「わー!」 目の前に広がった光景に、ルーが騒いだ。 対してミランダはため息をつく。彼女は厚手の外套を羽織っており、その息は白い。 「ガキはいいね、脳天気で」 「ミランダに言われたくないの。この光景に感動できないなんて、人生損してるの」 後ろのロバートが笑う。 「違いねえ。だが肌を露出してないと気が済まないミランダからすれば、これは苦行だな」 「誰が露出狂だ!」 「そこまで言ってな……ぐへ!」 いつも通り、ミランダの足がロバートの頭を掴み、宙を舞う。 ぼす、と言う音と共に、ロバートは頭から白い地面に突き刺さった。 彼はすぐに地面から這い出て騒ぐ。 「つ、冷てぇっ! ある意味地面よりきついぞ、これ!」 「でもダメージはないね。やっぱり嫌いだよ、雪なんてさ」 ザイド・オータムを出た勇者一行がたどり着いたのは、一面の銀世界。 天候は晴天だが、辺りの木々も行くべき道も、全て真っ白だった。 彼らの遙か先には、同じように白い、大きな山脈が広がっている。 これが彼らの目的地、ザイド・ウィンターである。 騒ぐ三人をよそに、コリンがバドルに乗る。 「アホは放っておいて、そろそろ行きましょう。ここは二、三日で登り切らないと、死んでしまうから」 「誰がアホだ、このデコッパチ。食らえ!」 コリンの額に、雪の玉が命中する。 シェリルがそれを見てびくりとしたが、ミランダに言った。 「ミランダさん、コリンの言っていることは本当です。だから……」 そこで彼女の言葉はとぎれた。 コリンが無表情でバドルを降り、地面をかいて雪玉をこしらえ、ミランダに投擲したのだ。 「頼むからガキみたいなことはやめて」 「自分でやっといて何言ってんだい。受けて立つよ!」 「ルーもやるの!」 「おっ、なら俺はコリンちゃんの方につこう。もうミランダは一人でいいんじゃないか?」 「そうだね、それならあんた一人に集中攻撃するから、一人で十分だ」 「どうしてそうなるんだよ!?」 「みなさん、やめてください! ああもう、こうなれば実力行使です! 自分で動かなければ、未来はやってこないのだから!」 「こういう時に使う台詞じゃないぞ、それ」 かくして、雪合戦が始まった。 「えーと……どうしようか、ハヤト君」 すっかり入るタイミングを失ったマヤが、すぐ後ろを見る。 「とにかく、止めてくれ……こ、このまま放置されたら、お、おれが死ぬ」 顔を赤くし、鼻水を垂らしたハヤトが、がちがちと震えていた。 ◆ 一行はバドルで雪山を登る。 体調の優れないハヤトは、マヤと一緒にしんがりのバドルに乗っている。 「大丈夫、ハヤト君?」 「あ、ああ……」 言いつつも、ハヤトはふらふらしている。明らかに大丈夫ではない。 マヤは“魔力”を練り、ハヤトに回復魔法をかけてやった。 「気休めにもならないだろうけれど……」 「なあ、どうして大けがも治せる魔法が風邪には効かないんだ?」 「風邪は“魔力”の逆流が問題だから……説明しにくいけど、そういうものなのよ。ハヤト君の『蒼きつるぎ』で体調不良を壊せれば、きっと治ると思うんだけどね」 「『蒼きつるぎ』の効果は、俺自身には効かないみたいだからなあ。うう、頭痛がひどい。ちょっと寝るよ」 マヤは自分に寄りかかって眠るハヤトに、魔法をかけ続けた。 その上で、改めて思った。やはり彼も人間なのだ。 マヤは、先日のことを思い返した。 アンバーを撃破した後、ハヤトに何か魔法のようなもの――彼は、内容について詳しくは話してくれないが、アンバー自身の過去、「絶望」を見たという――をかけている際、マヤは彼女に訪ねた。 「アンバーさん。あなたのかつての仲間に、グラン・グリーンという人がいませんでしたか」 アンバーは頷いた。 「グラン・グリーンはソルテス一派の副リーダーだ。旅をしている際も、決め事はほとんど彼とソルテスのふたりで判断していた。ソルテスも、彼を兄のように慕い、信頼していたように見えた」 兄。その単語を聞き、マヤの胸がぴくんとはねる。 「私は、マヤ・グリーンと言います。彼の妹です。教えてください。兄さんもやっぱり、魔王軍に……?」 アンバーは少なからず、驚きを見せた。 「あいつの……? やつはおそらく、魔王軍にいるだろう。グランはソルテスたちと魔王との決戦に挑んだからな。それにザイドの海で戦ったリブレ・ラーソンとも仲が良かった」 「いったい、どうして」 「さっきも話したが、理由はわからん。私が知りたいくらいだよ。会って確かめる他ないだろう。しかし、妙だな……」 アンバーは、マヤをじっと見た。 「グランに、きょうだいがいるだなんて話は一度も聞いたことがない」 「えっ」 マヤの顔から、表情が消える。 「奴はソルテスや魔法の師匠と出会うまでは天涯孤独だったと、よく話していたよ」 「そんな!? 私はちらりとですけど、ソルテスと顔を合わせたことだってあるんです! その時に、妹だって紹介してくれました!」 アンバーは首をふる。 「ソルテスからも聞いたことがない。……君も、そうなのか」 「ど、どういうことです?」 アンバーは、「知らない方がいい」と小さく言って、それ以降何も教えてくれなかった。 なんとも後味の悪い、不気味な情報だった。 これだったら、聞かなかったほうが良かったのかもしれない。 だが。 マヤは、確信していた。 グラン兄さんに、魔王の島で何かが起こったのだ。そうに決まっている。でなければ、彼が今やっていることに説明がつかない。 かつて守ろうとした世界への反逆……彼の性格からすれば、あり得ないことなのだ。 きっと、絶望的な何かが、起こったはずなのだ。 兄の顔が浮かんだ。 透き通るような長い金髪に、優しげな青い瞳。 だけれど、その意志は誰よりも強かった。 兄さんに、何かがあったのだ。 私が助けなければ。 だからこそ、勇者ハヤト・スナップをサポートしていかなければならない。 マヤは、再びハヤトを見る。 バドルに揺られながら寝息を立てる彼は、なんとも頼りなさげで、弱々しく見えた。 でも、その彼に、これまで何度助けられて来たことか。 ハヤト・スナップ。彼はいったい何者なのだろう。 悪人でないことはもう疑う余地もないが、彼には妙なところがたくさんある。 もっと彼のことを知りたい。理解してあげたい。 そして、できれば……。 そこまで考えてマヤは、はっとして赤面し、首をぶんぶん振った。 違うの。そういうのじゃない。 彼を知りたいというのは、単なる仲間としての感情、友情に近いものであって! ……って、一人で何考えてるんだろう。 「マヤ……」 そのとき、ハヤトがぼそりと言った。 「ひゃい!?」 マヤの声は見事に裏返った。 「……悪いな、世話焼かせちまって」 「べ、べつに……仲間として当然じゃない。ルーでも、ミランダさんでも、こうするわ」 「はは。お前のそういうとこ、あいつにそっくりだ」 「あいつ?」 「こっちの話。悪い、もう少し寝るよ」 「あいつ」と聞いて、思い出した。 結局船の一件でうやむやになってしまったが、「ユイ」とはいったい、誰のことなのだろう……。 マヤはハヤトの顔を一瞥してから、バドルの手綱を引いた。 ◆ 先頭のコリンが止まった。 すぐ後ろのミランダが眉をひそめる。 「どうした」 「モンスター。ホワイトグリズリー四体。厄介よ」 コリンが指さす森の先に、白い熊型モンスターが歩いていた。まだ距離があり、気づかれてはいないようだった。 ミランダはにやりとすると、バドルの片羽に括り付けていた槍を取り出す。 コリンが非難の目を向ける。 「ちょっと。まだハヤトが本調子じゃない。それにあのモンスターは獰猛なの」 「だからこそ、アタシらが守るんだろうが。おいロバート!」 「へいへい」 ロバートとミランダの二人は、バドルをけしかけてスピードをあげる。 コリンがため息をついた。シェリルはミランダの後ろ姿を見ている。 ミランダとロバートの二人はバドルを駆って雪原を走っていく。雪は深いが、バドルはそんなものをものともせず、力強く白い地面を踏みしめて行く。 「へっ! どうやらあんたも、ようやくこのクソ鳥の動かし方がわかってきたらしいねえロバート!」 「お互い様だろ! いつものやつ、行くか」 「おうっ!」 ホワイトグリズリーたちが、侵略者たちの存在に気づいて声をあげた。 二頭のバドルが、弧を描くように大きく左右へと展開した。 左のロバートは“魔力”のこもった矢をつがえた。 「頼むぞ、タウラの鷹! 『オーラアロー』!」 バシ、という空気がはじける音と共に、勢いよく“魔力”の矢が射出される。 矢はホワイトグリズリーの頭に突き刺さり、その場で小さな爆発を起こした。 他の三体がそれに気を取られた刹那、一体の頭に槍が突き刺さる。 ミランダは、しとめたホワイトグリズリーを地面に蹴りつけるようにして宙を舞うと、体をひねらせながら槍を回転させ、ニ体目の首をはねる。 「はっ!」 彼女は銀髪をひらめかせながら着地する。同時に、最後の一体に大きな傷が刻まれ、その場に倒れた。 「なんだい、余裕じゃないか。例の『鎧』を出す暇もなかったね」 ミランダは槍を二回ほど回転させて血を払うと、背中にすとんと戻す。 ロバートがおおげさに拍手しながら近づいてきた。 「お見事。最近までふさぎこんでいたくせに、絶好調じゃないか」 「まあね。ハヤトのおかげで吹っ切れたのさ」 ミランダは、空を見上げる。 ミランダは、感謝していた。 ハヤト・スナップという存在に。 始めはただ、いつものように。ちょっと顔が好みの男を手に入れる。それだけが目的だった。 しかし相手は伝説の「蒼きつるぎ」の勇者で、彼女はこれまで体験したこともなかった、けた違いに危険な冒険に巻き込まれることになった。 だが「ザイド・アトランティック」号での戦いの際、ハヤトがキング・クラーケンを倒すところを見た時、彼女の心は、踊っていた。 こんなにも、こんなにも強い人間がいるだなんて。 強さ。ミランダ・ルージュにとってそれは、男性に求めるほとんど全てだった。 彼の瞳が蒼く輝く時の表情と、その際に見せる圧倒的な強さに、ミランダは強く惹かれていた。 もはや、隠す必要もなかった。 ミランダは、どうしようもなくハヤトを愛するようになっていた。 そして彼女は考える。 自分もああでありたい、と。 これまでは、相手に強さを求めていた。 だが、彼の強さは自分のそれを、遙かに上回っている。 強くなりたい。 彼の隣で、背中を預けてもらえるくらい、強くなりたい。 そして、手に入れる。ハヤト・スナップを。 それだけは、いつもと同じだ。 ミランダの心は、激しい情熱に包まれていた。 ◆ 山中の夜。ハヤト一行はキャンプを張った。 ザイド・ウィンターの気温は非常に低い。しかし、障壁のようなものが彼らを覆うようにしていた。 「へえ、あったかいね。これで寒さをしのげるってわけかい。便利なもんだね」 ミランダが、障壁に手を出し入れしながら言う。シェリルが嬉しそうにほほえんだ。 「この障壁は体を通過してしまいますから、寝ている時に出ないよう、注意してくださいね」 「だとさ、マヤ」 急にふられたマヤだったが、彼女は不思議そうに首をひねった。 「どうして私に言うんです?」 全員が絶句する。寝相の悪さに自分で気づかないのだろうか。 ロバートは苦笑しながら立ち上がった。 「今夜の番は俺がするよ。みんな、ゆっくり眠ってくれ」 「月が十五度傾いたら起こして。アタシが代わるよ」 「いいや。ハヤト君が不調の今、何かがあった時にこのパーティの主力になるのは、マヤちゃんとミランダの二人だ。体力をつけておいてくれ」 「で、でも。それじゃロバートさんが」 ロバートはマヤの言葉を遮った。 「たまには役に立たせてくれないか」 「ロバートのくせにちょっとかっこいいの」 「うるせえ。ガキは早く寝ろ」 「なんでルーにはそうつらく当たるの! もしかしてロバート、ルーのことが好きなの? でも、ごめんなのロバート。ルーにはハヤトがいるから」 「わあ、よくわからんが勝手にふられた」 ともあれ、彼以外の全員が眠りについた。 ロバートは月を眺める。 この旅に加わってからというもの、色々なことがあった。 死にかけたことも数え切れない。魔王軍の連中は誰も彼も自分とはレベルが違っていて、はっきり言って対峙しているだけでも生きた心地がしない。 先日だって、「ブレイク」能力を解放したアンバーが起こした“魔力”の衝撃だけで、右腕を折った。もっとも、そういったダメージは回復魔法ですぐに癒すことができるが、もし、その一発で自分が息絶えてしまえば……。 力の差を考えれば、いつ死んでもおかしくないだろう。 それでも、ロバートは今の生活に満足していた。 生など、タウラでとっくに捨てていた。 傭兵としてモンスターと戦ってきたロバートは、これまで何度も命を落としかけてきた。 だが、彼の傍らには従姉妹のミランダがいつでもいた。 ミランダは惚れ惚れするほど強く、どんな苦境でも諦めない強い心の持ち主だった。 ロバートはある戦いで、一度自分の命を諦めたことがある。 現在戦っている魔王軍と比べれば天地の差ではあるものの、強力なモンスターと対決した時のことである。傭兵部隊は苦戦を強いられ、親しくしていた彼の仲間が何人か、命を落とした。 補給もなく、武器も全て壊れてしまった。ロバートにはもはや、何も残っていないと感じられた。 じり貧の状況で諦めの境地にたどり着き、とうとう彼は素手でモンスターへと向かっていこうとした。 その時、彼を殴りつけた女がいた。 それがミランダ・ルージュであった。 「簡単に、諦めるんじゃねえ!」 ミランダは、ロバートを押し倒し、獣のように猛った。何度も何度も殴られて、モンスターではなく彼女に殺されるかと思った。 だが結果としてその後、援軍がかけつけてロバートたちは生きながらえることができた。 自分はあの時、死んだのだ、と、ロバートは思っていた。 だからこそ今ある生を、おもしろおかしく過ごして行きたい。そう感じていた。 今の旅は、それにぴったりであった。 そして、何より――。 ロバートは、口をぱっくり開けて眠るミランダを見やる。 彼女を助けなければ。 自分を救ってくれた親戚を。 そして、異常なまでに強い力を持ってしまった、姉貴分を。 ロバートは、ミランダの「ブレイク」能力についての説明を聞いた時、まず感じた。 この先、ミランダは魔王軍にまず狙われる対象となるだろう。魔王軍には、ビンスを始め、魔法を使う人間も多いからだ。それを真っ向から否定できる「白銀の鎧」は、魔王軍にとっては邪魔な存在であろう。 彼女を、守るとまではいかずとも、その助けになれれば。 そして、本人は気づきもしていないだろうが、今までとは遙かに異なる本物の恋を、成就するところを見届けてやりたい。 ロバートはただ、そう思っていた。 |