その光景は、異様でしかなかった。 ドラゴンが飛んでいる。しかし……そのすぐ下には、マンションがある。日本家屋がある。車が走っている。鋼鉄製の橋が架かっている。 自分の世界に、あのドラゴンが飛んでいる。 ハヤトはその不可思議な景色を、驚きの表情で眺めていた。 「どういうことだ!?」 魔王・リノがため息をつく。 「本当に、ルール違反にも程があるわ。世界を越えて攻め込んでくるなんて……。でもハヤト、もしあれにソルテスが乗っていなかったとしたら、相当まずいわよ」 「そんなこと言ってる場合じゃないっ! もしあいつらが少しでも暴れたら……それだけでこの世界がめちゃくちゃになっちまう!」 ハヤトは“魔力”を足に集中させると、窓を踏み切って大きくジャンプする。リノもそれに続く。 「待ちなさい。まだあなたには知らなきゃならないことが残っているわ」 「あれをどうにかするのが先だっ!」 「まったく……つくづく対応者ね、あなたは」 二人は止まっている車の上に着地し、もう一度飛んだ。 ドラゴンから高いマンションの屋上に、一人の男が降りたった。 「へえ……ソルテスやお前が言っていた通り、不思議な世界だな。これだけの人間がいるのに、“魔力”を全く感じないなんて」 リブレ・ラーソンが剣を抜く。 続いて降りてきた、ビンス・マクブライトが笑った。 「でも、この世界はこの世界で面白いよ。独自の情報技術が発達しているんだ。中でもコンピュータという装置を使ったインターネットと呼ばれる情報伝達技術は、“魔力”のそれを遙かに凌駕しているとも言えるね。何度か使ってみたけど、物質の構造からして違っていた。この世界の在り方は、どこか内向的で実に興味深い」 「難しい話はやめてくれないか。お前はそうやって、他人にわからないことを敢えて話して喜ぶ悪い癖がある。言っとくがね、僕はお前のことなんて大嫌いだし、ハヤトと戦えさえすればそれでいいんだ。だからさっさと奴を探してくれ」 「ああ、わかってるさ。……ここまで大げさに登場したんだ。正義感が強くてまっすぐな彼のことだから、バカみたいに必死な顔をして、出てきてくれると思うよ。……そらね」 ビンスの言葉に合わせるようにして、マンションの屋上に向かって二つの人影が現れ、着地した。 「魔王軍ッ! やっぱりお前らか!」 「ハヤト、もう少し考えて行動しなさい。物陰から様子を見るとか、手段はもっとあったはずよ」 ハヤトを諭すリノを見て、ビンスが目を細める。 リブレはにやりと笑って、剣を構えた。 「そうだよハヤト、また僕たちだ。僕たちを止めないと、君のこの世界が大変なことになるぞ。君のお友達もたくさんいるんだろう? 殺して回るのもいいかもしれないな」 「させるかよ、そんなこと……!」 「待ちなさい」 “魔力”を練り始めたハヤトを、リノが制止する。 「にせ魔王軍のお二人さん。ソルテスがいないってことは、あなたたちは『時間稼ぎ』ってことになるのかしら。『レッド・ゼロ』のかけらを、あの塔で手に入れたのね」 ビンスが“魔力”を練る。 「その語り口! やはり魔王か。お前は『どっち』だ?」 「どっちもこっちもないのよ。魔王は魔王。あなたたちに縦横に斬られた敗軍の将ってわけ」 ビンスは『ドール』を召還した。 「本当にここに来てよかった。リブレ、君はハヤトとやりたい、そうだよね?」 リブレは既に紅いガラスのようなものを掴んでいた。 「行くぞ、ハヤトォォッ!」 「バカで助かるよ、本当に。じゃあ、魔王の相手は僕ってことで!」 二人が駆け出す。 ハヤトとリノは身構えた。 「ハヤト、詳しくは後で説明するけど、とにかく急いでッ!」 「当たり前だッ! ロバートさんの敵を討たせてもらうぞ、魔王軍ッ!」 ◆ リブレが地を蹴ると、その姿が消えた。 ハヤトは首を右方向に向け、その場にしゃがみこんだ。空気が裂ける音だけが聞こえる。 剣を振り切ったリブレがそこにはいた。 「さすがはハヤト。もはや僕の動きが見えているらしいね」 「お前等に鍛えられたからな。“魔力”がだだ漏れなんだよ、お前の攻撃は」 「だからこそ速い。それが僕の力だ。僕が“魔力”を込めれば込めるほど、君は追いつけなくなる。さあ早く『蒼きつるぎ』を出せ。次はこんなもんじゃないぜ」 リブレの姿が、再び消える。 ハヤトは少しばかり躊躇した。 『レッド・ゼロ』。世界を破壊するという現象を、自分はあの塔で引き起こしてしまった。 同じことが、起こりえないだろうか。 「出しなさい、ハヤト!」 だが、ビンスの攻撃を避けながらリノが声をかけた。 「問題ないわ! だからこそ、こいつらはここに来ている!」 「……それ以上しゃべらないでもらえるかな。リブレ、引き離すよ。頼んだからね」 ビンスがその隙をつき、「ドール」で彼女の体を掴んで屋上から遙か遠方に飛ばした。 ハヤトはその言葉を信じるほかなかった。でなければ、「ブレイク」能力には対抗できない。 彼は胸のポケットから、一本のシャープペンシルを取り出した。 “魔力”を込めると、ペンは輝き出し、一振りの剣となった。 「やるしかない……! 絶対にお前たちの好きにはさせない!」 「いいぞ! その感じだ! あの時の興奮が、悔しさがよみがえってくる! ぶっ殺してやるぞ、ハヤトッ!」 「どうしてだろう」 同時刻。 森野真矢は、自分の行動に疑問を感じていた。 竜、だろうか。アニメや小説、ゲームなどに出てくる、あれだ。翼を生やした、想像上の生き物。 折笠隼人と別れて家に向かっていた彼女は、近くのマンションでそれが飛んでいる光景を目の当たりにした。 周囲を歩いていた人たちはパニックになって悲鳴を上げたり、携帯電話で写真を撮っていたりと反応は様々だが、誰もがその光景を異様なものとして捉え、恐怖していた。 だが彼女は、どうしてかその非現実的な光景が一目で納得できた。 そして、歩いていた。マンションに向かって。 そうしなければならないような気がしたのだ。 自分でも、なぜそんな風に感じて、今こうやってマンションの入り口に向かっているのか、理解できない。 しかし、その行動には奇妙な確信があった。 怖いと一瞬思ったりもしたが、それ以上に彼女は強く感じていた。 行かなければならない。 「折笠……ハヤト」 彼女はそうつぶやきながら、歩き続けた。 ◆ 飛ばされたリノは、空で待機しているドラゴンの一体に捕まってその背に降りた。 ビンスも彼女のすぐ近くに着地した。 「さーて、これでようやく二人きりになれたね、魔王。ところで、君がハヤトに肩入れするのはルール違反じゃないのかな?」 「元から違反しているのはあなたたちの方なのよ。世界を飛び越えたり、『ゼロ』の保有者を自分たちの世界で育てたり、もうめちゃくちゃだわ」 「お言葉を返すようだが、めちゃくちゃにしてくれたのは他でもない、君のほうだろう。僕たちにはハヤトを教育する必要があった。この世界にはモンスターがいないらしいからね。このままで彼が『レッド・ゼロ』どころか『ゼロ』の力を持つに至る可能性すら皆無に等しかった。だから、彼をある程度の命の危機に晒してやる必要があった」 「判断としては間違っていないけど、バカね。そのままにしておけば、少なくともこの世界同士の勝負には勝てたはずよ」 「へえ、やっぱりそういうシステムなんだ? 『ゼロ』を持つ人間同士が、世界を賭けて戦う。『スポット』はそのための場所ってわけだ。なるほど。僕らが戦ったソルテスは、相当なムチャをやらかしたらしいな。君が焦る訳だ。だが、わかりやすい。それだけ『ゼロ』の力は強大ということだ」 リノは答えない。 ビンスはにやりと笑う。 「しかし、もうそんなことはもうどうでもいい。僕は君をずっと待っていた。この時を待っていた」 「愛の告白ならお断りよ」 「なあ、魔王。僕に『ゼロ』をくれないか? なんなら、ハヤトかソルテスが持っているものを僕に移してくれてもいい。お前にならそれができるんだろう?」 「……それで、どうしようっていうの」 ビンスは演技じみた動作で手を広げた。希望に満ち溢れた少年のような、明日結婚する青年のような、そんな明るさで。 「決まっているじゃないか。『ゼロ』をもっと研究したいんだよ。なんなら僕の世界を作ってもいい。とにかくもっと『ゼロ』のことを知りたいんだ。こんなにも面白い研究対象は他にない」 「……あなたは、そのためにこうする道を?」 「いいや、元はグランやソルテスたちに賛同していた。でもきっと、どこかでそんな風に思っていたところがあったんだろうね。人間性を破壊された僕は、いつの間にかその為に生きるようになっていた。僕はそのためなら『ゼロ』のために動くよ。ハヤトにだって力も貸すし、なんならソルテスを暗殺してあげてもいい。彼らは世界の書き換えには邪魔だろうし、今は別のことで手がいっぱいだからね。どうだい、悪い話じゃないだろう?」 リノは、しばらく黙った。まるでそれを検討するかのように黙りこくった。 ビンスはただそれを見ていたが、彼女の様子が変わったことに気がついた。 「おい、魔王。聞いているのか?」 少女は、三角耳をぴくぴくさせて彼を見た。 「おばあちゃんが言ってるの。あなた、とってもばかだって」 ビンスの顔付きが変わった。 「おい、獣人。お前に用はない。魔王を出せ」 「おばあちゃんは、もう話すことはないって言ってるの。ルーで十分だって、そう言ってるの」 「きさまッ!」 ビンスが「ドール」をけしかけ、ルーに向かわせる。 だが、ルーはそれらを手で弾いた。 「それにしても驚いたの。おばあちゃんは、ルーの中にいた」 『驚かせてごめんね、ルー』 ルーの脳内に響くリノの声は、謝罪の気持ちに満ちていた。 『でも、あなたは私が思っていた以上に強くなった。本当だったら、「ブレイク」能力の覚醒とともに、あなたの人格はもう発現しないはずだったの。しかしあなたは、私の力をはねのけて、「ルー」という存在を確固たる一人格として作り上げた。何が理由かは知らないけれど』 「それは、ハヤトのためなの。わたしは、ハヤトのお嫁さんになりたい!」 『……認めるわ。あなたは魔王の予備人格ではない「ルー・アビントン」という、一人の魔族よ。あのバカと話すのは飽きたから、あなたに任せるわ。私の“魔力”を使いなさい』 「わかったの、おばあちゃん!」 ルーは「ブレイク」能力を発現させる。 「出てこい魔王ッ! お前を従わせてでも、僕は『ゼロ』を手に入れるッ! エイミー、メグッ!」 ビンスは瞳を紅く染め上げると手を地につけ「ドール」をニ体召還した。黄色いドレスの小柄な人形と、桃色の華やかな衣装をまとった大柄な人形が姿を表した。どちらも血で汚れている。 「最初にお前と戦った時とはレベルの桁が違うぞ。僕の大切な大切な、最初の『オリジナルドール』だ。一体でも、そこにいるリブレくらいは強いと思うよ」 「そんなわけないの。人形は人形なの」 「僕の『オリジナル』を、人形呼ばわりするなあッ!」 ビンスが両腕をなぐ。「オリジナルドール」の二体は、ふっと姿を消した。 ルーは「瞳」の文様をぐるりと回転させた。 「見えるの!」 手を広げた彼女の元に、二体のドールが拳を打ち付ける。「障壁」と拳がぶつかりあい、衝撃が起こる。 ビンスは高い声を出して笑いながら叫んだ。 「ジョーッ!」 三体目の「オリジナル」が、正面から彼女に襲いかかる。 ルーはその場をジャンプして、危機を脱する。 「はい、詰んだぁっ! ベスッ!」 完全に少女の姿をしたビンスのオリジナルドール「ベス」が、空中に控えていた。彼女は大きな“魔力”の珠を作っている。 「はははははッ! とりあえずぶっ飛びなよ、魔王!」 「ベス」の攻撃が、ドラゴンの背に激突する。 “魔力”が収縮し、ドラゴンを一瞬で飲み込むほどの大きな爆発が起こった。 ビンスは空中で、「ベス」に抱きしめられていた。 彼はいとおしそうにその体をさすった。 「ごめんよ、ベス。また戦いにかりだしてしまって。君の力が必要だったんだ。でも、もうすぐだからね。『ゼロ』の力を手に入れて、いずれ君を蘇らせてあげるから」 「『デス・ブリーズ』」 瞬間、「ベス」の頭がはねられた。 ビンスは、その場に硬直する。 「なぜだ……『障壁』は中和したし、『オリジナル』三体で拘束したんだぞ……一瞬たりとも避ける隙はなかったはずだ。死ぬには至らずとも、直撃を食らったはずだ……なぜだ……」 「簡単よ」 黒いドレスをまとった魔王・リノが彼の前で腕組みしていた。 体の大きさや顔つきなどは先ほどまでと同じだが、三角耳はなく、瞳の色も赤から銀色に変わっていた。 「ルーに体をあげたの。あなた、魔王を相手にしている自覚、あったの? 私がズルしないとでも思ってたの? そのお人形ちゃんでできたのは、ジェイ一人を止めることだけだったでしょう? どうしてそんなこともわからなかったの?」 ビンスは、体をぎこちなく動かして地面をみる。 なんとか攻撃を耐えたらしいルーが、こちらを見ていた。 「おばあちゃん……おばあちゃんなの!」 「が……は……!」 ビンスの体が、ずるり、と縦方向に裂けてゆく。 「今度はあなたが斬られる番になったわね。感想は?」 「……これで終わると、思うなよ……もうお前たちは……間に合わ」 そこまで言ったところで、彼の体は「ベス」と共に両断され、落ちていった。 |