Usual Quest
ユージュアル・クエスト

23.「嘘」前編

 マグン王国は、王都マグンを中心として広がるトンカ平原。
 リノとグランのふたりは、目を見張った。
 先ほどまで自分たちを追いかけていたオーガが、倒れて絶命している。その後ろでは、一人の男が返り血をぬぐっていた。
 たった一撃だった。それも、気がついた時には、男が両手に握るロング・ソードを振り抜いたあとだった。その動きは、閃光が走ったようにすら見えた。
 この近辺でもっとも強いモンスターであるオーガが倒れている、という状況を、グランは経験したことがなかった。彼はしばらくその異様な光景を見つめていたが、はっとして我に返った。
「あっ……ええと。ど、どうも、ありがとう。助かったよ」
 気が動転して、いつもの皮肉すら浮かばなかった。
「いいってことよ」
 男は剣を鞘に納めたあと、手をぱんぱんと叩いた。あのオーガを倒したというのに、達成感みたいなものがみじんにも感じられない。倒し慣れている感じだ。
「あの……もしかして、勇者さまですか?」
 リノが一歩前に出た。男は眉を上げてから頷いた。
「まっ、近いかな。……おまえらさ、王都の人間か」
「そうですけど」
「じゃあ聞きたいんだけどよ。人を探してるんだ。リブレってやつ、知らないか」
 グランは考えるようにした。
「リブレ……いたっけなあ、そんなヤツ」
 まさか、あいつじゃないだろうし。
 リノも同じようにする。
「リブレねえ……あなたみたいに強い勇者さまがご用のあるリブレって、どんな人でしょうか」
「髪と目の色は俺と一緒だ。そんでミドルネームはロッシ。リブレ・ロッシだ」
 二人はしばらく硬直する。
「……えーと、間違えていたらごめんなさいね。もしかしてアレでしょうか」
 リノが、少し離れで地面にうずくまるリブレを指さす。男は目を細めてそれを見る。しばらく黙ったあと、つかつかと歩いていき、リブレの胸ぐらをつかむようにして起きあがらせた。だらしのない顔が露わになった。
「あ、コイツだわ」
「えーと、その。勇者さんがご用のできるような人物じゃないですよ、その人。そっくりさんなんじゃないですかね」
「……じゃあ、確かめてみるか」
 男は気絶したままのリブレの耳元に口を近づけた。
「モンスターが出たぞっ!」
「逃げるからあとよろしく!」
 リブレは全速力で走り出そうとしたが、男はそれをひっつかまえて、投げるようにして倒した。
「わっはは。もうこれで間違いない。久しいな、リブレ」
 リブレは男の顔を見て、目を丸くした。
「とうさん!」
 しかし、リノとグランの方がもっと驚いた顔をしていた。

「ゲイルじゃないか! 戻ってきたのか」
「ルーザーズ・キッチン」に入ると、マスターが大声を出して出迎えた。リブレの父、ゲイル・ロッシはマスターと手をあわせた。
「ようルーカス。相変わらず汚ねえ店だ」
「マスター、このおっさんと知り合いなの?」
「まあ、昔の常連ってとこかね。すごかったんだぞ。『ゲイル・ザ・ライトニング』つってな。それにしてもいきなりどうしたんだ」
 ゲイルは後ろでぼんやりとしているリブレを指さした。
「ここから海を隔てた先にあるトーキオ地方に入るには、『勇者』の免許が必要なんだとよ。無断で入ったら関所のある町で一年近くも投獄されちまった。しょうがねーから免許をもらいに引き返してきたわけよ。生まれた国でないと取れないってシステムはどうにかしてほしいもんだ。あとついでに、息子を迎えに来た」
 マスターは少し、寂しそうにした。
「じゃあおまえ、まだマリアを……」
 ゲイルはゆっくりと頷いた。

 二人が話し込んでいる間に、リブレはいつもの卓まで引っ張られた。
「説明しろよ」
 グランは着席しながら言った。
「なになに、どうしたの」
 隣にいたアイが寄ってきた。
「リブレのおやじがいきなり来て、『迎えに来た』んだとよ」
「どういうこと?」
 リノはぶどう酒を持ってきて、テーブルにおいた。
 リブレは、目を伏せて手を組んだ。
「話すよ……」

 リブレの父ゲイルは、マグン騎士団で働くロードだった。妻であったマリアも同様に、騎士団配属のプリーストとして活躍していた。
 今から十年前のこと、マリアの幼なじみであったマシュウ・リードという剣士がマグンで二十五人目の「勇者」となった。マシュウはマリアを旅の同伴者として誘い、彼女は迷ったあげく、それを快諾した。彼女は魔族に両親を殺されており、魔王を倒す旅にいつか参加したいと考えていたのだ。
 もちろん、そんなことにあまり興味のなかったゲイルからすればたまったものではない。二人はそれが原因で仲違いをおこし、性格もあってか、けっきょくそのまま旅立ちの日を迎えてしまった。ゲイルは見送りもせず、マリアは泣きながら旅に出たという。
 しかしゲイルは、その後悔から仕事もままならなくなり、毎日のように飲みつぶれる日々を過ごすようになった。そうして、ついには騎士団を解雇された。
 絶望した彼は、マグンから離れた故郷・フィゲンの村に、幼いリブレと共に帰った。

「それからすぐにとうさんは元気になって、しばらくは平和に過ごしてたんだ。でもある日突然、『遍歴騎士になる』って言い出して、ことあるごとに旅に出て行っちゃって。たぶん、かあさんを探しに行ってたんだと思う。しばらくして、とうさんはとうとう帰ってこなくなった。てっきりかあさんたちと合流して、一緒に旅を続けていたんだと思ってたけど……」
 リブレはまだ驚きと動揺を隠せない様子で、ちらちらと父親を見ている。
「なるほどな」
 グランは顔をひんまげて、「どうして俺に話さなかった」と言おうとしたが、結局口をつぐんだ。彼も自分の家族のことを、ろくに話していなかった。
「リブレがやたら勇者にこだわるのって、そういう意味もあったんだね」とアイ。リブレは黙って頷いた。
「それで、どうするのよ。お父さんについて行くわけ」
 リノは刺さるような視線をリブレに投げかけた。リブレが返答できずにしばらく黙っていると、後ろからゲイルがぬっと現れた。
「もちろんだろ。元々リブレは、将来私の旅のパートナーになるよう、昔から修行をつけておいたんだから。腕ももう一人前になっているはずだ」
「あ、あれのどこが修行なんだよ。毎日モンスターの巣に投げ込んだりして。おかげで、今もトラウマのままなんだ」
 リノたちは思わず手を叩いた。それで、異常なほどモンスターを恐れていたわけだ。
「でも確かに、そのおかげでリブレはモンスターの位置を察知できるし、集中さえ途切れさせなければほとんど外れないわ」
 ゲイルは誇らしげに笑った。
「ほう。そんな面白い能力に目覚めていたか。しごいたかいがあったな。……さて、さっそくなんだが、城まで手続きに行ってくる」
「ゲイルさん、勇者選抜試験の時期は、まだずいぶんと先ですよ。それまで滞在なさるんじゃ?」
 ゲイルは巻物を取り出した。
「外国の王からの紹介状だ。こいつがありゃあ特例もまかり通るだろう。なにより、ここじゃあもとよりコネが強いしな。今週中には免許もとれると踏んでいる。リブレよ、それまでに荷物をまとめておけ。私はそれまで城に泊まるつもりだ。ではな」
 リブレは返答せずにいたが、ゲイルにきっと睨まれ、「返事が聞こえねえな」と言われると、少しどもりながら答えた。

 しばらく、席は沈黙していた。
「そっか。リブレ、行っちゃうんだ」
 アイがぽつりと言った。リブレはまだ、黙ったままだ。
「おい、本当に行くのか」
 グランは眉間に皺を寄せている。言い方も、ほとんど喧嘩ごしである。リブレはほんの少しだけ、ほほえんだ。
「……行くよ。とうさんがああ言うんだもの。行かなきゃ」
 グランは立ち上がると、リブレの胸ぐらをつかんで、ぐいと引き寄せた。リブレは、グランのガラス玉みたいな蒼瞳を見つめていた。しばらくしてふっと表情を戻すと、リブレを突き飛ばすようにして背を向けた。
「勝手にしろ。せいせいすらあ」
「グラン、そんな言い方ないだろう!」
 アイが思わずテーブルを叩いたが、彼は無視して店を出ていった。
「いいんだよ、アイ。ありがとう。たぶん明後日のクエストが最後になるから、よろしく頼む」
 リノはなにも言わずに酒を追加していた。

 二日後のクエストにも、グランは現れなかった。
 リブレは例によってモンスターを恐がりはしたが、いつもよりも前に出て戦った。

 それからまた数日して、ゲイルがふらりと現れた。
「免許が取れることになった。予想通り、騎士団の連中ときたらびっくりしてやがったよ。同期の連中はどいつもこいつも、話しかけようともしてこねえ。見所があったのはイナフっつうガキだけだな」
 マスターはこの店で一番強い蒸留酒を、グラスに注いだ。
「そりゃあ、騎士団の伝説『ゲイル・ザ・ライトニング』がいきなり現れたんだから、驚きもするだろうよ。現役部隊長のイナフ・ストラウフだって、内心はびびってたはずだ。……それで、結局リブレはつれていくのか? ここ数年ずっと見てきたからはっきり言うけど、あいつは戦いそのものにあまり向いていないと思うぞ。おまえとマリアの息子ってのが、未だに信じられないくらいにな。その証拠に、有名人の息子なのに知名度だってほとんどないようなもんだ。まあ、あいつが特にひけらかしたりしてないからってのもあるが……」
 ゲイルは蒸留酒をぐいと煽った。しばらく余韻に浸ってから、やっと答えた。
「あいつには悪いと思ってる。マリアと引き離したばかりか、ガキの頃から無茶な修行ばかりさせていたからな。だからこそここで、全部精算したいんだよ。家族三人で魔王を倒す旅をするんだ。これって、きっとハッピーなことだと思うぜ」
「三人って……マシュウがいるだろう」
「海の向こうの国で聞いたんだが、あの野郎、病気かなんかで死んだってよ。墓参りもした。マリアは今、たぶんヤツのプレートをもって、ひとりで旅を続けているはずなんだ」
 追いついてみせる、とゲイルは静かに言った。マスターはとくに反論しなかった。
 こいつは、あいつら親子の問題だ。
 しかしリブレ、おまえはこのままでいいのか?

 ゲイルの免許が正式に降りたその日の夜、「ルーザーズ・キッチン」では小規模な壮行会が行われることになった。
 あのリブレ・ロッシが、勇者のお供としてついに旅立つことになった、という話をききつけた親交あるメンバーが集い、会は大いに盛り上がった。
 しかし、グランだけはやはり現れなかった。
「グランさん、どうしたんでしょうね」
 ふと、セーナが言った。
「まーったく、あのバカったら最近ぜんぜん出てこないみたいなのよね。クエストだってすっぽかすし。アイはなんか知らないわけ」
 ミランダの問いかけに、アイは答えられなかった。
 実はこのパーティに向かうとちゅう、彼女はグランの家に寄って誘ったのだった。ドアを叩くと、だるそうな顔の彼がぬっと出てきて、こう言った。
「ああ……俺いいわ。パス」
 アイはその後もドアにどなりつけたが、彼が出てくる様子はなかった。
 さすがに、アイも頭に来ていた。
 グランなんて、最低だ。
「いいんだよ」
 しかし、リブレには大して動じた様子もなかった。
「あいつらしいよ。このくらいサバサバしてた方が、こっちも楽ってもんさ。申し訳ない気持ちも、少しはあるし。ゲレットさんも、すいません。突然こんなことになってしまって」
「なにいってるんだ。立派になって、おれはうれしいぞ!」
 ゲレットは笑みを浮かべて彼の肩を強くたたいた。
 リノが小さな声で「バカね」と言ったが、誰にも聞こえなかった。

「さて、そろそろお開きにしよう。リブレの旅立ちに!」
 ロバートがグラスをつきあげると、全員がそれにならって、一気にそれを空にした。
「みんな、どうもありがとう。明日の早朝、たぶん日が出る前に出ちゃうから、これで最後になると思う。どうか元気で」


 リブレはひとり、暗闇のサン・ストリートを歩いていた。
 明日で、この見慣れた道ともお別れだ。
 いろいろなことがあった。
 つらいことも多かったけれど、楽しいことも同様だったように思う。
 ふと見ると、誰かが前に立っている。暗いので、誰なのかわからない。
「いいの、それで」
「なんだ、リノか。いきなりなにを言うのさ。もちろん、これでいいんだよ」
 リノの表情はよく見えない。
「グランがどうして姿を見せないのか、わからないの?」
「悪かったと思ってるよ」
「わかってないのね。じゃあ教えてあげる。あいつは、もうあなたのことが嫌いになったのよ。今のあなたを認めたくないのよ」
 リブレはなにも言わなかった。
「理由がわかる?」
 それを聞くとリブレはぎりと歯をならして、腕をふるった。
「黙ってくれっ! 君には関係ないことだ!」
 するとリノは声の調子を変えた。
「ふふん。なーんだ、わかってるんじゃない。じゃあ、いいわ。安心した。おやすみなさい」
 リノはさっと消えるようにいなくなった。
 リブレは、思わず激昂した自分に驚いた。彼女に、自分でもほとんど気づいていなかった心のうちを、すべて掘り出されてしまったのだ。
 だが。
「……いまさら、どうしろって言うんだよ」
 リブレは家に戻った。

 最後の荷造りをしている途中、一冊の本が目にとまった。
 それは、魔術書だった。たしか先日、グランが遊びに来た時、忘れていったものだ。唯一魔法のことに関してはまじめな態度を見せる彼が、魔術書を忘れてそのままにしておくなんてことは、結構珍しいことだ。
 普段だったらすぐに取りにくるのだろうが。リブレには彼が来ない理由が、もちろんわかっていた。
 リブレは無言でそれを手に取り、立ち上がった。

 グランの家は、灯りが消えていた。
 こっそりドアを手にかけると、とくに締め切ってはいないようだ。リブレは中に入った。
 グランはいなかった。リブレはため息をついて、真っ暗な部屋を見回した。
「なんだよ、タイミングの悪いやつだな」
 本を置こうかどうか迷った。たぶんこれで、彼との関わりは終わりだ。
 もう、帰ってこいと言ってもらえない。
 答えをくれ。
 答えをくれ、グラン。

 だが、そこではっとした。
 そうじゃない。そうじゃないんだ。リノが言っていたのは、そういうことじゃない。
 そうか、俺の気持ちは。

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