次の日、俺たちは講堂の阿修羅像を持ち上げた。下には空間があり、梯子がついている。
「ふたりでいたずらして、叱られて以来だな。ここに入るのは」
そこは、師匠が何度も出入りしていた倉庫だった。師匠は絶対に入ってはならぬと、俺たちにいつも言い聞かせていた。
何かそこにヒントがあるのではと言い出したのはケンだった。以前、ここに入ってみようと誘い、師匠にこっぴどく怒られる原因を作ったのも彼だった。今回も少しばかり気が引けたが、純粋に興味があり、わくわくしている自分がいるのも事実だった。
「一週間も飯抜きで、死にそうだったよ。あのときばかりはケンのことを恨んだぜ」
「お前、まだ根に持ってるのかよ。モテないぜ、そういう奴はよ」
談笑しつつも、お互い神妙な面もちである。師匠はあのとき、見たこともないほど激怒した。それだけ重要な何かが、この中にあるのかもしれない。
梯子を降りていくといくらかの空間があり、色々なものが置いてあった。その中で小さい木製の棚を見つけた。懐中電灯を手に、俺たちはその棚を調べ、いくつかの古い巻物を取り出した。
「なっ、なにをしとるんじゃあ、お前らは!」
俺たちは思わず、猫に見つかった鼠のように飛び上がった。見てみると本田さんだった。
「なんということを。そこは入ってはならぬと、ゴウケンさんがいつも言っていただろう!」
本田さんはすごい剣幕で俺たちに唾を飛ばした。だが、その目は巻物に向かって一直線だった。
「おっさんも興味津々じゃないの」
ケンがつぶやいた。
巻物を開くと、水墨画がほとんどだった。いくつか、文字が書かれたものもあったが、劣化がひどく、ほとんど解読できない。
「ゴウケンさんの筆跡だ。間違いなくあの人が書いたものだろう」
そういえば、師匠はよく筆でものを書いていた。
「これなんか、昇竜拳に見えるけれど」
ケンが指さす水墨画は、人間が腕を突き上げていた。確かに、昇竜拳に見えなくもない。
半日かけて、三人でこれらを睨みつけた。いくつか、興味深い記載がされているものが見つかった。
「文字は全滅だ。水墨画も、これら以外はただの、趣味で描いたものかもしれんな」
ケンが最初に見つけた昇竜拳の描かれた水墨画のほかにも、波動≠練る人間の姿を描いたものなども見て取れた。中でも印象的だったのが、紙をほとんど墨で真っ黒にしたものだ。
「これは、人じゃないか」
その中に、白い何かが浮かんでいる。一体、なにを表しているのか。
「『波動は、宇宙なり』」
師匠の残した言葉が、ふと口から出た。俺たちははっとした。
「宇宙だよ。そうだ、まさしく宇宙だ。これがきっと、師匠の言う『ある境地』のことなんだ」
「だが、この絵だけでは何のことやらだな。ほかに、ヒントになりそうなものを探すんだ」
ほかにもう一つ、墨で塗りたくった絵を発見した。だが今度は、中央に円形の空間がもうけられている。空間は、黒い部分へと枝をのばしていた。
ケンは地団太を踏んだ。
「畜生、よくわからねえ。やっぱりこんな絵だけじゃあ、無理があるぜ」
本田さんも同じ気持ちのようだった。
「こんなことだったら、ゴウケンさんにもっと色々なことを聞いておくべきだった。もっとも、教えてくれたとも思えんが」
やはり、殺意の波動≠練習すべきなのだろうか。
本田さんとケンが片づけを始めた。ケンに手伝いを促されたが、俺はなんとなく、さっきの絵の空間を見つめていた。
そのとき、心が過去に呼び戻されて、ある言葉が聞こえてきた。
「もしかしたらその技そのものが、別の技を得るための鍛錬なのかもしれんな」
いつだったか、誰だったか。そうだ、確かにそんな話をした覚えがある。
とてつもない予感がよぎった。腕が震えだし、体内が踊りだした。
「波動拳だ。これは、波動拳だよ! ケン、本田さん!」
ふたりともきょとんとしている。
「インドで、ダルシムっていう修行僧に波動≠フことを教わったんだ。その時、波動拳は変な技だって言われたんだ。ふつうは、そんな使い方はしないって。それが、別の技のための何かに見えるって。今、それを思い出してこの絵を見てみたら、まさしく、波動拳なんだ。波動拳の技術の先に、きっと境地があるんだ」
どうもケンたちは要領を得ない感じだった。
「リュウ、オレにはどうも、その話はよくわからないが、何か掴んだというのなら、全力で手伝うぜ」
本田さんも同意した。
その日から、俺は波動拳の練習に没頭した。どんな撃ち方が、どんな練り方が、そしてどんな重ね方が「宇宙」につながるのかはわからなかったが、なぜか奇妙な確信だけがあった。波動拳こそが、この謎の錠を解き放つキーであることを。
波動拳を撃っては考え、考えては撃ち、そしてまた撃っては考えた。
さらに二週間が過ぎた。ここに来てから一ヶ月経つまで、あと二日である。
俺は、まだ波動拳を撃っていた。ケンが厚い鉄板で的を何度かこしらえてくれたが、それらも全てだめにしてしまっていた。
「おい、もう明後日だぞ」
「わかってるよ」
苛立ちを隠せず、ケンに強い口調で当たってしまう。焦っていた。もう少しだという感覚はあるのに、どうしても形が見えてこない。
今のままではベガを倒すことはできない。それだけははっきりしている。
「まあ、イラつくのはわかるけどよ。無理をもう何日続けたんだ。少しは休むべきだ」
「ケンは黙っていてくれ」
さすがに、ケンも頭にきたと見えて、壁を殴りつける音が後ろから聞こえた。
「てめえ、人が心配してやってるってのに、なんだよその態度は」
俺たちはつまらない口げんかを始めた。お互いの不満はどんどんエスカレートし、ついには取っ組み合いになった。
「言うようになったじゃねえか。こうなったらとことんやってやらあ」
「上等だ!」
俺たちはにらみあいながら波動≠重ね合わせた。お互いの波動≠ゥら火花が散った。
怒りに任せ、波動拳を発射すると、双方のそれは激しくぶつかりあった。
何か様子がおかしいと気づいたのは、その数秒後だった。
前にケンと戦い、波動拳の撃ち合いになったときは、波動%ッ士はすぐに相殺しあってはじけ飛んだ。だが今回は、ぶつかった地点でまだ浮かんでいるのだ。
見つめていると、ふたつの波動≠ヘねじれて、大きな玉になった。空気が震えているのを感じた。その後、やっといつも通りに破裂した。
ケンと俺は、ぼおっと宙を眺めていた。もう怒りはどこか遠くへ消えていた。
「おい、今の」
「ああ」
それだけで、意志が疎通できた。
さっきの玉は、あの水墨画に描かれた丸にそっくりだったのだ。
「リュウ、お前。波動≠何回も重ねたことはあるのか」
「あるさ。ここに来てからも何度かやった」
「何回が、限界だ」
「三回だな。それ以上は、ケンもよく知っているように、圧力がかかりすぎる。たぶん体が耐えられない」
ケンはにこりと笑った。
「たぶん、なんだな」
おそらく俺も、同じ表情だった。
「ああ、たぶんだ。まだ試してはいない」
「オレはさっき、二回波動≠重ねた。リュウは」
「俺も二回だ」
俺たちは拳を打ち合った。
「計、五回!」
俺は大きく息を吸って、波動≠練り始めた。一度に二つぶん作り、お互いを重ね合わせた。隣にいるケンも、俺と全く同じ方法で、彼の言うバチバチ波動≠作りあげた。
お互い頷いて、三つ目を重ね合わせる。衝撃に思わず顔をしかめてしまう。
ケンの声が聞こえた。どうやら失敗してしまったようだ。
「ちくしょう、やっぱりオレはまだ二回が限界みたいだ」
だが、彼の方向を見ている余裕はない。ちょっとでも油断すれば、すぐに飛散してしまうだろう。
第三段階の波動≠ヘ、火をまとった。以前ブラジルで使った炎の波動拳である。
「おお、すげえな。ファイヤー波動拳ってとこか。リュウ、四つ目をやってみてくれ」
観戦に徹することにしたケンに促され、四つ目をおそるおそる作り、重ね合わせてみる。
どん、と、重い音が響いた。まるで、講堂中が揺れているようだ。いや、ケンが何か大声を出している。風が吹き込むような音が耳に入ってくるのでよくは聞こえないが、きっと本当に揺れているのだ。
凝縮された波動≠ヘ、やはり耐えきれないほどの圧力だった。まるで、山を背負っているようだ。体中が電気ショックを浴びているみたいに、小刻みに震えている。油断すれば吹き飛ぶ。
もしもこれを波動拳にできれば、どんな威力になるだろう。ぞっとする思いである。確信が生まれていた。この先にある力こそ、師匠の「ある境地」に違いないのだ。
だが、腕はシベリアにいたときみたいにがちがちで動かない。やはり、ここが俺の限界なのだろうか。これ以上やると、体そのものが炸裂してしまうような気がした。
あきらめようかと思ったその時だった。ケンの手が、波動≠握ったケンの手が、こちらにやってきた。
そして、いつつめの波動≠ェ、重なりあった。
視界から、講堂が消える。ケンも消える。
空間に亀裂が入り、派手な音と共に崩れおちた。