「うおおおっ!?」 海上を飛び続けるリブレは、空に浮かぶ小さな船を見た。 一人の女がすでに“魔力”を錬成し、詠唱に入っている。 「『ウォール』」 リブレの背後に“魔力”の壁が生まれた。 彼はそれに足をつき、空中で立ち止まった。 「ふうっ、助かったよレジーナ」 レジーナは船を彼の近くに寄せ、リブレを乗せる。 「見事にぶっとばされましたわね。一緒にいたのはもしかしてアンバーかしら?」 「うん。めんどうなことになったね……でも『蒼きつるぎ』は発動したよ。やっぱりとんでもないや。剣がもたなかったよ」 リブレは、鍔の部分から先がなくなった剣をぽいと捨てた。レジーナは一振りの剣を取り出してリブレに渡してやる。 「そっちはどうだい?」 「そろそろですわね」 レジーナは船首を見る。 「例のやつ行くよ、ロバート!」 「おおっ!」 ミランダが叫んだ。ロバートは彼女の背に“魔力”を込める。 目の前には、いくつもの切り傷がついた、太い触手がうごめいている。 ミランダの体の周りに“魔力”が集まってゆく。 「さあ、頼むぜ!」 ロバートが背中をばしんとたたく。ミランダはそれと同時に突進を始める。 触手が反応し、彼女へと向かう。 ミランダは横へステップしてかわした。露出した肩をかすり、鮮血が飛び散ったが、彼女はがなり声をたてて槍を前面に向け、さらに加速する。 そこに、もうひとつの触手が彼女の背後を襲う。 「ミラ――!」 ロバートが叫ぶまもなく、触手がミランダに届く直前で外へとはじかれた。 彼が魔法の飛んできた方向をみると、マストの見晴らし台にルーとマヤが立っていた。さっきのはルーの「エッジ」だろう。 ミランダはさらに加速すると、一緒に戦ってくれている乗客たちを後目に、船のへりに足をかけ、海へと飛び出す。 触手の先に、船室部分と同じくらい巨大なイカ型のモンスターがうごめいていた。 「あんたがクラーケンかい。お呼びじゃないんだよおっ!」 ミランダの槍が、クラーケンの額へと突き刺さる。 だが、槍はそのままクラーケンの頭の中へと入っていってしまった。 「なっ!?」 同時に、彼女の体に触手が絡まり、上部へと突き上げられた。 「くそっ! 今の攻撃が効いてないのか!?」 ロバートは矢をつがえて放つが、粘液でぬめった触手には刺さらない。 「おチビ、ミランダが捕まった! 『エッジ』を続けてくれ!」 「チビって言うななの!」 ルーは「エッジ」を連射する。 その姿を見ていて、マヤは思った。 このままでは勝ちきれない。 どうにかしなければ、と考えていると、こちらに黒い装束をまとった女が飛んできた。 「クラーケンに通常の攻撃を浴びせても無駄だ。粘膜で防がれる」 アンバーは見晴らし台の縁に立って言った。 「勇者ハヤトの仲間だな。……彼と共に魔王軍と戦うつもりなら、相応の力を得ろ。彼の『蒼きつるぎ』に頼るな。そこで見ていろ」 「あ、あなたは……」 マヤがあっけにとられているうちに、アンバーはへりを蹴って甲板へと降りた。着地と同時に、姿勢を低くして走り出す。 腰から抜いた双剣に、“魔力”がこもる。 「『火遁・双炎牙(そうえんが)』」 アンバーの双剣が炎に包まれた。 彼女はロバートをはじめ、戦っている人々を突き飛ばすようにして駆け、ミランダを掴む触手へと向かう。 いくつかの触手がアンバーにおそいかかったが、彼女は床を蹴って宙返りし、両腕をないで双剣をふるった。 じゅっ、という何かが焦げる音と共に、触手の切れ端がぼとりと落ちる。 アンバーは迫り来る触手を踊るようにして斬り刻み、ミランダの拘束を解くと、彼女を足蹴にして飛んだ。 下方にクラーケンの本体を確認すると、剣を交差させて“魔力”を練る。 「『氷遁・双凍牙(そうとうが)』」 今度は双剣の刃が、ぴきぴきと凍りつき、長い太刀へと変わる。 「消えろ……!」 アンバーが空中で一回転すると、クラーケンは二つの筋を残し、無惨に飛散した。 ◆ 「あーあ、やっぱり強いなぁ。クラーケンごときじゃアンバーさんは止められないね」 空を舞う小舟に乗るリブレが、船首の様子を見ながら言った。隣に腰掛けるレジーナはため息をつく。 「まったく、何をしに来たんですの、あの方は」 「僕らのことが気になるみたいだよ。まあ当然か。とにかくレジーナ、次も頼むよ」 「もう準備できてますわ。それより、彼が見てますわよ」 レジーナが指をさす先には、船のへりに立って小舟をにらみつけるハヤトがいた。 「よーし、次は負けないぞ。レジーナ、『キューブ』ね」 「人使いが荒いこと」 レジーナは“魔力”を練り、「ウォール」を空中に精製した。リブレはそれに飛び乗ると、人指し指を立てて挑発した。 「来なよ」 ハヤトは、「蒼きつるぎ」を肩に乗せて飛んだ。 すたん、と空中に着地する。 「ハヤト君、君の『蒼きつるぎ』の力はよくわかった。次は本気で行かせてもらうよ」 「ふざけんな。お前には何もさせやしねえ」 「おお、怖いな」 ハヤトは思わずいらだった。 この男、船をめちゃくちゃにしておきながら、どうしてこうもふざけていられるのだろうか。 「ナメやがって。いくぞ!」 ハヤトが「ウォール」の床を蹴る。 同時に、リブレが叫ぶ。 「レジーナ!」 「『キューブ』」 レジーナは「ウォール」をさらに五つ作り出し、ハヤトとリブレのいる空間を密閉した。 ハヤトは勢いのままリブレに斬りかかるが、彼は刃が到達する直前に姿を消した。驚きの声をあげる前に、リブレの蹴りが背後から彼を襲う。 「くっ!」 ハヤトは振り返ったが、すでにリブレの姿はない。 今度は左腕に衝撃が走る。攻撃が見えない。どうやら死角から狙われているようだ。 「ははは! ハヤト君、やっぱりだね」 どこからともなく、リブレの笑い声が聞こえてくる。ハヤトは必死に身を固めるが、次々に打撃を受ける。 「君は、どうにも戦い慣れてないね。『蒼きつるぎ』の威力は確かに驚異的だけど、当たらなきゃ何も意味がないぜ」 「だまれ!」 ハヤトは「蒼きつるぎ」を無我夢中で振り回したが、ほとんど意味をなさなかった。リブレはハヤトが剣を振りきったタイミングを見計らって彼の腹を思い切り蹴り上げた。 ◆ ハヤトは吹き飛ばされ、透明の床にたたきつけられた。 「ちょっと期待はずれだな。こうも簡単に攻略できちゃうなんて」 リブレはさわやかな笑顔を浮かべながら、首をさすった。 立ち上がりながら、ハヤトは思った。 強い。 「ドール」に攻撃を任せ、その場で立っていただけのビンスと違い、この男はその動きをとらえることすらできない。自分のスピードを完全に上回っている。どうやって攻撃しているのかすら、わからない。 リブレは剣を抜いた。 「さて……そろそろ、もっと痛くするよ。ついてこられるかい?」 ハヤトは「蒼きつるぎ」を構えた。 なんとかしなければ。 船長室でのやりとりをみる限り、攻撃がヒットすれば勝つことはできそうだ。 何かできないか。 リブレが消えたのを見て、ハヤトは再び身構えた。 次の瞬間、自分の右肩に鋭い痛みが走る。 剣が、自分の鎧を貫いて深々と突き刺さっていた。 「うわあああっ!」 思わず声を上げる。 リブレはかまわず、斬撃を続ける。 「ほら、なんとかしないと死ぬよ」 ハヤトの鎧に次々と刀傷が刻まれていく。 そんな中でも、ハヤトは考えていた。 なんとか、逆転の一撃を。 まず、この男の意表をついて動きを止めなければならない。 どうすればいい。 どうすれば……。 考えている間にハヤトは頭を蹴られ、再び床へと沈む。 リブレは剣についた血を払った。 「なんだよ、抵抗する気もなくなっちゃったのかい?」 ハヤトは、もうろうとする意識の中、自分が寝そべる床を見た。 はるか下方に「ザイド・アトランティック」号が見える。 人々がうじゃうじゃと船内を動き回り、パニックに陥っているのがよくわかった。 この床はガラスみたいに透明だ。 視点をずらすと、すぐ目の前に赤い点が見えた。自分の血痕だろう。 そこで、ひらめいた。 ハヤトは、そのままリブレのほうに目をやった。 彼が払った自分の血痕が、足下についている。 だが血痕は、途中から折れるようにして上部へと角度を変えていた。 まるで、そこに透明の壁があるかのように。 さっき、リブレの仲間と思われる女が魔法を唱えていった。 きっと「ウォール」でこの空間を作っていったのだ。 ならば、道はある。 ハヤトは痛みをこらえ、なんとか立ち上がった。 リブレはうれしげに、剣を構えた。 「そうこなくちゃね。さあ、いくよっ!」 脚を踏み込んだリブレが、しゅんと消える。 同時に、自分の背中に斬撃の痛みが走る。 これで確定した。やはりリブレは、この壁を利用して攻撃しているのだ。 ハヤトは振り返り、剣を振りかぶった。 リブレは例のごとく、瞬時に背後の壁を蹴って飛ぶ。 すぐにつき当たった壁を再び蹴り飛ばして方向を変えると、ハヤトの後頭部へと向かった。 だがハヤトは、そこで剣を逆手に持ちかえ、地面を強く突いた。 「この床を、『破壊』する!」 「なっ!?」 リブレが声をあげる。 「蒼きつるぎ」が「ウォール」を破壊し、床が崩壊した。 ハヤトを狙っていたリブレは、勢いを抑えられずに「キューブ」の部屋から飛び出してしまった。 そしてリブレは見た。蒼き瞳が自分を見据え、落ちながらこちらに向かってくるところを。 「捕まえた!」 ハヤトの「蒼きつるぎ」が、リブレの体をとらえた。 ◆ ハヤトとリブレは、光に包まれながら落下を続ける。 目の前で苦しむリブレを見ながら、ハヤトは思った。満身創痍だが、なんとか一撃を食らわせてやった。 頼む、これで決まってくれ。 しかし、蒼き輝きは、そこで唐突に消えてしまった。 ハヤトは自分の手元を見る。 握っていたはずの「蒼きつるぎ」の姿はすでになくなっており、普段使っている鋼の剣に戻ってしまっていた。 「く、くそっ! なんでだよ!?」 リブレもすぐ、それに気がついたようだった。 彼はハヤトの体をつかんでレジーナの名を呼んだ。 同時に、レジーナの乗る小舟がリブレたちの落下先に現れた。 「大丈夫、リブレ?」 「見ての通りさ。たぶんこのままだと死ぬと思うから、回復をお願い」 小舟に着地したリブレは、自分の胸に刻まれた大きな刀傷をレジーナに見せた。彼女はすぐに回復魔法を錬成し出した。 胸ぐらを掴まれて浮いた状態のハヤトはそれをふりほどこうとしたが、体に力が入らない。握っていた剣も海に落としてしまった。 リブレはそれを見て笑うと、彼の頬を一発殴った。 「どうやら、体力と“魔力”を消耗しすぎたみたいだね。だから『蒼きつるぎ』も消えちゃったのかな。ハヤト君、今のはマジで死んだかと思ったよ。ほんとに、危なかった」 「く……」 「僕はもう満足した。君は、船が沈むのを海の中で見ていなよ」 リブレは、小舟からハヤトを投げ捨てた。 ハヤトは動くことすらできずに、ただ落ちるしかない。 そして、海へと落下した。 「ハヤト君!」 船首付近でそれを見ていたマヤは叫ぶと同時に、船べりに足をかけて身を乗り出した。 「マヤ、危ないよっ!」 ミランダの制止を振り切り、彼女は海へと飛び込んだ。 アンバーもすでに飛び込む体勢に入っていた。 「彼を助けるぞ! 魔法が使える者は回復の準備を!」 だが、レジーナがそれを聞いてふっと笑った。 「そうはいきませんわよ、アンバー」 彼女が手を上空に掲げると、「ザイド・アトランティック」号が再び大きく揺れた。 船の周りを取り囲むようにして、再びあの触手が現れた。 アンバーは眉間に皺を寄せる。 「レジーナ・アバネイルの召還魔法か……!」 「悔しそうですわね、アンバー。あなたはそういう表情が一番似合っていますわ。せいぜいあがきなさい。『キング・クラーケン』!」 レジーナの声とともに、さっきのクラーケンの数倍はあろうかという同型モンスターが姿を現し、「ザイド・アトランティック」号をわし掴みにするようにして触手を巻き付けた。 「な……なんてことだ……!」 バッシュ船長は、その光景に思わずひざをついてしまった。 キング・クラーケン。 クラーケンを統率すると言われる伝説のモンスター。 キング・クラーケンに狙われて沈まずに済んだ船は、これまでに存在しない。 船内から悲鳴がとび、乗客たちが一斉に甲板へと出てきた。 想定外の事態に船員たちも混乱状態に陥ってしまい、船内は完全に阿鼻叫喚の地獄と化した。 アンバーは奥歯をぎりとかんで、空中の小舟に向けて鋼鉄製の針を投げた。 レジーナは意地悪げな笑みを浮かべ、舟を上昇させてそれをかわす。 「裏切りものの、アンバー・メイリッジ。あなたが苦しんでいるところを見ると、せいせいしますわ」 「アンバーさん、せいぜいがんばってね」 「きさまらァッ!」 レジーナとリブレは無視して、空へと飛んでいった。 |