おかしい。 ロバートがそう感じたのは、能力を手に入れて初めてのことだった。 周囲の時間が止まったかのようにして、彼は超スピードで脳をフル回転させ始めた。 不思議なことにこの「矢」の力は、相手に攻撃が当たったことを実際に感じることができる。 普段弓矢を使っていても「手応え」のようなものを覚えることはあるが、この「矢」の能力は、実感として当たったかどうかがわかるのである。現に先ほどのビンスや魔王軍の新手に当たった「矢」は、現在も彼らに刺さりっぱなしなのが、ここにいてもわかる。 そしてこの現在の相手、グランに最初に攻撃がヒットした時も、それを感じた。 だが。 ハヤトの攻撃に合わせて撃った今の「矢」は、当たっていない。 あれだけの密度で放ったにも関わらず、だ。 煙で見えないが、奴は最後の攻撃を、かわしたのだ。 すぐにシェリルが言っていたことが脳裏に浮かんだ。 『魔王軍は、移動魔法を自由に使えると言いますから』 そうだ。移動魔法は魔王軍がベルスタを襲撃した日から使えなくなったが、魔王軍だけは違う。 奴は移動した。 なぜだ? もちろん攻撃をよけるためだろうが、それならば、とっくに反撃が来ているはずだ。やすやすと使っていないところを見ると、“魔力”の消費が激しいことは間違いない。おいそれとは使わないはずなのだ。 何か、目的がある。 そして彼は、ある考えに至った。 この部屋に来た時、グランは何をしていた? そうだ。自分が、もっとも恐れていたこと――。 「ミランダッ!!」 ロバートは彼女の方を見る。 グランが、ミランダの背後に立っているのが見えた。 彼は、一振りの長剣を手にしている。 奴はミランダの能力を、知っているのだ! ミランダが気づいた時には、グランの持つ長剣が、すぐ目前まで迫ってきていた。 とっさにかわそうとしたが、体に痛みが走って動けない。まだ、さっきの傷が完治していない。 避けられない――。 「少しばかり遅かったな」 グランは彼女に向けて、長剣を突いた。 ミランダは思わず目を閉じたが、その瞬間、体をどんと押された。 「が、はっ………!」 乾いた声と共に、ぽとりと、血が垂れた。 ロバートの胸に、長剣が突き刺さっていた。 ◆ 「えっ……」 起きあがったミランダが、思わず言った。 これまで想像したこともない光景が、目の前に広がっていた。 ロバートの体に、剣が突き刺さって――。 体から、血がどろどろと垂れている。 彼の胸を貫いた刀身には、べっとりとその血が付着していた。 「ちっ……お前じゃねえ。いったいどうやって今の一瞬で移動して来やがった」 グランは面倒そうに言うと、剣を引き抜いて彼を蹴りとばした。 体がら血が吹き出て、ロバートは力なく倒れた。 「えっ、なんだよ、これ……」 ミランダは、声を震わせた。 グランはもう一度剣を彼女へと向けたが、すぐに電撃を散らしながらマヤが現れ、それを阻んだ。 「シェリルさん、すぐに回復を!」 マヤは「翼」を生やし、つばぜり合いをしている状態のまま、グランを宙に連れて行った。 シェリルは、倒れたロバートにすぐさま回復魔法をかける。 ミランダはそこでようやくはっとして、その体にかけよって叫んだ。 「ロバート! ロバートしっかりしろ!」 だがシェリルは、回復をやめた。 「おいシェリル、何やってんだ! 続けろ!」 シェリルの顔は蒼白していた。 「どういうこと……? “魔力”を、感じません。心臓を貫かれていても、“魔力”が全て放出されるまでは時間がかかるのに……。も、もう……ロバートさんは……」 ロバートの胸部から、血がどろどろとあふれ出てくる。 ミランダは必死に、それを止めようと試みる。 彼の体はぴくりともしない。 「バカ言ってんじゃないよ! いいから続けろ! おいロバート、ふざけんな! ふざけんじゃねえぞっ! 起きろ、起きろおっ!!」 「無駄だ」 空中でマヤとつばぜり合いを続けていたグランは、ふっと姿を消した。 「この剣は、ソルテスの『ゼロ』を使って何ヶ月もかけて構築したものだ。刺さったら最後、一瞬で生命力を抜き尽くす。一撃必殺って奴だな。まあ、一人分で使い物にならなくなるが。さあどうする、勇者」 「ロバートさん!」 ものすごい形相をして、ハヤトがミランダたちの元へとやってきた。 「シェリルさん、回復は!?」 「今、あるだけの力でやっています……でも……」 「そんなっ!」 ロバートの顔を見やる。 生気がない。それどころか、顔も真っ青になっており、もう死んでから何時間も経ったのではとすら思えた。 ハヤトの顔は絶望にひきつった。 あっては、ならないことだ。 「剣よ、『蒼きつるぎ』よ! 出ろ、出てくれ! 今ならきっと、こんなダメージ『破壊』できるんだ! 出やがれちくしょうっ!」 グランはそんな彼を見つつも、背を向けて言った。 「ターゲットは変わっちまったが、終わったぞ。ソルテス」 「ありがとう、グラン」 部屋の中央に、紅い髪の魔王が現れた。 「ソルテス!」 コリンが攻撃を試みたが、ソルテスは指をちょい、と持ち上げた。それだけで、コリンの体は壁へと叩きつけられていった。 ハヤトは、立ち上がって声を上げた。 「ユイっ! 『蒼きつるぎ』の力を、返してくれッ! 今ならまだ間に合うかもしれないんだっ!」 ソルテスは目を細め、ふうと息を吐いた。 「まだわからないの、勇者。『冒険』はもう、終わったの。勇者と魔王は、殺し合うんだよ。私たちの未来は、殺し合いしかないって、言ったよね。それと……『つるぎ』の力が戻ったところで、その男は生き返らない。その男は、私たちが殺した」 ハヤトの目元から、涙がこぼれる。 「なんなんだよ……ワケがわかんねえよ! どうしてこんなことをする必要があるんだっ! 答えろ、ユイッ!」 「――失った全てを、取り戻すため。憎むなら憎め。私はソルテス。魔王、ソルテスだ……。ここでお前ら全員を、殺す」 ソルテスは手を上方へ掲げ、「紅きやいば」を呼び出す。 彼女の瞳が紅く輝き、体全体へと広がる。 同時に、彼女を囲むようにして、何人かの男女が現れた。 「なあ、まだ俺は誰も殺してねえぞ」 巨漢、ミハイル・テツナーが腕を組む。 「あなた、何も理解してませんのね。これだから野蛮人は」 ウェーブのかかった長髪の魔術師、レジーナ・アバネイルが薄く笑う。 「会いたかったぜハヤト。君をブッ殺すのを、ずっと楽しみにしていた。この傷を見ながら、毎日心待ちにしていたよ」 緑髪の剣士、リブレ・ラーソンが頬に刻まれた傷をそっと撫でる。 「ロバートは死んだようだね。残念だ、僕が殺せなくて。さあハヤト、最後のカードを切るなら早くしなよ」 傷だらけのビンス・マクブライトがほほえむ。 「俺たちは」 最後にグラン・グリーンが先頭に立った。 「俺たち魔王軍は、世界を破壊する。そして全てを、取り戻す! ハヤト、お前たちにはそのための礎になってもらう!」 「てめえら……」 ハヤトの中で、ぷつん、と何かがはじけた。 「てめえらああああああっ!!」 彼の体に、輝く亀裂が走る。 ソルテスは、それを見てにやりと笑った。 「よくも! よくもロバートさんを! お前らだけは、絶対に許さねえ! お前らがそのつもりなら……殺してやる。一人残らず殺してやるぞ!」 「ハヤト君!」 「ハヤトさん!」 「ハヤトっ!」 仲間の声は、もはや彼には届かない。 ハヤトの体に刻まれた亀裂から、紅い“魔力”が吹き出した。 ビンスがそれを見て口角を上げた。 「殻が、破れたねえ」 ハヤトは悲鳴に近い叫び声を上げながら、体中からこみ上げる力を全て解放する。 彼の体を突き破るようにして、紅い大剣が姿を現した。 ハヤトは、それを両手に取って、大きく振りかぶった。 「ソルテエエエエスッ!」 「来るぞ! 全員、タイミングを逃すなよ!」 グランが指示を出すと、魔王軍一行は、手を広げて“魔力”を展開する。 「来い、『レッド・ゼロ』。俺たちの世界を破壊した悪魔よ!」 「おおおおおおおおッ!!」 ハヤトが剣を振り切ろうとした、その時であった。 「――全く、つまらない展開ね。全部予定調和じゃない」 一人の少女が、彼の目の前に立った。 マヤが、声を上げた。 「ルーちゃん!?」 ビンスが目を見開いた。 「来た……!」 ルーは、意地悪げににやけながらハヤトに抱きつき、魔王軍に向かって言った。 「悪いけどこの子、しばらく預かるから。ここからは予想のできないゲームになるわよ。せいぜい楽しんで、にせ魔王軍のみなさん」 グランがその声を聞いて、血相を変えた。 「貴様……まさか!?」 「おおおおおおおおおッ!!」 ハヤトの叫びと共に紅い輝きが、部屋を包んでゆく。 十字を象った“魔力”の塊が、広がっていった。 針のようにして真上に突きだした塊の上部が、塔の頂上に浮いていた宝玉を破壊する。 そして、そびえ立つ塔が、割られるようにして切り裂かれた。 部屋全体がぐらりと揺れたところで、ハヤトの意識は失われた。 |