ストリートファイター2N
プロローグ 世界へ……



 暗闇の中で、ひたすら正拳を打っていた。
 自分の中の何かを探すように、自分の中の何かを押し出すように。だが、それでも見つからない。見えてこない。
それはまるで、深い海の中で何もできずにただもがいているようだった。

「ちょっといいかな」
 爺さんが道場の扉を開けた。彼は俺にこの場所を与えてくれた恩人だ。職も学もない俺が、今こうして生きていられるのはこの人のおかげなのだ。
「なんだい」
 正拳を止め、爺さんに語りかける。その俺の姿がどんな風に見えたのかはわからないが、爺さんは少し目を見開いた。
「おまえ、ここ数日見かけないと思ったらずっとここで訓練してたのかい」
「ああ、ごめんよ。掃除は明日やるよ」
 夢中になってしまって、また何日か経っていたらしい。そういえば腹も減った。いつも言いつけられている境内の掃除も忘れていた。
「それより、お客さんだよ、外人さんみたいだけど」
 爺さんは入り口に指を指す。その先から、一人の青年が入ってきた。

「よう、相変わらずだな」
「ケン! 戻ってきたのか!」
 俺はすぐに駆け寄り、彼の肩を叩いた。彼……ケンは、昔の修行仲間だ。もっとも、昔と言っても彼と別れたのは一年くらい前のことなのだが。
「リュウ、ずいぶん探したぜ。城にいねえんだもん」
 ケンは不満そうに声を漏らした。「城」とは、以前の修行場所のことだ。きっと俺がまだあそこにいると当たりをつけてこちらに来たのだろう。
「悪いな、あそこ最近痛みがひどくてな。今はこの人の世話になってる」
 ケンは爺さんに一礼した。
「まあ話は後だ。城、行こうぜ」
 爺さんに詫びを入れて、俺は彼と共に城へと向かった。ケンはずいぶん探したと言ったが、ここからそう遠くはない。彼の車で十分もした頃、俺たちはかつての修行場所、朱雀城へと辿り着いていた。

「懐かしいな。ちっとも変わってない」
 ケンは辺りを見回した。この辺りは森に囲まれていて、普段人が来ることはほとんどない。
「それで、どうしたんだよ。突然いなくなったと思ったら、また突然帰ってきやがって」
「悪かったと思ってるよ。師匠がいなくなったすぐ後だったしな」
 
 二年前のことだった。
 師匠に言いつけられタイへと修行の旅に行った俺たちは、ムエタイの大会へと出場した。
 数週間後、大会を終えて帰国したのだが、城に帰った俺たちを出迎えたのは静寂だけだった。師匠がどこかに行ってしまったのだ。
 何ヶ月か二人で待ったが、師匠が姿を見せることはなかった。
 そのうちにケンもふらりと姿を消し、城には俺一人だけが残されたのだ。
 それから色々とあって今のお寺に世話になっているのだが、今でも城に行くことはある。もちろん、師匠が帰ってくる様子はないのだが。

「俺さ、あのタイの大会で思ったんだよな。世界って広いなってさ」
「そうだな、確かに奴ら強かった」
 ケンはそれを聞いて少しこちらを睨んで来た。
「嘘だな。優勝したお前にはわからねえよ。俺みたいな決定的な挫折感なんて味わっちゃいねえだろう」
 妙に辛辣な言葉だが、確かに俺はあの大会で優勝した。だから彼にしかわからないこともあるのだろう。
「だけどな、そのおかげで前よりも強くなりたいって気持ちが大きくなった。それでどうしようどうしようって考え込んでいたら、気づいた時にはここを出ちまってたのさ」
「そうだったのか」
 ケンがそんなことで悩んでいたとは気づかなかった。
「今は思うよ。師匠がいなくなったのだって、それを俺たちに伝えたかったんじゃないのかなってさ」
「まさか」
 ケンは俺の言葉を聞いて、今度こそ本気で敵意をむき出しにして、こちらを睨んで来た。気迫に少し負けそうになる。

「どうやらあの優勝で頭が沸いちまったみたいだな。こっから先は、こっちで語ろうや」
 ケンは拳を突き出した。



 ケンとは稽古で何度も立会いをしたことがある。
 しかし、それはあくまで試合形式のようなもので、今回のような喧嘩じみたぶつけ合いはあまりしたことがない。
 はっきり言って、自信がある。現在でも俺はトレーニングを怠ってはいない。コンディションも万全だ。
「リュウ、おまえストリートファイトってしたことあるか」
 着替えたケンを見て驚いた。昔使っていた白い空手着ではなく、真っ赤な胴着を着ていたのだ。新調したのだろうか。
「ああ、タイでやったろ」
 それを聞いて、ケンは笑った。まるで俺が面白い冗談を言って、それに笑っているのかのように。
「冗談だろ。あんなのはただの試合だ。ストリートファイトってのはな……」
 ケンはそこまで言って、間合いを詰めて拳を突き出して来た。俺は反射的に、それをかわす。
「こういうことだ!」
 しかし、彼は伸ばした腕を曲げて、俺にひじ打ちを食らわした。突然の変則攻撃に、俺は反応できずにふらついた。そこにさらにボディーブローが入ってくる。体が勝手に、くの字に曲がる。それをケンは逃さず、顔に回し蹴りを入れた。
「お前、ひじ打ち……」
 起き上がるのがやっとだった。
「反則だって言うのか? これはストリートファイトだぜ、スポーツじゃねえ」
 ケンは攻撃の手を止めずにさらに攻撃してきた。ジャブからの右ストレート、さらにハイキック。全て喰らってしまう。
「おいおい! どうしたよリュウ! 一発くらい打ってこいよ!」
 彼の挑発に、頭が白くなった。がむしゃらに攻撃する。が、全てガードされている。全て癖を読まれているのだろう。少し、ストレートが大振りになった次の瞬間、眼前に閃光が走った。
 
 気が付くと倒れていた。朦朧とする意識の中で、俺はケンの声を聞いた。
「リュウ、お前気づいてないと思うけど、ごくたまにストレートを打つ時に脇が大きく開くんだ。そんなんじゃカウンターの餌食だぜ。自分自身と戦うのもいいけれど、それだけじゃ見えないことだってある。世界に、こっちに来いよ。広いぜ、世界はよ。深いぜ、ストリートファイトって奴は」
 そこまで聞いて、意識が遠のいた。


 俺の意識が戻ったときには、ケンはまたどこかへ行ってしまっていた。今までのことは夢だったのではと一瞬思ったが、彼が昔使っていた赤い髪留めが残されていた。
 俺を追って、これを返しに来い。もしかしたらそういうことなのかもしれない。
 とりあえず、俺は寺へと戻った。

 寺の掃除を終えたら道場にこもり、俺はまた正拳突きを再開した。
 ケンの言うとおりだったかもしれない。俺は、自分で気づかぬうちに自惚れていたのだ。タイの大会で帝王と呼ばれた男を倒し、優勝して周りからちやほやされ……師匠がいなくなった後も、そうした慢心があったからこそ、ケンのように飛び出すようなこともしなかった。
 俺は、自分自身に負けていたのだ。
 一発一発の正拳が、自分の心に突き刺さるような感覚を覚えつつも、俺は正拳を続けた。

「リュウ」
 いつの間にか爺さんが道場まで入ってきていた。
「びっくりした。なんだよ、爺さん。掃除はやったよ」
「掃除のことではない。お前が帰って来る前に、あの青年がこれを置いていったのだ」
 爺さんが手にしていたのは、飛行機のチケットだった。見ると、明日の朝発になっている。
「行ってきなさい」
 爺さんは表情を変えずに言った。
「でも……」
「お前は、こういう機会を待っていたんじゃないのかい。少なくとも私にはそう見えていたがね」
 俺は少し黙った後、爺さんに頭を下げた。
 ありがとう、爺さん。


 こうして俺は、「世界」へと旅立ったのだった。
 その先にどんな運命が待っているのかも知らずに。

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