IMMORTAL MIND
イモータル・マインド

Part 3 [Hero & Devil]
22.「信じるもののために」その2

「ビンスとミハイルが負けたようだ。やはり奴ら、全員が『セカンドブレイク』していると見ていいな。……考え得る最悪の展開と言っていい」

「スポット」と呼ばれる空間の中で、グランがつぶやくように言った。
 隣ではソルテスが、紅い大剣を右手に握っている。左手には、同色の“魔力”がちりちりと輝きを放ちながら収縮していた。

「そう……。これでもう、みんなで帰れなくなっちゃったね」
「ああ。全てあの塔での魔王介入を完全に読み切れなかった俺の責任だ。言い訳したくないが、可能性を信じきれなかった。魔王が生きながらえているというのは、俺たちがやってきたことの否定になってしまうからな……みんなには、すまないことをした……」

 ソルテスが、笑顔を作る。

「そんなこと、ないよ。それに、こうなった以上しょうがないじゃない。例え二人だって、帰ろうよ。あと六時間。それで終わりだよ」
「六時間か……。思っていたよりも追いつめられたな。だが、みんなよくやってくれた。俺たちの勝ちは、揺るがない。残り六時間……俺一人で十分だ」

 ソルテスはにっこりと笑って、頷く。
 グランも、それにつられるようにして、ほほえむ。

「『魔王軍』になって、初めてそんな風に笑ったね、グランお兄ちゃん」
「そうだったか? ……あとは任せろ、ソルテス。俺が全員、倒してみせるから」

 グランの体が消えた。



「なッ……!」

 全員が絶句する。
 アンバー、シェリル。
 二人が一瞬で、死んだ。
 だが、その事実にかまけている暇はない。ミランダが叫ぶ。

「グランだッ! 全員注意――」

 ミランダはその時、背後に気配を感じた。

 ラッキーだと思った。

 グラン・グリーンが、自分を狙いに来た。ビンスも、さっきの大男も、もはや捨て駒だったのだ。この瞬間……一瞬の弛緩を、グランは狙っていた。

 ハヤトを狙わなかったことが不可解だが、そんなことはどうでもいいと、彼女は思った。

 ロバートの仇が取れる。彼女はそればかり考えていた。
 もちろん「鎧」のことが知られている以上、こちらも無事では済まないだろう。
 だが、刺し違える。そのつもりなら、できるはずだ。
 例えその結果、魔法で粉々にされるのだとしても。相手が接近さえしてくれれば、間違いなく。
 ミランダにはその自信があった。

 肩に、相手の手がつく。
 全神経を集中させ、ミランダはその腕を取った。

「うおおおッ!」

 彼女はそれをぐいと引き寄せながら、自分の槍を背後へと突く。

 しかし、手応えがない。

「なッ!?」

 背後には、誰もいなかった。
 だが、自分は確かに、その手を掴んでいる。今まさに、掴んでいるのである。

「お前はやはり、勘がいい。この段階で殺しておけてよかった」

 グランの声だけが聞こえると共に、彼女の四肢、そして首が勢いよくはち切れた。

 誰もいないその場所に、必死の形相でコリンが走り込んでいた。
 「グラスプライン」で作った布が周囲を覆う。

「あああああああッ!」 

 コリンの叫びと共に、「グラスプライン」が一気に収縮。身長百八十センチほどの人を象った。

「やっぱり、見えない魔法か何かでッ!」
「なるほど、そういう使い方もあるか」

 布から、人型が消える。瞬間、コリンの体が爆発するかのように、炎上を始める。

「い……いやあああああッ!」

 マヤが空中で悲痛な声を上げる。
 ハヤトは「蒼きつるぎ」の刀身を大きく伸ばしていた。

「グラァァーーーンッ!」

 周囲数キロを、力任せに、めちゃくちゃに切り刻むハヤト。
 地面が一瞬にして掘り起こされた。しかし、グランはそれでも出てこない。

「どこだ、どこにいやがるッ!?」
「ハヤト、マヤ! 落ち着いて! 今できることをするのッ!」

 ルーが「瞳」の能力を発現させる。
 だが、写り込まない。未来が見えないのである。

「見えない……もっと、もっと! もっと“魔力”をッ!」

 彼女の願いと共に、その体が成長する。
 成人女性並みになったルーの瞳が蒼く輝き、文様が時計板へと変わった。

「見えたッ!」

 ルーはその場で、勢いよくしゃがみ込む。同時に彼女の長髪が半分ほど吹き飛んだ。

「この男は、その場にいることを誰も知覚できないッ! それが能力だ! ハヤト、この能力の法則を破壊してッ!」
「くっ! そういうことかよッ!」

 ハヤトが地面に「つるぎ」を突き立てる。

「よお、勇者。気付くのがだいぶ遅かったな」

 既に死亡したルーの体を燃やしながら、グラン・グリーンが目の前に立っていた。
 ハヤトはすぐさま彼に向かって「グローボ」を飛ばしたが、グランはにべもなくそれを弾き返した。

「リブレの技か……。それも覚醒した『ゼロ』の力ということらしいな。それで、感想はどうだ。この状況を見て」

 惨状だった。
 一瞬の隙に、五人。
 五人の大切な仲間を、失った。

「全員が無事に済むとでも、思っていたか? 確かにお前の覚醒した『ゼロ』は強いのかもしれない。だが、他はようやくイーブンといったところだった。お前たちが俺の仲間をあっさりと倒したように、俺たちも。立場や状況が違えば同じようにできたってわけだよ」

 無事に済むだなんて、ハヤトは思っていなかった。
 それでも、こんなにも簡単に、こんなにも残酷に、仲間が殺されるだなんて予想していなかった。
 今際の際に言葉を残す訳でもなく、何かを託す訳でもなく。彼女たちはただ、瞬時に惨殺された。

 ハヤトは考えるのをやめ、「グローボ」に乗った。

「もう絶対に許さねえぞッ……!」
「同じ言葉を返すぞ、勇者ハヤト。命で償えッ!」

 マヤはただ、それを見ていることしかできない。



 ハヤトはここに来て、「ゼロ」を覚醒させて初めて、苦境に陥っていた。

 二人の戦いが始まってからというもの、グランは腕を組んで立っているだけである。
 しかし、ハヤトは片膝をついていた。それだけのダメージを負っていたのである。

「どうしたよ、勇者さま。そんなもんじゃないだろう?」

 グランが嘲笑する。目を血走らせて、力強くにやける。おどけている風ではあるが、その笑みには明らかな怒りが込められていた。
 ハヤトは大声を出して剣を振り上げようと試みたが、その瞬間、動かした腕の周辺が爆発を起こす。
 衝撃で体がよろめくと、その背にさらに大きな爆発が起きた。

「うああああッ!」

 ハヤトはその場に倒れ込んだ。
 彼もまた、まだ一歩も動いていなかった。

 マヤはそれを、ただ見ている。
 目の前で散った仲間たち。あまりにも残忍な兄。動くことすらできずに攻撃を受ける、勇者。それらを瞳に写し込んでいるのみであった。

「くそっ……こんな魔法、破壊してやる……」

 なんとか立ち上がったハヤトは、「グローボ」二十数個を、剣へと変えた。グランは表情を変えない。

「今度はレジーナの技か。もう少し工夫して欲しいものだ」
「うるせええッ!」

 ハヤトが剣をグランへと向けて飛ばす。
 しかし、その全てが彼へと届くまでに燃え尽きた。
 グランは、やはり腕を組んで彼を見ている。

「届かねえよ、そんなもん」

 ハヤトは焦った。
 なぜ、やつの魔法が破壊できないのかわからない。
 と、言うよりも。やつが一体何をしているのか、理解できない。
 以前、塔での戦いでミランダが言っていた。「攻撃の全容が全く掴めない」と。

 仮に、機雷のような魔法を縦横無尽に敷いているのだとすれば、「つるぎ」や「グローボ」をぶつけて破壊することができるはずだ。
 だが、「グローボ」は自分の周囲をふわふわと飛んでいる。飛んでいるのだ。何にもぶつかることなく。
 この上ない時間稼ぎと言えた。きっと「つるぎ」の一撃が加えられればグランは倒せる。しかし、彼には近づくことができないのだ。
 ハヤトはようやく、仲間の名を呼んだ。

「マヤ……! 動けるか」

 マヤは二回ほど声をかけられて、ようやく意識を現実に戻すことができた。ショックから立ち直るには、まだ時間が必要そうであった。
 彼女は、一歩前進することができた。ハヤトとは違っていた。だが、その瞬間にグランが叫んだ。

「動くな!」

 足が止まる。グランの視線は、ハヤトに向けられたままだ。

「動くんじゃねえ。もしそれ以上動けば、お前を殺さなくちゃならない。マヤ。俺はそれだけはしたくないと思っている」

 狡猾な言い方だった。
 グランは、正確に言えばマヤの兄ではない。だが、彼は察していた。異世界の見知らぬ妹は、兄を溺愛していた。きっと、この戦いに臨むまでも、旅の中でも、異世界の自分を心の拠り所としていた。例えこの戦いが世界の命運をかけたものであっても、彼女は止まると、そう予想していたのである。

 事実、マヤは止まった。
 ほとんどパニック状態の中で、ずっと探していた兄を目の前にして。ほんの少しばかり、優しい言葉をかけられて。ほとんど反射的に止まってしまった。

「にい……さん」
「マヤ! そいつは君のにいさんなんかじゃないんだっ!」

 グランは、マヤを見て言った。

「違うな。俺はグラン・グリーン。マヤの兄だ。マヤ、お前ならわかってくれるよな? だからそのままでいてくれ、頼む」

 マヤの心は、その言葉だけで大きく揺れてしまった。
 マヤ・グリーンにとってグラン・グリーンは、そのくらい大きな存在だった。
 彼女の瞳から涙がこぼれた。

「よし、マヤ。それでいいんだ。それだけで俺は救われるし、本当に嬉しいよ」
「くっ!」

 その時、ハヤトが駆けだした。爆発が起きるかと思ったが、彼は二、三歩前進することができた。グランは弾かれるようにして、再び彼のほうを見る。爆風とともにハヤトは地面へと打ち付けられた。

「ちっ、やっぱり『ゼロ』の前で油断は許されねえな」

 グランは舌打ちした。
 自分の右腕が、なくなっていたのである。さっきのコンマ数秒の間に、ハヤトが放った攻撃によるものであった。
 グランは腕がちぎれた部分を見ると、すぐにそれを復元させた。

「見る……ことか。お前の能力は、見ることで発動するんだな」

 ハヤトが、なんとか立ち上がりながら言う。
 グランは答えない。

「ハヤト。お前はこのままここで終わりだ」
「終わるもんか……! 俺はソルテスを止める」
「ほう。実の妹を、殺すのか。もっとも、知っての通りソルテスはお前に近づくため、あの世界へと潜入していた赤の他人だったわけだ。そりゃ、容赦なく殺せるだろうな」
「違うッ!」

 ハヤトは、声を荒げた。

「ソルテスは……赤の他人なんかじゃない。実際は一体どのくらい、あいつが『ユイ』として俺と一緒にいたのかは、俺にはよくわからねえ。だけど! あいつは確かに、俺の妹だったんだ。そして俺は……俺はあいつの兄貴だから! だから止めるんだよッ! 何やってんだって、怒ってやらなきゃならねえんだよッ!」

 マヤが、それを聞いてはっとする。
 ハヤトは、のし、と一歩踏み出した。

 爆発が起きる。彼の体は再び、地へとたたきつけられた。しかし、ハヤトはまた、立ち上がった。

「諦めねえ。ソルテスにそれを言うまで、俺は! 俺は諦めねえッ!」
「それを聞いて尚更、お前をここから動かす訳にはいかなくなった。全力をもって、ここでお前を足止めする。それが俺の役目だ」
「に……にいさん」

 その時、マヤが言った。涙声ですらなく、もはやそれは嗚咽に混じったしゃがれ声であった。
 グランは、彼女を見ずに言う。

「なんだ」
「兄さんは、確かに、兄さんよね」
「……何が言いたい」

 マヤは、「紫電」を抜いた。

「ごめん、ハヤト君……あなたの言うとおり……だわ。兄さんたちは、間違っている。だから例えあなたが兄さんでも、そうでなくとも。それは関係ないことだった。私はあなたを止めなきゃ……」

 マヤは言葉を止めた。涙が止まらない。声が出ない。
 それでも彼女は言い切った。

「私が、あなたを止めなきゃ……ならない……!」

 マヤの背中から火花が散り“魔力”の翼が生える。
 グランはぞっとするような視線を彼女に投げかけた。

「泣いたり叫んだり、忙しい女だな。こんな奴が妹だと思うと、寒気がする。……止めるというなら、やってみせろ」
「はあああッ!」

 マヤの青い瞳が輝く。彼女は地を蹴ってグランに飛びかかった。



 マヤとグランの戦いは一方的な展開だった。
 グランはやはり、相変わらず腕を組んで立っているのみである。
 マヤは必死に彼の元へと近づこうとするが、突発的に発生する例の爆発に襲われ、飛ぶことすらままならない。

 ハヤトは奥歯をぎりとかんだ。

「くそっ……! マヤ! すぐ、助けに入るからな!」

 言いつつも、彼は相変わらず、動いた瞬間に爆発を繰り返している。
 マヤは、彼に一太刀浴びせることすらできず、その場に倒れこんでいた。体中に傷を作り、着ていた服は上半身部分が全て破れ、血がだらだらと垂れている。

「はあ、はあ……」
「マヤ。俺を止めるんじゃなかったのか。そんなところで倒れていちゃ、進めないだろう。早く立てよ」

 「紫電」を地面について立ち上がりながら、マヤは考える。
 結局、この男の攻撃方法がなんなのかわからないままでは、戦いにすらならない。このままではおそらく、運よく生き残っただけであろう自分の命が、無駄に終わってしまうだけだ。
 それだけは、あってはならない。死んでしまった仲間たちのためにも、ここで終わるわけには、いかない。

 だから考えろ。今できることを、考えぬけ。

 マヤは呼吸を落ち着け、剣を正眼に構えた。
 グランはそれを見て、あからさまに不機嫌になった。

「早く、来いってんだろッ!」

 爆発。マヤの体は、別の爆発で起きた穴の中へと飛ばされた。

「にい……さん……」

 マヤは、穴のへりに手をかけた。

「兄ではないが、聞いてやろう」

 グランの目的はあくまでも時間稼ぎである。

「あなたのこの魔法……火炎魔法だよね。そう、あなたの得意魔法は火炎……。電撃じゃない」
「そうだ。確かお前の本当の兄は、電撃魔法の使い手だった。確かにそれは、やつとの大きな違いの一つだろう」
「そう……なのよね。父さんも、そうだったの?」
「父? お前たちの世界のグリーン家には、家族がいたのか。……幸せなことだ。俺には家族など、いなかった。いたのはたったひとりの師だけだ」
「『レイヴン』」

 その単語を聞き、グランの眉がぴくりと動く。
 ようやく立ち上がったマヤは、言う。
 既に涙は止まっていた。

「名前。レイヴンって言うんじゃない? この魔法、思い出したわ。私の父、レイヴン・グリーンが提唱した最強呪文。実現不可能だと学会で言われても、父は死ぬまでこの魔法の研究を続けていた。速さを司る電撃魔法の最上位呪文として。最高最大の魔法として。結局、実現することはできなかったけれど」
「気が変わった。それ以上しゃべるな」

 グランがくわっと目を開く。
 マヤが反応して手を広げると、彼女の眼前にちらりと電撃がほとばしるとともに、何かが弾け、爆発が起こった。ダメージはない。
 グランはそれを見て明らかに表情を変えた。

「なっ!?」
「『完全無詠唱』。“魔力”の錬成すら必要としない、最高峰の魔法詠唱術。あなたは、それを実現していたのね。そして……それがあなたの真の『ブレイク』能力」
「この女……! 俺と同じ力を!?」

 グランは悔いた。
 マヤが生き残ったのはたまたま、空中にいたからである。死亡した五人と、距離が遠かった。たったそれだけである。
 彼女を殺していれば、ほかの何人か、特に“魔力”を否定できるミランダ辺りが生き残り、面倒なことになっていたかもしれない。
 だが、それでもまず、この女を最優先で殺しておくべきだったと、彼は強く後悔した。

 どうして、こうなる可能性を考えなかったのだ!

「私は『翼』の力を得た時に思ったの。この『ブレイク』は、願いを叶えてくれる力なんじゃないかって。だったら、私たちの願いはきっと一緒だわ。だから私にも、使えるはずなの」
「黙れ!」

 グランが飛び出しながらも、今となっては種の割れた「完全無詠唱」の魔法を放つ。
 魔法の威力自体は、大したものではない。しかしこの方法で放たれた魔法は、相手の知覚の外からヒットする。すなわち必中なのである。だから強い。最強の魔法と言って差し支えないだろう。

 だが、空中で電撃と火炎の爆発が何度も起こり、攻撃は当たらなかった。グランの魔法を、マヤの「完全無詠唱」による電撃が全て相殺したのである。
 マヤは「翼」で空を舞う。電撃と、火炎のぶつかりあいに包まれながら。悲しい運命を背負ってしまった異世界の兄を、見つめながら。

 兄さん。

 彼女は心の中でそうつぶやいてから、決意した。

「はああああッ!」

 マヤは、すれ違いざまに「紫電」を一閃した。
 グランの赤いローブの胸元が斬れ、同色の鮮血が吹き出した。

「ハヤト君、今よ!」

 勇者ハヤトは既に、空中に投げ出されたグランに向かって飛んでいた。

 グランは、「完全無詠唱」で自分の体を一瞬にして火炎に包む。その瞳は「蒼きつるぎ」を見据えている。

「ハヤト、貴様だけはッ! 貴様だけは絶対に通さんぞッ!『紅蓮炎舞(ぐれんえんぶ)』ッ!」

 グラン・グリーンが、とうとう切り札の言霊を口にする。
 燃えさかる火炎が踊り、巨大なかぎ爪となった。
 対するハヤトは、「蒼きつるぎ」に力を込める。周囲を飛んでいた「グローボ」が「つるぎ」に吸収され、大剣はさらにその大きさを増した。

「俺は、ここで止まるわけにはいかないッ! 『魔塊(まかい)・蒼究剣(そうきゅうけん)ッ!』」

 蒼き波動に包まれた鉄の塊は、炎の爪を一瞬にして消し飛ばす。
 ハヤトの放った技は、グランの体を猛烈な勢いで地面へと叩きつけた。
 この衝撃で、魔王の城を囲っていた平原が崩壊し、海へと落ちていった。

「ばかな……こんな、こんなことがあッ! ソルテス、ソルテスーーーッ!」

 グラン・グリーンは蒼い輝きに包まれながら、消滅していった。



 ハヤトは「グローボ」に乗りながら、魔王軍のナンバー2が消えていくのを見ていた。
 地面がはがれ、再び海が見えてくる。
 もはや死体の場所はわからないが、仲間たちもきっと、この地と共に海へと落ちてゆくのだろう。
 ハヤトは彼女たちの顔を思い浮かべ、流れそうになる涙をぐっとこらえた。

 この戦いはまだ、終わっていない。
 敵はあとひとり、残っている。

「そうだ……マヤ、どこだ!?」

 最後の仲間の名を呼ぶ。彼女のことだから「翼」の能力ですぐに戻って来てくれると思っていたが、その姿が見えない。
 嫌な予感はすぐに的中した。彼女は地面と一緒に海へと落ちていたのである。
 ハヤトは「グローボ」を蹴り、彼女を抱き留めた。

「マヤ! 大丈夫か――」

 ハヤトは言い切ることができなかった。
 マヤは既に、息も絶え絶えといった具合であった。彼女の“魔力”は既に、尽きようとしていた。それは死を意味する。

「どうしてだ! 確かにダメージは負っていたけど、さっきまでは……!」

 そこで彼は、思い出した。
 マヤは確かに、グランに一撃を加えた。
 彼とすれ違いざまに、自分が攻撃するチャンスを作ってくれた。

 その時、グランから攻撃を受けたのだ。彼女は、グランと刺し違えになってまで、ハヤトに攻撃の機会を託したのだ。

「ごめん……。にいさんの攻撃、よけきれなくて……」
「しゃべるな、マヤ! 今、回復してやるから!」

 ハヤトはすぐに、マヤに教わった回復魔法をかけた。ザイドを旅していた頃、彼女自身に教わったものだ。当時は全くものにならず、旅の中で使うことはなかったのだが、「ゼロ」を覚醒させたハヤトのそれは、もはや彼女の教えたものより遙かに強力な魔法へと進化していた。

 だが、それでも彼女の傷は癒えない。

「くそッ! なんでだよッ! どうして効かないんだ!」
「たぶん、ハヤト君は悪くない……。私の体がもう“魔力”に反応できるほどの力を残していないのよ……」
「待っててくれ! すぐに別の方法を……!」
「いいの」

 マヤは、静かに言った。

「いいのよ、ハヤト君。こんな形になっちゃったけれど……。ここで、お別れね」
「そんな……!」
「私、たくさん足、引っ張っちゃったね」
「そんなことねえよ! さっきの戦いは、マヤなしじゃ勝てなかった! たとえ『ゼロ』が覚醒したって……俺一人じゃ……」
「その先は、聞きたくないな」

 弱々しかったが、強い口調だった。

「ハヤト君、もう時間がないんでしょ……? だったら、急いで。世界を、救ってよ。君はそのために、ここに、きたんで、しょ」

 マヤの口から、血が溢れる。

「マヤ!」
「私は、最初にビンスと戦った時、本当なら……本当なら死んだはずだった……。だから、だからさ……これで、いいのよ」
「でも……! 俺は君と約束したんだ! もう一回、勝負するって!」
「いい加減に、しなさい。これ以上、失望させないでよ」

 マヤの体が光に包まれ、薄くなってゆく。
 消えてゆく。

「ハヤト君……最後だから……言うわ。私は、君のことが好きだった。兄さんも好きだったけれど、多分、それ以上に。だから、兄さん……いいえ、グラン・グリーンを倒すことができたのよ」
「マヤ……! マヤッ!」

 マヤは少しだけ体を起こし、ハヤトの唇にキスをした。
 彼女は、柔らかにほほえんでいた。

「えへへ……やった。やってやったぞ。ミランダさんとルーちゃんには悪いけど……私の、勝ちね」
「マヤ!」
「頼むわよ、勇者様。世界を、救って」

 そう言葉を残して、マヤ・グリーンは消滅した。

 ハヤトは、目をつむった。
 もはや、さっきまで腕に乗っていた心地の良い重みは、消え去っている。
 彼は、その腕を抱き込むようにして、叫んだ。

「うわあああああああああーーーーッ!」

 叫んだ。思い切り、叫んだ。

 死んでいった仲間たちに。消えていったクラスメイトに、恩師に。
 思いの限り、叫んだ。

 彼の目尻に、涙が溜まった。
 決戦前のマヤのように、泣きじゃくりそうだった。泣きたかった。

 しかし彼は、それが流れる前に腕でぐいとぬぐった。

 無駄には、できない。
 これまでの戦いと、仲間たちの命。
 その一切を無駄にしては、ならない。

 ハヤトは大きく深呼吸をすると、「グローボ」へと乗った。

 全てを終わらせるために。

 彼女に、会いにゆくために。


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