三階建てのアパートくらいだろうか。 屋敷はさっきまでの場所よりも鬱蒼とした森の中にたたずんでいた。 気のせいか、空が少し明るい気がする。 「なんなんだよ、このボロ屋敷は」 「どうやらここが狼さんのねぐら、ってことみたいね。どうして障壁がとけたのかはわからないけど、泥棒を捕まえるにはここに入るしかないみたい」 「ちょ、ちょっとふつうじゃねえぞ」 「なんだかあなたはそればっかりね」 マヤはずかずかと歩いていき、ばんとドアを開いた。 明かりの類は全くついていないが、多少、何かの気配を感じる。少し先に広がる幅広の階段が不気味である。 二人が辺りを見回しながら屋敷に入っていくと、どこからともなく声が聞こえた。 「どうして?」 おびえた感じの、子どもの声だった。 「どうしてあの障壁を破れたの」 「もしかしてさっきの狼か……?」 ハヤトがたずねると、階段からひとりの少女が降りてきた。だぼっとしたフードつきのローブを羽織っている。年のころは、見たところ十歳前後だろうか。 少女は財布を手に持っていた。 マヤはそれを見て声を上げた。 「あっ、私の財布! あなたが狼をけしかけて盗んだのね!?」 少女はぺこりと頭を下げた。 「ごめんなさい。でも、こうしないと生きていけないの。これは、譲ってほしいの」 そう言って少女は財布を後ろ手に隠してしまった。 マヤはそれを取り返そうとしたが、すぐにやめた。少女は無表情だが、その様子が奇妙なほど必死だったからだ。 「何か、理由があるのね? 全部はダメだけど……ちょっとくらいなら、分けてもいいわよ」 少女は首をふる。 「ちょっとじゃ……だめなの。ルー、怒られるの」 「でも、私たちはそれがないと困るの。悪いけど、そんなことを言う欲張りさんには何もあげられないわ」 ルーと名乗った少女はそれを聞くと、少し悲しげに目をふせた。 「マヤ……この子、何か事情があるんじゃないのか?」 「でも、それを解決してあげられるだけの余裕は、私たちにはないわ。どちらにせよ、この子がお金を盗んだのは事実なんだから……」 『ルー! ルー・アビントン! いるのか!』 その時、上の部屋から男性の怒鳴り声が聞こえた。 ルーはそれを聞くと、びくんと体をはねさせて階段をのぼっていった。 「あっ! ちょっと待ってよ!」 ハヤトたちはそれを追う。 ◆ 『ルー! きさま、どこに行っていた!』 ハヤトたちはルーが入っていった部屋を覗いていた。怒鳴り声は部屋の奥から聞こえる。ドアが少ししか開いていないので、声の主が誰なのかは見ることができない。 「またお金をとってきたの」 『おう、そうか。よしよし』 「でも、人がきたの」 『なに!? まさか障壁を壊したのか?』 「わからないの」 『人間がここまで来られるわけなかろう。まさかルー、おまえがここに連れてきたんじゃないのか』 「ち、違うの!」 ルーが声の主におびえているのがよくわかった。 一体、何者なのだろう。 『ルーよ、わかってるんだろうな。わしは、お前みたいなちんちくりんがどうなってもかまいやしないんだ。だがお前の一族は、それじゃ困るんだよな?』 「そうなの。ルーの一族は、ルーが最後なの……血を絶やしちゃいけないって、おばあちゃんに言われたの」 『でも、お前みたいな奴が人間の世界に入っても、生きていける訳がない。だって人間は怖いからな。お前なんて取って食べてしまうぞ。だからこの屋敷でわしに使われているままなのが、一番なのだ。わかったな?』 「……うん」 『お前が今後も金を盗んで来てくれるなら、わしはお前を見放さない。だがお前がそれをやめるというのなら、わしはお前のことなんてどうでもよくなるし、殺すかもしれない。よし、今夜は新しい条件を出そう。その人間たちを殺してしまえ。殺せばお前の命を保証しよう』 ルーは少しだけ困惑した表情を浮かべた。 「……殺すの?」 『当然だ。いつか覚えさせるつもりでいた。いい機会だろう』 「殺す……」 『文句があるのか? ならばお前を殺すまでだ』 「……わかったの」 ハヤトは思った。むちゃくちゃだ。 私利私欲のためにあんな小さな子を利用するなんて。 横で話を聞いていたマヤも同じ気持ちのようだった。彼女はドアに足のうらをつけて、思い切り蹴り飛ばした。 「ちょっとあんた! さっきから話を聞いてみれば……なんてド畜生のくそったれなの! そこになおりなさい!」 だが、マヤはそのまま硬直した。 部屋にはルー一人しかいなかったのである。彼女は驚いた表情でこちらを見ている。 『ちっ、人間め。本当に迷い込んできやがったのか』 だが、先ほどの声が聞こえる。マヤは辺りを見回しながら剣を構えた。 「姿を現しなさい!」 『さあルー、この人間たちを殺せ! モンスターは人間を殺すものだ。思い切りやってみろ』 「……わかったの」 ルーは何もない空中に向かって頷き、両手を外に向けてつきだした。“魔力”が増幅していく。彼女の周りに風がふき、フードが脱げた。 「あっ……!」 ハヤトは声をあげた。 ルーの栗色の髪の中に、動物のような黒い三角耳が生えている。 「行くの……『エッジ』!」 ルーの手元から緑色の“魔力”の塊のようなものが現れた。彼女はそれを投擲する。 塊は空中で形を変え、ブーメラン状になる。 ハヤトは身構えたが、マヤに突き飛ばされるようにして倒れ込んだ。 直後、後方のドア付近がすぱすぱと斬れ、その場に飛散した。 「ハヤト君、『エッジ』は“魔力”を刃にする魔法よ! 体で受けたらまっぷたつになるわ」 「ま、まじ……?」 ハヤトたちが起きあがると、また声が聞こえた。 『おいルー! 何をやっている! 館に傷をつけるんじゃない』 「ごめんなさいなの」 『まあいい。確実に追いつめろ。だが柱に注意するんだ。つぎ、柱をやったらお前を殺す』 「気をつけるの」 ルーはもう一度「エッジ」の詠唱を始める。マヤとハヤトは部屋を飛び出した。 今度は踊り場付近の手すりがバラバラになって吹き飛んだ。 「なんて“魔力”なの……? 『エッジ』をここまで使いこなすなんて、ただ者じゃないわ。ハヤト君、いったん退きましょう! この屋敷、不気味だわ!」 マヤはハヤトの手を取ったが、ハヤトは逃げようとしなかった。 「いや、待ってくれ」 「どうして!?」 「あのルーって子……なんだか辛そうに攻撃してる。きっと本当はこんなこと、やりたくないんだよ」 「それは、そうかもしれないけど!」 ハヤトは、剣の柄を強く握った。 「スッゲーわかるんだよ……楽しくもないことをやらされるってのは、なんというか本当にむなしくて、たまに自分が一体何者なのかわからなくなって、不安で……でも結局、何も変えられずに、続けるしかねえんだ」 「ハ、ハヤト君……?」 「でもそうじゃないんだよ。変えたいんだ。本当は、変えてみたいんだよ。ただそれがちょっと不安なだけで! 助けてくれるって人が一人でもいたら、自分の世界は変えられるかもしれないんだ」 ルーが部屋を出て、こちらに歩いてくる。 『さあルー、やれ!』 例の声が、彼女をけしかける。 ルーは少し躊躇しているが、もう一度同じことを言われ、魔法の詠唱に入った。 「ルーちゃんよ」 ハヤトは彼女の前に立ちふさがった。 ルーは驚いたように耳をぴんと立てて彼を見た。 「つまんねーだろ、それ」 「……」 「やめようぜ。お金とるのも、人を殺すのも。本当はやりたくないんだろ?」 「……でもやらないと、殺されるの。人間はルーを食べるから怖いの」 『ルー! 人間の言うことに耳を貸すな!』 「黙れよ!」 ハヤトは叫んだ。 「なあルーちゃん、人間はそんなことしないよ。確かに悪い奴もいるかもしれないけど……君みたいな子を食べたりなんてしないさ」 ルーはハヤトの目を見た。やがて、詠唱を止めた。 「じゃあもう一度聞くぜ。……やりたく、ねーんだよな?」 ルーは、表情を変えぬまま、ちょっぴり頷いた。 ハヤトはにっと笑った。 「だったら、俺でよければ協力するぜ」 ハヤトの瞳が蒼く光った。 ◆ ハヤトの持っていた鋼鉄製の剣が、青い光を伴ってみるみるうちに姿を変えていく。 ルーはぽかんと口をあけた。 『なっ! なんだっ!? 何が起こっている!』 謎の声は動揺を隠せなかったようだった。 「この世界にも慣れてきたところだ、説明してやるよ。こいつは悪しきものを破壊する剣……『蒼きつるぎ』って言うらしいぜ」 ハヤトは幅広の刀身を持つ、「蒼きつるぎ」をぶんと振った。 『「蒼きつるぎ」だと! 悪名高いあの剣が復活したというのか!?』 「そうだよ。マヤ。ルーちゃんを連れて外に出てくれ」 「こ、この子も連れて行くの?」 困惑するマヤをよそに、ハヤトは笑顔で頷いた。 「ああ、頼むよ。ぜんぶ、ぶっこわすから」 『ぶっこわす!? 壊すと言ったのか!? 人間風情が笑わせてくれる。強大な“魔力”で囲われたこの館が、人間なんぞに……』 「笑ってろよ。剣よ! 俺に力を貸せ!」 ハヤトが気合いを入れると、剣が呼応するかのように輝きを増す。マヤに抱えられたルーは、それをぼおっと眺めていた。 「すごい“魔力”なの」 剣の刀身が巨大化し、ドラゴンを斬った時と同じ大剣へと姿を変えた。 「あんたが何者かは知らねえし、どこにいるかもわかんねえけど……確かなことがある。あんたが少女をこき使うひどい奴だってことと、この屋敷の柱を妙に大事にしているってことのふたつだ」 『き、きさまっ!』 ハヤトは、周りに立っている柱をいくつか見やる。 柱から“魔力”吹き出て輝き出し、障壁のようなものが作られた。 かと思えば、皿やナイフ、ろうそく台など、家具と思われるものがハヤトへと向かって飛んできた。 彼は剣を一薙ぎして、それらを破壊した。 「やっぱね。読めたぜ」 『わかったところでわしの魔法障壁が破れるはずがない! やれるものならやってみよ!』 ハヤトは両手に抱えた剣を床に思い切り突き刺し、叫んだ。 「剣よ! 全部ぶった斬れ!」 瞬間、「蒼きつるぎ」の刀身が次々に枝分かれし、四方八方へと向かった。 刀身は障壁を軽々と突き破って柱に突き刺さる。 男の悲鳴が響いた。 「まだ終わりじゃねえぞっ!」 ハヤトの体が浮かぶ。ぐぐぐぐ、と、剣がねじれる。 屋敷の中がきしみながら、だんだんゆがんでいく。 『や、やめろおっ!』 「吹き飛べっ!」 「蒼きつるぎ」とハヤトは、そのまま猛烈な勢いでぐるりと一回転する。 屋敷に無数の切れ目が入り、飛散した。 ◆ 外に出たマヤとルーは、屋敷がねじり斬られる様子をただ見ていたが、周りの景色が歪みだしたのに気がついた。 「どういうこと!?」 「障壁で作った世界の“魔力”が、なくなるの……」 屋敷が崩壊を始める。ハヤトと、木の根のようになった剣が空中に残っていた。 男の声がかすれるように聞こえた。 『こ、こんな……ことが』 「あんた自身が、屋敷の形をしたモンスターだったってワケだな」 剣の姿が元に戻り、ハヤトは着地する。すぐにマヤが駆け寄った。 「ハヤト君、この場所はさっきの屋敷が作った世界らしいの! 急いで脱出よ!」 見ると、景色のそこかしこに亀裂が入っていた。 「で、でも出口はどこにあるんだ!?」 「こっちなの」 ルーが声を上げて指をさした。亀裂の中に、少し色の違う空間があった。 『ま、まてルー……』 屋敷の声が聞こえた。 『人間、どもに……ついていって……何になる……。……だからわしに金をよこせ……金を……さもなくば殺すぞ……』 ルーははっとしながら屋敷をしばらく見ていたが、ハヤトがその頭にぽんと手を乗せた。 「ルーちゃん。やりたいことを、やりな」 ルーはハヤトを見上げた。 彼女は頷くと、さっきの色が違う障壁の亀裂に向かって駆けだした。 「えーい!」 ルーが障壁を蹴ると、空気がはじける音とともに亀裂が砕け、さっきまでいた森が姿を現した。ルーは外へと飛び出した。ハヤトたちもそれに続く。 『ルー、ルー……か、ね』 そのせりふを最後に、屋敷のモンスターは息絶え、障壁の世界は閉じられた。 「でも、どうしてあの屋敷はお金をほしがったんだろう。屋敷なんだから、金なんていらないはずだろ」 たき火にあたりながら、ハヤトが言った。マヤが薪を投げ入れた。 「断言はできないけど、お金って、人の“魔力”を宿しやすいの。欲望に直結するものだし、いろいろな人の手に渡るからね。きっとあの屋敷は、それをエネルギーにしていたのかもしれないわ」 隣にはルーが座っている。 「それで、ルーちゃんはこれから、どうするんだ?」 ルーはしばらく答えないでいたが、耳をぴくぴくさせながら立ち上がった。 「ルーは……」 彼女はハヤトに向かってぽんと飛び、彼に抱きついた。 「ルーは、ハヤトと子作りしたいの!」 「へっ!?」 ハヤトとマヤは、同時に言った。 |