけだね?」 「そうです。でも……お姉さま、しちゃダメです」 「へ?」 「そういうムードになっても、なにもしてはいけません」 「な、なんで? あたしの質問聞いてた?」 セーナはハンカチで汗をぬぐって言った。 「とにかく、ダメなんです。まだ早いですよ」 「セーナ、この間は『もう襲いかかってきてもおかしくない』って言ってたじゃないか」 さすがに苦しい。セーナはパンと手を叩いた。 「でも、これも『魔法』のひとつなんです。恋はかけひきなんですよ。グランさんにいくら求められても、応じてはいけません。相手が止まりそうになかったら……思い切りぶん殴ってでもやめさせて下さい。五、六発くらい殴るといいですよ」 アイは怪訝そうにしていたが、やがて頷いた。 「やっぱり、あたしにはよくわからないなあ。ぶん殴るってところだけは、わかりやすくていいけれどねえ。ともかく、セーナの言うことを信じることにするよ。ああ、頭が痛くなるねえ。なんだか戦いたくなってきた。クエストに行こうよ」 セーナはほっと息をついた。さすがにこれで進展することはあるまい。 どごん、という重い音と共にグランの体は吹き飛んだ。アイは拳を握って満足げにしている。 「ごめんね」 アイはセーナの言う通りに「魔法」を遂行した。これでとりあえず、彼女に言われただけのことは全てやった。我ながら見事に全てこなせた。グランの反応も想定通りだ。これでうまく行くのだ。 しかしグランはものすごい形相で立ち上がった。 「信じらんねえぜ、この女」 「ごめん」 アイは少しおっかなびっくりだったが、そう言い続けることにした。 「自分から殴っといてなに言ってやがる! ふつう、今のムードで人を殴るか? お前、頭おかしいんじゃねえの! こないだだって、突然訳のわからねえことを言い出すしよお、さすがに頭に来たぜ」 「え? あ、ご、ごめん……」 「なんなんだよ、さっきからごめんごめんって。意味がわからねえんだよ。戦いすぎでとうとうおかしくなったのか? フン、もういい。嫌なら結構だ。さっさと別れよう」 さすがのアイも、グランが本当に怒っていると気付いて焦りだした。 「えっ、そんな。殴ったのは謝るよ。あのさ、いまのはセーナに……」 「うるせー、知るか! もう付き合ってらんねーよ!」 グランはドアを蹴って出て行った。 翌日、アイが出勤しないのでセーナは彼女の家へと赴いた。ドアをノックすると、目にくまを作ったアイが出てきた。 「お、お姉さま……?」 「セーナかい……あたし、やっぱりダメだった。グランが別れるって。もう、しばらくギルド休む」 セーナはわざとらしく手を広げた。 「あら、まあ。なんてこと。大丈夫ですか……?」 アイはぽろぽろと涙をこぼした。 「だめかも……」 セーナは思わずガッツポーズを取るところだった。私の計画は思った以上にうまくいった。そして、最高のチャンスが訪れたのだ。彼女はとびきりの笑顔を作った。 「お姉さま、くよくよしないで。そういう時は、私とお茶でも飲みながらおしゃべりしましょう。そのあとは甘いものを食べて、私の家に行きましょう」 「ごめん、そういう気にもならなくてさ……なんだか、セーナにも悪くて」 セーナの笑顔が消えた。 「わ、わたしに悪い?」 「うん。だってあんなに熱心にアドバイスをくれてさ……。うまくいった時だって一緒に喜んでくれたのに。たぶん、グランが怒ったのだって、セーナのアドバイス通りにできなかったんだよ。どこが悪かったのかわからないけどさ、やっぱりあたしなんかじゃダメだったんだ。セーナ、どうもありがとうね」 「そ、そんなことないですよ。とにかく行きましょう」 「ダメだよ。もうダメ……。あたしはさ、一人寂しく生きることに決めたからさ……セーナも、いいんだよ。もうあたしのことなんて気にしないで、大丈夫だから」 セーナは、いっきに真顔になった。 「お姉さま」 「なに?」 セーナはアイの手を取って、言った。 「ちょっと、待ってて下さいね」 セーナは背を向けて出て行った。アイはきょとんとしながらそれを見送った。 しばらくして、ドアがノックされた。 アイがドアをあけると、グランがいた。 「グ、グラン」 グランはうんざりした表情で、ため息をついた。 「ほんっとに、バカだよな、お前」 「もう、あんたになんか関係ないだろ」 「あるよ。大アリだ。……改めてお前には、いろいろと話して教えてやる必要があると心から感じた。だから、入れてくれ。きょうは休むんだろ? その顔を洗ったら、デートに行こう」 アイは「なんで? なんで?」と困惑しつつも、いっきに元気を取り戻して彼を中に入れた。 セーナはそれを遠目から見ていた。 ああ、私ったらどうして。あのグラン・グランに頭を下げるなんて、狂ってるわ。 でも。 「お姉さまのあんな顔、もう見たくないし……なによりアンフェアだったわ。ゴメンね、お姉さま。今の私に資格はないけれど……いつか正攻法であなたを虜にしてみせますわ」 セーナは家に戻った。 |