チアの街、東八番街大通り、左右に色とりどりの店舗が並ぶ移動露店街を歩いていた。 僕の右側、視界の隅にひょこひょことうつっては消えるブラウンシュガー色の頭は、キャム。 右手にコゴ焼き、左手に冷甘露を持ってご満悦だ。ついでにいうなら、口にも花串(もちろん、チアの街で一番旨いと評判の店のものだ)を咥えている。 「あのさ、キャム」 「んぃ」何、と言ったらしい。咥えた串が揺れただけだった。 「片手の宝物を、どっちか渡して。歩きながらだとみっともないよ」 「……んんぃぁ」勢いよく上下する串を、僕は奪い取った。キャムの足が止まる。 「もう一回。異国の言葉は認めません」 キャムは眉をしかめた。視線は僕の右手の花串に注がれている。 「渡したら、エマ食べるから、駄目。返して」 僕は溜め息をはいた。どれだけ信用がないのだろう。 「いくら空腹だろうが、キャムの食べ物を盗ることはしません。どっちかの手が空いたら返します」 自分の両手を見比べるキャム。どっちを先に食べるか悩んでいるようだ。 右手、左手と交互に見たあと、今度は僕を見た。 「先にそれ食べる。両手に持ちながらがみっともないなら、それをエマが食べさせて」 そう言って小さい口をめいっぱい開く。僕の心臓が釣り上げたばかりの魚のように跳ねた。 「そっ、それは違う、違うと思うんですよっ!」全身から嫌な汗が噴き出す。 キャムの口は閉じない。なにかがおかしい。 「そういうのは午後の日差しの中の甘ったるい空気の中でやることであって、 こんな往来の中で羞恥を味わいながらやることではないと思うんですよ僕は!」 「冗談。怒ったり焦ったりエマは忙しい。少しは落ち着いたらどうなの」 キャムはもう僕に興味がないといった感じで歩き出すと、右手のコゴ焼きを食べはじめた。 僕はあまりの衝撃に動けないでいた。いわれのない注意をされたことではなく。 前を行くキャムの頭が揺れる。 「お腹いっぱいになった。残念だけどその花串はあげる。三千世界のすべてに感謝して食べなさい」 振り向いたキャムの両手は空だ。冷甘露もいつのまにか食べきったらしい。 僕のお腹は、僕以上に正直だった。クゥ、と一鳴きした。 ふっ、と鼻で笑うキャム。満足気に歩き出す。 僕は何も言えずに、食べかけの花串にかじり付いた。 プライドも誇りも捨てて食べた花串は、悲しくなるほどおいしかった。 周囲の平屋から頭二つ抜き出ている黄土色の建物。『アッパーガーデン』前に僕とキャムはいる。 押し戸を開いて、中に入る。小さいロビーのすぐむこうに、天使がいた。 「あらー、お久しぶりじゃないー。あいかわらず凸凹カップルねぇ」 受付のウルカさん。日々の悪魔との生活に乾燥した僕の心を潤す会社の天使。 柔らかに潤う少し垂れた目。デキャンタのようにくびれた腰。 そして立ち上がって揺れた二つの球の間の『谷間』に、僕は心から挟まれたい。 「おひさしぶりです。今日は報告にきました」もちろんそんな感情はおくびにも出さずに一礼。 僕が紳士なのは誰もが知っていると思う。隣のキャムを除いて。 「ウルカの欲望の塊ばっかり見てないで、はやくいこう、エマ」 今すぐ事務所に乗り込んでキャムとの契約書を破りたい気持ちでいっぱいだ。 「ふふっ。ほんとうに仲がいいのね。うらやましいわぁ」 どこが! と否定する前に、キャムが答えた。 「わたしとエマが仲がいいのならこの世界に紛争なんてありはしない。戯言はいいからはやく社長に取り次いで」 それでもウルカさんは微笑を絶やさない。 「はいはーい。それじゃ、三階まで上がっていいそうよ。もう社長はお待ちみたいだから」 キャムのこの物言いにも動じないウルカさんは、右手を奥に指し示した。 「そう。エマ、三秒以内に動かないなら、足と眼だけ残して連れて行くけど」 その光景を想像して身震いした。 「それじゃ、残念ですけど、また」 「はいはーい。エマ、またねー。がんばってー」ひらひらと手を振るウルカさんを横目に見つつ、キャムを追いかけた。 「おやまぁ、坊やたちかい。えらく久しぶりだねぇ」 ロビーから廊下を通って突き当たり、煌く魔方陣の前に立つステラばあさんが笑った。 濃紫色のローブをまとって、法杖をつく姿は、いかにも『魔法使い!』な容貌をしている。 「おひさしぶりです。社長までお願いしたいんですけど」 「いいともさ。お姫様もご一緒かい?」キャムにたずねる。 こくり、と頷くキャムは少し眠そうだ。キャムをみてステラばあさんが眼を細めた。 「今日は剣を抜いてないようだね。いいことだ。……さ、順番に陣に乗りな。すぐ上げるからね」 「ありがとうございます」答えた僕より先に、キャムが魔法陣に入る。 ステラばあさんが法杖でコンコンと地面をたたいた。杖の先が薄ぼんやりと光る。 ぼそぼそと詠唱をはじめる。キャムの体が少し浮いた。 「……これ、苦手」困った顔でキャムが呟いた。 コン、コン、と杖を鳴らすたびにキャムの体が少しずつ浮いていく。 詠唱が終わった。ステラばあさんが杖を振り上げた。杖の先が丸く光った。 ゆっくり杖を降ろす。地面に当てたその瞬間、キャムは魔法陣からいなくなった。 ここは、外から見ると三階建てなのに、中には階段がない。 一階にあるのはロビーとウルカさんの受付、その奥に一つの魔方陣とステラばあさんだけだ。 二階と三階へは、ステラばあさんの“浮遊魔法”でのみ行く事ができる。 アッパーガーデン……昇華する庭、の名前はここからきている。 ステラばあさんに休みはあるのか、代わりはいるのか、疑問ではある。 ただ、僕がここに勤めてから、ステラばあさんがいなかったことはない。 「さ、つぎはあんただよ」 ステラばあさんに言われて、陣の中に入る。寒いようで、暖かい。形容しがたい空気が流れている。 また法杖で地面を二度たたいた。“理力”を練りはじめる。 「……あの子は、いい子だ。剣を抜く痛みを知ってる」 急にステラばあさんが口を開いた。 「あの子、って、キャムのことですか?」足場がなくなって、不安定なままたずねる。 「そう。あの子を守ってやって。……あんたは少し辛いかも知れないけどね」 少し悩んだ。僕より明らかに強いキャムを、守る守らないの意味が分からなかった。 「守るとか、守らないとかよく分からないですけど」思ったまま口に出した。 「……うん」 「理不尽で不条理で強情で小さい悪魔に殺されそうになっても、それがキャムなら、誰より傍にいたいと思います」 ステラばあさんがクスっと笑って杖を上げた。 「あんたも、いい子だね。がんばりなさい」地面が光って、自分の体が急速に上昇する。 白い光の筒を上がっていく。煌く星の欠片が視界に映っては流れていった。 靴底が触れた。気がつけば社長室の重厚な扉の前に立っていた。キャムがその脇でしゃがんでいる。 「おそい。眠い。帰っていい?」 ステラばあさんがいう『いい子』の定義が分からなくなった。 「もう少し待ってね。報告したらすぐ帰るから」 キャムの手をとって立ち上がらせる。扉をノックする。 「はいりまーす」ゆっくりと重い扉を引いた。 左右に僕の背丈の二倍はある本棚が並ぶ。隙間もない程、床に散らばった本と書類。 乱雑に積み上げられた書籍の塔が立ち並ぶ。触れれば今にも崩れそうだ。 「おお、きたか」 一階のロビーより狭い社長室。すぐ目の前にあるデスクから、社長が顔をあげた。 「……新しい蟲とかモンスターがいそう」キャムの呟きに賛成票を一票。相変わらずどうしようもないくらい汚い。 「あっはは。それじゃこの部屋の清掃を二人に依頼しようか?」 「いやだ。この部屋に一日いたら発狂する」 「……ほんとーに失礼だな、キミは。僕は一応ここの社長だよ?」 そうおどける社長は若い。こうして見ても僕とあまり年齢は変わらないように思える。 詳しい経歴は一切分からない。この会社の誰に訊いても答えはなかった。 「社長」 「んっと、なんだい、ティンカー君」僕とキャムを苗字で呼ぶのは社長だけだ。 「報告、してもいいですか?」 キャムがさっきから社長にきこえない位の小声で「帰りたい出たい汚い臭い帰りたい……」とずっと呟いていた。 社長室で暴れたらさすがにクビだろう。キャムが爆発しないうちにはやく用件をすませて帰りたかった。 「ひさしぶりの来社なのに、僕とは会話も楽しんでくれないんだね……お兄さん少し悲しいよ」 「……本棚、ひとつ倒していい?」キャム予報が嵐の報告。社長を無視してでも本題に入ろう。 「まぁいいか。僕としてもまだ死にたくはないからね。本棚で圧死なんて情けない最後は勘弁願いたいよ」 社長が姿勢を正した。いっきに雰囲気が変わる。 「さて、エマ・ティンカー君」 「はい」 「それと、キャム・A・ハーミット君」 「……なに」 「依頼、ご苦労様。ガガープの件の報告かな」 話す言葉も別人のようになる。 「そうです。えーと、依頼番号0231……」 「うん、依頼人から仮報告は受けてるんだけど、今回の依頼は『盗難物もしくは報酬額の奪還』だったよね?」 やっぱりそこだった。僕らの今回の依頼は、『ガガープに盗まれた報酬金を取り返す』だった。 ガガープを二ヶ月は動けない体にし、「茶髪の悪魔……チャパツノアクマ……」と呻き続けるだけの生物にするなんて、依頼のどこにも明記されてなかった。 「結果的に依頼人はガガープの容態をきいて、大変喜んでいたそうだけど」 「はい。でも、それとこれとは違う、とも思います」 「正直だね。ティンカー君は。分かるかい?」 「はい。『依頼以下は失敗。依頼以上も失敗』です」 「我が社のクレドを覚えていてくれて嬉しいよ。だけど僕はキミたち二人にもっと分かりやすい言葉をあげようと思う」 「……なんでしょうか」 「んーとね、ティンカー君には……」 社長は言葉を区切った。息を吸い込む。 「手綱をしっかり握ってなさい。それとハーミット君」 「……はい」思い当たる節があるのか素直な返事のキャム。 「キミには、ただ一言でいいかな」社長が微笑んだ。 「やりすぎ」 うなだれたり(僕)、不満を顔全体で表現したり(キャム)する僕らを見て、社長がまた笑った。 「あっはっは、いいさ、そんなに分かりやすい顔をしなくても、お二人さん」 また雰囲気が戻った。この使い分けができるから、社長としてやっていけるのかも知れない。 「実は今回の依頼者から、伝言を預かってる。読むよ」 社長がデスクから書類を一枚取り上げた。 「ありがとう。名も知らぬ方よ。ガガープは強かった。だから『取り返すだけでいい』という内容にしたんだが、正直驚いたよ。 あのガガープが完全にのされてたんだからな! 呻いている言葉の意味はまったく分からないが、私の気分は最高さ! 盗まれていたモノもかえってきて、にっくきガガープも当分は動けないだろう。本当にありがとう! 奪還した金額に比べればケチかと思うかもしれないが、報酬にイロをつけておいたから、どうか受け取ってほしい。 これからもあなたとアッパガーデンに大地と空と神の加護があらんことよ!! ……だってさ」 「あの……つまり、どういうことでしょう」 「あの、つまり、こういうことだ」社長が軽い口調で言いながら、青い書類を一枚前に出した。 受け取って、文面を読む。キャムが覗き込んできた。 「社長、ここの報酬額が依頼時より少し……かなり多い気がするんですが」 「多い? 不満ってことかな、ティンカー君。なんなら戻してもあげてもいいよ」 慌ててかぶりを振る。 「それを減らすなんてとんでもない!」 何度も読み返す文面には、8万ゴールドの金額が並んでいた。 「書類に夢中になっているところ、悪いけど、ティンカー君」 「うぇっ、はい」そんなに凝視していたのだろうか。キャムはもう興味がなさそうに本棚を眺めている。 「早速次の依頼がきてる。見てみるかい」 「はい、是非」 例え一人頭4万ゴールドの報酬だろうと、キャムの胃袋にかかればあっという間になくなる。 即答した僕を、キャムが睨んでいた。 「はい、じゃあコレ」社長が黄色の書類を渡す。 流し読みして、内容を把握する。 簡単な配送依頼のようだ。これなら道中でのんびり達成できそうだった。 「これ、受けます」 社長がニヤっと笑った。 「そういうと思ったよ。それじゃウルカの所までいって、報酬を受け取ってきなよ」 社長がまた書類に目を落とした。報告終わりのサインだ。 「はい、ありがとうございました! ほら、キャムも」 「今度は誰かココを片付けてくれる女性でも見つけるのね。もっとも部屋に入っただけですぐ帰るだろうけど」 「キャム! し、失礼しました! また今度!!」 一礼して、扉を押した。部屋からでる瞬間、 「底なし沼に餌をやるのは大変だね」と社長が呟くのが聞こえた。 まったくもって、そのとおりだ。 扉をでて、明るい魔方陣に乗る前にまた依頼書を眺めた。 「配達?」キャムがきいてきた。 「そうだね、物品の配送。チアの街から首都マグンまで」 「……地味に遠いじゃない。それを即答した考えなしな頭の中の鼠は太りすぎてて動いてないの」 「カラカラカラカラ。ちゃんと回ってるみたいだよ」 「……はやくいこう。少しお腹減った」 「もう?」僕の驚きに答えず、キャムは魔方陣に入っていった。 昇るときとちがって、降りるときは詠唱を必要としない。ゆっくりゆっくりキャムの体がさがっていく。 首都マグン。いままで依頼で訪れることはあっても、あまり中まで入ったことはなかった。 これを機会にのんびり散歩するのもいいだろう。首都というだけあって、かなり広い。見て回るにはそれだけで時間がかる。 なんてったって資金は十分にあるのだから。 青色の報酬書の金額をまた眺めて、ウルカさんの谷間を想像しながら、魔方陣に足を進めた。 |