王都マグンは、サン・ストリート沿いの酒場「ルーザーズ・キッチン」。 「だ、誰か!」 店じまいの時間も迫ってきたころのことだった。大声を出しながら、一人の男が転がるようにして入ってきた。男は息を乱しながら、カウンターの前に倒れこんだ。 「どうしたんだ、こんな夜中に」 マスターが水を差し出すと、男はそれを一気に飲み干した。 「なんだ、魔王でも攻めてきたのか? だったらあんちゃん、通報は騎士団だぜ。こんなクズのたまり場に来ちゃだめさ」 カウンターに座るグランの頭に、マスターの拳骨がとんだ。 「ま、魔王じゃない……でも似たようなものだ。みんな、今すぐ逃げろ! 逃げるんだ! すぐそこの広場に、精霊がいるんだよ!」 ふっと、酒場内が静かになった。そして客の視線は、さも当然のごとく、リブレ・ロッシに注がれた。 「あんちゃん、悪いけど、それはないよ。だってここにリブレがいるんだから」 「どういう意味だよ、ロバート。……でも確かに、モンスターとか精霊の気配はないよ」 それを聞いて全員が普段の様子に戻った。しかし男はその場に立ち上がった。 「ほ、本当なんだよ! すぐそこにいるんだって。俺は確かに見たんだ!」 グランが彼の肩をたたいた。 「はいはい。わかったからさっさと帰って眠れよ。きっと疲れてるのよ」 「おれは、忠告したからな! 今から、騎士団にも通報してくる!」 男はすぐに出ていった。酒場の宴は、普段通りに続いた。 閉店後、最後まで飲んでいたリブレとグランの二人は、追い出されるようにして酒場を後にした。二人からすれば慣れたものである。 二人はふらふらと夜道を歩き、小さな広場の辺りまでやってきた。 「ああ、そういえばこの先で精霊が出たって、さっきの人が言ってたな。まだ、いたらどうする?」 グランは笑った。 「ばーか。そんなもんがいたらとっくに、おめーから逃げ出してるに決まってら。それに、非現実的すぎんだよ。あの城壁と騎士団の監視をくぐって、精霊なんかがが入ってこられるわけねえじゃん。まず、人里にすら寄りつかねえのによ」 二人はけらけらと笑いながら広場に入った。 だがそのとき、中央の高台あたりににちらりとうすい光が見えたものだから、二人は大急ぎで、路地へと戻った。 「お、おい。もしかして、ほんとに……」 「そんなばかな。だってモンスターの気配なんてないぞ」 「だったらリブレ、見てみろよ」 「やだよ、お前が見ろ。俺は念のため、あっちから帰る」 「待てよ。気配がないなら、いたずらだよ。さっきの奴が仕込んだに違いない。きっと影で笑っていやがるんだ。俺が見つけだしてやる」 グランがそっと広場を見ると、うすい光はゆらゆらと広場を動いている。 「へえ、なかなか手がこんでるじゃねえの」 そのとき、光から小さな声が聞こえてきた。女性の声のようだった。 『……ない……』 「なんだよ、声まで出してるぞ。まるで本物みたいだ……」 「にげるなリブレ。俺はお前のモンスター探知機としての性能にだけはいち目置いているつもりだ。だったらあれは、やっぱり」 光がこちらに近づいてきた。二人は路地の壁に張り付き、じっと息をひそめた。 今度は、はっきりと声が聞こえた。 『……いない。ここにもいない。私の勇者。世界を救う、私のジャグアスの勇者が……』 二人はかっと目を見開いて顔をつきあわせた。 翌朝、ゲレットがいつも通りに出勤すると、同僚に肩を叩かれた。 「おうゲレット、お客さんが来てるぞ」 「ジェシカか? 全くあいつ、仕事場までは来ないように言っているはずなんだが」 同僚は笑いながら首をすくめた。 「お熱いことで。だが残念、美女じゃなくてクズのほうだ」 「なんだ、リブレとグランか。奴ら、こんな朝からどうしたんだ?」 「知らねえよ。とにかくお前に会いたいそうだ」 ゲレットは首をかしげながら室内のカウンターに入った。 「おっさん、待ってたよ!」 突然、グランが元気よく飛びついてきた。すぐ後ろではリブレが座っている。 なんだか気味が悪い。 「どうした。今日は配達の日じゃないはずだ。ひょっとして間違えたのか? 悪いがお前らに頼めるような仕事はないぞ」 「違うんだよ、おっさん。俺ら、マタイサの傭兵団に入ろうと思ってさ」 ゲレットにはわけがわからなかった。 「確か以前、傭兵団の人と仲がいいって言ってましたよね。ゲレットさんの口ききで、なんとかなりませんか?」 リブレはとてもまじめな表情で立ち上がった。 「お前ら、こっちに住みつくつもりか」 「いや、まあ、なんというか。しばらくは……」 それを見て、ゲレットはひらめいた。 「わかったぞ。ついにルーカスからあいそをつかされたんだろう。あいつときたら、お前らの扱いに、ほとほと困り果てていたからな」 リブレは首をふった。 「違います。マスターは関係ありません」 「だったら、なんなんだ?」 「言えない。例えおっさんであっても」 あのグランが神妙な顔つきをして断言した。 ゲレットはただごとではないと思い、すぐに傭兵団の友人に連絡し、リブレとグランの二人を引き入れる手筈を整えた。ちょうど人手も足りず、その日から二人は傭兵団へと入団した。 しかし、二人はその翌日、姿を消した。 傭兵団の友人にたずねると、特に変わった様子はなかったらしい。 ただ、深夜に精霊が出たという噂を聞いたとたん、血相を変えて出ていってしまったのだという。 「いったい、なんなんだ?」 ゲレットは首をかしげるほかなかった。 寄り合い馬車にゆられながら、二人は並んで座っていた。互いに厚手のコートを着込み、フードをかぶっている。 「まさかあの、どぶに捨てた聖剣の女神が現れるとはな。どうやってあの下水道からマグンまで来たってんだ」 グランはため息をついた。 「ああもう、最悪だよ。傭兵団も抜けちゃったし、きっとゲレットさんからも怒られるぞ」 「それどころじゃねえだろ。あの女神さまの話を覚えてねえのか。奴に見入だされたら、異世界とやらに連れて行かれちまうんだぜ。戦争のためによ」 ふたりからすれば、それは途方もなく面倒くさいことであった。そしてなにより、 「マリーちゃんがいない世界なんだぞ。絶対にいやだ」 「とにかく、あいつが諦めるなり、別の奴を連れていくと決めるまで、場所を変えながら逃げ続けようぜ。なーに、逃げるのは俺たちの専売特許じゃねえか」 「次はフィゲンの村です」 御者が声を張り上げた。 二人はフィゲンの地に降り立った。 「なつかしいな。なにも変わってないや」 リブレがフードを取って、息を思い切り吸い込んだ。グランもフードをめくって、辺りを見渡した。周辺には家らしきものがなく、ただひたすらに黄金色の畑とあぜ道が広がっている。 「こりゃまた見事に、ド田舎だな……。そういえば、リブレは、この村に住んでいたんだよな。こんなところにいて、つまらなくなかったのか?」 「まあ、確かに父さんにしごかれっぱなしだったから、あまりいい思い出はないんだけどさ。やっぱり、懐かしいもんは懐かしいよ。都会育ちのお前には、ここの良さはわからないかもなあ」 グランは鼻をならした。 「けっ、知りたくもねーっつうの。それで? 隠れるアテはあるのかよ」 「もちろん。この先の森に、世話になったじいさんが住んでるんだ」 二人は歩きだした。グランは歩きにくい道にぶつぶつ文句を言い続けた。 「リブレ。リブレか!」 森の中にあるぼろ家の前で、老人が薪を割っていた。リブレが「ベンじい」と呼ぶと、彼は思わず斧を落として駆け寄ってきた。 「久しぶりだね、ベンじい」 「おお、おお。リブレだ。来ると思っていたぞ……導きがあったからな。来るに決まっていると思っていた」 グランは顔をしかめた。 「このじいさん、大丈夫か? なんか、様子が変だぞ」 「こら、失礼なことを言うな。俺の恩人なんだぞ。ベンじい、こいつは魔術師のグラン。二人で……その、武者修行中なんだ。一日泊めてもらえないかな」 ベンじいは何度も頷いた。 「いいだろう、いいだろう。それが導きならば。わしはそれに従うだけだ」 二人は家へと招かれた。 「なあ、あのじいさん、ずっとあんな調子なのか? なんだか気味が悪いぜ」 グランはコートを部屋にかけた。 「フィゲンの人はちょっと、独特なんだよ。変な口調がすぐに流行するんだ。でも、『導き』ってのは初めて聞いたな。いったい何のことなんだろう」 そこにベンじいがやってきて、二人を食事に呼んだ。野菜を漬けたものが中心の質素なものだったが、グランからすれば新鮮で、そしてなにより、リブレにとっては懐かしい味だった。 フィゲンは優秀な麦の産地でもある。二人は食後、泡酒に舌鼓を打った。 「なんだなんだ、最高の隠れ家じゃねえかよ、ここ」 グランは満足げに部屋に寝そべった。 「じいさん、ありがとう。おいしかったよ」 ベンじいは高笑いをあげた。 「かまわんよ。お前が導かれる神聖な夜だからな。このくらいは当然のこと」 リブレは頭をかいた。 「ずっと気になっていたんだけど、その『導き』ってなんのことだい?」 ベンじいは眉間に皺を寄せて目を細めた。 「お前をいざなう輝きだ」 二人にいやな予感が走る。 「……えーと、もしかして、青白い光の……?」 「そうだ。昨晩から、何かを探しているようだ。そこにお前が来た。もう、間違いないだろう。これは運命、すなわち導きだ!」 二人はコートを取って立ち上がった。グランが無表情のまま、後ろを向いた。 「リブレくん、あとでアルタ肉串をおごるように」 「了解。ベンじい、悪いんだけど俺たち……」 ベンじいは二人の前に立ちふさがった。 「いってはならん! あの輝きはお前たちに未来を授けにやってきたのだぞ」 「勘弁してよ。そんなの柄じゃないんだって」 「どちらにせよ、もう遅い。導きはこの家の前、つまりお前らのすぐ後ろまでやってきているぞ」 「だったら、裏口から出ていくよ。悪いね、ごちそうさま。また寄るから!」 怒鳴り散らすベンじいにかまわず、二人は外に出た。 屋根のすぐ上から光が差し込んでいる。 「やばいな。このまま行っても、遮るものがないとバレバレだ。グラン!」 「わかってる」 グランは腕を組んで魔力≠練り上げると、勢いよくそれをたたきつけた。リブレがグランの肩を持つ。すると、二人の姿がすっと消えた。 グランの自己流魔法、「陽炎」である。 「次はお前だ」 リブレは頷くと、自分の袋から駒のようなものを取り出して、紐をぐるぐると巻いた。 「ほいっ」 という声と共に、リブレは駒を下手から森の木々に向かい、ぶん投げた。 数秒後、ざんざんざん、と、テンポよく大きな音がなった。それは、ちょうど人間が地面を踏みならす音とよく似ていた。 「よっしゃ、今だ」 二人は猛然と走りだした。 |