見慣れた天井が見えた。 のそのそとベッドから起き上がり、時計を確認する。 午前九時二十五分。 一瞬ぎょっとしたが、そういえば今日は土曜だった。 二度寝しようかと思ったところで、窓ガラスのほうからこつんと音が聞こえた。 仕方なく光の差し込むカーテンと窓を開けると、玄関の前で、黒髪の少女が右手に石を持って振りかぶっていた。 隼人は、あわてて窓を開けた。 「お、おい! さすがにそれは割れるって! やめろよ真矢!」 真矢は石を不満げに握りしめた。 「やっと起きたわね、折笠! この私との約束に遅れるなんて、いったいどういうつもりよ!」 隼人は頭をかく。 「約束って、何だっけ」 真矢は迷うことなく、石を投擲する。 隼人の額に見事に命中した。 「このバカッ! 先生のお見舞いに行くんでしょっ! だからわざわざ部活休んでまであんたの家まで来てやったのに! もう知らないっ!」 隼人は「あっ」と声をあげて、急いで着替えを始める。 そういえば、言った。確かに言った。 どうして忘れていたのだろう。 「わ、悪い! すぐに支度するからさ!」 真矢は不満げにしつつも、しばらくそこで待っていた。 隼人は大急ぎで支度を済ませ、彼女と共にバスへと乗った。 「二人とも、部活はどうしました?」 病室で、ベッドに横たわる西山楓が開口一番言った。 「今日は休みです。今はタワーの騒ぎでそれどころじゃないですし」 真矢は明らかに嘘をついていたが、楓はそれ以上追求しなかった。 「そうね……。それにしても、悪いわね。せっかくのデートに、こんな寄り道させちゃって」 「えっ!? そ、そんなんじゃありませんからっ!」 真矢があわてて否定する。 隼人は、そんなに必死にならなくてもいいじゃないか、と思いながらも楓に言った。 「それで先生、お体の具合はどうですか?」 「うーん」 楓は、眼鏡のずれを直した。 「よくわからないの。そもそも、倒れた原因だって分からないみたいだし、正直このまま退院したっていいんじゃないかとすら思っていますよ」 「ダメですよ、先生みたいに原因不明の体調不良で倒れて、そのまま死んじゃった人だっているんですから。絶対安静ですよ」 楓は少し不満げだったが、にこりと笑った。 「生徒に説教されるようじゃ教師失格ね。君たちの言うとおり、ゆっくりさせてもらいます。それはそれとして二人とも、デートは部活の後になさい。練習をさぼるのはいけません。それと隼人」 「はい?」 楓の声色が、少し変わった。 「――力の使い道の話、まだ覚えているか」 「……ええ」 「ならばいい。だが見誤るなよ。お前が信じた道が、必ずしも正しいとは限らない。それでも進むのなら覚悟を決めてゆけ」 「いきなりどうしたんですか、先生?」 「……わかったなら、行きなさい」 二人は困惑しつつも、礼をして部屋を去った。 楓も、不思議そうにしていた。 「どうして私、今、あんなことを……?」 バスから降りた二人は、近くにある商店街に向かって歩いていった。目的地はスポーツ用品店である。 「言っておくけど」 先頭を歩く真矢が、前を向いたままぼそりと言った。 「なんだよ」 「私も、あの店に用事があるんだからね。だから、たまたま一緒に行くだけなんだからね」 隼人はため息をつく。 「わかってるよ。そんなに嫌がらなくてもいいだろ」 それを聞いて、真矢があわてた様子で振り返った。 「え、いや、その、別に嫌がってるわけじゃ……」 「クラスの奴らに見られても、俺がうまいこと言っておくから我慢してくれ。どっちにしろ同じ部なんだし、へんな噂が立ったりはしないだろ」 「わ、わたしは別に……」 少しばかり元気をなくした様子の真矢と、隼人の目が合う。 「だったら、なんなんだよ?」 「え、えーと、それは……」 真矢が目を泳がせていると、すぐ横の道路をパトカーが三台ほど通った。 「なんだ? 何かあったのか?」 隼人が不思議そうにそれを見送ると、真矢は顔を伏せた。 「おとといのタワーの件でしょ。まだ、瓦礫をどうするかも決まってないって話だし。近くを通るべきじゃなかったかもね」 「タワー?」 今度は真矢が不思議そうな顔をする番だった。 「あんた、何言ってるの?」 「タワーって、小泉町スカイアローのことか?」 小泉町スカイアロー。彼らの住む町に立つシンボルタワーである。 「何それ、もしかしてからかってるつもりなの? さすがに不謹慎よ。倒れた時に下敷きになって、亡くなった人だっているんだから」 それを聞いて、とくん、と隼人の鼓動が高鳴る。 なんだ、この感覚は。 「あのタワーが……どうしたって……?」 「まったく、やっぱりそうやって人をからかうのが好きなわけ? ――倒れたじゃない。ものの見事に」 隼人はそれを聞いて、駆けだした。 「ちょ、ちょっと折笠!」 真矢も続く。 隼人は、必死に走った。なぜだか分からないが、嫌な予感がした。 「はあ、はあ……」 そして、彼は見た。 荒れ地に変わり果てた公園と、そこに横たわる「小泉町スカイアロー」を。 ◆ 「なんだよ……これ……」 隼人は、息を荒くしながら言った。 タワーが、根本から折れている。 公園の駐車場――だった場所――には大きな鉛色の塔が倒れていた。近くには警察車両が止められ、塔の近くに人が近づけないよう、警察官が黄色いテープで封鎖していた。周囲にはいくらかの人や、マスコミと思われる人たちがカメラを向けている。 「折笠あんた、どうしちゃったの? いきなり走りだして――」 追いついてきた真矢が言い終わる前に、隼人は彼女の両肩を掴んだ。 「なあ、おい! いったい、なんなんだよこれはッ!? 一体何があったんだ!? どうしてこんなことになっちまったんだ!!」 「ちょっと、落ち着いてよ! 原因はわからないって、テレビで一日中やってるじゃない!」 隼人は真矢を解放する。 「わ、悪い」 真矢は怪訝な顔をして首をひねった。 隼人は人を押しのけ、テープの張られている最前列から改めてその光景を見る。 「ちょっと君、入らないで」 警察官に注意されたが、隼人は必死に身を乗り出して、倒れたタワーをじっくりと見た。 そして、奇妙だと思った。 その断面が、あまりにも綺麗だったのである。 「うっ……うっ……」 すぐ横で、泣いている人がいた。キャップを深くかぶった、背の高い女性だった。 「どうしてよ……どうして……石田……」 隼人は、またしても奇妙な感覚に襲われた。 聞いたことのある声だった。 「あ、あの」 隼人が話しかけると、女性がこちらを見た。 二人の目が合う。 「……あなたは……?」 涙を流す女性は、不思議そうに言った。 隼人は、ふと言った。 「……みらんだ、さん?」 自分でも、何を言っているんだと思った。 全く、知りもしない単語だった。 だが、自然と出た言葉だった。 「い、いえ。人違いだと思いますけど……。でも、どこかで会いましたよね。もしかして石田……の知り合いですか?」 「いえ……」 だが、言われなくてもわかった。石田という人物はきっと、真矢の言う「下敷きになって亡くなった人」なのだろう。 「ちょっと折笠、さっきから何やってんのよ。早く戻りましょう」 「あ、ああ……」 真矢が追いついてきたので、隼人は女性に会釈し、その場を去った。 女性は、首をひねった。 「あの子、どこかで……?」 隼人は結局そのまま、真矢と二人で買い物をして帰宅した。 しかし、そんな中でも何かが、彼の胸にひっかかっていた。 「ただいま」 家には、誰もいない。 親はまだ仕事だろう。隼人は帰りにコンビニで買ったカップめんを作りながら、テレビをつけた。 『……したタワーの事故責任を取る形で、本日、小泉町町長の恩田氏が辞任を表明しました』 真矢の言う通り、さきほどまで見ていたタワーの話題がワイドショーで放送されていた。 テレビには何度か見たことのある町長が深く頭を下げ、カメラのストロボが一斉に浴びせられていた。 ひたすらに謝罪する町長の会見の様子が終わった後、改めてタワーの映像が映し出された。 隼人は、カップめんに湯を注いで、テーブルへと置いた。 『時刻が深夜だったこともあり、現在でもこのタワーの倒壊原因はわかっていません。今回の倒壊事故で亡くなった石田明さんが何らかの形で関わっていたのではないかと見られており、警察による捜査が進められています』 事故で死亡したという「石田明」の顔が画面に映った。 「えっ……!?」 隼人は思わず、言った。 見たことがある、顔だった。知り合いにこんな男がいただろうか。だが、知っている。 そうだ、この男は。 「ろばーと、さん……ロ……ロバートさんっ!?」 ハヤトは、鮮烈に思い出す。 記憶がどんどんとよみがえってくる。 「そうだ……! さっきのは、ミランダさん……! ミランダさんじゃないか! どうして俺、こんなことを忘れてたんだ……それに、なんでこっちに戻って来てるんだ!?」 「ようやく、お目覚めね。勇者ハヤト」 すぐ近くから声が聞こえて、ハヤトは振り返った。 なぜ、気づかなかったのか? 少女は、自分のすぐ後ろのソファに、座っていた。 「ル、ルー……!?」 イヌ科を思わせる三角耳を生やした少女が、そこにはいた。 「ルー……どうしてこんな所に? みんなは、みんなはどうなったんだよ?」 ハヤトはそこまで言って、違和感に気がついた。 目の前にいる少女、ルー・アビントン。 頼りになる、自分の大切な仲間。 だが、違う。 彼女は、普段の無邪気な様子からは考えられないほど、冷たくほほえんでいた。 雰囲気がまるで違っていたのだ。 「君はルー……なのか?」 少女は、ソファから立ち上がった。 「そうよ。でも、あなたにわかりやすく言うとすれば、違うわ。私はあなたが知っているルー・アビントンじゃない」 口調も、声色も。普段のルーとはかけ離れていた。 「どういうことだ」 「ルーは私の中で眠っている。そうねえ……多重人格みたいなものだと思ってもらえればいいかな。私はルーであって、ルーではない」 「じゃあ……君は何者だ」 「それを教える前に、あなたには知らなければならないことがあるわ。運命を選ぶ時が、来てしまったのよ。『レッド・ゼロ』が覚醒しつつある今、もう残されている時間はそう長くない」 「ちょっと待ってくれ! 言っていることの意味が全くわからない!」 「今、理解する必要はないの。これから、全部見せるから。それで判断しなさい。だから、よく見なさい。あの子の旅路を」 少女の手が、輝く。 ハヤトの視界が、真っ白になった。 |