IMMORTAL MIND
イモータル・マインド

Part 1 [Blue Sword]
8.「女教師と剣の道」その2

「じゃ、ジャンプなんて汚くないですか」

 隼人が思わず言うが、楓はうんうんと頷いた。

「そうね。たぶん試合でやったら反則でしょう。でも隼人、それは剣道での話です。今のあなたの剣は、剣道ではなかった」

 楓はびし、と隼人の眼前に竹刀をつきつけた。

「――いつから、そんな剣を振るうようになった」

 突如として、楓の雰囲気が変わった。
 隼人は、周りの空気までが凍り付いたような気がした。

「剣の道とは、人の道、心の道だ。君が力を以て剣を振るうのは、他人を倒すためでも、快楽のためでもない」

 言い返せなかった。
 隼人は確かに、竹刀を振っていて、これまでにない高揚感を感じていた。
 不思議なことに、それが当然のことのように捉えられていたのだ。

「剣は自己を高め、他人を救い、護るために存在するのだよ。それがわからない奴に、剣を、力を持つ資格はない。私が戻るまでに今日は帰れ」

 楓は、竹刀をそっと置いて道場を出て行った。

 隼人は、面を取って息をついた。
 その通りだ。完全に見透かされていた。

「かなわねえな、あの人には。真矢、悪いけど今日はこれで帰るわ」

 隼人が振り返りながら言うと、彼女は驚いた表情で硬直していた。

「……どうした?」
「な、なんできゅうに下の名前で呼ぶのよ」

 真矢は少し赤くなっていた。
 隼人は頭をかいた。

 確かに。なぜだろう。

「あ……悪い。なんか、自然に呼んじまった」
「ま、まあ、べつに……いいけど」

 真矢は床を見て少しもじもじしていた。

「それじゃあ、帰るからな。部活、がんばれよ」

 真矢はしばらく答えなかったが、やがて言った。

「じゃあ……わ、私も帰る」


 ふたりは、自転車に乗って学校を出た。
 隼人はすぐ横を走る真矢を見る。

「おい、お前までサボっちまっていいのかよ」
「関係ないでしょ」

 真矢は顔を前に向けたまま言った。

「関係ないなら、どうしてついて来るんだよ」
「それはこっちのせりふよ。私は家に向かってるだけだもん」
「俺の家だってこっちなんだよ!」
「じゃあ折笠が道を変えればいいじゃない!」

 二人はそんなやりとりを続けながら自転車をこいだ。

 しばらく走って、町のシンボルである塔の建つ公園に出た。
 隼人は、自販機で飲み物を買おうと駐車場に入ることにした。
 だが、真矢も全く同じことを考えていたらしく、二人は結局にらみあったまま公園に入った。

 隼人は駐車場の縁石に腰掛けて、炭酸飲料の缶を開けた。真矢はウーロン茶のボタンを押して、商品を取った。

 公園には二人のほか、誰もいない。車すら停まっていない。
 隼人は缶を傾けながら、塔を見た。

「『小泉町スカイアロー』……いつ見てもショボいな。名前負け感が半端じゃねぇ」
「これって確か、景気がよかった頃に作ったんでしょ? 税金の無駄づかいよね」
「今どき、高さ八十メートルじゃあな……」
「しかも展望台が暑いのよね」
「ああ、エアコン入ってないからな。小学生の頃、冬に行って凍えたよ」
「そんなんじゃ、誰も入らないわよね……」

 真矢のとげとげしい雰囲気は消えていた。
 しばしの沈黙のあと、彼女が言った。

「それにしても、相変わらず先生はああなると怖いわね」
「昔からだよ。……でも、かっこいいんだよな」

 真矢はそれを聞いて少しだけ、いらついた様子だった。

「でれでれしちゃって」
「ば、バカ野郎。あの人は怒るとさらに怖いんだからな!? ほとんど鬼だぞ、鬼」
「はいはい。鬼でも美人なら、それでいいんでしょ。男ってみんなそうなんだから」
「誰もそんなこと言ってねえだろっ!」

 隼人は舌打ちして、飲み終えた缶をゴミ箱に入れようと自販機に向かった。

 その時、どさ、と音がした。

 隼人が振り返ると、真矢が倒れていた。



「……おい?」

 隼人が、声をかける。
 返事はない。代わりに返ってきたのは、真矢のうめき声だった。

「ぐっ……うう……」
「なんだよ、さっきの胴の当たりどころが悪かったのか? すまねえ」
「そ、そんなんじゃ……ううっ!」

 真矢は胸をおさえ、その場でもんどり打って苦しみ始めた。
 さすがに様子がおかしいと気づき、隼人は彼女に駆け寄った。

「おい、どうしたんだよ!」
「い、いた……い……苦しい……」
「大丈夫か!」

 隼人は必死に真矢を揺らす。
 その時、彼女の胸元から、赤い傷のようなものが見えた。

「ぐうっ……! ああっ……!」

 傷はみるみるうちに大きくなってゆく。
 隼人はすこし迷ったが、周りに誰もいないことを確認し、彼女の上着を脱がせた。



 真矢の胸元に、大きな傷ができていた。



 それを見た瞬間、隼人は自分の頭がはじけたような気がした。

「こ、これは……」

 ハヤトは、全てを思い出した。

 俺はまた、こちらに戻ってきていたのだ。
 あれからマヤは、どうなった?
 ビンスは? ルー、ロバート、ミランダは?

 ソルテス……ユイは、どうなった。

「これは……いったい、どういうことなんだよ!?」

 ハヤトは必死で叫んでいた。涙があふれてきた。

「真矢っ! ちくしょう、どうしてだよ……どうしてこっちの真矢に、あの傷ができちまってるんだよっ!」

 ハヤトは真矢を抱きしめた。
 頭がおかしくなってしまいそうだった。
 ユイ。ユイはどこだ。

「ユイ、お前は一体何をしようってんだっ! くそったれ……! 真矢、お前だけは……!」

 だが、どうすればいい。
 真矢の傷はみるみるうちに広がってゆく。彼女の動きも次第に鈍くなっている。

「くそおおおっ! 止まってくれ! どうすりゃいい! どうすりゃあいいんだよおっ!」

 ハヤトは焦りの中で、さきほど楓に言われた言葉を思い出した。


『剣は自己を高め、他人を救い、護るために存在する』


 彼は汗をふきながら、自転車の荷台に挟んでいた竹刀袋を手に取った。

「剣よ……力が、他人を救い、護るために存在するっていうなら……こいつを、真矢を救ってくれ! 俺は、俺はもう、あんな光景みたくねえっ!」

 ハヤトは真矢に叫ぶようにして、言った。

「剣よ、俺に……俺に力を貸せぇーーっ!」

 ハヤトの体が、蒼い光に包まれた。
 真矢の傷が同時に光りだし、傷の浸食が止まった。

「うぅ……おり……かさ……」

 真矢がささやくように言った。
 ハヤトは最初、信じられないといった風にそれを見ていたが、やがて目をつむった。

 そうか、そういうことだったのか。

 意識が、遠くなっていった。



 ハヤトは、はっとして目を開いた。

「目をさましたの!」

 突然の大声。すぐ目の前にルーがいた。
 上体を起こすと、そこはビンスと対決した「宝玉の間」であった。
 しかし、洞窟全体を覆っていた輝きはなくなり、部屋も薄暗くなっていた。

 ハヤトはすぐに、辺りを見渡す。
 ロバートが少し離れた場所で、片ひざを立てて腰掛けている。
 その下で倒れているのは……マヤだ。

「マ、マヤ!」

 ハヤトは彼女のもとに走る。
 ロバートがこちらを振り返った。

「どうやら、君は無事だったみたいだな。急に倒れたから驚いたぞ」
「そ、それより、マヤは……」

 ロバートは眉を下げて、マヤに視線をうつす。
 彼女は色白の肌をさらに白くして、目を閉じたまま横たわっていた。
 胸のおぞましい傷も残っていた。

「マヤ……」

 ハヤトが悲しげに言うと、マヤの口から吐息が漏れた。
 まだ、生きている。
 ロバートはそれを見て、“魔力”を練って彼女の体に触れた。

「見ての通り、彼女はなんとか生きている。だが……俺の回復魔法程度じゃ気休めにもならん。いま、ミランダが村に戻って回復魔法が使えるやつを連れてきてくれているが……それまで、持つかどうか」

 ハヤトは、絶望的な状況であることを聞かされたというのに、なぜだかほっとした。
 生きている。マヤは生きているのだ。

 真矢と一緒だ。
 まだ、助けられる。

 その時、マヤの傷が少しだけ輝き、小さくなった。

「な、なんだっ!? 俺の回復魔法じゃ、こんな風にはならないはずだが……」

 ロバートが驚いた様子で言った。
 ハヤトはそれを見て頷くと、力強く地面をふみ、剣を引き抜いた。

「剣よ……。お前のことが、少しだけわかった気がする。お前は『悪しきものを破壊する』んだよな……だったら!」

 次の瞬間、剣は「蒼きつるぎ」に変化した。
 ロバートとルーが、思わず声を上げる。
 ハヤトが、マヤの体にその切っ先を向けている。

「ハヤト、なにするつもりなの!」
「この傷を、『破壊する』ッ!」

 ハヤトは剣を、傷に向かって思い切り突く。

 ばきん、と何かが割れる音が聞こえると共に、マヤの傷がべりべりと空中に向けてはがれてゆき、やがて完全に消えた。

 彼女はゆっくりと目を開いた。

「ハ、ハヤト……君……?」
「おはよう、マヤ」

 マヤは、むくりと起きあがり、自分の胸元を見た。
 服が血だらけだ。しかし、彼女は痛みを全く感じなかった。
 傷が存在しないのだ。

「ど、どういうこと……? 確か私、人形の攻撃を受けて……」
「ああ、悪かった。俺があの時に『蒼きつるぎ』を出せていれば、あんなことにはならなかった」

 ハヤトは、決意を新たにしていた。
 真矢とマヤ。そっくりな二人にどんなつながりがあるのかは、わからない。
 ただ、はっきりしたことがある。

 俺が、やらなければならない。

「俺はもう、君を傷つけさせやしない。君は、俺が護る」

 その時、「青きつるぎ」の柄の先端に小さなひびが入ったが、誰も気づかなかった。

次へ