ハヤトは、魔王の城を見下ろした。 なんてことはない、ベルスタやザイドで見たものと同じような、ふつうの城だと感じた。 だが、ここに来るために、どれだけの人間を。 どれだけの事柄を、犠牲にしてきたのだろう。 それを思うと、とてもではないが正面から入る気にはなれなかった。 彼は怒りを込めて、「蒼きつるぎ」をその手に呼び出した。 「出てきやがれ……」 彼が城をにらみつけると、それに呼応するかのように蒼い「グローボ」が周囲を旋回する。 ハヤトは、腕に力を込めて「つるぎ」を巨大化させた。 思えば、最初に彼女を見た時も、こうしたような気がするとハヤトは思った。 当時は、ただ確かめるために必死だった。現状を理解することだけに、必死だった。 だが、今は違う。今の彼は、全てを知っている。 その上で、初めてドラゴンを斬った、あの時と同じことをするのである。 ハヤトは天を貫くほどに伸ばした「つるぎ」を振りかぶった。 「出て、きやがれッ!」 縦に、一撃。 魔王の城と下方の海面が、ケーキのようにすっぱりと割れた。 ハヤトはもう一度、今度は剣を左上に掲げて構えた。 「うおおおおッ!」 雲を断ち切りながら、剣を振るう。 空気を裂きながら、剣を振り下ろす。 何度も、振るう。 彼は狂ったように、城を斬り続けた。 「はあ、はあ……」 城が、がらがらと崩壊する。 空中に、強く輝く扉だけが残された。 彼はそこに降り立った。 黒い金属製の扉だった。 ハヤトはすぐに思い立った。 異世界同士をつなぐ「スポット」の扉だ。 全ての悲劇は、ここで始まったのだ。 彼は扉に手をかけた。 だが、扉はびくともしない。 思い切り力を込めて引いたが、動く気配すらしないのである。 どこかで覚えのある感覚だった。 確か自分はあの時、扉を開けられただろうか? いや、開くことはできなかった。 そもそも、その扉を開けずにいたことが、彼の「冒険」の始まりだった。 奇妙な偶然の一致だが、いま取るべき行動は、その時と同じだった。 「おい、ソルテス。いるか」 返事はない。 「『入っていいか』だなんて、もう言わねえ」 ハヤトは「つるぎ」を扉に突き立てた。 「開けろッ!」 ぐいと「つるぎ」を捻ると、扉は音を立てて吹き飛んだ。 彼は「スポット」へとその足を踏み入れた。 異様なほど広い空間だった。 無数の青白い“魔力”の渦のようなものが、視界に入る。 いくつあるのか。大きさはどのくらいか。離れているのか、はたまた近いのか。 見ているだけではよくわからない。平衡感覚を失いそうな場所だった。 すぐ先には、一人の少女が佇んでいた。 「……お兄ちゃん……」 紅い“魔力”に包まれた魔王・ソルテスが、ハヤトを見つめていた。 ◆ 勇者と魔王が、とうとう対面した。 お互い言葉が出てこなかったが、しばらくして勇者が口火を切った。 「ソルテス。お前は間違っている。だから、止めに来た」 「ソルテス」。 そう呼ばれて、魔王は少しだけ、寂しげにした。 「お兄ちゃん、グランたちは。みんなは」 勇者は目を伏せとても言いにくそうにしていたが、やがて彼女を見た。 「全員、死んだよ。勇者の仲間も、魔王軍も。みんな死んだ。俺とお前以外、もう残っていない」 「……本当に?」 「ああ。だが、戦いはまだ終わっていない。世界が崩壊するまであと何時間あるのか知らねえけど……お前が、魔王が残っている。それと、勇者もな」 「お兄ちゃん」 魔王の口調は、奇妙なほど明るかった。 「お兄ちゃん、もう遅いの。教えてあげるよ。あと二時間。私の『レッド・ゼロ』が覚醒するまで、あと二時間残っている。けれど、もう世界同士がぶつかりあうのは避けられない。もうとっくに、世界は重なり合い始めている。あなたには見えないかもしれないけれど、二つの世界は崩壊をはじめているの。たぶん、ここ以外はもうほとんどなくなっていると思う」 「それでも!」 勇者は「蒼きつるぎ」を構えた。 「それでも俺は、お前を止める! それが兄としての役目だから! 俺は間違っていることを、間違っていると……お前に当然のことを言いに来たんだ!」 魔王はそれを聞いて、ほんの少しだけ、口角を上げた。 「……話し合いじゃ、もうどうにもならないみたいだね」 彼女は「紅きやいば」を呼び出した。 「やろうよ。兄妹喧嘩」 「もうこれはただの喧嘩なんかじゃねえ。お前が最初に言ったことだろう。これからやるのは、世界をかけた殺し合いだッ!」 勇者ハヤトが、剣を振りかぶって地を蹴る。 魔王ソルテスはその一撃を、剣で受け止めた。 「行くぞ、ソルテスッ!」 「あっはっはっはっはっは! 来なよお兄ちゃんッ! 言っとくけど、私は強いよ!」 「そんなのはもう、関係ねえんだ! 俺はお前を止める、ただそれだけなんだよッ!」 ハヤトが叫んだ瞬間、彼の足下から大量の「グローボ」が浮かびあがった。 彼はその一つに足をかけ、瞬時に消え去って加速を始める。 ぎゅん、と「グローボ」が四方八方に展開される。 「リブレの『カルチャーレ・グローボ』。お兄ちゃん、正気? その技が私に通用すると思ってるの? バカみたい」 言いながらもソルテスは左手を外に向ける。 一瞬にしてドラゴン数十体が、その場に現れた。 が、やはり次の瞬間には全て細切れになっていた。 ソルテスは少しばかり、顔をこわばらせた。 「……速いね」 「おせえッ!」 高い金属音。 ハヤトはソルテスの背後を狙ったが、彼女はそれを読んで、自分の背中に「やいば」を向けていた。 刹那の間を置いて、衝撃波が起こる。 二人の耳の奥に、どんという腹に響く音がつっこまれる。 「今度は私の番!」 ソルテスが剣をなぐと、ハヤトの体が弾かれる。 着地点に合わせ、ソルテスは“魔力”を練った。 「『レッド・インパクト』!」 巨大な紅い“魔力”の玉がその手から発射される。 ハヤトは即座に判断する。 判断せざるを得ない。 “魔力”が、けた違いに高い。 これが直撃すれば、例え今の状態でも一撃で死ぬ。 ハヤトは背後に配していた「グローボ」を踏み、ソルテスの魔法を避ける。 だが、ソルテスは既にそちらに手を向けていた。 「『ロート・シュルテン』!」 紅いレーザーが照射される。 ハヤトは歯をぎりとかんで、空中を「空踏み」で切り返した。 その際に、体勢を崩した。 ソルテスはその隙を逃さない。 「『エリュトロン・エクディキス』ッ!」 三又に別れた“魔力”の玉が弾き出され、回転しながら収縮し、ハヤトの背に向かう。 ハヤトは思った。 “魔力”を練る暇すらない。 避けきれない――。 『まだだ!』 その時、頭の中に声が聞こえた。うんざりするほど聞き慣れた声だった。 『諦めんな、ハヤト! アタシの力を使えッ!』 「ミランダさん!?」 ハヤトがそう言った時には、ソルテスの魔法が彼に直撃し、爆発を起こした。 ソルテスはそれを見て大笑いした。 「あっはっはっはっはっは! お兄ちゃん、もう! 弱すぎるよ! まだ二百段階くらい強い魔法があったのにい!」 「そうか。じゃあ全部やってみろよ。受け止めてやるから」 返事が返ってきたので、さすがのソルテスも笑うのをやめた。 煙の中から現れたハヤトの体には、白銀色の鎧が装着されていた。 「……なによ、それ……」 「勇者の、鎧だよ。お前だってよく知ってるだろ。魔王には用意されてねえ、最強装備だ」 ソルテスは少々不機嫌になったようだった。 ◆ ハヤトは周囲に浮かぶ「グローボ」を剣へと変えた。 「『リミットレス・サーベル』!」 言霊とともに、数千本の剣がソルテスの元へと向かう。 彼女はにやりとして、剣を地に突き刺した。 「今度はレジーナ? 本当に、くだらないッ! 『クレミージ・フォリーア』!」 紅い壁がどごん、と突きあがるようにして現れ、剣を受け止めた。 だが、ハヤトは既にそれを飛びこえていた。 「お前を止めるためなら! 俺はなんでもやるっ!」 再び、金属音。紅と蒼の“魔力”が火花が起こす。 ハヤトは右手を挙げて叫んだ。 「『グラスプライン・シャッテン』ッ!」 彼の影から“魔力”の鎖が飛び出し、ソルテスの体じゅうに巻き付く。 「ちいッ!」 『ソルテス。「あの子」の分まで、食らうがいいわ。勇者ハヤトの「グラスプライン」は、決してちぎれない』 ソルテスはどこかで聞いたことのある声を聞いた。 「誰!?」 「俺だッ!」 ハヤトとソルテスの背後に、ハヤトが現れた。その手には、蒼く輝く弓と矢を握っている。 『ハヤト君。最後まで、やり切れよ』 ハヤトは、心の中で「わかっています」とつぶやいてから、弓を矢につがえて放った。 「『エナジーアロー・キュアノエイデス』!」 鎖でがんじがらめにされ、目の前のハヤトと対峙するソルテスは、この魔法に反応できない。 ようやく、攻撃がソルテスに直撃した。 「……あああああああああああッ!」 だが、彼女が気合いを込めると“魔力”が解放され、黒い鎖がはちきれた。 二人のハヤトはその衝撃で吹き飛ばされ、背後にいたほうの彼が消えた。 ソルテスは床を踏むと消えるように移動し、ハヤトに向けて「紅きやいば」を振るう。 ハヤトはすんでのところでそれに反応し、「グローボ」を蹴って危機を脱する。 だが。その足を彼女はつかんだ。その手には既に“魔力”が集中している。 「『レッド・インパクト』!」 爆発。 ミランダの「鎧」を装備しているハヤトに直接のダメージはない。だが、衝撃は伝わっている。 続けて、ソルテスはその頭を掴んだ。 「この鎧が! 邪魔なんだよッ!」 ソルテスは、力の限りハヤトの体を振り回し、叩きつける。 「ぐはッ!」 ハヤトは吐血した。ソルテスは一切躊躇せず、もう一度彼の体を引き起こし、また床にその体をぶち当てる。 「鎧」が、少しばかりはがれた。 「はははッ! もう一丁ッ!」 『ハヤトさん! 諦めないでッ! 諦めなければ、何かが変わるかもしれない! だから……諦めないでッ!』 「当たり前だーーッ!」 床から、岩で出来た龍が飛び出してソルテスの腕を弾いた。 周囲の「グローボ」が、その腕に次々にぶつかってゆき、彼女の腹ががら空きになる。 ハヤトはそこに飛び込んだ。 「うおおおおおッ!」 だが、彼の腕の周囲で爆発が起こり、その手が止まった。ソルテスは彼を蹴りつけて、後ろへと下がった。 ハヤトは口から流れた血をぬぐって、立ち上がる。 「『完全無詠唱』! お前だって使ってるじゃねえか、人の技!」 「グランお兄ちゃんはね、特別なの。私にいつもよくしてくれた、大事な仲間……」 「……ほかの奴らは、違うっていうのかよ……?」 「かもね」 ハヤトの瞳が、蒼く輝く。 「確かに奴らは俺の敵だった。憎かった。でも、お前にとっては仲間だったはずだ。仲間のことをそんな風に言うのは、関心しねえな」 「お兄ちゃんは黙っててよ!」 二人の戦いは続く。 |