春、夏、秋、冬。 四つの気候を持つザイド大陸の中心には、非常に濃い霧のかかった地帯が存在する。 各地に散らばった四精霊がかつて一体の魔神であったころ、その中枢を司る部分を封印したとされるのが、この「ザイドの聖域」である。 バドルに乗るハヤトたちは、目の前に立ちこめる霧を見据えていた。 「なんつう、みょうな光景だ」 ロバートがつばを飲む。 自分のいる場所から数歩先を、目視することができない。 ミランダも神妙そうに言う。 「疎いアタシでもわかる。なんというかこれは、“魔力”に近いものを感じるね」 シェリルが頷く。 「そうです。これらはすべて“魔力”の霧です。精霊の加護がなければ、永遠にここをさまようことになり、聖域の内部に入ることはできません」 「すごいヘンな“魔力”なの。ルー、なんだかおかしくなりそうなの」 「でも、ここを進んで行かなきゃならない。だよな、ハヤト君」 ロバートに言われて、最後尾のハヤトが頷く。 彼の顔はこわばり、脂汗をかいていた。 「ええ。この先に魔王軍がいるのは間違いないでしょう。あいつらを止めるためにも、春の都を元に戻すためにも。行かなきゃ、この霧の中を」 でも。 ハヤトは、自分の手を見た。 ビンスから受けた、妙な魔法。 あれを受けてから、ハヤトは突如として「蒼きつるぎ」を出すことができなくなった。 春の都の争乱はなんとか収まったものの、都は精霊の神木が抜かれたことによってか気候が変化し、陽気さを失って突如として寒波が襲っている。また、町そのものもそれなりの被害を受けた。 しかしそれより深刻なのは、魔王軍に対抗するための大きな戦力である「つるぎ」が使えなくなったことである。勇者一行からすれば、主力を失った状態で聖域への道に臨むことになる。 そして。 ハヤトは、自分の後ろのマヤを見やる。 彼女はすっかり生気を失った表情で、地面を見つめていた。 マヤは先日の戦いから、ずっとこの状態である。 誰が何を言っても、返事はするものの心ここにあらずといった具合だ。 それだけ彼女は、心に深いダメージを負っていた。 「折れるな」というハヤトの言葉は、届かなかった。 だが、もし自分が同じ立場だったらと思うと、ハヤトは彼女を無理矢理にでも奮い立たせようなどという気にはなれなかった。 「大丈夫だよ、ハヤト」 ミランダが言った。 「ビンスの奴をとっつかまえれば『蒼きつるぎ』は取り戻せるんだし、アタシらの能力もある。こないだは遅れをとったけど、あいつらには能力を一切見せなかった。アタシが一発で、決めてやるからさ。あんたは勇者らしく、どっしり構えてな。マヤもじきに元に戻るさ」 「ルーもいるの」 「その二人だけじゃ不安。ハヤト、私を使って。絶対に春の都を元に戻したい。あの能力、すこしずつだけど、やり方がわかってきたから」 「……ま、俺とシェリルさんは『ブレイク』してないけど、補佐くらいはできるはずさ」 「シェリルはいいとしてロバート、あんたは足引っ張るなよ」 「ちくしょう、どうして俺だけそういう扱いなんだよ! でも言い返せねえ!」 ハヤトは頷いた。 状況は、確かに悪いかもしれない。 だが、今の自分には頼りになる仲間たちがいる。 「ああ。行こう、みんな」 一行は、霧の中へと入っていった。 ◆ 霧の中は意外なほど短く、数分も歩くと彼らは開けた野原に出た。 空は霧に覆われており、すこしばかり薄暗い。 いくらかの斜面があり、遙か先に、これまで歩いてきた時と同じような霧の壁が立ちこめているのが見えた。 「ここがザイドの聖域なのか? 案外、殺風景だな」 ハヤトがあたりを見渡す。なんてことはない、ふつうの原っぱだ。 魔王軍は。そして、魔王の島への封印を解く宝玉は、どこにあるのだろうか。 「……おかしい」 すぐ横のコリンとシェリルが、顔をしかめていた。 「どうしたんだ、二人とも」 「ハヤト……。聖域は、こんな場所じゃない。もっと“魔力”の輝きに満ちあふれた、神秘的なところのはず」 ミランダが腕を組む。 「じゃあここは、ハズレみたいなもんなのかい? 確かに、いかにも『ここじゃないよ』って感じだけどさ」 「違う」 コリンが地面に膝をおろし、芝を払う。すると、ごつごつとした岩肌のようなものが露出した。ほのかに青白い光を放っている。 シェリルもしゃがんでそれを確認した。 「この地面の術印……矛盾しているようだけれど、確かに聖域のものです」 「じゃあ、やっぱりここが聖域ってこと?」 「そのようです。きっとご神木が抜かれたことで、聖域にも影響が……」 その時だった。彼らのいる場所から南の方角で、桃色の光が立ち上った。ちょうど小高くなっている傾斜の下で、光の元までは見えない。 だがコリンがはじかれるように走り出すのを見て、全員が追随する。 「あの光……春の精霊様の!」 コリンが言いながら、丘へと上っていく。 彼女は丘の一番上で、ふと立ち止まった。 ハヤトたちも、遅れてその場にたどり着く。 「あっ……!」 ハヤトが口を開いた。 光を放っていたのは、春の精霊のご神木だった。 その根元には、魔王軍のビンス・マクブライト、グラン・グリーン、そして紅い髪の少女がたたずんでいた。 ◆ 「兄さん!」 さっきまで気の抜けたようになっていたマヤが、突如として叫んだ。彼女は丘を駆け下りようとしたが、途中で体を弾かれた。 ロバートが彼女を受け止める。 「落ち着け。障壁だ」 「兄さんっ! 兄さんっ!」 マヤは狂ったように兄を呼んだ。 それとは対象的に、ハヤトは自分でも意外なほど冷静に、紅い髪の魔王・ソルテスを見ていた。 黒を基調としたコスチューム。細い体、ポニーテールにした、炎のような紅い髪。 もはや間違いようもないほどに、彼女は自分の妹・折笠唯そのものであった。 この世界に来てから、自分の知り合いにそっくりな人間を三人ほど見ている。 マヤ・グリーン。 アンバー・メイリッジ。 そしてソルテス。 マヤとアンバーは、どうやら自分の知り合いとは関係ないようだ。 だが、ソルテス。彼女だけは、自分の世界にまで現れたことがある。 唯だ。あれは紛れもなくユイなのだ。 ハヤトは改めて、そう確信していた。 「兄さん! グラン兄さん!」 マヤがまだわめいている。 それを見て、ようやくグラン・グリーンが口を開いた。 「勇者一行、よく来たな。見ての通り、春の精霊は俺たち魔王軍が掌握した」 「それが何を意味するのか、あなたにはわかっているの、グラン、ソルテス!」 珍しく怒りを露わにしてコリンが言う。 グランは腕を組んで、にやりとした。 「お前らやこのザイド大陸がどうなろうと、俺たちの知ったことではない」 「貴様っ……!」 コリンが「糸」の能力を出そうとしたが、ハヤトがそれを止めた。 彼はソルテスを見て、静かに言った。 「ユイ……ようやく、会えたな」 ソルテスは表情をぴくりともさせない。 しかし、彼は続けた。 「この世界がどうとか、『冒険』がどうとか。聞きたいことは山ほどあるけどさ……そういうことは、もういいんだよ。ユイ。ここは、お前が守った世界じゃないのか。どうしてこんなことをするんだ。なに、人さまの世界で、迷惑かけてんだよ。お前がそこのグランたちと何をするつもりなのかはわかんねえけどさ……それは、それは違うと思うんだよ、ユイ」 それは、正直な気持ちだった。 彼は思うままに、自分の考えを彼女にぶつけたのである。 それを聞いて、彼女は下を向いた。 「……ユイ?」 「はーーーっはっはっはっはっはっはっは!」 顔を上げた魔王は、高らかに笑った。 「全く笑わせてくれる。勇者よ、私たちがこれまで何をしてきて、これから何をするのか、わかっているのか?」 「ユイ!?」 「私たちの未来は、紛れもなく、間違えようもなく、変えようもなく、ほかに考えようもなく、殺し合いだ。そんな甘っちょろいことを言っていて、本当に魔王が倒せるのか? 勇者たちは神話の通りに、この世界を災厄から救うことができるのか?」 ソルテスは、自分の手のひらに“魔力”を集中する。 彼女の握った右手から、紅い輝きをまとった大剣が姿を現した。 その場に“魔力”の衝撃が起こり、突風が吹く。 ハヤトはなんとか体勢を保ちながらも、彼女の剣を見ていた。 「紅い……『蒼きつるぎ』!?」 ソルテスは得意げに、剣を構えた。 同時に、ベルスタ王国・ファロウのほこらで見た時と同じ宝玉が空中に現れた。 「勇者よ、答えが知りたきゃ……登ってきなよ。登ってこられる、もんならね。宝玉は、ここにある。『紅きやいば』が命じる! この樹木を媒介とし、近辺“魔力”法則を『破壊』せよ!」 彼女は、ご神木に剣を突き立てた。 今度は地面が大きく揺れるとともに、地鳴りが起こる。 ソルテスたちが立っている周囲数十メートルに、ぼこん、と円型のひびが立ったかと思うと、地面が強烈な勢いで突き上がっていった。 ハヤトたちの目の前に、天を突くような高い塔が現れた。 |