Usual Quest
ユージュアル・クエスト

32.「聖剣伝説・2」前編

 王都マグンは、サン・ストリート沿いの酒場「ルーザーズ・キッチン」。
「だ、誰か!」
 店じまいの時間も迫ってきたころのことだった。大声を出しながら、一人の男が転がるようにして入ってきた。男は息を乱しながら、カウンターの前に倒れこんだ。
「どうしたんだ、こんな夜中に」
 マスターが水を差し出すと、男はそれを一気に飲み干した。
「なんだ、魔王でも攻めてきたのか? だったらあんちゃん、通報は騎士団だぜ。こんなクズのたまり場に来ちゃだめさ」
 カウンターに座るグランの頭に、マスターの拳骨がとんだ。
「ま、魔王じゃない……でも似たようなものだ。みんな、今すぐ逃げろ! 逃げるんだ! すぐそこの広場に、精霊がいるんだよ!」
 ふっと、酒場内が静かになった。そして客の視線は、さも当然のごとく、リブレ・ロッシに注がれた。
「あんちゃん、悪いけど、それはないよ。だってここにリブレがいるんだから」
「どういう意味だよ、ロバート。……でも確かに、モンスターとか精霊の気配はないよ」
 それを聞いて全員が普段の様子に戻った。しかし男はその場に立ち上がった。
「ほ、本当なんだよ! すぐそこにいるんだって。俺は確かに見たんだ!」
 グランが彼の肩をたたいた。
「はいはい。わかったからさっさと帰って眠れよ。きっと疲れてるのよ」
「おれは、忠告したからな! 今から、騎士団にも通報してくる!」
 男はすぐに出ていった。酒場の宴は、普段通りに続いた。

 閉店後、最後まで飲んでいたリブレとグランの二人は、追い出されるようにして酒場を後にした。二人からすれば慣れたものである。
 二人はふらふらと夜道を歩き、小さな広場の辺りまでやってきた。
「ああ、そういえばこの先で精霊が出たって、さっきの人が言ってたな。まだ、いたらどうする?」
 グランは笑った。
「ばーか。そんなもんがいたらとっくに、おめーから逃げ出してるに決まってら。それに、非現実的すぎんだよ。あの城壁と騎士団の監視をくぐって、精霊なんかがが入ってこられるわけねえじゃん。まず、人里にすら寄りつかねえのによ」
 二人はけらけらと笑いながら広場に入った。
 だがそのとき、中央の高台あたりににちらりとうすい光が見えたものだから、二人は大急ぎで、路地へと戻った。
「お、おい。もしかして、ほんとに……」
「そんなばかな。だってモンスターの気配なんてないぞ」
「だったらリブレ、見てみろよ」
「やだよ、お前が見ろ。俺は念のため、あっちから帰る」
「待てよ。気配がないなら、いたずらだよ。さっきの奴が仕込んだに違いない。きっと影で笑っていやがるんだ。俺が見つけだしてやる」
 グランがそっと広場を見ると、うすい光はゆらゆらと広場を動いている。
「へえ、なかなか手がこんでるじゃねえの」
 そのとき、光から小さな声が聞こえてきた。女性の声のようだった。
『……ない……』
「なんだよ、声まで出してるぞ。まるで本物みたいだ……」
「にげるなリブレ。俺はお前のモンスター探知機としての性能にだけはいち目置いているつもりだ。だったらあれは、やっぱり」
 光がこちらに近づいてきた。二人は路地の壁に張り付き、じっと息をひそめた。
 今度は、はっきりと声が聞こえた。
『……いない。ここにもいない。私の勇者。世界を救う、私のジャグアスの勇者が……』
 二人はかっと目を見開いて顔をつきあわせた。

 翌朝、ゲレットがいつも通りに出勤すると、同僚に肩を叩かれた。
「おうゲレット、お客さんが来てるぞ」
「ジェシカか? 全くあいつ、仕事場までは来ないように言っているはずなんだが」
 同僚は笑いながら首をすくめた。
「お熱いことで。だが残念、美女じゃなくてクズのほうだ」
「なんだ、リブレとグランか。奴ら、こんな朝からどうしたんだ?」
「知らねえよ。とにかくお前に会いたいそうだ」
 ゲレットは首をかしげながら室内のカウンターに入った。
「おっさん、待ってたよ!」
 突然、グランが元気よく飛びついてきた。すぐ後ろではリブレが座っている。
 なんだか気味が悪い。
「どうした。今日は配達の日じゃないはずだ。ひょっとして間違えたのか? 悪いがお前らに頼めるような仕事はないぞ」
「違うんだよ、おっさん。俺ら、マタイサの傭兵団に入ろうと思ってさ」
 ゲレットにはわけがわからなかった。
「確か以前、傭兵団の人と仲がいいって言ってましたよね。ゲレットさんの口ききで、なんとかなりませんか?」
 リブレはとてもまじめな表情で立ち上がった。
「お前ら、こっちに住みつくつもりか」
「いや、まあ、なんというか。しばらくは……」
 それを見て、ゲレットはひらめいた。
「わかったぞ。ついにルーカスからあいそをつかされたんだろう。あいつときたら、お前らの扱いに、ほとほと困り果てていたからな」
 リブレは首をふった。
「違います。マスターは関係ありません」
「だったら、なんなんだ?」
「言えない。例えおっさんであっても」
 あのグランが神妙な顔つきをして断言した。
 ゲレットはただごとではないと思い、すぐに傭兵団の友人に連絡し、リブレとグランの二人を引き入れる手筈を整えた。ちょうど人手も足りず、その日から二人は傭兵団へと入団した。
 しかし、二人はその翌日、姿を消した。
 傭兵団の友人にたずねると、特に変わった様子はなかったらしい。
 ただ、深夜に精霊が出たという噂を聞いたとたん、血相を変えて出ていってしまったのだという。
「いったい、なんなんだ?」
 ゲレットは首をかしげるほかなかった。

 寄り合い馬車にゆられながら、二人は並んで座っていた。互いに厚手のコートを着込み、フードをかぶっている。
「まさかあの、どぶに捨てた聖剣の女神が現れるとはな。どうやってあの下水道からマグンまで来たってんだ」
 グランはため息をついた。
「ああもう、最悪だよ。傭兵団も抜けちゃったし、きっとゲレットさんからも怒られるぞ」
「それどころじゃねえだろ。あの女神さまの話を覚えてねえのか。奴に見入だされたら、異世界とやらに連れて行かれちまうんだぜ。戦争のためによ」
 ふたりからすれば、それは途方もなく面倒くさいことであった。そしてなにより、
「マリーちゃんがいない世界なんだぞ。絶対にいやだ」
「とにかく、あいつが諦めるなり、別の奴を連れていくと決めるまで、場所を変えながら逃げ続けようぜ。なーに、逃げるのは俺たちの専売特許じゃねえか」
「次はフィゲンの村です」
 御者が声を張り上げた。

 二人はフィゲンの地に降り立った。
「なつかしいな。なにも変わってないや」
 リブレがフードを取って、息を思い切り吸い込んだ。グランもフードをめくって、辺りを見渡した。周辺には家らしきものがなく、ただひたすらに黄金色の畑とあぜ道が広がっている。
「こりゃまた見事に、ド田舎だな……。そういえば、リブレは、この村に住んでいたんだよな。こんなところにいて、つまらなくなかったのか?」
「まあ、確かに父さんにしごかれっぱなしだったから、あまりいい思い出はないんだけどさ。やっぱり、懐かしいもんは懐かしいよ。都会育ちのお前には、ここの良さはわからないかもなあ」
 グランは鼻をならした。
「けっ、知りたくもねーっつうの。それで? 隠れるアテはあるのかよ」
「もちろん。この先の森に、世話になったじいさんが住んでるんだ」
 二人は歩きだした。グランは歩きにくい道にぶつぶつ文句を言い続けた。

「リブレ。リブレか!」
 森の中にあるぼろ家の前で、老人が薪を割っていた。リブレが「ベンじい」と呼ぶと、彼は思わず斧を落として駆け寄ってきた。
「久しぶりだね、ベンじい」
「おお、おお。リブレだ。来ると思っていたぞ……導きがあったからな。来るに決まっていると思っていた」
 グランは顔をしかめた。
「このじいさん、大丈夫か? なんか、様子が変だぞ」
「こら、失礼なことを言うな。俺の恩人なんだぞ。ベンじい、こいつは魔術師のグラン。二人で……その、武者修行中なんだ。一日泊めてもらえないかな」
 ベンじいは何度も頷いた。
「いいだろう、いいだろう。それが導きならば。わしはそれに従うだけだ」
 二人は家へと招かれた。

「なあ、あのじいさん、ずっとあんな調子なのか? なんだか気味が悪いぜ」
 グランはコートを部屋にかけた。
「フィゲンの人はちょっと、独特なんだよ。変な口調がすぐに流行するんだ。でも、『導き』ってのは初めて聞いたな。いったい何のことなんだろう」
 そこにベンじいがやってきて、二人を食事に呼んだ。野菜を漬けたものが中心の質素なものだったが、グランからすれば新鮮で、そしてなにより、リブレにとっては懐かしい味だった。
 フィゲンは優秀な麦の産地でもある。二人は食後、泡酒に舌鼓を打った。
「なんだなんだ、最高の隠れ家じゃねえかよ、ここ」
 グランは満足げに部屋に寝そべった。
「じいさん、ありがとう。おいしかったよ」
 ベンじいは高笑いをあげた。
「かまわんよ。お前が導かれる神聖な夜だからな。このくらいは当然のこと」
 リブレは頭をかいた。
「ずっと気になっていたんだけど、その『導き』ってなんのことだい?」
 ベンじいは眉間に皺を寄せて目を細めた。
「お前をいざなう輝きだ」
 二人にいやな予感が走る。
「……えーと、もしかして、青白い光の……?」
「そうだ。昨晩から、何かを探しているようだ。そこにお前が来た。もう、間違いないだろう。これは運命、すなわち導きだ!」
 二人はコートを取って立ち上がった。グランが無表情のまま、後ろを向いた。
「リブレくん、あとでアルタ肉串をおごるように」
「了解。ベンじい、悪いんだけど俺たち……」
 ベンじいは二人の前に立ちふさがった。
「いってはならん! あの輝きはお前たちに未来を授けにやってきたのだぞ」
「勘弁してよ。そんなの柄じゃないんだって」
「どちらにせよ、もう遅い。導きはこの家の前、つまりお前らのすぐ後ろまでやってきているぞ」
「だったら、裏口から出ていくよ。悪いね、ごちそうさま。また寄るから!」
 怒鳴り散らすベンじいにかまわず、二人は外に出た。
 屋根のすぐ上から光が差し込んでいる。
「やばいな。このまま行っても、遮るものがないとバレバレだ。グラン!」
「わかってる」
 グランは腕を組んで魔力≠練り上げると、勢いよくそれをたたきつけた。リブレがグランの肩を持つ。すると、二人の姿がすっと消えた。
 グランの自己流魔法、「陽炎」である。
「次はお前だ」
 リブレは頷くと、自分の袋から駒のようなものを取り出して、紐をぐるぐると巻いた。
「ほいっ」
 という声と共に、リブレは駒を下手から森の木々に向かい、ぶん投げた。
 数秒後、ざんざんざん、と、テンポよく大きな音がなった。それは、ちょうど人間が地面を踏みならす音とよく似ていた。
「よっしゃ、今だ」
 二人は猛然と走りだした。

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