IMMORTAL MIND
イモータル・マインド

Part 2 [Red Zero]
15.「冬山に想う」その1

「わー!」

 目の前に広がった光景に、ルーが騒いだ。
 対してミランダはため息をつく。彼女は厚手の外套を羽織っており、その息は白い。

「ガキはいいね、脳天気で」
「ミランダに言われたくないの。この光景に感動できないなんて、人生損してるの」

 後ろのロバートが笑う。

「違いねえ。だが肌を露出してないと気が済まないミランダからすれば、これは苦行だな」
「誰が露出狂だ!」
「そこまで言ってな……ぐへ!」

 いつも通り、ミランダの足がロバートの頭を掴み、宙を舞う。
 ぼす、と言う音と共に、ロバートは頭から白い地面に突き刺さった。
 彼はすぐに地面から這い出て騒ぐ。

「つ、冷てぇっ! ある意味地面よりきついぞ、これ!」
「でもダメージはないね。やっぱり嫌いだよ、雪なんてさ」

 ザイド・オータムを出た勇者一行がたどり着いたのは、一面の銀世界。
 天候は晴天だが、辺りの木々も行くべき道も、全て真っ白だった。
 彼らの遙か先には、同じように白い、大きな山脈が広がっている。
 これが彼らの目的地、ザイド・ウィンターである。

 騒ぐ三人をよそに、コリンがバドルに乗る。

「アホは放っておいて、そろそろ行きましょう。ここは二、三日で登り切らないと、死んでしまうから」
「誰がアホだ、このデコッパチ。食らえ!」

 コリンの額に、雪の玉が命中する。
 シェリルがそれを見てびくりとしたが、ミランダに言った。

「ミランダさん、コリンの言っていることは本当です。だから……」

 そこで彼女の言葉はとぎれた。
 コリンが無表情でバドルを降り、地面をかいて雪玉をこしらえ、ミランダに投擲したのだ。

「頼むからガキみたいなことはやめて」
「自分でやっといて何言ってんだい。受けて立つよ!」
「ルーもやるの!」
「おっ、なら俺はコリンちゃんの方につこう。もうミランダは一人でいいんじゃないか?」
「そうだね、それならあんた一人に集中攻撃するから、一人で十分だ」
「どうしてそうなるんだよ!?」
「みなさん、やめてください! ああもう、こうなれば実力行使です! 自分で動かなければ、未来はやってこないのだから!」
「こういう時に使う台詞じゃないぞ、それ」

 かくして、雪合戦が始まった。

「えーと……どうしようか、ハヤト君」

 すっかり入るタイミングを失ったマヤが、すぐ後ろを見る。

「とにかく、止めてくれ……こ、このまま放置されたら、お、おれが死ぬ」

 顔を赤くし、鼻水を垂らしたハヤトが、がちがちと震えていた。



 一行はバドルで雪山を登る。
 体調の優れないハヤトは、マヤと一緒にしんがりのバドルに乗っている。

「大丈夫、ハヤト君?」
「あ、ああ……」

 言いつつも、ハヤトはふらふらしている。明らかに大丈夫ではない。
 マヤは“魔力”を練り、ハヤトに回復魔法をかけてやった。

「気休めにもならないだろうけれど……」
「なあ、どうして大けがも治せる魔法が風邪には効かないんだ?」
「風邪は“魔力”の逆流が問題だから……説明しにくいけど、そういうものなのよ。ハヤト君の『蒼きつるぎ』で体調不良を壊せれば、きっと治ると思うんだけどね」
「『蒼きつるぎ』の効果は、俺自身には効かないみたいだからなあ。うう、頭痛がひどい。ちょっと寝るよ」

 マヤは自分に寄りかかって眠るハヤトに、魔法をかけ続けた。
 その上で、改めて思った。やはり彼も人間なのだ。

 マヤは、先日のことを思い返した。
 アンバーを撃破した後、ハヤトに何か魔法のようなもの――彼は、内容について詳しくは話してくれないが、アンバー自身の過去、「絶望」を見たという――をかけている際、マヤは彼女に訪ねた。

「アンバーさん。あなたのかつての仲間に、グラン・グリーンという人がいませんでしたか」

 アンバーは頷いた。

「グラン・グリーンはソルテス一派の副リーダーだ。旅をしている際も、決め事はほとんど彼とソルテスのふたりで判断していた。ソルテスも、彼を兄のように慕い、信頼していたように見えた」

 兄。その単語を聞き、マヤの胸がぴくんとはねる。

「私は、マヤ・グリーンと言います。彼の妹です。教えてください。兄さんもやっぱり、魔王軍に……?」

 アンバーは少なからず、驚きを見せた。

「あいつの……? やつはおそらく、魔王軍にいるだろう。グランはソルテスたちと魔王との決戦に挑んだからな。それにザイドの海で戦ったリブレ・ラーソンとも仲が良かった」
「いったい、どうして」
「さっきも話したが、理由はわからん。私が知りたいくらいだよ。会って確かめる他ないだろう。しかし、妙だな……」

 アンバーは、マヤをじっと見た。

「グランに、きょうだいがいるだなんて話は一度も聞いたことがない」
「えっ」

 マヤの顔から、表情が消える。

「奴はソルテスや魔法の師匠と出会うまでは天涯孤独だったと、よく話していたよ」
「そんな!? 私はちらりとですけど、ソルテスと顔を合わせたことだってあるんです! その時に、妹だって紹介してくれました!」

 アンバーは首をふる。

「ソルテスからも聞いたことがない。……君も、そうなのか」
「ど、どういうことです?」

 アンバーは、「知らない方がいい」と小さく言って、それ以降何も教えてくれなかった。

 なんとも後味の悪い、不気味な情報だった。
 これだったら、聞かなかったほうが良かったのかもしれない。

 だが。

 マヤは、確信していた。
 グラン兄さんに、魔王の島で何かが起こったのだ。そうに決まっている。でなければ、彼が今やっていることに説明がつかない。
 かつて守ろうとした世界への反逆……彼の性格からすれば、あり得ないことなのだ。
 きっと、絶望的な何かが、起こったはずなのだ。

 兄の顔が浮かんだ。
 透き通るような長い金髪に、優しげな青い瞳。
 だけれど、その意志は誰よりも強かった。

 兄さんに、何かがあったのだ。
 私が助けなければ。

 だからこそ、勇者ハヤト・スナップをサポートしていかなければならない。

 マヤは、再びハヤトを見る。
 バドルに揺られながら寝息を立てる彼は、なんとも頼りなさげで、弱々しく見えた。
 でも、その彼に、これまで何度助けられて来たことか。

 ハヤト・スナップ。彼はいったい何者なのだろう。
 悪人でないことはもう疑う余地もないが、彼には妙なところがたくさんある。
 もっと彼のことを知りたい。理解してあげたい。
 そして、できれば……。

 そこまで考えてマヤは、はっとして赤面し、首をぶんぶん振った。
 違うの。そういうのじゃない。
 彼を知りたいというのは、単なる仲間としての感情、友情に近いものであって!
 ……って、一人で何考えてるんだろう。

「マヤ……」

 そのとき、ハヤトがぼそりと言った。

「ひゃい!?」

 マヤの声は見事に裏返った。

「……悪いな、世話焼かせちまって」
「べ、べつに……仲間として当然じゃない。ルーでも、ミランダさんでも、こうするわ」
「はは。お前のそういうとこ、あいつにそっくりだ」
「あいつ?」
「こっちの話。悪い、もう少し寝るよ」

 「あいつ」と聞いて、思い出した。

 結局船の一件でうやむやになってしまったが、「ユイ」とはいったい、誰のことなのだろう……。

 マヤはハヤトの顔を一瞥してから、バドルの手綱を引いた。



 先頭のコリンが止まった。
 すぐ後ろのミランダが眉をひそめる。

「どうした」
「モンスター。ホワイトグリズリー四体。厄介よ」

 コリンが指さす森の先に、白い熊型モンスターが歩いていた。まだ距離があり、気づかれてはいないようだった。
 ミランダはにやりとすると、バドルの片羽に括り付けていた槍を取り出す。
 コリンが非難の目を向ける。

「ちょっと。まだハヤトが本調子じゃない。それにあのモンスターは獰猛なの」
「だからこそ、アタシらが守るんだろうが。おいロバート!」
「へいへい」

 ロバートとミランダの二人は、バドルをけしかけてスピードをあげる。
 コリンがため息をついた。シェリルはミランダの後ろ姿を見ている。

 ミランダとロバートの二人はバドルを駆って雪原を走っていく。雪は深いが、バドルはそんなものをものともせず、力強く白い地面を踏みしめて行く。

「へっ! どうやらあんたも、ようやくこのクソ鳥の動かし方がわかってきたらしいねえロバート!」
「お互い様だろ! いつものやつ、行くか」
「おうっ!」

 ホワイトグリズリーたちが、侵略者たちの存在に気づいて声をあげた。
 二頭のバドルが、弧を描くように大きく左右へと展開した。

 左のロバートは“魔力”のこもった矢をつがえた。

「頼むぞ、タウラの鷹! 『オーラアロー』!」

 バシ、という空気がはじける音と共に、勢いよく“魔力”の矢が射出される。
 矢はホワイトグリズリーの頭に突き刺さり、その場で小さな爆発を起こした。
 他の三体がそれに気を取られた刹那、一体の頭に槍が突き刺さる。

 ミランダは、しとめたホワイトグリズリーを地面に蹴りつけるようにして宙を舞うと、体をひねらせながら槍を回転させ、ニ体目の首をはねる。

「はっ!」

 彼女は銀髪をひらめかせながら着地する。同時に、最後の一体に大きな傷が刻まれ、その場に倒れた。

「なんだい、余裕じゃないか。例の『鎧』を出す暇もなかったね」

 ミランダは槍を二回ほど回転させて血を払うと、背中にすとんと戻す。
 ロバートがおおげさに拍手しながら近づいてきた。

「お見事。最近までふさぎこんでいたくせに、絶好調じゃないか」
「まあね。ハヤトのおかげで吹っ切れたのさ」

 ミランダは、空を見上げる。


 ミランダは、感謝していた。
 ハヤト・スナップという存在に。

 始めはただ、いつものように。ちょっと顔が好みの男を手に入れる。それだけが目的だった。
 しかし相手は伝説の「蒼きつるぎ」の勇者で、彼女はこれまで体験したこともなかった、けた違いに危険な冒険に巻き込まれることになった。
 だが「ザイド・アトランティック」号での戦いの際、ハヤトがキング・クラーケンを倒すところを見た時、彼女の心は、踊っていた。

 こんなにも、こんなにも強い人間がいるだなんて。

 強さ。ミランダ・ルージュにとってそれは、男性に求めるほとんど全てだった。
 彼の瞳が蒼く輝く時の表情と、その際に見せる圧倒的な強さに、ミランダは強く惹かれていた。

 もはや、隠す必要もなかった。
 ミランダは、どうしようもなくハヤトを愛するようになっていた。

 そして彼女は考える。
 自分もああでありたい、と。

 これまでは、相手に強さを求めていた。
 だが、彼の強さは自分のそれを、遙かに上回っている。

 強くなりたい。
 彼の隣で、背中を預けてもらえるくらい、強くなりたい。
 そして、手に入れる。ハヤト・スナップを。
 それだけは、いつもと同じだ。

 ミランダの心は、激しい情熱に包まれていた。



 山中の夜。ハヤト一行はキャンプを張った。
 ザイド・ウィンターの気温は非常に低い。しかし、障壁のようなものが彼らを覆うようにしていた。

「へえ、あったかいね。これで寒さをしのげるってわけかい。便利なもんだね」

 ミランダが、障壁に手を出し入れしながら言う。シェリルが嬉しそうにほほえんだ。

「この障壁は体を通過してしまいますから、寝ている時に出ないよう、注意してくださいね」
「だとさ、マヤ」

 急にふられたマヤだったが、彼女は不思議そうに首をひねった。

「どうして私に言うんです?」

 全員が絶句する。寝相の悪さに自分で気づかないのだろうか。
 ロバートは苦笑しながら立ち上がった。

「今夜の番は俺がするよ。みんな、ゆっくり眠ってくれ」
「月が十五度傾いたら起こして。アタシが代わるよ」
「いいや。ハヤト君が不調の今、何かがあった時にこのパーティの主力になるのは、マヤちゃんとミランダの二人だ。体力をつけておいてくれ」
「で、でも。それじゃロバートさんが」

 ロバートはマヤの言葉を遮った。

「たまには役に立たせてくれないか」
「ロバートのくせにちょっとかっこいいの」
「うるせえ。ガキは早く寝ろ」
「なんでルーにはそうつらく当たるの! もしかしてロバート、ルーのことが好きなの? でも、ごめんなのロバート。ルーにはハヤトがいるから」
「わあ、よくわからんが勝手にふられた」

 ともあれ、彼以外の全員が眠りについた。

 ロバートは月を眺める。

 この旅に加わってからというもの、色々なことがあった。
 死にかけたことも数え切れない。魔王軍の連中は誰も彼も自分とはレベルが違っていて、はっきり言って対峙しているだけでも生きた心地がしない。
 先日だって、「ブレイク」能力を解放したアンバーが起こした“魔力”の衝撃だけで、右腕を折った。もっとも、そういったダメージは回復魔法ですぐに癒すことができるが、もし、その一発で自分が息絶えてしまえば……。
 力の差を考えれば、いつ死んでもおかしくないだろう。

 それでも、ロバートは今の生活に満足していた。

 生など、タウラでとっくに捨てていた。

 傭兵としてモンスターと戦ってきたロバートは、これまで何度も命を落としかけてきた。
 だが、彼の傍らには従姉妹のミランダがいつでもいた。
 ミランダは惚れ惚れするほど強く、どんな苦境でも諦めない強い心の持ち主だった。

 ロバートはある戦いで、一度自分の命を諦めたことがある。
 現在戦っている魔王軍と比べれば天地の差ではあるものの、強力なモンスターと対決した時のことである。傭兵部隊は苦戦を強いられ、親しくしていた彼の仲間が何人か、命を落とした。
 補給もなく、武器も全て壊れてしまった。ロバートにはもはや、何も残っていないと感じられた。
 じり貧の状況で諦めの境地にたどり着き、とうとう彼は素手でモンスターへと向かっていこうとした。

 その時、彼を殴りつけた女がいた。

 それがミランダ・ルージュであった。

「簡単に、諦めるんじゃねえ!」

 ミランダは、ロバートを押し倒し、獣のように猛った。何度も何度も殴られて、モンスターではなく彼女に殺されるかと思った。
 だが結果としてその後、援軍がかけつけてロバートたちは生きながらえることができた。

 自分はあの時、死んだのだ、と、ロバートは思っていた。

 だからこそ今ある生を、おもしろおかしく過ごして行きたい。そう感じていた。
 今の旅は、それにぴったりであった。

 そして、何より――。

 ロバートは、口をぱっくり開けて眠るミランダを見やる。

 彼女を助けなければ。
 自分を救ってくれた親戚を。
 そして、異常なまでに強い力を持ってしまった、姉貴分を。

 ロバートは、ミランダの「ブレイク」能力についての説明を聞いた時、まず感じた。
 この先、ミランダは魔王軍にまず狙われる対象となるだろう。魔王軍には、ビンスを始め、魔法を使う人間も多いからだ。それを真っ向から否定できる「白銀の鎧」は、魔王軍にとっては邪魔な存在であろう。

 彼女を、守るとまではいかずとも、その助けになれれば。
 そして、本人は気づきもしていないだろうが、今までとは遙かに異なる本物の恋を、成就するところを見届けてやりたい。

 ロバートはただ、そう思っていた。


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