炎に包まれたミランダは地面に倒れ込み、声を上げてその場に転がった。 「ぐああああッ!」 「ミランダ!」 コリンがかけより、バッグに入っていた外套で彼女をはたいた。 ミランダはがなりたてるように叫んだ。 「戦闘中だ! 奴の追撃に備えろッ!」 「で、でもっ!」 しかし当のグランは、腕を組んだままそれを見ている。 彼は後ろを向いて言った。 「別にいいよ。その炎、どうやっても消えねえから。そいつが死ぬまで消火作業、がんばれ」 コリンはその後ろ姿をにらみつつも、必死に外套で彼女の体についた火を消そうと試みる。 だが、彼の言う通り、炎は消える気配すら見せない。風が当たっているはずなのだが、それに影響されてゆらめいたりしないのである。 消すどころか、外套に炎が燃え移ってしまい、コリンはそれを投げ捨てた。 普通の魔法ではない。 ミランダは体を焼かれる苦しみに耐えながら、地面を叩いた。 奴の魔法が出る瞬間を逃したのか。 それとも、時限装置がある罠のような魔法だったのか。 どちらにせよ、してやられてしまった。 こうなってしまっては、もう能力を使わなければ命が危ない。 幸い、グランは今、後ろを向いている。 「どうやっても消えねえ」炎とやらの力を信じて、油断しているのだ。 今だ。今しかない。 今できる、全ての力を込めて攻撃するしかない。 ミランダは痛みをこらえながら、足に力を込める。 体が光り、「白銀の鎧」が炎を吹き飛ばしながら彼女の体に装着される。 ほぼ同時に、地面を蹴って猛烈な勢いで突進した。 「おおおおおおッ!」 一瞬にして距離が詰まる。 ミランダの槍が、グランの背中を捉えた。 「ぐっ……」 ロバートは、折れた弓を地面に突き立てながらなんとか立ち上がった。 その顔は腫れに腫れ、もはや元の顔がわからないような状態になっていた。 息は荒く、地面には彼の血しぶきが滴っていた。 「おいおいロバート、もう息切れかい? そんな体たらくでよくもまあ、ミランダを助けるだなんて大見得切ったもんだね」 彼の目の前には、大笑いしながら彼を見るビンスがいた。すぐ隣にはドレスを着た「ドール」が控えている。その腕には、ロバートの血液が大量に付着していた。 「へっ……助けるどころか嫌われっぱなしのお前に言われたくねえ、よ」 ロバートは途切れ途切れに言った。 「ロバートさん、逃げてっ!」 すぐ近くに、シェリルが立っている。周囲には半透明の障壁が展開され、彼女を閉じこめていた。 ビンスはそれを聞いて、表情を変えずに言った。 「巨乳のお姉さん。僕もね、そこが見たいんだよ。傭兵時代から正義漢気取りのこの男がさあ、仲間を見捨てて、しっぽを巻いて情けなく逃げるところ。なあロバート。きみ、状況分かってる? このままだと、間違いなく死ぬんだぜ? それとも『ブレイク』の加護を受けていない奴が、僕に勝てるとでも思ってる? だから早く逃げよう。逃げちまおう。そんな安っぽいプライドなんて捨てちまおう」 「黙れ……よ」 ロバートは、腰にくくり付けていた直刃の短剣を抜いた。 「ビンス……お前は、うちの姉御が絶対に許さねえってさ。だから、俺もだ。俺もお前を許さない。世界の危機がどうだとか、『蒼きつるぎ』がどうだとか、そんなのはどうだっていい。お前は俺たちをだましたんだ。だから、ぶっ飛ばす。それだけだ!」 ビンスは黙ったまま、人差し指をくいとたてた。 「ドール」が彼の元へと移動し、容赦なく殴り始めた。 「痛い? 逃げないと、続くよ」 しかしロバートは、それを食らいながらもビンスの元へと走る。 ロバートには、わかっていた。 パーティが分断された状態で魔王軍と出会ってしまった以上、彼らの狙いははっきりとしている。 彼らは確実にここで、自分たちを殺そうとしている。 これまで彼らはなぜか、ハヤトを始めとした自分たち勇者一行に対し、戦力を分散させ、あえて手を抜いて戦いを挑んできていたようだった。 きっと彼らには何か目的があったのだ。 それが一体どういった事柄なのかはわからないが、おそらくは、その目的を達しつつあるのであろう。だからこそ、彼らは容赦なく自分たちを殺しに来ている。 ビンスは逃げろ逃げろと言っているが、おそらく逃げ切ることはできない。進んだ先に障壁や罠が張られている可能性が高い。ビンスはそういうことに抜け目のないというか、むしろそういう部分に力を注ぐ男だ。 この戦いは、もはや詰んでいるのかもしれない。 それでも、できることはある。 混濁した意識の中で、ロバートはそう考えていた。 自分の体が、ダメージで動かなくなりつつある。 それでも。 『簡単に、諦めるんじゃねえ!』 従姉妹の言葉が、彼を動かしていた。 「おらああああっ!」 ロバートは「ドール」を押しのけながら、ビンスの元へと向かう。彼はそれを見ても微動だにしない。 それもそのはず、彼の周りには強力な「障壁」が取り囲んでいる。 剣を突き立てたロバートだったが、その“魔力”の壁が無情にもそれをまっぷたつに折った。 ビンスはにこりと笑う。 「ワンパターンだね。僕の障壁は何度も何度も見せたはずだけど。もう逃げる気力すら失っちゃったのかい?」 「諦めねえ……俺は絶対に諦めねえぞっ!」 「そんな思考停止の根性論で僕に挑もうなんて、本当に笑えないなあ」 ビンスが指を弾くと、「ドール」がすぐさま彼を拘束する。 「ロバート、君は本当に頑固でどうしようもないね。どうやら死ぬしかなさそうだよ」 彼はいいながら、「ドール」をけしかけて殴らせる。 ロバートはその場に仰向けになって倒れた。 「はあ、はあ……」 「ロバートさん! ロバートさんっ!」 シェリルが必死に叫ぶ。 彼女は自分を隔離している障壁を壊そうと、必死に“魔力”を練っている。 だが、ビンスの作る障壁は非常に強固なもので、反応すら示さない。 ビンスはロバートの頭を蹴りつけ、腹を踏みつける。 彼の手に“魔力”が集中する。 「じゃあ、そろそろ死んでもらおうか。じゃあね、ロバート。君といた傭兵時代は、本当に楽しかった」 ビンスが魔法を撃とうと試みたその時。 ロバートは出せる力全てを振り絞って起き上がり、その腕を抱き抱えるようにして掴んだ。 ◆ 「……まったく、ふざけた男だ」 部屋に轟音が響いてからしばらくして、倒れていたビンスがよろよろと立ち上がった。 右腕部分から肩にかけてがなくなっていた。 彼の表情は、怒りに満ちていた。 「魔法を撃つ瞬間に、障壁を展開してはね返すだなんて……お前に、そんな芸当ができたとはな」 ビンスは対峙する相手をにらみつける。 ロバートは、膝をつきながらも起きあがっていた。 魔法でのダメージはほぼなかったようだった。 「ビンス、お前……俺の魔法のことをいつもバカにしてたよな……? それが、仇になったんだよ……。ハードなしごきに耐えたかいがあったぜ」 残る手がなかったロバートは、この瞬間を狙っていた。 彼の“魔力”もまた、秋の里での修行で何段階もレベルアップしている。 しかし、ミランダと同様にそれを見せなかった。 もちろん、うまくいくとは思っていなかった。自分の障壁が、ビンスの魔法に耐えられる確証などなかった。 それでもロバートは、諦めなかった。 その不気味さがビンスの判断を鈍らせ、彼を目の前で抹殺しようという考えに至らせたのだ。 まさに死中に活を見いだした、ロバートのファインプレーであった。 「だが、状況は何も変わっていないぞ!」 ビンスは片腕で「ドール」を動かし、彼を起きあがらせて空中に吊した。 「お前は僕を完全に怒らせてしまった……! もう絶対に許さない! 失われた世界の魔王や『ゼロ』のことなんてもうどうでもいい! 僕は世界以上に、お前を完全に破壊してやりたい!」 「……ビンス、一体何を言っている……?」 「ソルテスも、どうしてこんな手段を選んだのだろう。本当にくだらない! こんな奴、初っぱなに殺してしまえばよかったんだ! あのハヤトだってそうだ! どうして僕らがわざわざ、こうまでして、こいつらの旅をお膳立てしてやらなきゃならないんだっ!」 ビンスは自分の腕を修復しながら、まくしたてた。 すでに彼の左手には、さっきまでよりも大きな“魔力”が集まっていた。 「今度こそ死ね、ロバートッ!」 「ロバートさんっ!」 磔にされたロバートは、思った。 ここまでの戦力差がありながら、一矢、たったの一矢だが報いることができた。 自分は、よくやったと思う。 ミランダ、これでもういいんじゃないか? 後はお前に任せて、行ってしまってもいいんじゃないか? かつての戦友たちの顔が浮かぶ。 自分のミスで死なせてしまったホーク。あっちに行ったら謝ろう。 自分なんかを庇って死んでいったデュラン。酒でも一杯おごろう。 結局告白できないまま死に別れた、シャルロット。勇気を出して気持ちを伝えてみようか。 みんなが、待っている。 『簡単に、諦めるんじゃねえッ!』 ミランダ、すまん。もう無理だ。俺はやれるだけやった。 お前を守るために、戦い切った。 『あんたは、いつもそうなんだね。ただ見ている。見て、くれている……』 そうなんだよミランダ。結局俺には、それしかできないんだ。 ミランダの顔が浮かんだ。 『でも、アンタはそれで、悔しくないのかい?』 息が苦しい。 出血が止まらない。 涙があふれてきた。 あふれて、止まらなかった。 悔しい。 ミランダのために命を捨てた? もう、自分は一度死んでいる? そんな事を言って、自分を押さえつけていたような気がする。 悔しいさ。 戦友に裏切られ、そして彼に何も制裁を加えられず、かと言って何も伝えられず、のたれ死に。 大切な人も守れないで、ただ一人、消えてなくなる。 そんなのは……。 「そんなのは、嫌だ……!」 「食らえーーーッ!」 ビンスが攻撃を加えようとした、まさにその時だった。 ものすごい音と共に、天井が崩れ落ちて来た。 思わず、ロバートは上を見た。 そこには、見たこともない屈強な男が一人。 そして。 勇者ハヤトとマヤが、彼の元に落ちて来た。 ロバートがそれを目視した瞬間、彼の体に輝く亀裂が入った。 彼はすがるように、しゃがれ声で言った。 「ハヤト君……! 俺は嫌だ! こんなところで、終わりたくねえっ!! だから……力をくれっ!」 ハヤトは、その肩を掴む。 ロバートの体を、「蒼きつるぎ」が貫いた。 |