森の中の河原沿いで、一人の男が昼寝をしていた。 男は全身黒装束で、左目に眼帯をつけている。 近くから、草をかすめる音が聞こえる。誰かが近づいてくる。それでも彼は、寝転がっている。 ひゅんと、彼の元に何かが飛んでくる。 忍たちが使うクナイだ。 男は目を閉じたまま、眼前でそれをはしと掴んだ。 続けて別方向から同様の攻撃があったが、男は掴んだクナイでそれを弾く。 「はあっ!」 すぐ後ろから、刀を持った一人の女が飛び出してきた。 男はようやく右目を開くと、その場を転がって斬撃をよける。 女はころころと転がる男に向けて剣を振るが、当たらない。女はきっと目を鋭くさせて、“波動”を練った。 「『火遁・豪炎牙(ごうえんが)』!」 炎に包まれた刀が、男に突き刺さった。 女は顔をぱっと明るくさせた。 「やった!」 「お前にはそう見えるのか」 すぐ後ろから、男の声が聞こえた。女が驚いて自分の斬ったものをみると、それはただの木だった。 女は悔しそうに刀を納めた。 「ちぇっ、まただめだったか」 「ちぇっ、じゃない。術まで使いおって。俺を殺す気か」 「でも、そうでもしないとあなたには勝てないわ」 「そういう問題ではない。それに人を斬っておいて喜ぶな」 女は、口をとがらせた。 「あのくらいじゃどうせ死なないくせに。あなたに一太刀浴びせられるのはまだ先になりそうね」 「いいや、そろそろだな。今日は正直危なかった。お前がもう一手、奥の手を持っていたらやられていたろうな。術の際、体を持て余しているように感じた。今度からは二刀を使うといい。そうだな、短い剣がいいだろう。それだけで、もう俺のところまで届くだろう」 男が頭をかいて言うと、女はうれしそうに言った。 「本当?」 「ああ」 「約束は、まだ有効でしょ?」 「約束?」 「もう。あなたに一太刀加えることができたら、一緒になるって言ってくれたじゃない」 男は、はははと笑う。 「そうだったな。その約束はもうやめよう」 「えっ……。ど、どうして?」 「これ以上続けたら、本当に殺されかねん。今日で終わりだ」 男は困惑する女を、抱きしめた。 「お前を愛している、アンバー。一緒になろう」 「ロック……!」 女、アンバーは涙ぐんで男、ロックを見た。 二人はしばらく、抱きあった。 「あね様ーっ、あに様ーっ!」 そこに、一人の少女が走って現れた。 二人はそれを聞いてぱっと離れた。 少女は、不思議そうに彼らを見る。 「こんなところにいらっしゃったのですね。今日も修行ですか?」 ロックはせきをして言った。 「ま、まあそんなところだ。シェリル、もう今日の修行は終わったのか?」 シェリルは大きく返事をした。 「はい! おんばあ様に火遁術をみっつ、雷遁術をふたつほど習いました」 「ほう……。まだ修行を始めて一年にも満たないというのに……。やはりお前には天分があるようだ。こいつはうかうかしていられんな。よしアンバー、今日は三人で模擬戦闘をやろう」 「は、はい」 「あね様、どうかされましたか?」 アンバーは少しばかりぶすっとして、シェリルの頭をわしわしとなでた。 「シェリル……貸しにしておく」 「貸し? 貸しってなんですか?」 「お前が大人になったら説明してやる! ロック、始めましょう」 それからしばらく、月日が流れたころ。 幸せな生活を送っていた彼らの元に、一つの災厄が舞い込んだ。 ◆ 「侵入者だと?」 フローラの屋敷で、ロックが言った。目の前には傷だらけの忍が手をついている。 「はい。おそらく人間ではありません。春の都を襲ったという、魔王率いる魔族軍団と思われます。奴らは我々の理外の術を使います。すでに神器のうちの剣が奪取されました」 「なんてこと……! 神器が狙われているというの。いったい何のために……」 驚くアンバーの肩を叩いたのは、里長のフローラ婆である。 「魔族……。かつて蒼き勇者に封印された者たちだね。神器を解放してザイドの魔神でも復活させようってところだろう」 「春の都は新たな蒼き勇者である少女と、その仲間によって救済されたという話もあります。彼女たちの到着まで、持ちこたえるしかありません」 ロックが畳を叩いた。 「他者に頼れというのか!? 何のために我ら秋の忍がいると思っている! 俺とアンバーの二人でどうにかしてみせる。いけるな、アンバー」 「ええ」 「お待ちなさいな」 フローラが二人を制止した。 「忍頭を勤めるあんたたち二人に行かれたら、誰がここを守るというの。剣が奪取された以上、ここにある鏡だけは死守しなければならないよ。アンバーは第四、五班を率いて玉のある社に。ロックは第一、三班とここを守りな。いざとなったら私も出る」 「御意」 アンバーとロックは目配せして、頷きあった。 アンバー率いる忍者軍団は、玉の安置される社にたどり着いた。 「それらしき輩は、どこにも見あたりませんね」 アンバーのすぐ後ろに控えるシェリルが言う。 「油断するな、第二班があれだけやられた相手だ。相当の使い手だぞ」 その時、轟音と共に後ろから仲間の忍の悲鳴が聞こえた。 アンバーが振り返ると、一人の魔術師風の男が立っていた。 男は忍の一人の首に手をかけると、“魔力”を練り、その頭を爆散させた。 アンバーたちはそれを見るや弾かれるように武器を取り出し、男に向かっていく。 男はうすら笑いを浮かべていた。 「オータムの忍か……まだ生き残っていたとはな。邪魔をするなら皆殺しだ」 忍たちは次々と術を放つ。 だが、男は消え去るようにして攻撃を次々によけてみせた。 両手に剣を持つアンバーが、男の死角を取った。 彼女は躊躇せず術に入る。 「『火遁』……!」 「角度はいいが、いささか遅いな」 男が雑に手をなぐと、突風が起こった。 つむじ風に切られ、彼女の体じゅうに傷が刻まれた。 「うわああああっ!」 「あね様!」 シェリルが助けに入る。 男は、興味なさげに彼女を見ると、“魔力”の玉を造る。 「邪魔だ」 「おのれ、賊め! 『氷遁・白銀結晶』!」 シェリルの手元から大きな氷柱が現れ、男に向かう。 だが、男が手を掲げると、“魔力”の玉が一瞬にして細い矢となり、それを貫き破壊した。 「なにっ!?」 「どうせ無駄だが、うざったいので覚えてから死ぬといい。格上相手に言霊は厳禁だ」 アンバーは、なんとか起きあがる。 だが、彼女が見たのは、すでに死体となった仲間たちと、頭から流血して倒れるシェリルであった。 「シェ、シェリル……?」 アンバーはシェリルを抱き上げた。 頭を何かで撃ち抜かれ、すでに彼女は息絶えていた。 アンバーは、信じられないといった風に唇を震わせた。 「大したことないな」 男はすでに社から「玉」を持ち出していた。 アンバーはクナイを投げるが、当たらない。 「きさま、絶対に許さんぞ……!」 「かまわん。興味がない。さて、最後の一つは屋敷だったな」 「ま、待て!」 男はその場から消え去った。 アンバーは、シェリルの骸をその場に寝かせて目を閉じてやると、屋敷へと向かう。 ◆ アンバーは走った。 仲間が死んだ。家族のように思っていたみんなや、シェリルが死んだ。 あの男は、あまりにも強すぎる。次元が違いすぎる。 自分一人では勝つことはできない。 だが、ロックとおんばあなら。 自分よりも強い彼らならきっと、あの憎たらしい魔族の男を倒してくれるはずだ。この恨みを晴らし、里を守ってくれるはずだ。 だから一刻でも早く屋敷に戻り、少しでも役に立たなければ。 そのとき、先の方角で爆発が起こった。 いやな予感を感じ、アンバーはさらに急いだ。 「くるな、アンバー」 里に戻ったアンバーが見たものは、炎に包まれ、煙を立てる屋敷と倒れる仲間たち、そして膝をついている傷だらけのロックであった。 その先には、先程の男とフローラ婆が対峙していた。 男は、感情のない声で言った。 「どいてくれ」 フローラの体はロックと同様傷だらけだったが、彼女はなお、闘志に満ちた瞳で男をにらんでいた。 「去ね、小僧」 「諦めが悪い人だ。ではあなたは、その小僧に殺されることになる」 「黙れ、魔性の者!」 「おんばあっ!」 アンバーが叫んだ時には、フローラ婆は“魔力”の槍にその胸を貫かれ、倒れていた。 男は何事もなかったかのように、死体となった彼女の体を足でのけ、崩壊した屋敷の向こうへと歩いてゆく。 それを見たアンバーは激昂し、双剣を抜く。 「きさまあああっ!」 男が振り返った。すでに、先ほどフローラを殺した際に使った“魔力”の槍が、アンバーの元へと向かっていた。 アンバーは、死を覚悟した。 「ぐっ!」 だがその前に、ロックが飛び出して彼女をかばった。 “魔力”の槍は、彼の胸を貫いた。 「ロッ……!」 アンバーにはその様子が、スローモーションのようにして見えた。 ロックは血を吐きながらも、アンバーを抱きしめて“波動”を練ると、その場から消えた。 男は興味なさげにそれを見送ったあと、屋敷の残骸の中へと入っていった。 炎に包まれた森の中で、黒い服を着た男が倒れている。 傍らには、同様の服を着た一人の女性が寄り添うようにして座り、肩をふるわせていた。 「泣くな……俺は後悔などしていない」 ロックが、言った。その声は優しかった。 アンバーは、いやいやをするように首をふる。 頬を涙が伝った。 「嫌だ……あなたがどう思おうと、私はこんなの、嫌だ……」 「おまえに、涙など似合わない」 アンバーは、すがるように言った。 「だったら、立ち上がってよ……また、抱きしめてよ……」 「すまない。もう、できそうにない。これが、俺たちの運命だったのだ」 「こんなのって、ない……」 森の炎が、どんどん強さを増す。 アンバーは絶望の中で思った。これで里は終わりだ。 ロックは苦しそうにうめく。 アンバーは彼の手を取り、強くつかんだ。 「早く、行け。おまえだけでも生き延びるのだ」 「行けるわけ、ないでしょ……私も、このまま一緒に……」 もはや、生きている理由などない。 だが、ロックは息を荒げながらも、強い口調で言う。 「馬鹿者……! おまえにはやらねばならぬことがあるのだろう……!」 「私、何を信じればいいのか、もう、わからないの」 ロックはせきをしながら、手に力を込めた。 その口から、どす黒い血が吹き出す。 アンバーが、それを見て表情を変えた。 「何を……!?」 「ならば、生きていてくれればよい……おまえが、生きてさえいてくれれば、私は」 ロックの手がから光があふれ、アンバーを包み込む。 「生きよ。さらばだ……」 「ロック! ロックッ!」 ロックは、笑みを浮かべた。 アンバーは、最後まで彼の名前を呼び続けた。 「……じょうぶですか、だいじょうぶですか」 アンバーが気づくと、そこはザイド・オータムの山岳地帯の入り口付近だった。 誰かが回復魔法をかけてくれたようだった。彼女は、なんとか起きあがった。 黒髪の少女が、彼女の肩を掴んだ。 「まだ、動かないで。傷が開くわ」 「ロック、ロックッ……!」 アンバーは、遙か先で立ち上る煙を、ただ見ていることしかできない。 山の植物は、すでに全て枯れていた。 ◆ ハヤトには、何も言えなかった。 ただ、アンバーの顔を見ることしか、できなかった。 彼女は無表情で彼に言った。 「どういうことだ、とでも言いたそうだな」 混乱していた。 今見たものは、いったい何だと言うのだ。 「ど、どうしたの、ハヤト君?」 マヤが彼の肩に手を置く。 どうやら、自分しか見ていないらしい。 「アンバーさん、今のは……」 「真実だ。私の身に起こった、全てだ」 「で、でも……!」 ハヤトは、振り返る。 ロックが不思議そうに見返してくる。シェリルも、きょとんとしている。 ハヤトには、それを形容すべき言葉が出てこない。 どういうことなのだ。 アンバーは表情を変えずに、彼を見る。 「言ったろう。『蒼きつるぎ』の力は私たちの理解を超えていると。はっきり言って私にも、なぜこんなことが起こっているのか検討もつかぬ。しかし……どちらにせよこの現状は悪い冗談だ。まさに絶望と呼ぶにふさわしいだろう」 「で、でも! ロックさんたちはここにいるじゃないですか」 「確かに、そうかもしれない。だが私からすれば、今見ているものは幻、または悪夢でしかない。……ハヤト、お前にも同じ事が、起きるのかもしれないのだぞ」 ハヤトが返答しかねているうちに、空間にびしびしと亀裂が入り始めた。 「どうやら答えは出ないようだな。せいぜい悩んでくれ。それでも進むというのなら行くがいい。それこそが君の運命という奴なのかもしれんな」 「運命……」 「運命が定まった時に、また会おう」 アンバーの作った空間が、崩壊を始める。 ハヤトには、何も言い返せなかった。 運命。 それがもし、アンバーの言う悪夢、絶望といったものに向かうのだとすれば。 それにあらがう手段は、存在するのだろうか。 「シェリル、そしてロック」 アンバーは、静かに言った。 「アンバーという女のことはどうかもう……忘れてくれ。神器も返す。これで全て、元通りだ。私たちとお前たちは、表現するのが難しいのだが……もはやわかりあえない」 「アンバー、拙者はそうは思わない! お前が戻ってくればといつも、そう考えていた」 「拙者……ね」 アンバーはそれを聞いてなおさら悲しげにした。 「アンバー、拙者は!」 「アンバー・メイリッジは死んだのだ。忘れてやってくれ。おそらくそれが、お前たちが知るアンバーという女が一番望むことだ」 「あね様!」 アンバーはそれ以上、何も言わなかった。 その後、ハヤトを始めとした八人の戦士たちは秋の忍に戻り、神器を元の位置へと戻した。 里の忍たちは大いに喜び、ハヤトたちを英雄としてもてはやした。 だが、忍頭たるロックと元秋の忍であるシェリル、そして勇者のハヤトに笑顔はなかった。 アンバー・メイリッジの姿は、そこにはなかった。 |