「グラニール」 ギドール・グレンは、広い階段の踊り場で息子に声をかけた。しかし、彼が気づかないみたいにして上へと向かっていくので、今度は少し声を大きくして名前を呼んだ。 「なんですか、お父様」 グラニール・グレンはようやく振り返り、とくに抑揚なく言う。ギドールはそれを見て、少しいらついた様子だった。 「メイドから聞いたのだが、お前、きょうも学校へ行かなかったそうだな」 「ええ」 グラニールは表情を全く変えずに行った。 「いいかグラニール。お前はグレン家のたった一人の息子なのだ。いずれはお前も、私と同じ魔法学評議員にならなくてはならない」 「わかっています」 「わかっていない。勉学に励まないと成し得ないことなのだぞ。まず学校で基礎を学ばねば、魔法学は身に付かない」 グラニールは父親が怒っているのを見て、ようやく頭を下げた。 「申し訳、ありません」 「いいかグラニール。明日は行くんだぞ」 「はい」 グラニールは背を向け、再び階段を登り始めた。 「待ちなさい」 二階の部屋の前に、ミレーヌ・グレンが立っていた。 「グラニール、本当に行く気、あるの」 グラニールは黙って首を振った。 「だめよ、学校は行かなくちゃ」 「姉さんは関係ないだろ」 「あるわ。私は女だから、どんなに勉強しても評議員にはなれないの。あなたしかいないのよ、グラニール」 「僕は、もう学校なんて行かない」 グラニールは姉を押し退けて、部屋に入った。 「全く、グラニールにも困ったものだ」 ギドールは書斎の机に腰掛けてつぶやいた。 「突然学校へ行かなくなるだなんて、どうなさったのでしょう」 近くに立っている執事が心配そうに言う。 「フン、私が知るものか。とにかくあれには今は学んでもらわなくては困る。メッサラよ、明日もグラニールが家にいるようなら、なんとしてでも学校へ行くように言え。明日も早いので、私はもう眠る」 メッサラは頷いた。 グラニールは部屋のベッドに寝そべって、目を閉じた。 彼は、これまで何の疑問も抱くことなく、学校へと通い続け、魔法学を学んでいた。 しかし、ある日唐突に気がついてしまった。 どうして勉強するのだろう。 もちろん、父親と同じ評議員になるという目的がある。 だが、それだけのために、僕の人生というものはあるのだろうか。 少なくとも彼にとってそれは、簡単に答えの出るような問題ではなかった。 そのことを姉に一度相談したら、こう言われた。 「なにをバカなことを言っているの? グレン家に生まれたから、魔法を勉強して評議員になるのよ。近所のマリーエルさんもそうでしょ」 マリーエルさんの家も、ずっと評議員の家系だ。グレン家もそうだ。 だから勉強する。姉の言うことは正しいような気もする。 でも、もうそれで決まりなのだろうか。 僕の人生は、生まれた瞬間にもう全部決まりきってしまっているのだろうか。 その日からどうにも気持ちが悪くなって、グラニールは学校へ行けなくなってしまっていた。 翌朝、執事のメッサラが執拗にけしかけるので、グラニールは仕方なく準備をして屋敷を出た。 しかし、その足はどうしても学校へは向かない。 彼はあてどもなくリスタルの街をさまよい歩き、小さな公園のベンチに腰掛けた。 もう昼の授業が始まるころだ。 今日はハーモニクスの勉強の続きだ。確か、先生が重要なところだと言っていた。このままだとクラスで遅れを取ってしまう。 やっぱり、行かなければならないのだろうか。 僕の考えは、ただの逃避なのかもしれない。 でも、せめて納得できる答えが欲しい。 グラニールはため息をついて、魔力≠起こしては消し、それをぼおっと眺めていた。 しばらくそうしていると、どこからともなく大声が飛び込んできた。 「おい、少年。そこの少年」 グラニールがみると、声の主は薄汚れた中年男性だった。彼は三十センチくらいの巨大な針のようなものを地面に置いて、がちゃがちゃと何か作業をしていた。 「聞こえているか、少年。聞こえているんだろう」 グラニールは男のいうことを無視して、本を開いた。 なんなんだ、この人は。気持ちが悪い。 「無視するなって。おい。手伝ってくれ。暇なんだろ。暇なんだよな。こんな時間にそんなところにいるなんて、暇だってことだよな」 「おじさんもね」 男はそれを聞いてすくっと立ち上がって手を広げた。 「私が暇に見えるのか!? これが魔術の実験には見えんというのか! 君の目はきっと腐っているから、すぐに病院へ行け」 「見えないよ。いったいなんだい、そのへんてこな装置は」 男は形容詞が気に食わない様子だったが、すぐに作業に戻った。 「知りたかったら手伝ってくれ。私は天才だが、あろうことか装置の起動が一人ではできないことに気がついた。暇人は天才を手伝え。そのくらいの社会奉仕はしろ」 グラニールは「天才」という言葉に思わず笑いそうになったが、確かにやることもないので、ちょっとした気まぐれで彼の手伝いをすることにした。 「ちょっとくらいなら。なにをすればいいんだい」 男はにやりと笑った。 「わかればいいのだ。そこの魔導線に魔力≠流し込んでくれ」 グラニールは魔力≠練って、魔導線に手をかけた。 線に魔力≠フ火がついて、ちりちりとさっきの針へと向かってゆく。どうやらつながっているらしい。 「よし。では少し離れるといい」 二人が離れると、しゅん、という音とともに針が上空へとうち上がった。グラニールは驚いて腰を抜かすところだった。 「おい、おじさん! なんだよ、これ!」 男はなにも言い返さず、真剣そうに上をのぞき込んでいた。グラニールも仕方なく、それに倣った。 そのとき、上空の魔法障壁がものすごい音を立てて火花を散らし始めたのが見えた。きっとさっきの針がぶつかったのだ。 「ちょ、ちょっと! これって、まずいんじゃないの!?」 「凡人は、だーまっとれ」 男はそれだけ言って、しばらくその様子を眺めていた。 火花は唐突に止んだ。グラニールが「あっ」と言う前に、魔法障壁の真ん中に小さな穴があいた。 穴はぐわり、ぐわりと少しずつ大きくなっている。 グラニールからすればとんでもないことだった。リスタルの魔法障壁は街の象徴だ。 「な、な、なんてことを!」 しかし、男はそれを見て大笑いしていた。 「はっはっは、見ろ少年! リスタルの歴史ある魔法障壁に、穴があいてるぞ! こんなの見たことないだろ! わっはっはっは!」 グラニールが「この男と関わるのはまずい、逃げよう」と決意したその時、公園にフードをかぶった男たちが何人かやってくるのが見えた。胸にはリスタルの町章がついている。治安維持などを行っている魔法兵団だ。彼らは男を見て声をあげた。 「やっぱりいたぞ、教授だ!」 「捕まえろ!」 教授と呼ばれた男はそれを見て舌打ちした。 「ちっ、めんどうなことになった」 グラニールはなにを今更、と手を広げた。 「当たり前だよ! バカじゃないのか、あんた」 「話はあとだ。ひとまず逃げるぞ、少年」 「冗談じゃない! 僕はなにも知らなかったんだ!」 男は腕をクロスして魔力≠練ると、逃げようとするグラニールをつかんで、地面を殴りつけた。 一瞬にして二人は姿を消した。 「よし、ついた」 男はグラニールを投げ捨てるようにしておろした。 グラニールはすぐに文句を言うつもりだったが、ふと周りを見て表情をかえた。 「な、なんだよ、ここ」 二人はさっきの公園ではく、どこかの路地裏にいた。グラニールは空に立つ障壁塔を見て、さっきまでいたところからかなり離れた場所にいるのだと理解した。 「うそだろ。一瞬で、こんなに移動したっていうのか。今のは『リターン』でもなかった。まるで瞬間移動だ」 「凡人には理解できんだろうが、こんなことは天才ならば朝飯前なのだよ、少年。ところで……」 男はそこまで笑みを作っていたが、そこで表情を失わせた。 「お前、学生だろう」 グラニールはうつむいた。 さっき、この男が「教授」と呼ばれたのを確かに聞いた。こんななりをしているが、実は学校の偉い人なのかもしれない。 「名前は」 「グラニール・グレンです」 グラニールは仕方なく答えた。 「グラニール……。名前の由来は、グラニール・フェルディナンドと見た」 グラニール・フェルディナンド。障壁塔建設の基礎を築いたリスタルの偉人。すでに故人。 グラニールは頷いた。 男はしばらく何かを考えていたようだったが、ふと手を打った。 「じゃあ、『グラン』だな」 「なにがですか」 「あだ名だよ。呼びにくいだろう、グラニールって。それに実のところ、私はあのじじいが大嫌いだったんだ。だからお前をそう呼びたくない」 「おじさんは、一体何者なんです」 男は思い出したように礼をした。 「おっと、失礼。私はレイヴン・ステアという。リスタル魔術大学で教授をしている」 グラニールは思った。 やっぱりそうだった。この男も、きっとこれから勉強しろと僕に言うのだろう。 「が、」レイヴンの言葉は続いた。 「サボって魔法障壁に魔石で作った釘を刺す実験をしていたところだ。つまり、天才と凡人という越えがたい差はあるが、お前と私の状況は似たようなものというわけだ」 グラニールは意外そうにレイヴンを見た。 「ステアさん、どうしてそんな妙なことを?」 レイヴンはそれを聞いてうんざりした様子だった。 「全くこれだから凡人は困る。いいかいグラン。あの魔法障壁はすごい。本当にすごい発明品だ。フェルディナンドのじじいが自分の半生をかけて開発した代物だからな。だからぶち壊せるかどうか試してみた」 グラニールにはわけがわからない。 「なぜ?」 「意味などない。強いて言えば、私がやりたいと思ったからやってみた。実際どうだ、すごく面白かった! もう、見たところ元に戻ってしまったようだから完全崩壊とはいかなかったがな、きっとじじいが地獄から歯ぎしりして悔しがるくらいにはうまくいったはずだ」 レイヴンはそう言ってまた笑った。 意味などない。 グラニールは少なからず、その言葉に衝撃を受けた。 「どうだグラン。どうせ今日は一日サボる予定なんだろう。今日はまだ実験を続ける予定だから、私の手伝いをしろ」 「い、いえ。僕は学校に……行かない、と」 レイヴンはそれを見てにこりと笑った。 「もちろん学校も大事だがな。君はなぜあんなところにいた? 当ててやるよ。行きたくなかったんだ、楽しくないから。それで、私が教授だと知って、私が魔法学校に連絡でもしないかと思って心配になり、とりあえず行く意志を言葉にしてみた。でも、どうしてもつっかえてしまう。本当のところは行きたくないからだ」 グラニールははっとした。出会ってまだ数分だというのに、考えを全て当てられた。 「そ、そうです……でも、勉強しないと」 「だったら私の手伝いをすべきだ。そんな顔をして受ける授業など意味がない。とにかく来い。私がもっと有意義な時間をくれてやる。学校はもうサボれ」 レイヴンは手招きして歩いていった。 自分から「サボれ」なんて言う教授がいるなんて。グラニールは、この男に強くひかれる自分に気がついた。 「じゃ、じゃあ、せっかくだし、お手伝いします」 「おっと、気持ちが悪いのでそろそろ敬語はやめてもらいたい。天才は凡人に等しく接する。だから凡人もそうしろ。私のことはレイヴンと呼べ。そしてお前とは今から友達だ、グラン」 レイヴンの笑顔につられて、グラニールも笑った。 グラニールはレイヴン教授に連れられて、町のはずれにある彼の研究所で手伝いをした。 レイヴンの研究は、グラニールにとって理解しがたいものばかりだった。レイヴンもとくに、説明してはくれなかった。 しかし、学校の授業とはなにもかもがひと味違っており、やっているうちに夢中になった。グラニールは久しぶりに楽しい時間を過ごしていた。 「ありがとう、グラン。今日は君のおかげでだいぶ進められた」 窓に映る夕日を見ながら、レイヴンが言った。グラニールはまだ作業をつづけている。 「レイヴン、まだこっちが終わっていないよ」 「もう学校も終わる頃だ。早く帰らないと親に怒られるぞ」 「待ってよ、せめてこれだけ終わらせたいんだ。それにさ、僕、決めたんだ。これからもレイヴンの実験を」 「それはダメだ」 レイヴンが先に言った。 「魔法の基礎も覚えていない奴なんぞに、私の実験の手伝いなどさせられん」 「言ってることがさっきと矛盾してるよ」 レイヴンは仕方ないと言った様子で立ち上がると、腕をクロスして魔力≠練った。グラニールはそれを見て思わずびくりとした。こんな部屋で練るにしては魔力≠フ量が多すぎる。すでに大魔法クラスの魔力≠ェ蓄積している。 「レイヴン、なにを!」 そこまで言ったところで、レイヴンはクロスした腕を上に掲げた。 グラニールはしばらく目をつむっていたが、何も起こらない。彼は恐る恐る目を開いた。 「うわ……」 部屋じゅうがきらきらとした虹色の光に包まれていた。レイヴンがすぐそばに立っている。グラニールは驚いて何もいえない。 「大魔法でも使うと思ったか。こいつはマジック・アートという。私はこれの研究も進めているが、ご多分にもれず、そんなことをして何になると言われつづけている。だがなグラン、魔力≠ニいうのは、可能性の結晶だ。だからこういう、言ってしまえば意味のないものがあってもいいのではないかと私は考えている。だって面白いだろう。面白いものは笑顔を作る」 レイヴンはにやりと笑う。グラニールは豹変した部屋の様子に完全に見とれていた。 「しかし、こういった新しい試みは全て、現在の魔法学が地盤になっている。だからおまえはもっと基礎を学ばねばならない。だから明日からはちゃんと学校へ行け」 レイヴンが指をたたくと、光が消えた。グラニールは一瞬にして現実へと戻された。彼は帰り支度をして、ドアの前で礼をしてドアに手をかけた。 「ああ、ちょっとまて。一つ頼みたいことがある」 すでに自分の机に戻って、作業を再開しているレイヴンの方から声が聞こえてきた。 「学校に行ってきちんと勉強した後に手伝いに来てくれるような熱心な学生を探している。もしそんな奇特な奴がいたら、ぜひ教えるように」 グラニールはとたんに笑顔になった。 翌日から、グラニールは学校へ戻った。 魔法の他面性を知った彼は、前よりも熱心に勉強をするようになっていた。成績もぐんと上がった。 授業が終わってからはレイヴンの家で手伝いをする日々が何年か続いた。 グラニールは、あんなに嫌いだった勉強が、いつしか大好きになっていた。 「レイヴン、来たぜ」 グラニールはいつものように研究所のドアを開けた。とたん、その場から炎がごうっと上がった。 「わはは! ひっかかったなグラン。この天才が新たに開発した魔具『スペードの四』は、地面に炎の壁を作る! マジック・アートの仕掛けとしても利用可能だ」 レイヴンが大声で笑いながら現れた。グランはすんでのところでそれをかわしていた。 「この、アホレイヴン! 殺す気か!」 「こんなくらいで死ぬようなタマか。全く生意気に成長しおって。敬語を使わんか」 「最初に使うなって言ったのはてめーだろ。だからそういう風に成長してやったんだ。何事もやりたいように、ってな」 二人はそんなやりとりをしながら、作業に入る。 「そういえばグラン、また試験で落第したそうだな。今度は何をした」 「ああ、あれね。先公の掲げる理論が気に入らなかったから答案用紙を燃やしてやったんだ」 「バカなことを。そんなことを続けていては評議員にはなれんぞ」 グラニールは机をたたいた。 「だから、ならねーって言ってるじゃねえか。俺はやりたいようにやる。あんたみたいにな」 レイヴンは作業を中断し、真剣な表情で彼を見た。 「やめておけ。私のようになるぞ」 レイヴン・ステアは、実験や研究が魔法学界から理解されず、数年前に教授の地位を剥奪されていた。生活も苦しくなり、現在ではすっかりとやせこけている。 「かまわないって」 グラニールは笑いながら言ったが、レイヴンの表情は変わらなかった。 その日の夜、二人が作業を終えて片づけをしていると、ノックの音が聞こえた。 「誰だ、こんな時間に」 「お邪魔させてもらいます」 ミレーヌ・グレンだった。グラニールは姉をにらみつけた。 「何の用だ」 「グラニール、お父様がすぐに家へ戻れって。あなた、今回も落第したそうね。あなたが勉強をまじめにやるようになったから、レイヴンさんとのことは大目に見てもらえていたのに……これでは一族の面目が丸つぶれだって、相当怒ってるわ」 グラニールはミレーヌに食ってかかった。 「知るかよ、そんなもん!」 「やめなさい、グラン」 レイヴンは彼を手で制し、ミレーヌに頭を下げた。 「すまない。今回のことは私のせいだ。グランは相手の教授が私を追い出した連中の一員だと知っていた」 「やめろよレイヴン、そんなんじゃない! あんたは天才だ! 天才は人に頭を下げたりしないって、前に言ってたじゃねえかよ!」 ミレーヌはしばらくそれを見ていたが、やがて魔力≠練り、グラニールを拘束した。 「レイヴン教授……いえ、元教授でしたわね。何年か前、あなたのおかげでグラニールが勉強を再開したことについてはとても感謝しています。しかし、見ての通り弟は、あなたの影響であまりよくない方向に成長しつつあります。これ以上父を怒らせると、どうなるか私にもわかりません。そろそろ、縁を切るべきです」 「レイヴンは関係ねえ! 何かしたら、家を燃やすぞ!」 ミレーヌはグラニールをにらみつけて黙らせると、彼を連れて家に戻ろうとしたが、レイヴンが彼女を呼び止めた。 「なにか」 「ひとつだけいいだろうか。グランはいい子だよ。教授の地位を失って困窮している私を、いつもこっそり助けてくれる。悪い方向だなんてとんでもない。彼はいい子だ。それだけは、言っておくよ。グランにはね、素直になれるような状況がないだけなんだ。そういう友達が、いないだけなんだ」 ミレーヌはしばし無言だったが、一言だけ言った。 「この子の名前はグラニールです」 「グラニール」 ギドールは、目の前で正座する息子の名を呼んだ。しかし、彼はそっぽを向いている。 「グラニール。こちらを向け」 「……はい」 「お前が今回やったことが、どういう意味を持つのかわかっているのか。こともあろうに、私とも交流のあるミロッソ教授の授業で厄介を起こしたんだぞ。お前はグレン家の名に傷をつけた」 グラニールは何も言わない。 「ステア元教授が、そうしろと言ったのか」 「違います! そんなことするもんか!」 「口を、慎め!」 ギドールは息子をどなりつけた。 「とにかく、今後彼と交流することを一切禁止する。ただでさえ、あの男は昔から評判が悪い」 グラニールは地面に伏せたまま、ぎりと唇をかんだ。 「今から、ミロッソ教授の家に行って謝りに行く。着いてきなさい。ステアのことは忘れろ。あの男は愚か者だ」 グラニールの拘束魔法が解けた瞬間、彼は地を蹴り、父を殴った。 ギドールは驚きのあまり、目を見開いて息子を見た。グラニールは興奮のあまり、息切れを起こしていた。 「名前が傷つくことが、そんなに嫌なのかよ! ミロッソは卑怯者なんだぞ! あいつが、レイヴンを追い出したんだ! あんな奴をかばうのが魔法評議員なのかよ! そんなのだったら、俺……もう嫌だよ! 魔法評議員なんか、絶対にならねえ! この家も出ていく!」 大声を聞きつけ、執事のメッサラやミレーヌが部屋に入ってきた。ミレーヌはすぐにグラニールに平手打ちをした。 「やめろ、ミレーヌ」 ギドールはゆっくりと立ち上がった。 「お前の言いたいことはよくわかった。しかし、物事はもっと多面的に見ろ。ステア元教授のことを、お前は知らなさすぎる」 そんなことあるもんかと言い返そうとするグラニールだったが、ギドールに捕まれ、何もいえなかった。 「あの男は、もうじき捕まる運命だ」 グラニールにはわけがわからなかった。 「気がつかなかったか。この数年、あの男がどうして職もないのに生きていられていたのか。近頃、王都マグンで魔法を使った犯罪が増えているそうでな。騎士団がある犯罪組織を捕まえた。するとどうだ、組織はあの男が作った魔具を大量に所持していたそうだ。あの男は、おまえに手伝わせて作った魔具を犯罪組織に売っていたのだ。おまえは、その片棒をかつがされているんだ!」 グラニールの顔が凍りついた。 「なに、言ってんだ……? そんなわけ、ねえじゃん……。レイヴンの研究は、魔力≠もっと、おもしろおかしく使うって……」 「炎の壁を作る」 ギドールの言葉に、グラニールがはっとする。 「自分の姿を変える。音を消す。目の前を暗くする」 グラニールはひざをつく。 「覚えがあるだろう。全て、犯罪組織で押収されたものだ」 「うそだ。うそだ。うそだ」 「現実を見ろ」 「嘘だ!」 グラニールは父や執事たちを突き飛ばして家を出ようとしたが、ギドールに頭を捕まれると、催眠魔法をかけられた。 うそだよな、レイヴン? あんたが、そんなこと…… グラニールはそうつぶやきながら、眠りに落ちた。 その翌日、魔術師レイヴン・ステアは魔法兵団と王都騎士団によって逮捕された。 グラニールは新聞でその事実を知って、絶望の淵にたたされた。ギドールも、ミレーヌも、執事やメイドたちも、誰も声をかけてくれなかった。 グラニールはその夜、ミロッソ教授のところへと行き、彼に謝罪した。 そうして彼の生活にレイヴンが消えてからしばらく経ったある朝、いつものように新聞に手をとると、見覚えのある名前が目に入った。 「レイヴン・ステア裁判、決着」 グラニールは一瞬目をそらしたが、決意してその記事を読んだ。 「犯罪組織との関係について、レイヴン・ステアは『知らなかった』と現在も主張し続けている。王都裁判所ではこれを棄却したが、彼のリスタルでの業績を鑑みて、ギルド「エスペランサ」のハイ・ウィザードとして条件付きで入所させ、マグン第百三十五勇者パレット・ストラウフの魔王討伐隊に加わることが決まった。」 グラニールはそれを見て、みょうだと思った。 どうして主張が棄却されたのに突然、勇者のパーティになんか入るんだ? 彼はどうにもそれが気になってしまい、気がつけば学校をさぼって王都行きの乗り合い馬車に乗っていた。 |