IMMORTAL MIND
イモータル・マインド

Part 1 [Blue Sword]
10.「海上決戦」その3

 ハヤトは仰向けのまま、冷たい海に深く沈みはじめていた。
 さっきまで自分を苦しめていた体の痛みがすでにない。
 意識が少しずつ遠のいていく。

 死ぬ。このまま死んでしまう。
 わけもわからないままこんな世界に飛ばされて、ひたすら痛い思いをして……。
 冒険は、ゲームの中だけで十分だったのかもしれない。

 でも、楽しいこともあった。森野真矢そっくりなマヤや、耳のぴこぴこがかわいいルー。かっこいいミランダさんと、ちょっと頼りない雰囲気が自分と重なるロバートの漫才コンビ。
 彼らとの旅路は、短かかったけど、楽しかった……。

 そう、楽しかったのだ。

 まだ、続けたい。彼らと冒険を続けたい。
 そしてユイに会わなければ。

 ハヤトは、冷たい海の中で必死にもがこうとした。
 だが、力が入らない。体が闇へと引きずり込まれてゆく。

 ダメなのか。
 もう、ダメなのだろうか。
 ならばせめて、マヤにお別れを言いたい。

 ハヤトは最後に、すがるように手をさしのべた。

 その手を、誰かが取った。


「ハヤト君! ハヤト君っ!」

 海上に上がったマヤは、肩に抱くハヤトを必死で呼んだ。
 ハヤトはせきこんで水を吐き出し、うつろげに目を開いた。

「マヤ……生きてんのか、俺……」

 ハヤトが声を出すと、彼女は涙と海水でびしょびしょになった顔をくしゃくしゃにして、「よかった」と彼にだきついた。
 体中の痛みが蘇り、ハヤトはうめいた。マヤはすぐに回復魔法をハヤトにかけてやる。
 心地よい“魔力”の流れがハヤトの傷を少しずつ癒したが、それでも彼は苦しそうにしている。

「傷が深すぎる……。私の“魔力”じゃ、全部治してあげられそうにないわ」
「すまねえ、マヤ」
「クラーケンは倒せたし、なんとか船に戻れれば……」

 マヤは自分の背後を見る。
 かなり遠方に見える「ザイド・アトランティック」号の船体を掴むようにして、巨大な触手がうごめいていた。

「ク、クラーケン!? どういうこと!?」
「ヤバいぞ……。早く戻ってあいつを倒さないと」

 ふたりは水をかく。しかし、船はだんだんと遠くなっていく。どうやら波に流されてしまっているようだ。

「くそっ、波か……せめて『蒼きつるぎ』が出せりゃあな……」

 ハヤトは悔しげに自分の手を見た。
 全く握力が出ない。剣が握れる状態ではない。

 マヤは何も言うことができない。
 キング・クラーケンが船のマストを数本つかみ、それをねじ切った。

「ちくしょうっ、みんなを護れないで、なにが勇者だよ……」
「ハヤト君……」

 船がちかちかと発光する。誰かが魔法で応戦しているようだ。
 その光景が、少しずつ遠くなっていく。

「俺に、もっと力があれば……」

 マヤは思った。


 違う。


 自分に、もっと力があれば。
 オウルベア、レッドドラゴン、館の魔物、そしてビンス。
 思えばハヤトに出会ってからは、彼に助けられっぱなしだ。
 今回も、彼一人に魔王軍との戦いを任せてしまった。
 どこかで、「蒼きつるぎ」さえあればなんとかしてくれると考えていた。
 でも違う。ハヤト・スナップは確かに伝説の勇者かもしれないが、自分と同年代の男の子でもあるのだ。
 彼ひとりにつらいところは任せっきりで、自分は運良く兄に会えればいいな。
 そんなの、都合がよすぎる。

 私が、もっと強ければ。
 あのモンスターを倒せるくらいの力があれば。
 ハヤト・スナップを、助けられる力があれば……!

「マヤ……?」

 ハヤトはマヤが再び涙を流しているのを見た。
 だが、さっきとは違い、彼女は強いまなざしを船に向けていた。

「ハヤト君。悔しいよ、こんなの……! 力がほしい。あなたみたいな、力が……。あなたを助けるための、力が……!」

 その時、マヤの背中に輝く亀裂のようなものが走った。
 ハヤトは目を見開いた。

「マヤ、それって……!」
「ハヤト君、私は、あなたと旅を続けたい! 兄さんに会うまで、諦めたくなんかないっ!」

 声に反応するように、亀裂が広がる。
 同時に、ハヤトは自分の手のひらが蒼く輝いているのに気がついた。
 彼は自然と、その手で亀裂にふれた。

 「蒼きつるぎ」が突如として現れ、マヤの体を貫いた。



 マヤは思わず息を止めた。
 自分の体から“魔力”があふれてくる。
 視界が光で包まれ、なにも見えない。

「っ!」

 一種の快感と共に、強烈な衝動が自分の背中を襲う。

 マヤの背中の亀裂から、対になった二本の太い針が飛び出した。
 針はぎゅるぎゅると回転しながら、少しずつほどけるようにして広がり、その姿を露わにする。

 翼。
 彼女の背に、金色に輝く翼が生えた。

「なによ、これ……!」

 マヤが言うと同時に、彼女の体はふわりと浮かび、海中を脱出した。
 彼女の肩に抱きついていたハヤトが叫ぶ。

「翼だ! マヤ、君から生えて来たんだよ!」

 言ってから、ハヤトが自分の体の異変に気づく。
 手足が自由に動く。傷がほぼ完治し、体力も戻っていた。
 手に握られた「蒼きつるぎ」は力強い輝きを放っている。
 ただ、様子が少しだけ変わっており、柄の先端から紅いひものようなものがのびて、ゆらゆらとゆれていた。

 マヤは空にはばたいて、目を閉じた。

「なんとなく、わかる。これは私に与えられた『力』なのね。あなたを助けるための……『翼』」

 マヤは、「ザイド・アトランティック」号を見据えた。

「だったら、できるはずよ。ハヤト君、しっかりつかまっていて」

 マヤは試しに、自分の翼を動かそうと試みた。
 彼女の意志に呼応し、翼はまるで手足と同じように可動する。
 これなら、いける。

 マヤは翼をはためかせ、空を舞う。
 白い輝きの筋を残しながら、マヤとハヤトは船へと向かった。


「『火遁・双炎牙』!」 

 アンバーは依然として船上で戦っていた。
 相手はさっき倒したクラーケンよりも数倍近く大きなキング・クラーケンである。

 マストを掴んで折り続ける触手に炎の双剣をぶつけ、斬撃を連打する。
 触手がばらばらに消し飛ぶが、すぐに新しいそれが彼女の元を襲う。
 アンバーは側転してなんとかそれをかわし、マストに乗りながら本体へと向かう。

「くそ、どうにかならねえのか!」

 パニック状態に陥る甲板の上で、ロバートが叫んだ。辺りを乗客たちが必死に走り回り、中には海に飛び込む者もいる。
 ミランダもルーを肩にのせ、戦いを続けている。

「おチビ!」
「はいなの!」

 ルーが「ガスト」の魔法を唱え、ミランダは大きくジャンプする。彼女はロバートの矢をぐっと握り、空中に浮かぶ小舟に向かってそれを投擲した。

 だが、障壁がそれをはじいた。
 リブレがけだるげに顔をのぞかせた。

「お姉さん、すごいガッツだね。いつまで続けるの、それ」
「あんたが死ぬまで、かな!」
「おお、怖いな」

 ミランダはものすごい形相でリブレをにらみつけた。

「ハヤトとマヤの仇は、アタシが取る!」
「まったく、はた迷惑だなあ。あなたはさっさと殺しちゃった方がよさそうだね」

 リブレが剣を抜こうとしたその時。
 後方から自分を呼ぶ声がした。

「リブレーーーっ!」

 リブレは、はっとして振り返った。

 翼の生えたマヤと、抱えられながら「蒼きつるぎ」を構えるハヤトが向かってくる。

「こいつは、さっきのお返しだ!」

 ハヤトの斬撃が、リブレのどてっ腹に命中した。



 再び腹を斬られたリブレが宙を舞う。
 舟から身を乗り出したレジーナが「ウォール」を唱え、彼を空中でキャッチした。
 レジーナはマヤの翼を見て、つぶやいた。

「ようやく、ですわね……」

 マヤは大きく旋回し、「ザイド・アトランティック」号へと向かう。

「ハヤト君、いけるわね!?」
「ああっ! そのまま頼む!」


 バッシュ船長は、絶望的な表情でキング・クラーケンと戦う戦士たちを見ていた。
 自分の船が、モンスターによって沈没させられようとしている。

 この航海には絶対の自信があった。
 魔王が復活したといえど、「グレイト・クルーズ」さえあれば、どうにかなると思っていた。

 だが、現実はどうだ。
 逃げまどう乗客たち、もはや統制の利かなくなった船員たち、そして、ただ見ていることしかできない、船長。

 あまりにも、甘かった。

 バッシュは思わず、ふるえる手を組んで祈りだした。

「か、神よ……。私が間違っていた。あの勇者ソルテス様が魔王などと……でたらめだと思っていた。私のせいで、こんなことになってしまったのだ……! 私のことはいい、どうか無関係の乗客、乗員たちを……お救いになってください。どうか、どうかご慈悲を!」

 その時、空がきらりと輝くのが見えた。
 バッシュが目をこらして見ると、自分の真上に、何かが飛んでいるのが見えた。
 翼の生えた少女と、先ほど自分を救ってくれた少年だった。

「マヤ、準備完了だっ!」

 ハヤトは片手に「蒼きつるぎ」をぐっと握って構える。マヤは力強く頷いて、金色の翼をひらめかせ、船の先でうごめくキング・クラーケンの本体へと向かう。

 危機を察してか、キング・クラーケンの触手が動いた。
 大小合わせ、十、二十のそれがハヤトとマヤめがけて飛んだが、マヤはその全てをすりぬけるようにして避けてみせた。

 ハヤトは、すぐ眼前にせまった本体へ向け、「蒼きつるぎ」を向けた。
 彼の蒼い瞳が、鋭くなる。

「マヤっ!」
「ええ!」

 もう、二人にそれ以上の確認は必要なかった。

「いっけえええーーっ!」

 蒼い閃光となったハヤトとマヤは、勢いのままキング・クラーケンの体を貫いた。

 乗客たちは、キングクラーケンの動きが止まるのを見て、沈黙した。ロバートも、ミランダも、ルーも、固唾を飲んでそれを見ていた。

 ただひとり、折れたマストに立っていたアンバー・メイリッジだけが、悔しさと悲しさを入り交じらせたような、複雑な表情で目を伏せていた。



 キング・クラーケンが消滅を始めると、乗客たちは声を上げて歓喜した。
 マストをいくつも折った触手まで全てが空へととけてゆき、船は救われた。

 歓声を浴びながら、二人は甲板に着地する。マヤの翼はそこで折りたたまれるようにして、姿を消した。
 ほぼ同時に、ミランダが飛び込んで来る。

「ハヤト、マヤ! あんたたちなら生きてるって信じてたよ!」
「ミランダ、さっきまで二人の仇は自分が取るって言ってたじゃな」

 ロバートはそこまで言ったところでミランダにはり倒された。

「マヤ、すごいの。はねが生えてたの。それに、“魔力”も強くなってるの!」

 ルーがぽんぽんはねながら、マヤにとびついた。
 マヤは恥ずかしげに笑みを浮かべた。

「『力』を、もらったの」


「大丈夫、リブレ?」

 レジーナは小舟を彼の元へと近づけて言った。
 リブレは、「ウォール」の上で仰向けになっている。

「うぐっ……」

 彼の腹には、先ほどの戦闘でついたものより大きな刀傷が刻まれていた。インパクト時の衝撃によるものか、傷は拡散して左頬にまで達している。

「なんとか、生きてるみたいですわね。もう行きますわよ」
「……ふざけるなよ」

 レジーナは回復魔法をかけながらも、眉をひそめる。

「何ですの、その汚らしい言葉は? 私たちの仕事は終わったんですのよ」
「ふざけるなって言ってんだよ……!」

 リブレはむくりと起きあがった。
 彼の表情に、この船を襲撃してきた時の余裕は微塵も感じられない。こめかみに青筋をたてながら、涙を流している。

「どうして帰るだなんて言うんだよ、レジーナ」
「あらリブレ。切れちゃったの?」
「あいつら、不意打ちしたんだぜ。汚いよ……! こんなの、男のすることじゃない……!」
「まあ、片方は女ですし」
「君は女だからわからないんだよ! この圧倒的屈辱! この無粋さが!」
「……回復、やめようかしら」

 リブレは剣を抜いて立ち上がった。
 彼は険しい表情で、「ザイド・アトランティック」号を見下した。頬からどろりと血が垂れた。

「絶対に許さない。ぜったいに許さない、ぜったいにゆるさない……」

 リブレはポケットをまさぐり、紅いガラスの欠片のようなものを取り出した。
 レジーナはそれを見るや否や、小舟を降りて彼の手首を掴む。

「や、やめなさい!」
「ハヤト……! お前だけは許さない!」

 レジーナをつきとばしたリブレがそれを握りつぶすと、彼の右目が紅く輝き出した。

 異変に、船上のハヤトが気がついた。
 はるか上空にたたずむリブレ・ラーソンが親の敵を見るかのように、こちらをにらみつけている。

「みんな、逃げろっ!」
「全員、死んじまえ」

 リブレが片腕で剣を振るった。

 船首部分に一筋の線が入り、船体が大きく割れた。

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