ハヤトは迷うことなく剣を抜く。 隣のマヤは、「紫電」の柄に手をかけたが、そこで躊躇した。 「兄さん……!」 彼女は階段の先で対峙する、男を見る。 グラン・グリーン。マヤの兄。 彼女の旅の目的が、今まさに目の前にいる。 「この間もそんなことを言っていたな、女」 グランはほんの少しばかり笑みを浮かべて、マヤに言った。 それを聞いて彼女の心は、再び張り裂けそうになった。 女。たったそれだけの、簡素な単語。 やはり自分が妹であるという認識は、されていない。 「マヤ」 隣のハヤトが、グランから視線を外さずにつぶやく。 「さっき決めたばかりだろ。取り戻すって」 「ええ」 マヤは頷くと、手に力を込め、腰に下げる刀・紫電を抜いた。 グランは興味深そうにそれを見つめた。 「秋の忍が使う刀か……さて、それを持って、どうする? 俺の何を取り戻すんだ」 マヤは汗をにじませる。 ザイド・オータムのことは、覚えているらしい。 ならば、どうして――。 マヤはそこで、ぶんぶんと首を振った。 今は、考えている時じゃない。 「兄さん……いえ、グラン・グリーン」 マヤの「紫電」から、青白い“魔力”の火花が散る。 グランはそれに呼応するように、腕を組んだまま“魔力”を放出した。赤いローブと金色の髪が、ゆらゆらと揺れる。 「あなたの記憶を、取り戻すッ!」 マヤは階段を踏むと、ぱし、というかすかな音と共に一瞬にして姿を消す。 「ライトニングブースト」。彼女が秋の忍里で修行して身につけた体術強化魔法である。 「おおおっ!」 同時に、ハヤトも地を蹴ってグランへと向かう。 彼は、それを見て今度こそ、にたりと笑った。 「おいおい。何をいきってんだよ」 重い金属音が、その場に響いた。 「誰が今、お前らと戦うなんて言った?」 「うっ!?」 マヤは驚きのあまり、声を上げた。 自分の全力の斬撃が、グランに止められている。 それも、人差し指ひとつで。 「くらえっ!」 遅れてハヤトが攻撃に出る。 だが、剣を振り切る前にグランは姿を消し、空を斬る結果になった。 「見ての通り、お前たちと俺では、実力に差がありすぎる」 ハヤトとマヤは、階段のさらに上方をみた。 グランはすでにそちらまで移動していた。 「お前らは……俺と戦う資格すら得ていない。さっき見せた“魔力”で、その差がわからなかったのか」 「だったら、どうして! はあああっ!『ライトニングブースト』!」 マヤがかまわず、再度攻撃をしかける。 超高速で繰り出される剣戟乱舞。グランは余裕顔でそれらをかわす。 「そのレベルじゃ言霊を込めても無駄だ。お前らに自己紹介が済んでなかったな、と思ってな。とっくにご存じだとは思うが、俺はグラン・グリーン。魔王軍の最高幹部ってところだな。お前らが『取り戻す』と言っていたことについて、特に言いたいことはない。何のことだか知らんが、勝手にしろって感じだ」 マヤが攻撃にテンポを置く。 グランがその一瞬に気を取られた時、彼の頭上には「空踏み」で飛び上がったハヤトがいた。 「全く、話を聞かない連中だな」 グランが指を弾くと、強烈な“魔力”の衝撃が起こった。 ハヤトの体が空中で吹き飛ばされ、天井に打ち付けられた。 「ハヤト君!」 ほぼ同時に、マヤも壁に突き飛ばされた。 グランはふっと姿を消し、彼らがいる場所のさらに上部へと移動した。 「聞く気がないなら別に構わん。これから顔見せする、魔王軍の最後の一人も、話を聞かん奴だからな」 「おい、グラン!」 階段から、ずしずしと言う音と共に、一人の男が降りてきた。 一歩一歩を踏むごとに、巨体が揺れた。 なんとか起きあがったハヤトは、その顔を見てはっとした。 春の都のビジョンで見た、柄の悪い男だ。 「いつまで待たせんだよ! さっさと勇者をつれてこい!」 「ミハイル、こいつらだ。男の方が勇者だ」 「……なかなか、いい女だな。殺してもいいのか?」 「話を聞け」 「さっき、殺してもいいと言ったよな。そうする必要があると、言ったよな。つまりは殺してもいいってことだよな!」 グランは舌打ちして、踵を返した。 「勇者よ。見ての通りだ。俺やソルテスと戦いたいのなら、そいつをぶちのめして登ってこい。もっとも、どちらにせよお前らの旅は、この塔で終わりだがな。最後まで抵抗するって言うのなら、丁重に扱ってやるぞ」 ハヤトとマヤは、身構える。 「魔王軍の、新手……!」 「いい、女だなあ。一体お前は、どんな声で死ぬんだ? 楽しみだなあ、オイ」 魔王軍のミハイルは、拳をばきばきと鳴らした。 ◆ まさに巨漢と呼ぶにふさわしい男だった。 肩幅は先ほどまでいたグラン・グリーンの倍ほど。 その腕や脚は、丸太のように太い。 ミハイルと呼ばれたその男は、腕を上げて構えた。 「おれはミハイル・テツナーという。……そういえば、グランの奴から聞くのを忘れていた。きさまら、どちらが勇者だ?」 「……俺だ」 ハヤトが剣を握りなおして言う。 だが、ミハイルは目をぎょろりとさせながらマヤを見て笑った。 「いい女だな、お前。殺したくてしょうがねえ。たいそうキレーな声を出すんだろうなあ、オイ」 二人は思わず、汗をにじませた。 話が全く通じていない。これまでの魔王軍とは違った不気味さがある。 「いろんな方法を試したいな……まずいくつか手足を折るところから始めようか……。でも、それだけで死んじまったらつまらねえしな。気絶させてから、料理するって手もある」 ミハイルがぶつぶつ言っている間に、ハヤトとマヤは目配せして、頷きあう。 「そうだ。まずそっちの男のほうで試してから――」 「『ヴォルト』ッ!」 ミハイルが言い終わる前に、マヤの電撃魔法が炸裂する。 「ブレイク」や秋の里での修行を経たこともあってか、その威力は以前の数倍にも上がっている。轟音が通路に響き、階段を破壊する。 ミハイルの背後には、すでにハヤトが「空踏み」で回っている。 彼は“魔力”を自分の剣に集中させる。 「蒼きつるぎ」は使えないが、彼の“魔力”技術も、里での修行で大幅に成長している。 「いくぞッ! 『剛刃』!」 ハヤトの言霊と共に、剣そのものを囲うようにして大きな“魔力”の刃が姿を現す。空を踏み、ハヤトは斬撃をミハイルに向けた。 「うらあッ!」 だが、ミハイルは怒号と共に“魔力”を放出した。 ハヤトの「剛刃」は一瞬にして砕け散り、上方に体を投げ飛ばされる。 マヤは床に刀を刺して突風をこらえた。 「まだどうするか考えてるところだろうが! 邪魔するんじゃねえ! ブチ殺すぞ!」 ミハイルは狂ったように叫んだ。 なんとか着地したハヤトは、すぐに体勢を立て直す。 だが、思わず言った。 「マヤの電撃魔法が効いてないっていうのか……!?」 「魔法!? 何のことだ! 知らねえぞ、おれは!」 ミハイルがのしのしと階段を登ってくる。 ハヤトは再び“魔力”で大剣を作り出す。 「マヤ、合わせてくれ!」 「ええっ!」 ミハイルを囲む形になった二人は、同時攻撃をしかける。 ハヤトの袈裟斬りがヒットしたところで、加速するマヤが逆方向から斬撃を浴びせる。 二人の連携がリズムよくバシバシと決まる。 だが、ミハイルはそれをものともしない。 武器の攻撃が、全く通っていないのだ。 二人はそれに驚愕しつつも、全力で攻撃を続けるしかない。 「お前等、おれをなんとしても怒らせたいらしいな……」 ミハイルは、眉間に皺をよせて腕に力を込めた。 ハヤトはそれを見て即座に判断する。 この攻撃は、危険だ! 「うおおおおおおーーーッ!」 ミハイルは大振りのストレートをハヤトに見舞う。 回避に集中していた彼は、空を踏んですでに空中にいた。 その刹那、床に大きな穴が開いた。 ◆ ミランダとコリンは、通路を駆けていた。 分かれ道になっているところからリザードマンが現れるのを見て、ミランダが舌打ちする。 「任せて」 後ろのコリンが、手に“魔力”を集めると、リザードマンの立っている場所周辺に彼女の「糸」の能力が発現し、敵を壁へと拘束した。 「よっしゃ! 急ぐよコリン!」 「わかってる」 つい先ほどまでだらだらと歩いていた二人であったが、状況が変わった。 自分たちが進む方角から、落雷のような音が聞こえたのだ。 「あれは、マヤが魔法をぶっぱなす時の音だよ! それもかなりの大技! きっとマヤが、魔王軍にかちあっちまったんだ!」 マヤが誰といるのかはわからないが、ここに来る時の彼女はかなり憔悴していた。そこを魔王軍にねらわれたのかもしれない。 一刻も早く、彼女と合流せねば。 走っていくと、再び分かれ道が現れた。 今度はT字路になっており、敵がいるかどうかの判断もつかない。 「二択は得意だよ! 右だ!」 ミランダが右側に走り込む。 敵はおらず、通路が続いていた。 「よし! このまま突っ走――」 そこまで言ったところで、彼女の足が止まった。 全力で後ろを走っていたコリンは、ミランダの背中にぶつかった。 「ちょっと!」 抗議するコリンだったが、返事が返ってこない。 代わりに、ミランダはコリンの手を掴んだ。 「やべええっ! 戻るぞお!」 コリンは見た。自分たちが進もうとしていた道が、がらがらと崩れてきていた。 壁が崩れた先には青空が広がり、下方にちらりと海のようなものが見えた。 落ちたら、命はない。 二人は全速力でさっきと別の道を走り抜ける。直後、道が崩れていく。 先からリザードマンが三体ほど、見えてくる。 ミランダは舌打ちした。 「あーもう、こう言うときに限って! コリン、さっきの奴出せ!」 「三体は無理! あと一体をなんとかして!」 コリンが汗を流しながら指を動かすと、二体を壁に拘束する。 残った一体はこちらに突進しようとしたが、ミランダのドロップキックがその顔をとらえた。 「お前らの見せ場はないッ!」 着地と同時に、飛び出すようにしてダッシュを再開するミランダ。 拘束された二体と、ミランダに蹴られた一体は、道の崩壊と共に地面へと投げ出されていった。 二人は走る。とにかく走る。狂ったように前へ進んでいく。 次に現れたのは十字路。 だが、自分たちが走っている方向の道を除いて、道が崩れていくのが見える。 「このまま、まっすぐだ! 突っ走れ!」 と、絶叫したミランダだったが、自分の目の前の道も、がらがらと崩れていくのを見てさらに大きな声を上げた。 「だあああああッ! どうすりゃいいんだよッ!」 「ミランダ、上ッ!」 今度はコリンが叫ぶ。 崩れた道のさらに上方に、階段が見える。 届くかどうか、ぎりぎりの高さである。 「行くしかねえ! コリン、覚悟を決めろおッ!」 「とっくに、できてるッ!」 女は、度胸だ。 ミランダが地面をぐっとふみつけ、大きくジャンプする。ほぼ同時に、コリンも飛ぶ。 彼女たちが走っていた道が、全て崩れた。 ミランダは必死に、上方の階段に手をのばす。 だが、届かない。 「ちっくしょっ……!」 「まだよ!」 コリンが顔の前で、腕を交差させる。 「届けえッ!」 彼女が腕を開くと、“魔力”の糸が連なり、鎖へと変わった。 鎖は勢いよく階段の天井に突き刺さり、彼女らを上方へと導いた。 「はあ、はあ。死ぬかと思った……」 階段に寝そべり、息も絶え絶えのミランダが言う。コリンも腰をおろして、呼吸を整えている。 ミランダは起きあがって、コリンに手を差し出した。 「助かったぜ、コリン。……あんたさ、アタシの名前覚えてたんだな」 「あなたこそ」 手をとる二人は小さく笑みを交わしたが、立ち上がると、すぐに顔つきを変えた。 「この階段……怪しいと思わないかい」 「ええ。最後の最後に、突然現れたように見えた。都合がよすぎる」 「罠かもしれないね……。ま、ビンスの奴に当たるんなら、それはそれでいいんだけどさ」 二人が階段を登り切ると、開けた部屋に出た。 周囲には扉が見える。ほかの通路からも来られる場所のようだ。 空間は、やはり奇妙なほど広い。 「ビンス! いるなら、出てきやがれ!」 ミランダが声を上げた瞬間、正面の扉が開いた。 二人は、目を見開いた。 「たどり着いたか……。能力者二人なら、当然かもしれんがな」 グラン・グリーンが、そこにはいた。 ◆ 「マヤのアニキか……! ビンスはどこにいる! アタシはあいつに用がある!」 ミランダは気丈に言い放った。 グラン・グリーン。魔王軍の中心メンバー。おそらく、ビンスよりも遙かに強い。何よりマヤの旅の目的でもある人物だ。本来なら説得したい。 それでも、今は敵同士。同じ部屋で出会ってしまったのだから、もう後には引けない。 グランは扉を閉じて、勇者一行のふたりを見据えた。 「……そうか、お前はビンスの奴が任務で動いていた時期に一緒にいた女らしいな」 「そういうこった。正直、あんたには興味がねえ。奴を出せ」 「ここにはいない。出すこともできない。そして俺はお前に用がある」 「……どういうことだ?」 「お前が知る必要はない」 グランは、二人に向かって歩き出す。 ミランダは槍を持って身構えたが、その前にコリンが立った。 「グラン」 グランは足を止めない。 「事情を聞かせて。どうしてこんなことになってしまったの。あなたは五年前、確かに言ったわよね。魔王を倒して世界を救うって。それがどうして、魔王の一味として世界をめちゃくちゃにしようとする側に立っているの」 グランは歩みを止めない。 コリンは顔を険しくさせると、両腕を顔の前に出し、十字を作った。 「答えて。ソルテスの髪色が変わっているのはなぜ。どうして、あんな風になってしまったの。どうして、私たちにあんなことを言ったの? なにか、大変なことが起きているんじゃないの!?」 「黙れ」 「答えろっ!」 コリンの能力が発動する。 地面を弾けさせながら、グランに向かって無数の“魔力”の糸が飛ぶ。 グランは歩いたまま“魔力”を放出し、それを防いだ。 だが、コリンは攻撃を止めない。 糸を結び合わせ、先ほどと同じように鎖を作り出す。 地面から生えたいくつもの鎖が、グランの体や足に巻き付いた。ここで、ようやく彼の歩みが止まった。 「ソルテスは……あんなことを言う子じゃなかった! 言える子じゃなかった! あなたたちは何か理由があって……『魔王軍』を演じてるんじゃないの!?」 グランは舌打ちした。 「うるせえ奴だな。お前がどう思おうと、お前の勝手だ」 「だが」、と彼が言ったと同時に、鎖が糸も簡単にはちきれた。 「俺は、魔王軍のグラン・グリーンだ。俺たちは、この世界をぶっ壊す!」 グランが体中から“魔力”がほとばしった。 「だったら、話は決まったな! コリン、合わせな!」 ミランダがそこにむかって走り出した。 コリンは悔しそうな表情をしながら、人差し指をくいとひねる。 ミランダの走る地面がはじけ、彼女は上空にとんだ。 「おらああああっ! いくぞこらあッ!」 ミランダは、大声を出しながらも、冷静に考えていた。 そう、演じていた。 以前聞いたマヤの話によると、グラン・グリーンは電撃魔法が得意な魔術師タイプ。体術は得意ではないらしい。 そして何より、勇者一行は元魔王軍メンバーのアンバー・メイリッジから、事前に聞いている。 グラン・グリーンの「ブレイク」能力は、「魔力の増大」である。 アンバーの話では、電撃魔法をさらに強める特化型のものだという。 ミランダはそれを聞いた時、「自分の能力なら、彼をしとめることができる」と考えた。 たとえどんな強い能力を持っていようと、それが“魔力”を介するものである限り、ミランダの「白銀の鎧」はそれを完全に拒否、消滅させることができる。 発動できる時間は非常に短いものの、アンバー戦の時のように、相手が知らぬまま一度決めることができれば、それは直接の勝利に繋がるのである。 だからこそ、ミランダは春の都で能力を発動させなかった。 その一瞬をついて、ビンスを倒すために。 今回は、運悪く相手がグランになってしまった。 少しばかり、マヤに悪いと思う気持ちもある。 だが、そんな甘いことを考えて倒せるような敵ではない。魔王軍にはハヤトと同じ力を持つ魔王がいる。世界を掌握する力がある。 やらなければ、こちらがやられる。 だったら、殺すつもりでやるしかない。 彼が魔法を放った一瞬の隙を狙って、自分の能力を発動。 相手が驚く間もなく、殺しきる。 死ななければ手足を切り刻み、戦力としての価値を完全に削ぐ。 そうなれば、形はどうあれマヤの宿願も叶うだろう。 それでも今、このチャンスに殺しきってしまうのが第一だ。 だからこそ、ミランダは決意して飛び込んだ。 あえて、魔法を撃ちやすいであろう彼の正面・空中にその身をさらしたのである。 「くらえええええっ!」 空中から槍で突進をかける。 鎧の発動は、グランの電撃魔法が来た、その瞬間だ。 ミランダは全神経を集中させる。 グランの体が、どんどん近づいてゆく。 彼は上を見上げつつも、こちらを見下すような表情をしていた。 ミランダは、心の中で舌打ちする。 この状況で、彼は何もしようとしてこない。 魔法を誘っているのが、バレているのだろうか。 だが、体術が得意でないのなら、接近戦に持って行くのみ。 このまま攻撃を継続し、改めて魔法を使う時に狙えばいい。 しかしその時、思いもよらないことが起きた。 「ッ!?」 自分の体が、すでに炎上していたのだ。 |