王都マグンは、メーンストリートの露店街。 リノは日差しの強い喧噪の中を、早い歩調で進んでいた。お目当ては、愛用の理力≠回復する種である。毎日ヒーラーとして理力≠酷使する彼女にとって、この種は文字通り、商売のタネでもあった。 「リノ、リーノー!」 通りかかった露店から声が聞こえてくる。リノは振り返った。 「シャルル……悪いけど、あんたのとこには用はないの」 商人のシャルル・レザーニはそれでも表情を変えず、彼女を手招きした。リノはため息混じりに彼女の元へと近寄った。 「久しぶりなのに、つれないわねえ。昔から何度も一緒に冒険した仲じゃない。いわば親友なのよ、わたしたち」 「詐欺師と親友になった覚えはないわ。それにやめてよ、あんたみたいなオバサンと話をしてたら、こっちまで老けちゃうわ」 シャルルは首をすくめた。 「自分だっていい年のくせに。ちょっとあなた、本当に昔から変わらないわね。いったいどういう体の構造してるの? 見た目で得しすぎよ。もっとも、昔はそのせいでガキ扱いばっかり……」 「もう! だからあんたは嫌なのよ」 リノはシャルルの店を一瞥した。 「ふうん、相変わらず怪しいものばっかり売ってるのね」 「確かに、そう見えるかもね。みんな外国のものよ。この辺じゃまず手に入らないわ。わざわざ、遠出して仕入れて来たの。おかげでここに戻るまで半年もかかっちゃったけれどね」 確かに、見たことのないものばかりだった。シャルルはいくつか品物を手に取ってリノにすすめたが、彼女はそれらを全て突っぱねた。 「相変わらずなんだから。昔のよしみで、ひとつくらい買っていってよ」 リノはさっさと断って種を買いに行くつもりだったが、ふと、小さなバスケットに入っている銀色の太い指輪が目に入った。 「きれいな彫刻ね。これは……くすんでてよく見えないけど、鳥かしら?」 「そんなの、ただのアクセサリーよ。それより、こっちの敷物をおすすめするわ。見てよこの、かわいい刺繍!」 リノはどうしてか、その指輪に目をとらわれた。 「これ、ちょうだい」 「私の話、聞いてるわけ? まあいいや。三万ゴールドね」 思ったよりも高かった、というか、元々シャルルの商法はぼったくりである。しかしリノは金を支払った。 リノは種を購入して自宅へと戻ると、すぐに布をしめらせて、さっき買った指輪を磨き始めた。 十分もすると、指輪はピカピカになった。案の定、羽を広げる鳥の彫刻がしっかりと見て取れた。彼女にとって、とびきり好みのデザインだった。 「思わぬ掘り出しものね」 リノはそれを眺めながら、満足げにつぶやいた。 サイズはどうかしら。 リノは鳥の部分が自分から見えるようにして、薬指に指輪をはめた。 「うっ!」 そのとたん、突如として猛烈なめまいがおそってきた。 同時に理力≠フゆらぎを感じて、リノはうろたえた。まさか、「呪い」!? 必死になって指輪を抜こうとしたが、手にうまく力が入らない。 シャルルのやつ、なんてものを売りつけてきた……の。 リノは力を失いテーブルから崩れおちようとしていた。 だが。 幸運なことに、その衝動は拍子抜けするほどすぐに収まった。リノはテーブルに突っ伏して大きく息をついた。 「今のまま死んでたら、笑い話にもならなかったわ……」 理力≠フゆらぎも消えている。作った人間の魔力≠セかが、私の理力≠ニたまたま相反したのかしら。 人の念がこもった物には、まれに魔力≠ニか理力≠ェ宿るという。だとしたら、やっぱり掘りだしものだわ。それだけ本気で作った指輪ってことですもの。 リノはますます、この指輪が気に入った。 彼女は上機嫌で、「ルーザーズ・キッチン」へと向かった。 リノはそわそわした様子で「ルーザーズ・キッチン」に入った。 奇妙なことに、ここに来る途中、何度も通行人からの視線を感じたのだ。 「……っしゃいあせー」 だれた口調とともに、カウンターからグランが現れた。彼は先日からここで働いている。理由はとくに聞いていないが、なんとなく知っている。 「けっこうエプロン似合ってるわよ、グラン」 リノはからかって言ったのだが、グランは彼女をみたとたん、驚いた様子で表情を変えた。 「えっ!? あっ、ありがとう! さあ座ってよ! ここは初めてかい。ウマくはないけど、いろいろあるよ」 グランはニコニコしながらいすを引いた。 ……様子がおかしい。 「で、なになに。俺のこと知ってるわけ?」 「ひょっとして、からかってるの。だとしたらユーモアのかけらもないわね」 グランは神妙な表情をうかべた。 「うーん、もしかしてクエストで一緒になったとか? 君みたいな美人に会っていたら、忘れてるわけないんだけどなあ」 どうも会話が成立しない。 「それにしてもきみ、きれいな指してるね」 リノは自分の指を見た。 「んっ?」 圧倒的な違和感。彼女が見たのは、見慣れたそれとは違う、すらっと細くて長い指だった。 「なっ! なによ、これ!」 「おっと、失礼。気に障ることを言ってしまったかい? でも、きれいだよ。これは事実さ」 私の指じゃない! リノは自分の身体をぺたぺたと触った。 胸の辺りで柔らかいものが当たり、その手がつっかえる。見てみると、自分にはなかった、それでいて憧れていたものがあった。 「なに、なに、いったいなんなの!」 リノは立ち上がり、酒場のガラスまで走っていった。グランは首をかしげる。 ガラスに反射した自分の姿を見て、声も出なかった。 そこには高背でプロポーション抜群の、誰から見ても魅力にあふれた黒髪の美女が立っていたのだ。 「……どったの?」 「い、いえ」 リノがテーブルの方に座ると、グランは改めて水を出した。 「注文は?」 「アルタ肉。サラダもセットで。三十五番のぶどう酒もお願い」 「三十五? 通だね。待ってな」 グランはカウンターの奥に引っ込んで注文をマスターに伝えると、ガチャガチャと食器の準備を始めた。 いったいどういうことかしら。 というより、疑う余地もなかった。この指輪のせいだ。やはり、呪われていたのだ。よくよく見ると、着ている服も、とくに胸の部分を中心にピチピチだ。さっきの視線もこのせいだったのだろう。 しかし、身体そのものが変化するだなんて呪いは聞いたことがない。体の周りの光が屈折かなんかして、幻覚をみせているのかとも思ったが、この体はしっかりとさわれるし、何より服が窮屈だ。 外国の見知らぬ魔法、そう考えるのが一番妥当だった。 そして、それ以上に重要なのが……この姿だ。 外見だなんてくだらない。そう思って生きてきた。 だが、見事なまでに理想通りの姿になった自分を目の当たりにした今、そんな気持ちが生まれて初めて少しだけゆらいでいた。 「お待ちどう」 グランが食事とぶどう酒を持ってきた。よく見ると、いつもより少し量が多い気がする。とくにぶどう酒なんて、ほとんどグラス並々についである。思わず彼のことを見ると、なにも言わず笑顔でウインクだけした。 ほんとに顔だけだわ、こいつ。リノは食事を始めた。 「ねえ、それで君さ、名前なんていうの」 グランはカウンターにひじをついてしゃべりだした。リノは少し考えて、フォークをおいた。 「……レジーナ。レジーナ・フィラメントよ」 「へえ、可憐な名前だね」 彼女はほくそ笑んだ。いま、適当に考えた名前が可憐ですって。 こんなにおもしろい状況を、楽しまない手はないわ。リノは考え方を変えた。 「それでグラン君。私のこと、覚えてないわけ?」 グランはうろたえた。 「い、いや。覚えてるんだよレジーナ。君のことは、もう強烈に覚えてる。忘れるわけないだろ? 久しぶりに見て、あまりに驚いたもんでさ。思わず記憶が吹っ飛んだんだよ」 必死に話を合わせるグランに、思わずくすくすと笑ってしまう。 「そうよね。もし忘れていたのだとしたら、本当につらかったわ。私って、そんなに印象に残らなかったのかしらって。わざわざ、グラン君が働いているって聞いたから、ここにも来たのに」 その時リノは、グランの瞳に希望やら煩悩やら野望やらが、ぎらりと宿るのを見た。この男、こんなに考えが読みやすかっただろうか。 「そうだったのかい。もちろん、俺も君が来ることをずっと期待してたんだ。来てくれて、本当にうれしいよ」 「それで、グラン君、お願いがあるんだけど」 「なんでしょう」 「突然だけど私、お金を落としたみたいなの。この食事」 グランは手をさっと出した。 「みなまで言うなよ、わかってる。元々、君みたいな子にお金を払わせようだなんて思ってないよ。ここは俺にまかせな」 そこでずいと、グランの肩にマスターの手がかけられた。 「グラン、ウェイターの仕事あと三日分上乗せな」 「まかせろ」 グランは頼もしい笑顔でサムズアップした。リノは思った。バカだなあ、こいつ。 リノが普段の倍以上においしい食事を続けていると、ドアが開く音がした。 「いらっしゃ……なんだよ、またおめーか」 「なんだい、その言いぐさ。あたしは客だよ」 アイの声だった。グランの言動から察するに、彼女は何度もここに通っているようだ。 まったく健気ね。でも、おもしろくなってきたわ。 リノはちらりとアイを見た。アイはいぶかしげにして、彼女の横に座る。どうやらアイにも、レジーナの正体は見抜けなかったらしい。 「そんで、何にすんの? さっさと決めろよ、忙しいんだから」 グランは冷たく言い放った。アイは仏頂面になる。 「……ミストを」 「グラン君、彼女は?」 グランはレジーナを見て笑顔を作る。アイがはっとするのが横目に見えた。 「こいつはランサーのアイ・エマンド。噛みつかれたりしないように気をつけてね、見ての通り凶暴だから」 「あたしはそんなことしない! いいから早く持ってきてよ!」 「ほらね」 グランは奥に引っ込んだ。 アイはカウンターに肩肘をついて、レジーナをじっと見つめた。 「あんた、この辺じゃ見ない顔だね。名前は」 「レジーナ。レジーナ・フィラメント。あなたは、ここの常連なの?」 「まあ、そんなとこ。そんで……あんた、グランとどういう関係なの」 リノは思わず驚いた。アイの口調に明確な敵意が感じられたのだ。本当に噛みついてきそうな雰囲気すら漂っている。あからさまな対応の違いに腹を立てたのだろう。 レジーナは意味ありげな笑顔を見せた。 「さあ、どうかしらね。あっちがどう思ってるかなんて、知らないわ……」 アイはきっとレジーナをにらみつけたが、何も言わなかった。 さすがにこれ以上はかわいそうね。というか、マジに噛みつかれそうだわ。 レジーナは席を立った。 「グラン君、ごちそうさま。また来るね」 グランが食器の割れる音とともに走ってくるのが見えたが、彼女は振り返って店を出た。 帰宅後、リノはすぐに鏡を見た。 改めて、美人だと自分でも思った。さっきはガラスだったが、鏡で見ても疑う余地もなく美しい。 リノは指輪を外そうか迷った。こんなすばらしい呪いをといてしまっていいものだろうか? 念のため、シャルルに詳細を聞こうとメーンストリートに立ち寄ったのだが、彼女の露店はすでになくなっていた。となりの商人の話だと、王都で十分稼いだので、別の町へと向かったのだという。これは正しくは逃げたとも言う。 もしかしたら、容姿と引き替えに何かを失う呪いかもしれない。あまり考えたくはないが、命を失うとも限らない。 どうしよう。 悩みながら指輪をいじっていると、けっこう簡単に指からずれることに気がついた。 もしかして、と思いながら指輪を指でつまみ、決意してから引っ張ると、それはいとも簡単に引っこ抜けてしまった。 「うっ!」 最初にはめた時と同じ、激しいめまいがやってきた。そして彼女は見た。絶世の美女レジーナ・フィラメントが、一瞬にして見慣れたリノ・リマナブランデの姿に戻るところを。 この呪いは、取り外し可能なんだわ。 リノは自分の指を見た。さっきまでとは違う、少女みたいな指だ。体も、顔も、全部そうだ。 彼女にとってそれは、これまで長い間コンプレックスであった。 だがそれは昔の話であり、現在はそのおかげで得をしている事の方が多いし、いわゆる「諦めの境地」というやつが最終的に自分を救ってくれた。年を重ねることで乗り越えたはずだったのだ。 ……でも、この気持ちはなんなの? リノは、動揺を隠せなかった。 「おいグラン、それってホントなのか?」 リブレが怪しげにいいながら串をつまんだ。彼はグランが店で働きだしてから、カウンター席につく事が多くなった。 「リブレくん、それやっかみ? 残念だけどおおマジだよ。詳しくは覚えてないんだけどさ、クエストで一緒になったことがあるんだとよ。そんで、俺の噂をききつけて、わざわざ店までやってきたって訳だ。いやー、まいっちゃうね!」 すっかり有頂天のグランは、この事を周囲の知り合いに言いふらしていた。このせいもあり、謎の美女レジーナ・フィラメントのことがサン・ストリートじゅうの噂となるまでには、三日とかからなかった。 「なんか嘘っぽいんだよな。だってそんな人、俺みたことないもん。ジョセフやロバートだって知らないってさ」 「おうおう、疑うのは勝手だけど嘘じゃねーよ。実際に現場に居合わせたやつもいるからね。なあアイ」 別のテーブルに腰掛けるアイは、眉間にしわをよせてジョッキをあおった。 「そう、です、ね!」 隣に座るリノは笑いをこらえた。 「アイちゃん、ジェラシーね」 「そんなんじゃない! マスター、もう一杯追加! くそったれ、今日は飲んでやる!」 嫉妬の塊となったアイに対し、優越感を抱いてしまう。でもきっと、このくらいしないとこの子は前へ進めないんだわ。リノは自分のことを正当化した。 「でも、実際不思議よね。わざわざこの店にまで来るなんて。グランを追いかけて? その人、新手の変態なのかな。それとも百パーセント顔だけで選ぶタイプ? ちょっと気持ちはわかるけど、それでもグランだけはないわ、絶対」 大声でリブレと言い合いをするグランを見ながら、ミランダが言った。マスターが奥から出てきて、グランがひっぱたかれるのを見ると、もう一度言った。「絶対ない」 「グランの言ってることなんてあてにならないわよ。アイちゃんも、その辺にしときなさい。レジーナって子は、グランとはなんでもないって言ったんでしょ?」 アイはジョッキをテーブルにたたきつけ、リノにつっかかった。 「言ってたよ、言ってたけど! なんか、大人っぽい言い回しで、よくわからなかったんだよ。あたしなんかより、レディーって感じで、美人で。胸だって見た感じミランダより……ううっ! どうしよう、リノ」 アイはテーブルにつっぷして泣きはじめた。ミランダはあきれた様子でため息をこぼした。 「アイも新手の変態ね」 「言ったね、この!」 リノは考えた。いい感じに噂にもなってきたし、もっと色々と遊んでみよう。 「悪いけど、わたしそろそろ帰るわ。ミランダ、アイちゃんの相手よろしく」 帰りに露店により、背丈に合わない服を買ってきたリノは、すぐに家へと戻ってそれを着込んでみた。見事なまでにだぼだぼだ。とくに胸を強調するデザインになっているので、その辺りについては悲惨のひとことにつきる。 しかし、彼女はわくわくしていた。見ていなさいよ。この指輪さえあれば。 リノは鏡の前に立ち、指輪をはめた。ちょっとしためまいの後、みるみるうちに、体が変化していく。 そして、きらびやかな服をまとった美女レジーナとなった彼女は、思わず声をあげた。 「やった、全部ぴったりよ! こういう服、一回着てみたかったのよね!」 リノはすでに、指輪の虜になっていた。 その夜、サン・ストリートに黒髪の美女が現れた。人々は彼女を見ていっしゅんで、あのレジーナだと判断した。 誰も彼も、彼女を見たとたんにあっけにとられたような顔をして、しばらく目で追った。何人かが声をかけて正体を突き止めようと試みたが、相手にもされなかった。 彼女は肩で風をきって歩いていった。 |