王都ベルスタから少し離れた街道沿い。 「ハヤト君、前に行って。回り込んではさみうちにしましょう」 マヤの指示に合わせ、ハヤトが剣を抜いて小走りする。 目の前にいるのは、斧を持つゴブリンだ。 背は小さく弱々しいのだが、近くで見ると少しグロテスクである。まるで人間味のない青色の肌といい、だらだらと垂らしているよだれといい、あまり自分から近づきたいと思える相手ではない。 「さあっ、私が合図するから、攻撃を頼むわね」 「お、おう」 ハヤトは剣を正眼に構える。 それに合わせ、マヤがさっと手を広げた。 「ヤァァァッ!」 ハヤトが剣を向け突進する。 マヤのほうに狙いを定めていたゴブリンは驚いた様子で彼を見たが、ハヤトの方が速かった。 ゴブリンの胴の部分に剣が突き刺さった。 「離れて!」 ハヤトが剣を手から離して後ろへとステップすると、マヤの腕から“魔力”があふれ、電撃魔法がゴブリンをおそった。 「ねえハヤト君。そのうるさいかけ声、なんとかならないの?」 絶命し、消えゆくゴブリンを見ながらマヤが言った。ハヤトは残された剣を拾い上げ、鞘へとしまう。 「悪いな、癖なんだよ」 「でもそれ『今から攻撃しますよ』って自分で言ってるようなもんじゃない。このレベルのモンスターならまだいいけど、今後警戒心が強い敵と会った時に命取りになるかもしれないわ」 「うーん、でもガキの頃から仕込まれちゃってるんだよ」 ふたりの旅が始まって数日が経った。 ハヤトは意外に早く、この世界に適応しつつあった。モンスターとのエンカウントもこれで十数回目を数えるが、実戦慣れしているマヤが敵の大体の強さと攻略法を把握していることもあり、彼らが苦戦を強いられたことは今のところない。 真剣を振るうことに、そしてモンスターとは言え生き物の命を奪うことに多少の抵抗はあったものの、やらなければこちらがやられてしまう。 そして今の彼にとっては魔王ソルテス、ユイに再開することこそが一番優先すべきことであった。 その為には仕方ないと割り切ることにしていた。 ちなみに、大きな危機にさらされていないこともあってか、ハヤトの「蒼きつるぎ」はドラゴンの一件以来、発動していない。 マヤは少し離れた場所にあった馬車に向かい、御者席へと乗り込んだ。 「さっ、モンスターも倒したことだし、できるだけ先に進んでおきましょう。もうじき日も暮れるわ。できればこの先にあるガスタルの町くらいにはついておきたかったけど、難しそうね」 「げっ、じゃあまた野宿するのかよ」 ハヤトは苦々しい表情を浮かべた。 これまで野宿などキャンプでしか経験がない彼が一番難儀していたのが、この睡眠環境の悪さであった。モンスターなどもうろついているので油断できない。 もっとも、原因はそれだけではないのだが。 マヤは肩をすくめる。 「いい加減慣れなさいよ。馬車があるだけましだと思って」 「た、確かにそうなんだけどな……その……」 ハヤトがばつの悪い顔をしてぽりぽりと頭をかいているので、マヤは首をかしげる。 「なに?」 「い、いや。なんでもない。急ごうぜ」 ハヤトにはどうしても、言えなかった。 ◆ 「んっ……んんっ……」 深夜。森の一角に作ったキャンプのたき火を見ながら、ハヤトはため息をついた。 「うっ、始まったか」 彼は今夜も眠れないでいた。原因はただひとつ。 「んっ……んぐっ……あぅぅ……はんっ……」 隣でもだえるような声を上げて眠るマヤである。 どうやら彼女の癖らしい。 そして寝相も悪い。彼女は眠っていると時折もぞもぞと動き出し、何かに掴まろうとする。 ハヤトは毎晩捕まらないように、遠目の場所に毛布を敷いているのだが、なぜかいつの間にかその場所まで転がってくるのである。 「あ……あぁん……」 色っぽい声とともに、背中にひしと抱きつかれてハヤトはびくりとした。彼女はがっちりと彼の体をホールドしていた。 「んっ……はぁっ……」 ちょっと苦しげな吐息が漏れる。ハヤトの顔はみるみるうちに赤くなり、完全に硬直してしまった。 年頃の女の子が、それも森野真矢にそっくりな彼女が、目の前で自分に抱きついている。しかも、背中に柔らかいものがふたつ、当たっている。ぷにぷにである。出会った時の感触を思い出す。 ハヤトはふと、このまま彼女を……と衝動にかられそうになったが、ぶんぶんと頭を振った。 こんなんじゃ、眠れるわけがない。 相変わらずもだえ続けるマヤに毛布を掴ませ、馬車の御者席に座ったハヤトは、彼女の顔をみた。 やはり、髪と目の色以外は森野真矢にうり二つである。性格や言動も似ている気がする。 仮に自分がマヤ・グリーンに学校で出会い、剣道で勝ったとしたら、あの真矢みたいになるのだろうか? 不思議な感覚であった。今となっては元の世界のことを思い出せるきっかけが、彼女の顔くらいしかない。 でも、どうしてこんなことが起こるのだろう。 ふと、マヤが寝返りをうった。 ハヤトは一度それをちらりと見たあと、空を見上げたが、ものすごいスピードで二度見した。 マヤの胸の部分が、もぞもぞと動いている。 女性の胸ってそんな機能がついていたのか!? ハヤトはまだ知る由もない女体の神秘にあたふたしたが、その原因はすぐに判明した。 上着の下部分から、小さな袋が現れた。 袋はふわふわとぎこちなく浮かんで、マヤの顔を通って森の中へと消えていく。 「な、なんだ?」 ハヤトが思わず声を上げると、がさりという音とともに、袋が落ちた。 金属製の硬貨が散らばった。袋はマヤの財布のようだ。 しばらくの沈黙のあと、袋はまた、何事もなかったかのように浮かびだす。 「お、おいおい。どこ行くんだよ。この世界じゃ、財布が意志を持ってるのか?」 また、奥からがさりと音がした。ハヤトが見ると、そこには子どもの狼がいた。 沈黙。 しかし、袋が狼の方へ向かっていくのを見て、ようやくハヤトも気がついた。 「お前さ……もしかして、財布を盗もうとしてないか?」 狼はかなりあからさまに体をはねさせて狼狽したが、時すでに遅し。浮いてきた財布をぱくりとくわえると、背を向けて一目散に駆けだした。 「あっ、テメーやっぱり! 待ちやがれっ!」 ハヤトは狼を追いかけた。 ◆ 夜の森の中を疾走する。 幸い、月明かりが差し込んできているので何も見えないという訳ではない。 ハヤトは狼を追いながら思った。 どう見てもこちらの言葉を理解していた。おまけに魔法のようなものまで使っていた。だが、もうこの世界では何があっても驚くまい。とにかく、財布を取り戻さなければ。 「ハヤト君、何事!?」 後ろからマヤの声が聞こえてくる。 どうやら自分が走るのを見て起きたらしい。しかし、説明している暇はない。 狼は時折走る方向を変えたが、なんとかついていけた。 足の早さで動物に勝てるはずがないのだが、どうにも、狼の走りが微妙にぎこちないのである。 狼はこちらをちらりと見たあと、スピードを上げた。 そしてハヤトは見た。狼が煙のように姿を消すところを。 「うおっ!?」 ハヤトはその場で足を止めた。周りを見るが、草木が揺れているだけだ。狼が消えた場所の先にも同様の景色が広がっている。 「どういうことだ?」 「ハヤト君、どうしたの? たき火から離れると危ないわよ」 追いついて来たマヤに状況を説明する。 彼女は自分のシャツをまさぐって、手を顔にやった。 「やられた……眠るときは油断しないように特に注意しているのに……」 どこがだ、とつっこみたい気持ちをハヤトはおさえた。 「なあ、その狼がこの先で消えちまったんだけど、どういうことなんだろう」 「うーん、モンスターでもないのに魔法を使ったのかしら」 「ああ、財布も浮かせてたぜ。それで、さっきこの先に走っていってよ……」 ハヤトが説明しながら、さっきの狼が消えた地点へと歩いていく。 「この辺りで、姿を……」 そこまで言って、指を指した時だった。 ばしんと言う振動を伴った音とともに、何もなかった空間に突如として穴のようなものが現れた。 「な、なんだこりゃ!?」 「『ウォール』の障壁だわ! 空間をねじまげる高等魔法よ。もしかして……」 マヤは穴の中へと入っていく。ハヤトもおそるおそる、それについていく。 穴の先には、大きな屋敷があった。 |