ハヤトは仰向けのまま、冷たい海に深く沈みはじめていた。 さっきまで自分を苦しめていた体の痛みがすでにない。 意識が少しずつ遠のいていく。 死ぬ。このまま死んでしまう。 わけもわからないままこんな世界に飛ばされて、ひたすら痛い思いをして……。 冒険は、ゲームの中だけで十分だったのかもしれない。 でも、楽しいこともあった。森野真矢そっくりなマヤや、耳のぴこぴこがかわいいルー。かっこいいミランダさんと、ちょっと頼りない雰囲気が自分と重なるロバートの漫才コンビ。 彼らとの旅路は、短かかったけど、楽しかった……。 そう、楽しかったのだ。 まだ、続けたい。彼らと冒険を続けたい。 そしてユイに会わなければ。 ハヤトは、冷たい海の中で必死にもがこうとした。 だが、力が入らない。体が闇へと引きずり込まれてゆく。 ダメなのか。 もう、ダメなのだろうか。 ならばせめて、マヤにお別れを言いたい。 ハヤトは最後に、すがるように手をさしのべた。 その手を、誰かが取った。 「ハヤト君! ハヤト君っ!」 海上に上がったマヤは、肩に抱くハヤトを必死で呼んだ。 ハヤトはせきこんで水を吐き出し、うつろげに目を開いた。 「マヤ……生きてんのか、俺……」 ハヤトが声を出すと、彼女は涙と海水でびしょびしょになった顔をくしゃくしゃにして、「よかった」と彼にだきついた。 体中の痛みが蘇り、ハヤトはうめいた。マヤはすぐに回復魔法をハヤトにかけてやる。 心地よい“魔力”の流れがハヤトの傷を少しずつ癒したが、それでも彼は苦しそうにしている。 「傷が深すぎる……。私の“魔力”じゃ、全部治してあげられそうにないわ」 「すまねえ、マヤ」 「クラーケンは倒せたし、なんとか船に戻れれば……」 マヤは自分の背後を見る。 かなり遠方に見える「ザイド・アトランティック」号の船体を掴むようにして、巨大な触手がうごめいていた。 「ク、クラーケン!? どういうこと!?」 「ヤバいぞ……。早く戻ってあいつを倒さないと」 ふたりは水をかく。しかし、船はだんだんと遠くなっていく。どうやら波に流されてしまっているようだ。 「くそっ、波か……せめて『蒼きつるぎ』が出せりゃあな……」 ハヤトは悔しげに自分の手を見た。 全く握力が出ない。剣が握れる状態ではない。 マヤは何も言うことができない。 キング・クラーケンが船のマストを数本つかみ、それをねじ切った。 「ちくしょうっ、みんなを護れないで、なにが勇者だよ……」 「ハヤト君……」 船がちかちかと発光する。誰かが魔法で応戦しているようだ。 その光景が、少しずつ遠くなっていく。 「俺に、もっと力があれば……」 マヤは思った。 違う。 自分に、もっと力があれば。 オウルベア、レッドドラゴン、館の魔物、そしてビンス。 思えばハヤトに出会ってからは、彼に助けられっぱなしだ。 今回も、彼一人に魔王軍との戦いを任せてしまった。 どこかで、「蒼きつるぎ」さえあればなんとかしてくれると考えていた。 でも違う。ハヤト・スナップは確かに伝説の勇者かもしれないが、自分と同年代の男の子でもあるのだ。 彼ひとりにつらいところは任せっきりで、自分は運良く兄に会えればいいな。 そんなの、都合がよすぎる。 私が、もっと強ければ。 あのモンスターを倒せるくらいの力があれば。 ハヤト・スナップを、助けられる力があれば……! 「マヤ……?」 ハヤトはマヤが再び涙を流しているのを見た。 だが、さっきとは違い、彼女は強いまなざしを船に向けていた。 「ハヤト君。悔しいよ、こんなの……! 力がほしい。あなたみたいな、力が……。あなたを助けるための、力が……!」 その時、マヤの背中に輝く亀裂のようなものが走った。 ハヤトは目を見開いた。 「マヤ、それって……!」 「ハヤト君、私は、あなたと旅を続けたい! 兄さんに会うまで、諦めたくなんかないっ!」 声に反応するように、亀裂が広がる。 同時に、ハヤトは自分の手のひらが蒼く輝いているのに気がついた。 彼は自然と、その手で亀裂にふれた。 「蒼きつるぎ」が突如として現れ、マヤの体を貫いた。 ◆ マヤは思わず息を止めた。 自分の体から“魔力”があふれてくる。 視界が光で包まれ、なにも見えない。 「っ!」 一種の快感と共に、強烈な衝動が自分の背中を襲う。 マヤの背中の亀裂から、対になった二本の太い針が飛び出した。 針はぎゅるぎゅると回転しながら、少しずつほどけるようにして広がり、その姿を露わにする。 翼。 彼女の背に、金色に輝く翼が生えた。 「なによ、これ……!」 マヤが言うと同時に、彼女の体はふわりと浮かび、海中を脱出した。 彼女の肩に抱きついていたハヤトが叫ぶ。 「翼だ! マヤ、君から生えて来たんだよ!」 言ってから、ハヤトが自分の体の異変に気づく。 手足が自由に動く。傷がほぼ完治し、体力も戻っていた。 手に握られた「蒼きつるぎ」は力強い輝きを放っている。 ただ、様子が少しだけ変わっており、柄の先端から紅いひものようなものがのびて、ゆらゆらとゆれていた。 マヤは空にはばたいて、目を閉じた。 「なんとなく、わかる。これは私に与えられた『力』なのね。あなたを助けるための……『翼』」 マヤは、「ザイド・アトランティック」号を見据えた。 「だったら、できるはずよ。ハヤト君、しっかりつかまっていて」 マヤは試しに、自分の翼を動かそうと試みた。 彼女の意志に呼応し、翼はまるで手足と同じように可動する。 これなら、いける。 マヤは翼をはためかせ、空を舞う。 白い輝きの筋を残しながら、マヤとハヤトは船へと向かった。 「『火遁・双炎牙』!」 アンバーは依然として船上で戦っていた。 相手はさっき倒したクラーケンよりも数倍近く大きなキング・クラーケンである。 マストを掴んで折り続ける触手に炎の双剣をぶつけ、斬撃を連打する。 触手がばらばらに消し飛ぶが、すぐに新しいそれが彼女の元を襲う。 アンバーは側転してなんとかそれをかわし、マストに乗りながら本体へと向かう。 「くそ、どうにかならねえのか!」 パニック状態に陥る甲板の上で、ロバートが叫んだ。辺りを乗客たちが必死に走り回り、中には海に飛び込む者もいる。 ミランダもルーを肩にのせ、戦いを続けている。 「おチビ!」 「はいなの!」 ルーが「ガスト」の魔法を唱え、ミランダは大きくジャンプする。彼女はロバートの矢をぐっと握り、空中に浮かぶ小舟に向かってそれを投擲した。 だが、障壁がそれをはじいた。 リブレがけだるげに顔をのぞかせた。 「お姉さん、すごいガッツだね。いつまで続けるの、それ」 「あんたが死ぬまで、かな!」 「おお、怖いな」 ミランダはものすごい形相でリブレをにらみつけた。 「ハヤトとマヤの仇は、アタシが取る!」 「まったく、はた迷惑だなあ。あなたはさっさと殺しちゃった方がよさそうだね」 リブレが剣を抜こうとしたその時。 後方から自分を呼ぶ声がした。 「リブレーーーっ!」 リブレは、はっとして振り返った。 翼の生えたマヤと、抱えられながら「蒼きつるぎ」を構えるハヤトが向かってくる。 「こいつは、さっきのお返しだ!」 ハヤトの斬撃が、リブレのどてっ腹に命中した。 ◆ 再び腹を斬られたリブレが宙を舞う。 舟から身を乗り出したレジーナが「ウォール」を唱え、彼を空中でキャッチした。 レジーナはマヤの翼を見て、つぶやいた。 「ようやく、ですわね……」 マヤは大きく旋回し、「ザイド・アトランティック」号へと向かう。 「ハヤト君、いけるわね!?」 「ああっ! そのまま頼む!」 バッシュ船長は、絶望的な表情でキング・クラーケンと戦う戦士たちを見ていた。 自分の船が、モンスターによって沈没させられようとしている。 この航海には絶対の自信があった。 魔王が復活したといえど、「グレイト・クルーズ」さえあれば、どうにかなると思っていた。 だが、現実はどうだ。 逃げまどう乗客たち、もはや統制の利かなくなった船員たち、そして、ただ見ていることしかできない、船長。 あまりにも、甘かった。 バッシュは思わず、ふるえる手を組んで祈りだした。 「か、神よ……。私が間違っていた。あの勇者ソルテス様が魔王などと……でたらめだと思っていた。私のせいで、こんなことになってしまったのだ……! 私のことはいい、どうか無関係の乗客、乗員たちを……お救いになってください。どうか、どうかご慈悲を!」 その時、空がきらりと輝くのが見えた。 バッシュが目をこらして見ると、自分の真上に、何かが飛んでいるのが見えた。 翼の生えた少女と、先ほど自分を救ってくれた少年だった。 「マヤ、準備完了だっ!」 ハヤトは片手に「蒼きつるぎ」をぐっと握って構える。マヤは力強く頷いて、金色の翼をひらめかせ、船の先でうごめくキング・クラーケンの本体へと向かう。 危機を察してか、キング・クラーケンの触手が動いた。 大小合わせ、十、二十のそれがハヤトとマヤめがけて飛んだが、マヤはその全てをすりぬけるようにして避けてみせた。 ハヤトは、すぐ眼前にせまった本体へ向け、「蒼きつるぎ」を向けた。 彼の蒼い瞳が、鋭くなる。 「マヤっ!」 「ええ!」 もう、二人にそれ以上の確認は必要なかった。 「いっけえええーーっ!」 蒼い閃光となったハヤトとマヤは、勢いのままキング・クラーケンの体を貫いた。 乗客たちは、キングクラーケンの動きが止まるのを見て、沈黙した。ロバートも、ミランダも、ルーも、固唾を飲んでそれを見ていた。 ただひとり、折れたマストに立っていたアンバー・メイリッジだけが、悔しさと悲しさを入り交じらせたような、複雑な表情で目を伏せていた。 ◆ キング・クラーケンが消滅を始めると、乗客たちは声を上げて歓喜した。 マストをいくつも折った触手まで全てが空へととけてゆき、船は救われた。 歓声を浴びながら、二人は甲板に着地する。マヤの翼はそこで折りたたまれるようにして、姿を消した。 ほぼ同時に、ミランダが飛び込んで来る。 「ハヤト、マヤ! あんたたちなら生きてるって信じてたよ!」 「ミランダ、さっきまで二人の仇は自分が取るって言ってたじゃな」 ロバートはそこまで言ったところでミランダにはり倒された。 「マヤ、すごいの。はねが生えてたの。それに、“魔力”も強くなってるの!」 ルーがぽんぽんはねながら、マヤにとびついた。 マヤは恥ずかしげに笑みを浮かべた。 「『力』を、もらったの」 「大丈夫、リブレ?」 レジーナは小舟を彼の元へと近づけて言った。 リブレは、「ウォール」の上で仰向けになっている。 「うぐっ……」 彼の腹には、先ほどの戦闘でついたものより大きな刀傷が刻まれていた。インパクト時の衝撃によるものか、傷は拡散して左頬にまで達している。 「なんとか、生きてるみたいですわね。もう行きますわよ」 「……ふざけるなよ」 レジーナは回復魔法をかけながらも、眉をひそめる。 「何ですの、その汚らしい言葉は? 私たちの仕事は終わったんですのよ」 「ふざけるなって言ってんだよ……!」 リブレはむくりと起きあがった。 彼の表情に、この船を襲撃してきた時の余裕は微塵も感じられない。こめかみに青筋をたてながら、涙を流している。 「どうして帰るだなんて言うんだよ、レジーナ」 「あらリブレ。切れちゃったの?」 「あいつら、不意打ちしたんだぜ。汚いよ……! こんなの、男のすることじゃない……!」 「まあ、片方は女ですし」 「君は女だからわからないんだよ! この圧倒的屈辱! この無粋さが!」 「……回復、やめようかしら」 リブレは剣を抜いて立ち上がった。 彼は険しい表情で、「ザイド・アトランティック」号を見下した。頬からどろりと血が垂れた。 「絶対に許さない。ぜったいに許さない、ぜったいにゆるさない……」 リブレはポケットをまさぐり、紅いガラスの欠片のようなものを取り出した。 レジーナはそれを見るや否や、小舟を降りて彼の手首を掴む。 「や、やめなさい!」 「ハヤト……! お前だけは許さない!」 レジーナをつきとばしたリブレがそれを握りつぶすと、彼の右目が紅く輝き出した。 異変に、船上のハヤトが気がついた。 はるか上空にたたずむリブレ・ラーソンが親の敵を見るかのように、こちらをにらみつけている。 「みんな、逃げろっ!」 「全員、死んじまえ」 リブレが片腕で剣を振るった。 船首部分に一筋の線が入り、船体が大きく割れた。 |