「うーむ」 隼人はベッドの上で、難しい顔をしながらうなっていた。手にはゲーム機が握られている。 「ベスドラ」のダンジョンは、相変わらず進行していない。ボスが待ちかまえる部屋の、鋼鉄の扉は開かないままである。 バグだろうか? 隼人はエンカウントを起こしたり、セーブしてやり直したりして試行錯誤したが、やがてゲーム機の電源を切った。 「唯、いるか?」 隼人は唯の部屋をノックした。明るい声が返ってきた。 「なーに?」 「『ベスドラ』のダンジョンがよう……完全に詰まっちまった。見てくれよ」 「ダメだよ」 唯は扉をあけた。 「ダンジョンくらい、自分でクリアしなくちゃ」 「そこをなんとか。話が気になって仕方ないんだよ」 「じゃあお兄ちゃん、ちょっとファミブまで付き合って? ゲームとCDを見に行きたいの」 唯は扉から鞄を出して見せた。隼人は肩をすくめる。 「なんだ、外に出るつもりなのか? 母さんに見つかったら怒られるぞ」 「ちょっとくらいなら大丈夫だよ。お医者さんもたまには外に出て日に当たれって言ってるし」 隼人は腕を組んだ。 「しゃあねえな」 「やりぃ!」 隼人は自転車を車庫から出して、唯を後ろに乗せて走りだした。 自転車が砂利道に入り、がたがたと揺れる。 「大丈夫か?」 「もう、心配しすぎだよ。ちょっと揺れたくらいで死ぬわけじゃないんだから」 「言ったな、この」 隼人は自転車を立って思い切りペダルをこいだ。 スピードが上がり、唯がわあわあと騒ぐ。 二人の乗る自転車は川沿いの土手に出た。 「いい天気だな」 「うん」 「……病気は、どうなんだ? 大丈夫か?」 唯は隼人の腹に腕をからめた。 「自分でも、わからない。たまに、私の病気なんてうそっぱちで、本当はなんともないんじゃないかとすら思う」 「そりゃ、よくなってる証拠だろ」 唯は隼人の背中に顔をおしつけ、首を振った。 「ううん。病院で検査するとわかるの」 「……でも、前みたいに、治るさ」 唯は答えなかった。 ゲームとCDを物色したのち、二人は本屋をあとにした。 けっきょく、何も買わなかった。 自転車は土手を走る。 川はゆっくりと、小さな音をたてて流れている。 「あっ」 唯が指を指す。遠目に黒い煙が立ち上っているのが見えた。 「なんだ、火事かな? うちじゃねえよな」 「ううん、違うよ。別の家」 唯は少し笑いながら言った。 隼人は眉間にしわをよせた。 「おい、笑っちゃだめだ。他人の不幸を笑っちゃいけない」 「お兄ちゃんって、まじめだよね」 「まじめとか、まじめじゃないとか、そういう問題じゃねえ。他人には他人の生活があるんだよ。きっとあれが火事だったら、その家の人たちはすっげー悲しむよな? だからそれを笑っちゃいけないんだよ」 「そういうのをまじめっていうの」 唯はまた、隼人の背中にべったりとくっついた。 「おいっ、こぎにくいだろ」 「ふふっ、まじめ、まじめ!……でも、そんなお兄ちゃんが、好き」 隼人は無言になる。 「どうして何も言わないの?」 「……兄妹に言ってもしょうがねえだろ、そんなこと」 「私たち、血のつながりはないんだよ。だから……好きって言えるんだ」 隼人は自転車をこぐスピードを早めた。 「お兄ちゃん」 唯が言う。 「お兄ちゃん」 隼人は答えない。 「お兄ちゃん、楽しくやろうね」 「ん? 何を?」 隼人は思わず後ろを見る。 赤い髪の少女が、乗っていた。隼人は声をあげた。 「お、お前は!?」 「『冒険』」 隼人は頭を抱える。 そうだ、俺はなぜ、こんなところにいる? どうして何気なく時間を過ごしてしまった? もっとやることがあったろう!? 「唯っ! お前は!」 「それじゃあね」 光があふれた。 ◆ 隼人は目を覚ました。 ベッドの上のようだ。ただ、この天井は初めて見る。 唯はどこに言ったのだろう。 「兄さん……」 近くから声が聞こえた。 「唯!?」 隼人はがばりと起きあがった。……が、途中でそれを阻まれた。自分の腕に、誰かがからみついている。 見てみると金髪の少女が、シャツ一枚で横に眠っていた。 「も、森野!?」 いや、森野真矢ではない。マヤだ。 あの夢のような世界に戻ってきたのだ。 「兄さん、いかないで……」 マヤはひしと隼人の腕にだきついた。二の腕部分にとても柔らかいものが当たり、隼人は硬直する。シャツの襟元がよれて、白い肌がのぞいていた。 「兄さ……ん?」 ふと、マヤの目がぱちりと開いた。 二人の目があう。 硬直。 隼人はおそるおそる言った。 「お、おはようございま」 悲鳴とともに、部屋中のものが飛んだ。 隼人は、前日に起こった出来事を簡単にマヤから説明された。 英雄だったソルテスが魔王として世界に宣戦布告したこと。 そしてベルスタに住むほぼ全員が、「蒼きつるぎ」の勇者が、レッド・ドラゴンを斬るところを見たこと。 「覚えてるよ、そのくらいは。最後のドラゴンのときは、必死だったからぼんやりしてるけど」 「よし、とくに記憶に問題はないわね。あの後すぐに気を失っちゃったから、心配したわ。とにかく城まで来てちょうだい。ベルスタ王が会いたがっているわ」 「……」 「なに、なんで黙るの?」 隼人は傷だらけの頬をさすった。 「あんなに寝相が悪いなら、どうして俺を自分の家に泊めたの? どこか別の場所に寝かせておけばよかったじゃん。ああ、いてぇ」 マヤは突如として真っ赤になった。 「ち、違うんだからね! ヘンな想像しないで!……あなたをここに連れてきたのは、私だからね。気を失っている間は責任を取りたかったのよ。さあ、行きましょう」 隼人たちは城へと向かい、歩いていった。 外壁がなくなったベルスタの様子は、昨日までとはうってかわってしまっていた。 通行人の数が多く、大きな荷物を積んだ馬車がいくつも通った。 「ベルスタが誇る外壁がなくなっちゃったからね。近辺に強いモンスターはいないけど、魔王の攻撃の標的にされちゃったわけだから、ここを離れようって考えるのも、無理ないわ」 マヤがさびしげに言った。 「魔王復活の噂は、きっと今に世界中に広まる。たぶんそれが魔王のねらいよ。でも……今回はドラゴンを一刀両断にした『蒼きつるぎ』の勇者の話とセットだわ」 「お、俺か? 大丈夫かよ」 マヤはほほえんで頷いた。 「何いってるの、自信持って。あなたが昨日やったことは、とてつもない快挙なのよ。魔王の目的は半分失敗したも同然なんだから」 隼人は息をついて空を見上げた。 同じなのは、この空の色だけだ。 |