「グラン、か」 マグン城でかけあうと、あっけないほど簡単にレイヴンと面会できた。檻越しに手錠を繋がれた彼の毛髪はすべて白髪になっていた。 「レイヴン。久しぶり……だね」 グラニールはなんと言えばいいのか、自分でもよくわからなかった。 「まあ、見ての通りだ。天才のはずが、かっこわるいところを見せてしまったな」 レイヴンは手錠を見せた。 「あんたさ……なんで、黙ってたんだよ」 レイヴンはしばらく無言だったが、突然笑いだした。 「これが傑作でな。ある夜のことだった。突然傷だらけの男が家にやってきたから、手当てをして、いろいろと私の研究を見せてやった。そうしたらこれが大興奮でな。あまりに受けたから、一つ譲ってやったんだ。そしたら、数ヶ月してそいつが戻ってきて、あれをもっと作って売ってくれと言い出したんだ。あとはたぶん、新聞に書いてある通りだ」 そのあと、彼はぽつりとつぶやいた。 「悪かった。おまえをだます結果になった」 「そんなことねえよ! どうせ、そんなことだろうと思ったよ。あんた、天才だけどバカだからな」 「恩師に向かってバカと来たか。まあ、だいたい当たっているが」 「でもよかったじゃん。いきなりギルドのハイ・ウィザードになることが決まったんだろ? それで勇者と旅に出るって書いてあった。なんかよくわからねーし、悪いことをしたってことになってたけどさ、きっとあんたの研究が認められたんだ。魔王さえ倒せば、戻ってこられる」 レイヴンは自嘲ぎみにほほえんだ。 「ふふ……。そうだったか。では、これまでだな」 グラニールから笑顔が消える。 「なに、言ってんだ?」 「グラン、勇者のシステムのことは知っているな」 「あ、ああ。王都から派遣してるって奴だろ。魔王を倒すためにさ」 「そうだ。体面上はな」 「どういうことだよ」 「私はかつて、魔界近くまで旅をして魔力≠フ測定をしたことがある。けた違いだった。それこそ、人間が勝てる相手ではない。魔界付近のモンスターの魔力≠セけでも、そこらの精霊より上だった。相手にならない」 レイヴンは息をついた。 「王都はそれを知っていて、勇者を派遣している。少し考えればこれがどういうことを意味しているのか、わかるはずだ」 「どういう……ことだよ! これまでって、なんだよ!」 「グラニール・グレン様。お時間です」 グラニールの後ろで控えていた兵士が言った。グラニールは追い出されるようにして城を出た。 レイヴンは兵士に抵抗するグラニールに言った。 「あの場所を見ることを許す」 グラニールはわけもわからず、研究所だった場所に戻ってきた。現在は魔法兵団によって焼き払われ、やけ焦げたがれきだけが転がっている。 あの場所。研究所の外にある木の下のことだ。レイヴンはたまに、ここで何か作業をしていたが、誰にもその内容を教えてくれなかった。グラニールは何度かこっそりと見てみようかと思っていたが、一度彼に見つかって大目玉を食らったことがあった。 木があった場所をようやく見つけ、グラニールは掘り出した。 しばらくすると、鉄でできた金庫のようなものが出てきた。 金庫には鍵がかかっていなかった。中には紙と本が入っている。 グラニールはまず、本を開いた。 これは、見覚えがあった。レイヴンが書いていた魔具や研究の覚え書きようなものだ。だが肝心の製造法については書かれていなかった。おそらく意図してこうしたのだろう。 レイヴンは自分の研究が犯罪にも利用できることを、理解していたのだ。 グラニールは少し、悔しくなった。 もう一つは分厚い手紙。グラニールはそれを見た。 「グラン・グレンへ」 グラニールはあたりを見渡し、人のいない路地裏へと走ってそれを開いた。 「グラン・グレンへ。まず一つ。私は天才ではない。勘違いだった。私は道を踏み外した。もう、戻れないところまで来てしまった。おもしろいことなど、できはしなかった。いずれ、お前とは別れることになるだろう。その時に、ひとつ頼みたいことがある。私の研究の集大成を、お前にやってもらいたい。私には時間がもう残されていない。それだけが私の心残りだ。次に、お前の魔法について。あえて助言をしなかったが、お前は火炎系統の魔法に才能がある。これからは大学に行って、そちらの方面を研究しろ。私のようにはなるな」 裏には、「研究の集大成」と思われるものの設計図が書いてあった。 そしてもう一つ。「いつか使うべき時のために」というメモとともに、何かが記してあった。 グラニールはそれを見て、つうと涙を流した。 「けっ……じじい。めんどくせえ奴だな、ほんとに」 そこには、グラニールの魔力≠フ質に合うであろう魔法の作り方などがいくつか書いてあった。 そして最後に、「ありがとう」と。 数日後、レイヴン・ステアは死亡した。 彼を含む勇者一行は王都を出た翌日、精霊に遭遇してあっけなく全滅した。 グラニールには、なんとなくわかっていた。 彼はそんなことよりも、レイヴンの研究の集大成を作り上げることに必死になっていた。学校も休み、三日三晩眠らずに作り上げたそれは、初めて会った時に見た、あの奇妙な針だった。 グラニールはあの時の公園まで行き、魔導線に手をかけた。 しゅん、と、釘が打ちあがる。 「おいあんた、何やってるんだ」 不審に思われたのか、誰かに声をかけられた。 「凡人は、だーまっとれ」 グラニールは、上空をじっと見つめた。 釘はバチバチと音をたて、上空の魔法障壁にぶつかった。 そして、とうとうそれを貫いた。 障壁が完全に消え、リスタルの空に星がまたたいた。人々が騒ぐのが聞こえた。 「くっだらねえ……」 グラン・グレンはむきだしの夜空を見て、そのままリスタルの街を出ていった。 「そう……そういうことだったのね」 アイリがつぶやいた。グランは、その場に伏せている。 「つらかったわね、グランくん。いえ、グラニールと呼ぶべきかしら。あなたは恩師をなくして、リスタルを出たのね」 アイリはネックレスを掲げる。 「それでこれが、そのレイヴンさんが作った魔具なのね。興味深いわ。どうしてこんなものを作ったんでしょうね」 グランは顔を地に伏せたままだ。 「ごめんね。ショックだった? でも、趣味なのよ。この魔具があれば、相手のことを深く知ることができる。そして、それに沿った幸せな夢も見せてあげられるわ。グラニール。本当につらかったわね。これから楽しい夢を見せてあげる。そうして、あなたはそれから離れられなくなる。つまり、私からも……」 「やめろ。俺をその名前で呼ぶな。俺は、グラン・グレンだ」 グランはようやく声を出した。 「絶望のあとの快感って、本当に利くのよ。絶対病みつきになるわ。グラニール」 「やめろって、言ってんだ」 グランは立ち上がった。 「あいつがどういうつもりでそれを作ったのなんて知らないし、お前がどう思ってそれを使っているかなんてことも、知りたくねえ。ただ一つ、俺はあの時に決めた。レイヴンの魔具を、全部ぶっこわしてやるってな。せめてこれ以上、あいつの名前が汚れないように」 「でもそれって、レイヴンさんの願いと違うわよね。あなたはそれでいいの」 「それでいい。俺が勝手にやってることだ。あいつは関係ない」 アイリはそれを見て笑いだした。 「不器用な友情ってところかしら。でも無理よ、これは壊せない。どういうことか知らないけれど、大魔法クラスでも壊れない。ほら、座りなさいよ。続きを……」 アイリがそこまで言ったところで、グランは腕を組んで魔力≠練った。 「いつか使うべきときのため」に、レイヴンはグランにいくつかの魔法を残した。 彼のメモにはこう記してある。 「私の魔具には、特殊なコーティングがしてある。かなり複雑に術式を組んであるので、これはほとんど呪いに近いものと言って過言でない。私はこれによって、魔具が壊れやすいという弱点を克服した。しかし、ここで問題が生じる。それをいざ分解や廃棄したいとき、どうするのか? 答えは簡単だ。術式と真逆の理論で構築した魔法を用意すればよい。お前にいつか、私の研究が妨げになるような日が来てしまった時のために、これを託す。なお、魔法の名前には外国の古代文字を拝借した。それも含め、お前にぴったりの魔法だ」 グランは魔力を指に集中させた。周囲から炎が起こった。 「レイヴン、久々に借りるぜ。『紅蓮』」 一瞬だった。炎の線がびゅっと走ると、アイリが持っていた魔具がばらばらに吹き飛んだ。 彼女はそれを見て、あからさまに狼狽した。 「えっ……なに、いまの。あんた、なにをしたの」 「教えねえ。もうあの魔具のことは忘れろ。レイヴンの魔具は、中毒性とか影響力がけた外れに強い。良きにしろ悪きにしろな。今みたいに使い続けてたら、数年で廃人になることもある。決してあんたのことを幸せにはしないよ」 アイリはしばらくぷるぷるとふるえていたが、耐えられないと言ったふうに笑い出した。 「あーあ! なんだもう! 私たちのところに来るっていうのも全部、嘘だったのね」 「悪いね、俺も嘘つきなんだ。……ごめん。俺には他に、好きな人がいるんだ。あんたにはついていけない」 アイリはうなづいた。 「不思議ね。さっき一瞬、あなたのことを殺そうかと考えた。だって大切な商売道具を壊されたんですもの。でも……なくなってみてわかったの。あれの虜になっていたのは、私の方だった。確かにあの魔具は、危険なものだったのね」 グランは、彼女の物分りの良さに少し驚いた。 「呪いみたいなもんだよ。まあ、あんたみたいなのは稀だけれどな」 「でしょ。私って特別な女なの。でも、今回は見込みなさそうね。とりあえず今日のところは引き下がることにするわ。……どうも、ありがとう」 「礼を言われるようなことはしてねえ。こちらこそ、バカな師匠が迷惑かけたな」 グランはテントを出た。 すぐ外に、アイがいた。 二人の目が合うと同時に、沈黙が訪れる。 「聞いてのたか、全部」 グランがそれを破った。アイは頷いた。 「うん。それどころか、見たよ……。あんたの、昔のこと。断片的にだけどさ」 グランは眉をしかめた。きっと、近くにいたのが災いしたのだろう。 「悪かったな、余計なもん見せて」 「そ、そんなこと、ないよ! グラン、どうして今まで言ってくれなかったのさ」 「お前に言って解決する問題じゃねえだろ」 「まあ、そうだけどさ……少しくらい、共有したかったっていうか……付き合い、もう長いんだしさ」 「レイヴンと俺、七年。俺とお前、一年半」 「わかってる。わかってるよ……でも! あたしは! あんたのことが」 アイが決意したそのとき、グランが手を上げてそれを止めた。 「そこから先は、こっちが言うよ。気分がいいから素直になってやる。俺、お前が好きだ」 アイは、「えっ?」と首をひねった。 「は、へ? いったい、なに? 言ってるの?」 グランはその様子を見て大笑いした。 「悪い、嘘だ」 アイはとたんに表情を戻す。 「な、なんだよ、もう……からかうな」 「ってのも、嘘だ」 グランはそう言って、彼女と唇を合わせた。 アイの思考は完全に停止した。 グランはその様子を見て、にやりと笑った。 「ははは。お前は肩肘張ってきばるからいけねえんだよ。だからこの間は失敗したんだ。こういうのは、こっちに任せてくれればいいんだ。もう気絶は勘弁だぜ」 アイはすぐに正気に戻って、また頭を抱える。顔がこれまでにないほど真っ赤になっている。 「えっ、うそ! なんで! なんなの? さっきから意味がわからない! なんで知ってるの?」 「俺は嘘つきなんだ。……と、言いたいところだけどよ。さっきの魔具で、全部思い出した。あれは人の記憶を一気に掘り返すからな。とくに……楽しかった思い出を、よ」 アイはそれを聞いて、とたんに泣き出した。 「おいバカ、なんで泣くんだよ」 「良かった。良かったよお。グランが行かなくて、本当によかった……。素直になって、本当によかった……。ねえ、一つだけ教えて。あたしのことを、いつから好きになってくれたの」 グランはぷいと顔を背けた。 「知らねえよ」 「ねえ、教えてよ。だって全然気がないと思ってたんだもん」 グランは言いたくなかった。 いまから数ヶ月前、グランがアイの家に通って勉強をしていた時期があった。それは、いい夢を見るからだという、彼女の期待とは遥かにかけ離れた理由からだった。 「最近、噂になってるぞ。なんでアイの家に泊まったりしてるんだ。おまえら、付き合うことにしたの?」 リブレに聞かれて、グランはこう答えた。 「……まさか」 それは本心からだった。 しかしリブレは笑った。 「なんだあ。アイが悔しがるぞ」 「はあ? 何言ってんだ」 「あいつさ、この数日興奮して寝付けなかったんだって。今日の顔なんてひどかったぜ。目にくま作っちゃってさあ。あーあ、二人が付き合ったら面白いのに」 このときグランは初めて、アイが自分のことを好きなのだと知った。 「くだらねえこと言ってねえで、さっさと郵便配達行こうぜ。ゲレットのおっさんに怒られるぞ」 しかし、グランはその日から、自分の本当の気持ちに少しずつ気付き始めたのだ。 リブレが原因だなんて、グランは死んでも言いたくなかった。 「とにかく……行こうぜ。昨日、約束を破っただろ。仕方ねえから、今日は付き合ってやるよ」 アイは笑顔になった。 そうして、マグニア記の夜がやってきた。 「ねえ、リブレ」 リノがリブレの肩に手を置く。リブレは既にできあがってしまっていて、大声で騒いでいる途中だった。 「なに」 「見てあれ」 リノが指さす方向には、グランとアイがいた。二人は取っ組み合いをしている。 「お前のせいで二日連続で怒られたんだからな!」 「あたしのせいにするな! あんたが行きたいからって言ったからだろ!」 とうとうマスターが二人に割って入った。 「お前ら、うるさいぞ! 今日は稼ぎどきなんだ、静かにしろ。グランは仕事しろ!」 リブレはそれを見て、もう一度リノを見る。 「なんだよ。いつもどおりじゃん」 リノは満足げにグラスを傾けた。 「子供ね」 |