「ふう、今日もなんとか撒いたな」 校門を走って出た隼人は、学ランをはおりながら家路についた。 先ほどのようなやりとりは、今回で二十回目ほどである。いなすのも慣れたものであった。 「ほんとに、なんであんなに熱くなるかね」 隼人は歩きながら、真矢のことを考えた。 森野真矢、一年二組のクラスメイト。 人なつこくぱっちりとした目と長い黒髪、そして何より剣道家としての強さもあり、校内での人気はかなり高い。実際、隼人から見てもかわいいと思う。高校に入学して彼女とクラスが一緒になった時には、思わずガッツポーズしたものだった。 しかし、剣道部に入部し、彼女と模擬試合をした日から、状況は変わった。 その日、隼人は真矢をあっさりと倒してしまったのだ。 それからというもの、真矢は隼人に執着するようになった。彼女と隼人の段位は同じ初段だが、真矢は中学時代には全国区の選手だった。対して、隼人の通っていた中学校には部活がなく、試合に出ることはほとんどなかった。男女の力の差を考慮すれば隼人が勝つのは当然のことかもしれないが、真矢は無名剣士に負けたことが納得いかなかったようだ。 「森野のやつ、今ごろ大騒ぎしてるんだろうな。明日が大変だけど、想像するのは楽しいもんだ」 隼人は笑いながら帰宅した。 「隼人、おかえり。部活は休んだの?」 台所のほうから母親の声が飛んでくる。隼人は「うん、まあね」とだけ言って二階へと上がっていった。 自分の部屋に入る。見慣れすぎた景色、そしてなぜか安心するにおい。隼人は息をはきながらベッドに倒れ込んだ。 「なんで、そんなに熱くなるかね……」 隼人にはわからなかった。 折笠隼人は、剣道が好きではなかった。周りの人や両親に「お前は才能があるから、続けるべきだ」と言われているから続けているだけであって、もし誰からもなにも言われないのなら、今すぐやめてもいいと思っている。 だからこそ、森野真矢の熱意が理解できない。なぜそんなに熱くなるのだろう。勝ちたがるのだろう。そしてなぜそんなに……争うのが好きなのだろう。 隼人は息をついて、がばりと起きあがってゲーム機の電源を入れた。隼人にとって、ゲームの時間は至福のひとときだ。 現在進めているのは、異世界にとばされた主人公が、ヒロインらと世界を救うための冒険に出る……いわゆる王道RPGである。 ボタンを押すと、画面の前に壮大な緑の平原が広がった。 「やっぱり、グラすげーな。現実みてえだ」 隼人がしばらくゲームを進めていると、ドアがノックされた。 「お兄ちゃん、『ベスドラ』進んだ?」 妹の唯が入ってきてベッドに座った。隼人は舌打ちした。 「唯、勝手に入ってくるなよな」 「ノックしたじゃん。ねえ、どこまで行った?」 「今『ミレニア街道』。敵が堅いんだよなあ」 「ミレニアに行く前にロザータのカジノで武器を揃えないとキツいよ」 妹の折笠唯は中学生ながらゲーマーである。現在隼人が進めている「ベスドラ」こと「ベスト・オブ・ドラゴン」も、唯が半年前に購入してやりつくした、言わば「おさがり」だ。隼人は元々ゲームはほとんどやらない人間だったが、唯の手ほどきによってゲーマー化された。 「ロザータまで戻るのかよ。30分はかかるぜ、めんどくせえ」 「でもそうしないと逆に効率悪いよ」 「うるせえなあ、効率なんてどうでもいいんだよ、俺は冒険を楽しんでるんだから」 「……へえ」 唯はそれを聞いて、静かに笑った。隼人には少し、それが不気味に見えた。 「……なんだよ? 冒険を楽しむのが悪いのかよ?」 唯はくすくすと笑いながら手で口元を抑えた。 「いや、ごめんねお兄ちゃん。これが『冒険』っていうのがさ、ちょっとおかしくて」 「……なんだよ、これが冒険じゃねーっての?」 唯はしばし黙っていたが、唐突に普段の調子に戻った。 「なーんてね! ちょっとからかってみただけ。『冒険』だよね、それだって立派に。ま、がんばって〜」 唯はポニーテールをゆらしながら部屋を出て行った。隼人は首をひねった。 ◆ 「隼人、唯のことなんだけれど」 ふたりでの夕食中、ふいに母親が言った。少し不安げだった。 「何か、聞いてない?」 「聞いてないって……なにが?」 母親は少し言いにくそうにしていたが、眉を下げて口を開いた。 「最近、夜中に家を抜け出してるみたいなのよ」 「へ?」 隼人はありえない、と言った風に手を広げた。 「唯が外に? あいつに出られる訳ないじゃん。それに母さんにだまってなんて、ありえないでしょ」 しかし、母親の表情は変わらない。 「そうなんだけどね、たまに部屋の中にいないみたいなのよ。ノックしても反応がないし、一回、ドアを開けたこともあるんだけど……どこにもいなかったの」 「トイレとかじゃないの?」 母親は首をふった。どうやら何度も確認しているらしい。 「それで、なんというか……不思議なんだけど、いつの間にか戻って来てるのよ。もしかしたらあの子、病気も治らないのに、黙って外に出てるのかもしれないって……」 話によると、玄関のドアを開けた様子もないそうだ。 唯は肺の病気持ちで、現在は自宅療養している。小学生時代に罹患し、一度はよくなったのだが、中学生になって再発。現在は学校にも半年近く行っていない。現在彼女が外に出るとすれば、薬をもらうために母親と病院に行く時だけである。入院や手術は、本人が嫌がっているためしていない。 隼人は箸を置いた。 先ほど彼女が言っていた「冒険」という言葉が引っかかった。 あの言葉の裏には何かがある。唯は外で何かしているのかもしれない。 「信じられないけど、もし抜け出そうとしてたら、俺から注意しとくよ」 隼人は部屋に戻り、「ベスドラ」を再開した。 深夜一時。隼人は頭を抱えていた。 「ちくしょー……ぜんっぜんわかんねえ」 隼人は「ベスドラ」のダンジョンで詰まっていた。攻略サイトをチェックしてみたのだが、ボスのいる部屋の扉の開け方だけが見つからない。本来なら詰まるような場所ではないらしい。 鋼鉄のドアはなにをしても開かない。どこかでスイッチを押すのを忘れてしまったのか、はたまたフラグが立っていないのか。試行錯誤を続けたが、隼人はやがてベッドに突っ伏した。 しばらくして、ふと、唯のことを思い出した。 まだ起きているだろうか。あまり本意ではないが、やつに聞くのが一番ではなかろうか。どうせいつものようにバカにされるのだろうが、この状況が打開できるのなら、構わない。 隼人は部屋を出て、廊下の突き当たりにある唯の部屋をノックした。 反応がない。 夕食時に言われたことを思い出し、少し不安になる。 「おい、唯。いるか?」 がたり、と音がした。どうやらいるらしい。隼人はほっとした。 「入っていいか?『ベスドラ』のダンジョンがよ……」 「来ないで」 やたらと冷たい、唯の声が返ってきた。 「そう言わないでくれよ、ここがクリアできねーと寝られないんだよ」 返事はない。 隼人に妙な感覚が走った。足下が少し冷たい。ドアの下から、少し風が吹いている。 「唯?」 返事はない。 隼人は、もう一度ノックした。 返事は、ない。 まさか、と思った隼人は、ドアを開いた。 そこに唯の姿はなかった。 隼人は唯の部屋を見回した。 誰もいない。さっき確かに、返事が返ってきたはずなのに。 隼人は小走りでトイレへと向かってドアを開いたが、誰もいない。唯は完全に姿を消してしまった。 「唯、どこだ? おい!」 返事はない。 だがその時、窓にほのかな光が見えた。 そうだ。さっき確か、部屋から風が吹いてきた。 隼人は窓を開く。密集した夜の住宅地が眼前に広がった。ほとんどの家の電気が消えている。 そのため、すぐにわかった。さっきのほのかな光と同じものが、道を進んでいく。隼人はそこに妹の後ろ姿を見た。 なぜか輝く唯が走ってどこかに行こうとしている。 「唯! バカ野郎、お前は病気なんだぞ!」 声は届いていないようだった。 隼人は慌てて階段を降り、家を出た。 さっきの方向に、光が見える。 隼人は駆けだした。 唯はなぜ、外に出たのだろう。そしてなぜ、あんな風に光っているのだろう。 そんなことを落ち着いて考える暇もなく、足を前へと向ける。 しかしどういうことか、追いつく様子は全くない。 唯は中学生女子。それも肺の病気持ちだ。高校生の隼人ならばすぐに追いつくはずなのだが。 「唯、待ってくれ! どこ行くんだよ!」 光がふと、消えた。 隼人は大急ぎで走っていった。 そこは、草がぼうぼうと茂る、小さな空き地だった。 「唯! どこだ! どこ行った!」 隼人が叫ぶと、空き地の奥が、少しだけ光った。 「唯!」 そこには、ポニーテールの少女が立っていた。 隼人は妹の名を呼ぼうとしたが、思わずやめた。 確かに顔は唯なのだが、なぜか髪の色が真っ赤で、瞳の色も違う。そして妙な黒い服を着ている。 少女は、隼人を見てふふっと笑った。 「唯……なのか?」 少女は答えない。彼女を包む光が強くなった。 「おい、待てよ! おいったら!」 少女の体がすうっと消え始める。 隼人は目の前の、訳のわからない現象にパニックを起こしそうになった。 しかし、気づいた頃には光に向かって駆けだしていた。 少女の表情が、少しだけ変化するのが見えたところで、視界が光で塞がれた。 |