両肩を強く押され、ハヤトは意識を取り戻した。 「お目覚め?」 さっきの少女、コリンの声がした。 辺りを見回すと、そこはねずみ色の壁が印象的な薄暗い空間だった。自分のすぐ右側では、水が流れている。ひどいにおいがした。 おそらくは、町の下水道だろう。 ハヤトはすぐに立ち上がろうとしたが、両腕を鎖で繋がれていることに気がついた。 背後にいたシェリルが彼の手をおそるおそる取り、立ち上がらせた。 「この先に、歩いてください」 「……お前たちは何者だ。まさか魔王の手下か?」 ハヤトの言葉に、二人はきょとんとする。 コリンが肩をすくめた。 「とりあえず、歩いてくれる?」 「いいや。お前らが魔王の……ソルテスの手下なら、言うことを聞くわけにはいかない」 その言葉を聞いて、シェリルは大いに動揺した様子だった。 「ええっと……とりあえず、違います」 「シェリル、あんまりごちゃごちゃ言わないほうがいいよ」 「で、でも!」 「とにかく、私たちと来て。あなたに選択の余地はない」 コリンは、腰の部分から小さなナイフを取り出して言った。 ハヤトは仕方なく、彼女たちに引き連れられて歩き出した。 しばらく下水道を進むと、開けた場所に出た。 天井が高く、いやなにおいもしなくなっていた。 コリンが鎖を切り、ハヤトを解放する。 彼は即座に二人と距離を取った。 「こんなところに連れてきて、いったいどういうつもりだ」 大柄なシェリルはそれを見てまたあたふたしていたが、小さなコリンは、余裕そうな表情でナイフをしまう。 そして、一歩後ろに退いた。 奥から、こつこつという靴が地面をこする音が聞こえてくる。 現れたのは、一人の白い仮面をつけた男だった。 「お前が親玉か!」 ハヤトが言うが、男は腰に下げた細身の片手剣の柄を取り、自分の胸に掲げるようにした。 コリンたちはそれを見届けると、さらに後ろへと下がって腰をおろした。 「答えろ、お前は魔王の手下なのか!」 ハヤトの言葉を無視して、男は地を蹴って駆けると、彼に向かって剣を突く。ハヤトはとっさに横へと転がってそれをかわした。 「ちくしょうっ! なんとか言え!」 返事は返ってこない。男は有無を言わさず、鋭い突きをハヤトに向ける。かわしそこね、彼の頬に赤い筋が刻まれた。 さきほどから続く意味のわからない展開に、ハヤトはいらついていた。 だが、真剣で攻撃されているというのに、恐怖はなかった。 さすがにもう、こういった状況には慣れてきていた。 ハヤトは男の剣をよけながらも、冷静に考える。 どうすれば、この男を倒せるだろうか。 男はある程度の距離を保ち、ひたすら切っ先を向けて突く。隙は、ほとんどない。 せめて武器があればいいのだが、ベルスタでもらった剣は海に落としてしまったし、以前、護身用としてマヤにもらったナイフも、鎧と一緒に城へと置いてきてしまった。 現状、武器はない。 ただひとつをのぞいては。 ハヤトは、突如として背を見せて走り出すと、座っていたコリンの元へと向かう。 さっき彼女が持っていたナイフを奪い取れば、戦うことができる。 しかしコリンはそれを見ても、表情を変えることはなかった。 直後、ハヤトは見えない壁に激突した。 すぐ近くで、シェリルが目を閉じて“魔力”を練っている。 「『ウォール』か……!」 足音が後ろから聞こえてくる。ハヤトは振り返って透明の壁に手を付けた。 仮面の男が、目の前まで迫って来ていた。 もはや、リスクを恐れている場合ではない。 ハヤトは、全神経を集中させて、男の動きを観察した。 男はゆらゆらと揺れながら、突くタイミングを伺っている。それに伴い、刀身が反射でぎらりと光っていた。 じりじりと互いの間合いが狭まる。 ハヤトの額から汗が一筋垂れ、顎から地面へと落ちた。 男が右足を大きく踏み出し、今までの攻撃の中でも一番気合いの乗った突きを放つ。 しかし、誤算が生じた。 あろうことか、全く同じタイミングで目の前の標的もこちらに踏み出してきていたのだ。 刀身をくぐるようにして手をのばしたハヤトは、男の剣の柄部分を掴んでいた。 「必殺の一撃を打つ時って、どうしても力むよな。わかるよ。俺も、そうだから」 直後、ハヤトの瞳が蒼く輝く。 男の剣を媒介として、「蒼きつるぎ」が姿を表した。 “魔力”の衝撃波が起こり、男の体は吹き飛ばされて壁にたたきつけられた。 ハヤトは奪い取った「蒼きつるぎ」をそのまま構えようとしたが、体に痛みが走り、地面へと落としてしまった。 さすがに、今日は「つるぎ」を酷使しすぎてしまったようだ。 コリンとシェリルの二人が、思わず目を見開いた。 「ルドルフ様!」 「大丈夫だ、ふたりとも」 壁によりかかって立ち上がりながら、仮面の男がようやく口を開いた。 ハヤトは、その声に反応した。 「えっ……ルドルフって……まさか」 「どうやら、その『蒼きつるぎ』は本物のようだな、勇者よ」 仮面を取ったザイドの若き王は、少しだけ笑った。 ◆ 「悪いが君を試させてもらった。非礼は詫びよう」 シェリルの回復魔法を受けて立ち上がったルドルフは、ハヤトに向けて手を差し出した。 ハヤトは、その手を一瞥して言った。 「マジで殺されるかと思いましたよ」 「すまない。だがそのくらいの攻撃でないと、君はさっきの剣を出さなかったろう」 「その前に、どうして城で会った時に『蒼きつるぎを出せ』と言わなかったんですか。それで済む話じゃないですか」 「この際だからはっきり言おう。私は君を疑っていたのだ。仮にあの場で君が『蒼きつるぎ』を出していたとしても、私は心から信用することができなかったろう。見てくれだけなら、魔法でなんとでもなるからな。この身をもって確かめたかったのだよ」 ルドルフは仮面をコリンに渡して、きびすを返した。 「それにまだ、私は君のことを完全に信じたわけではない。ついて来たまえ。見せたいものがある」 四人がしばらく歩くと、階段が見えてきた。月明かりが差し込んでいる。 上ると、そこはザイド城のちょうど裏側の敷地内のようだった。 コリンが階段に柵をかけ、シェリルが“魔力”を練ってそれにさわる。どうやら鍵をかけているらしい。 「下水道と城がつながってるなんて、バカバカしいって思うでしょ。でも私たちにとっては大切なことなの。ここは精霊様の通り道だから」 「精霊様?」 「それより、行って」 コリンがあごをしゃくった。 ルドルフの後ろ姿が見えた。ハヤトはあわてて彼の元へと走る。 「これは……」 ルドルフに連れて来られた場所は、城の中庭だった。 「どうだね」 ルドルフが、ハヤトを見て言う。 ハヤトは、ここに来た時の違和感の正体を見て、思わずつぶやいた。 そうだ、これがなかったんだ。 「桜……!」 中庭の小高い丘の上に、大きな桜が太い根を付けていた。 桃色の花は満開に咲き、風にゆれてちらちらと散って、辺りに舞っている。 だが、不思議なことにそれでも、花が減っているようには見えない。 ハヤトの言葉に、ルドルフが納得したように頷いた。 「どうやら……間違いないようだ。かつてソルテス様がここに来た際にも、この神木の精霊を見て同じ言葉をつぶやいた」 「ソルテスが、ここに?」 「ああ。君は彼女と会ったことがあるのか?」 「ええ、まあ……」 「ならば、ソルテス様はどうしてベルスタを襲撃したのだ? とてもではないが納得できる話ではない」 「それは、俺もです。それを知るために、旅をしているようなものなんです。ソルテスはかつて『蒼きつるぎ』の勇者だった。そうですよね?」 ルドルフは神木を見上げた。 「そうだ。そして彼女は魔王を討伐して世界を救うための旅を続けていた。この国からも、リブレ・ラーソンという青年が彼女の仲間に加わった」 「リブレ・ラーソン……!?」 「ああ、気弱な男でな。ソルテス様からは『やるときはやるから』などと評されていたが、そんな風には見えなかった。ベルスタのグラン・グリーン君のような強力な仲間なら、私も誇れていたというものだが」 おそらくは、マヤの兄のことであろう。 ルドルフは続ける。 「ソルテス様は今から六年ほど前、国が魔王の放ったモンスターの襲撃を受けた際、『蒼きつるぎ』の強大な力で私たちを救ってくださった。結果として先代の王を失ったが、王子だった私がこの国を護らなければと強く決意するきっかけになった」 そこでルドルフは、少し表情を暗くした。 神木の花びらが、彼の周囲をゆらゆらと舞った。 「彼女たちは魔王を倒したあと、君たちが探している宝玉で魔王の島を封印し、姿を消した。私はてっきり、旅を終えて帰ってくるものだと思っていのたが」 マヤの言っていた通り、勇者たちは魔王を倒した後、行方をくらましたのだ。 「魔王の島で何があったのか、私には推測すらできない。しかし、彼女が魔王として君臨するというのなら……新たな勇者である君に、道を示さねばならないだろう」 ルドルフは神木に手を添えて、ハヤトに言った。 「精霊の木に触れてくれ」 「精霊……」 「この神木は、ザイドを守護すると言われる春の精霊様を宿している。宝玉がある聖域『ザイド・セントラル』に入るには、ザイドの四精霊の加護が必要だ。勇者ハヤトよ、君はザイドのすべてのエリアを訪れ、精霊の加護を得なければならない。きっと辛い旅になるだろうが、ソルテス様はやってのけた。君にも、できるはずだ」 ハヤトは、神木に手のひらを当てた。 すると、目の前が一瞬にしてピンク色の空間に変わった。 驚く間もなく、頭に映像が流れ込んでくる。 何人かの男女が、こちらを見上げている。 周りには桜の花びらが見える。どうやら、かつてのこの場所での映像らしい。 まず見えたのは、赤いローブが印象的な、金髪の青年であった。彼は真剣なまなざしをこちらに向けている。 ハヤトはすぐに、彼がグラン・グリーンだとわかった。マヤとどこか似ていたからだ。 隣には、忘れもしない。今日、自分と壮絶な決闘をした剣士リブレ・ラーソンが立つ。だが、雰囲気が明らかに違う。汗をにじませ、不安げにしている。すぐ右隣の、柄の悪そうな男がそれに気づき、背中を叩いた。さらに右の女がそれを諫めるようにしている。服装や髪型が大幅に違うが、おそらくはリブレと共に船を襲ったレジーナと呼ばれていた女だ。 そしてハヤトは、その隣に見た。 アンバー・メイリッジ。彼女が少しだけ距離をおいて、腕を組んでいる。 彼女は、このパーティのメンバーだったのだ。 最後に、自分のすぐ眼下から、黒髪の少女が現れた。彼女は丘を降り、パーティの元へと向かっていく。 「ユ……ユイッ!」 ハヤトは反射的に声をあげていた。 少女が振り返った。 ユイ……かつての勇者ソルテスが、屈託のない笑顔を向けていた。 「ハヤト君」 ルドルフの声で、ハヤトは現実へと戻った。 「どうした。精霊の加護は無事済んだはずだが」 体が、少しばかりピンク色の“魔力”のようなものに包まれていた。 ハヤトは、それが消えるのを確認してから、目を閉じた。 「……つまりは、これをよっつ集めればいいわけですね」 魔王軍の正体は、本当にかつての勇者パーティだとでも言うのか? だとすれば、この先に待っているものは、 「やりますよ……なんとしても」 いったい、なんだというのだ。 |