アイはなんとなく、家に帰れずにいた。明日になったら、もうグランとリブレのコンビは二度と見られないのだ。長い間一緒にクエストをしてきた彼女は、それがなんだか、悲しい何かの幕開けのような気がしてならなかったのだった。 アイは広場の入り口にある石段に腰掛けて、リブレたちと出会った時のことを思い出していた。 彼女は、王都マグンに来てからしばらく、ひとりぼっちだった。悪い人間に何度もだまされ、心を傷つけられていたからだ。「女だからなめられるんだ」と、当たりの強い言動で周りの人間を威嚇始めるようになると、その溝はことさら大きくなり、彼女は冷血だとか、氷の女だとか呼ばれるようになっていた。 そんな時現れたのが、グランとリブレの二人組だった。 彼らははじめ、たまたまこの広場までやってきたアイの強さをうまく利用しようと企んでいた。もちろんその目論見はバレてしまい、怒った彼女にこてんぱんにされたのだが、次の日も、彼らは彼女が当時住んでいたマグン北部までやってきた。 「そうだ。それでグランが言ったんだ。『知ってるぜ。本当は、寂しいんだろ?』」 その言葉が、いつもの冗談めかしたでまかせなのか、本心なのかはわからない。しかしアイは、言われたと思った。自分の考えていることを、まるっきり当てられたと思ったのだ。 気づけば彼女はサン・ストリートに通うようになっていた。そうして、「ルーザーズ・キッチン」に集まる仲間のひとりとなった。 気づいた時には、広場はうっすらと明るくなり出していた。 「あーあ、もうこんな時間になっちゃったか。よし、こうなったら露店街にでも寄って、なにかリブレに餞別でも渡してあげよう」 彼女は大通りの露店街へと向かった。 露店街にいる人はまばらだった。この時間では仕方のないことだろう。ただ、夜にクエストをする人間もいるので、この露店街は基本的にいつでも需要がある。 何かないかと見回していると、聞きなれた声が聞こえてきた。 「だから、高いって言ってるだろ! こんなもんのどこに、そんな価値があるってんだよ!」 まさか。 アイは声のする方向へと走った。 「まからないよ。欲しいんだろう? だったらきっちり五十万ゴールド、払ってくれ」 「ちきしょう、足下見やがって!」 そこには、商人と言い合いをする金髪の魔術師の姿があった。アイははっとした。商人が手にしているものに見覚えがあったのだ。 「この剣は確かにとある名工が作ったものだ。でも、その人の作品の中でも一番の失敗作と言われている一品でね。大不評で、ほとんど売れずに生産が終わったから、数が少ない。だから性能が悪くても、けっこう値段は高いんだ。そうだね、私のほかにこんなマニアックなものを扱っている商人はいないだろうねえ。たぶんマグンじゅう探しても見つからないよ。さあ、どうするね?」 商人はにやにやしながら、ロング・ソードを少しだけ抜いた。 アイは驚いた。そうだ、間違いない。あれはリブレが愛用しているロング・ソードではないか! もっとも、その刀身はピカピカであることから、彼の持っているものとは違うが、同じモデルということなのだろう。 「てめー、そんなナマクラが五十万だなんて、見る目がねえ証拠だぜ」 グランは明らかな怒りを込めて言った。 「そうだね。でも君は、そのナマクラが欲しいと来た」 二人はにらみ合っている。 アイはその顔を見て、また驚いた。 「そうだね、そいつが五十万ってのはちっと高いかもしれないね」 「誰だ、いちゃもんつけるのは」 アイはにこにこしながら現れた。商人は訝しげにしていたが、彼女の顔をまじまじと見て、口をあんぐりと開けた。 「お、お前は! なぜここに! マグンを出ていったんじゃなかったのか!」 「お引っ越ししただけだよ。よくもまあ、このマグンにいられたもんだねえ。あたしにあんなクソ魔石を売りつけといて……」 アイが表情を恐ろしく変えて指をならすと、商人は血相を変えた。 「い、いやあ、あれは! 申し訳ない、手違いだったみたいで」 「そうかい。手違いならしょうがないねえ。じゃあ、その剣と交換ってのはどうだい?」 グランが目を見開いて、彼女の顔をみた。 「え、あの、これはその、とても高価なものなんですよ……」 「あの魔石も、そのくらいしなかったっけ?」 「えっ、あれは二万……」 アイが腕まくりすると、商人は剣を投げるようにしてよこし、いそいそと逃げ出してしまった。 「どうせそんななまくら、千ゴールドもしないよ! ざまあみろ!」 遠くに離れてから商人がこう吐き捨てたので、アイはおかしくて笑ってしまった。 剣を渡されても、グランは憮然としていた。 「ちっ、よけいなことをしやがって。あそこから俺の大逆転が始まるところだったんだ。俺の話術をもってすれば、タダで手に入るだけじゃなく、魔石も一、二個ついてきたはずなんだからな」 「そいつは悪かったね。……ところでその剣、リブレのとそっくりだね」 グランは一気に顔を上気させた。さすがのアイでも読めてしまった。 「ちっ、違うぞ! あのバカに渡すとか勝手に決めつけるんじゃねえ!」 「誰もリブレに渡すなんて言ってないよ。語るに落ちたね」 グランは剣を担いで背を向けた。逃げる気だ。 「ま、まぁ、礼くらいは言っておいてやる。ありがとよ、アイ」 グランが自分のことを名前で呼んだ。アイはうれしくなってとたんに笑顔になった。 そのとき、二人を何人かの男たちが取り囲んだ。 王国の紋章がついた青い鎧をまとっている。騎士団だ。 「お前らか、商人に暴力をふるって商品を巻き上げたっていう連中は」 「なんだと!」 グランたちは遠くでにやつく商人を見た。 「暴力なんてふるってねえ! どいてくれ、友達に渡さなきゃならないものがあるんだ」 「盗んだものを渡すなんて論外だ。話は詰所で聞こう。とにかく一度ご同行願おうか」 グランは魔力≠練ろうとしたが、アイがすんでのところでそれを止めた。いま暴れたらそれこそ犯罪者だ。それだけは避けなければならなかった。 結局、この容疑はすぐに晴れた。偶然詰め所にいたナイト、ウェイン・ジェルスが猛抗議をしてくれたのだ。さらに、被害者のはずの商人が行方をくらましてしまったこともあり、二人は解放された。 しかし、日はすでに上がりかけていた。 それは、リブレたちの旅立ちの時間になっていたことを意味する。二人はリブレの家に急行したが、既にもぬけのからだった。 最後の希望とばかりに、南ゲートへと直行したが、そこには誰もおらず、しんと静まりかえっていた。 「……ごめんよ、あたしがでしゃばったから、こんなことに」 アイは申し訳なくて、かすれた声しか出なかった。グランからどなり声が返ってくることを期待していたが、彼はれんが作りの花壇へと力なく腰をおろした。 「別に、いいよ。元々、チャンスはいくらでもあったんだ。リノの奴がうちまで怒鳴り込んでくるまで、なにもしようとしなかったのが悪かったんだ。もしかしたら、これでよかったのかもしれねえ」 アイは辛かった。こんな彼を見るのは、怒られるよりもよっぽど心が痛む。 「俺は、結局あいつが許せなかった。もちろん、勝手に出ていくって決めたことに関してじゃあ、ねえ。そんなことでふてくされるほど、ガキじゃねえからな」 「じゃあ、どうしてあんな態度を?」 グラン剣の柄にあごをのせた。 「あいつは、自分で決断してねえんだ。今回のことだって、見ていたろ。おやじが言ったから、思考停止して、ただついていく。それだけなんだよ」 「でも、仮にそうだったとしても、リブレにとってはいいことなんじゃないの」 「死ぬんだよ」 グランは宙をうつろに見つめた。 「そんな意識で旅立つようじゃ、死ぬんだよ」 アイはグランの過去をほとんど知らない。リスタルの魔法学校に通っていたことだけは、姉のミレーヌがたずねて来た時に聞いていたが、なぜ、こんな目をするのだろう。 過去に、一体なにがあったと言うのだ。 「ちっ、なんでおめーなんかにこんな話をしてるんだか。……さっさと、家に帰って、」 その後の言葉が、出てこなかった。 アイが見ると、グランは背を向け、体を小刻みにふるえさせている。 せめて、見ないでいてやろう。 アイはそう思って、ゲートの先に広がるトンカ平原をながめた。 その時、彼女は思わず目を疑った。 少しずつ、見覚えのある人間がこちらに向かってくるのだ。 日差しを浴びながらやってきたのは、リブレ・ロッシだった。なぜかほおが腫れている。 「あれ」 彼も二人に気がついたようで、駆け寄ってきた。 「リブレ、どうして!」 アイが叫ぶと、グランも振り返った。 「まさかな」 街道を歩きながら、ゲイルはさっきのことを思い出していた。 リブレは旅立ってからしばらく、ずっと何か言いたげにしていた。しかし、踏み出せないようだった。 「なんだ、何か忘れもんでもしたか。ほら、さっさと行くぞ」 ゲイルには、リブレが何を言おうとしているのか、なんとなくわかっていたが、敢えて気づかないふりをしていた。 きっと、戻りたくなったのだ。むろん、気持ちはわかる。だが、リブレにとってそれはよくないことだとゲイルは考えていた。あの息子の仲間たちには、きっと息子を強くはできない。なあなあなまま日々を浪費させるくらいなら、ゲイルは彼を一気に困難へと放り込んで強くするつもりだった。 リブレは一時間くらいもじもじとしていた。汗をかき、体をふるわせている。 おいおい、そんなにこの親父が怖いかよ。 仕方のないことだった。ゲイルはリブレに対して、昔から口答えを許していなかった。彼の性格も、そういう経験から形成されてきたものなのである。 「なんだ、こりゃ」 しばらくして、ゲイルは妙な場所へとたどり着いた。 街道の開けた場所が、ほとんど穴だらけなのである。 リブレはすぐに思い出した。そうだ、ここは以前、けんかになった剣士と魔術師に仕返しするために選んだ場所だ。 あの時は夜通し穴を堀り続けて、やつらを陥れる作戦を練ったのだ。 そうだった。あの時、俺は勝ったんだ。グランのおかげで、強い剣士に勝てたんだ。 「とうさん、おれ、やっぱり戻るよ」 やっと出せた一言だったが、直後、ゲイルの拳がリブレの頬を打った。 「聞こえねえな」 ゲイルは尻餅をついて倒れたリブレをにらみつけた。 リブレはすぐに恐怖し、後悔したが、汗をぬぐって穴を見た。そして、視線を父へと返した。 「何度でも言う。マグンに戻るよ!」 ゲイルは無言で後ろを向いた。 「聞いてくれよ。俺は、お付きなんかじゃなくて、やっぱり勇者になりたいんだ。その時のパーティはもう決まってるんだ」 「俺と、かあさんの二人だろ。それ以外にはいない」 「違う……。確かにとうさんもかあさんも大事だ。それでも、必要なやつがいるんだよ!」 リブレは視線を外さずに言った。ゲイルはもう二発、息子を殴りつけた。 「約束するよ。いつになるかわからないけど、とうさんに追いついてみせる。だから時間が欲しい」 リブレはそれでも怯まずに言った。 ゲイルは舌打ちし、目をとじて叫んだ。 「ああ、わかった。もう、おまえなんて知らん。さっさと帰れ! 帰っちまえ!」 「ありがとう、とうさん!」 リブレは明るい顔をして起きあがると、いっきに駆けていった。 その後ろ姿を見送ったあと、ゲイルはため息をついた。 「まさかな」 あの息子が、ここまで言うようになっていたとは。 ゲイルは、話を聞いてやるつもりではいたが、戻すつもりはなかった。しかし息子の表情に、思わず気持ちがゆらいだ。 「あの時のマリアとまったく同じ顔をしやがって。卑怯ってもんだぜ……悔しいが、いい仲間を見つけたってとこか。そんな風には見えなかったがよ。ま、いいさ。今回は許してやら。……ああ言ったからには、絶対に追いかけて来いよ、バカ息子」 ゲイルはトンカ平原をこえて、妻を追う旅を再会した。 「なにしに戻ってきた」 グランは辛辣に言い放った。二人がまた、にらみ合う。 「見りゃわかるだろ。戻ってきた! 平原の途中でな、モンスターとだな、戦った! そのあと、親父が、なんて使えねえやつだ、とか言ってだな! グーパンもらってだな、それでな、戻ってきた!」 リブレはなんだか、ものすごくぎこちなく言った。 アイは困惑した。戻ってきたことは確かにうれしいが、問題が根本的に解決していない。リブレはまた、父親に言われて、そのまま戻ってきてしまったのだ。グランが怒らないわけがない。とびかかりでもする前に、止めなければ。 と、思ったのだが、意外なことにグランは破顔していた。 「……バッカでえ、こいつ! 昨日、壮行会やってもらったんだろうが! 今日みんなになんて言うつもりなんだよ!」 リブレは真顔で言った。 「言うさ、だめだったって。パーティを追い出されたってな!」 グランはひとしきり笑ったあと、剣を彼に放ってよこした。 「ま、てめえにしちゃ、上出来だ。ご褒美にそいつをやる」 二人は手を打ちあわせた。アイはそれを見て何度も首をかしげている。 「えっ、なんで? なんでそうなるの? グランは、その、リブレが決断しなくて、その」 「おい、あまり考えすぎるなよ。バカな脳みそがさらにかわいそうなことになっちまう」 「な、なんだとっ!」 アイはグランとリブレの間に入り、肩に腕をかけた。 「おいっ、だからてめーは、色気がねえんだよ! 野郎じゃねえんだからみっともねえ真似すんな!」 三人は騒ぎながら広場へと戻っていった。 その姿をこっそり見ていたリノは、上機嫌な様子で家へと向かった。 グランには、わかっていたのだ。 マグン王国は、王都マグンの南ゲートから少し行ったところにある、サン・ストリート内の酒場「ルーザーズ・キッチン」。 「おい、グラン!」 リブレが勢いよく入ってきた。 「なんだね」 グランが頬杖をついて言った。 「なんだねじゃねえよ、クエストすっぽかしやがって! ゲレットさんに一人で二時間も怒られたんだからな! おまえ、今日おごれよ」 「いま金ねえよ。クエスト行ったんならむしろ貸してくれ」 「いや、今日の金は道具屋でだな……」 「なにっ、またマリーちゃんのとこ行ったのか! 俺も呼べよ、ぬけがけすんなよな!」 マスターがイヤそうな顔をして、グランの皿と、リブレに出しかけた水を下げた。 「あいつら、くずよね」 リノがぶどう酒をあおった。となりに腰掛けるアイは、ほほえんでいた。 「そうだね」 そこに、ロバートが入ってきた。 「おい、おもしろいクエストがあるんだけど、来ねえか」 彼らのユージュアル・クエストは、まだまだ続く。 |