「・・・はいぃ?」 それは、怒りどころか、殺意まで込められていそうな返事だった。 ルーザーズ・キッチンのカウンター席から転げ落ちそうになりながら、リブレは慌てて両手を振った。 「お、落ち着いてリノ。最後まで良く聞いて」 「・・・聞き違いかしら。”巨乳を追え”、なんて聞こえたような気がしたんだけど」 「いえ、まさにおっしゃるとおり・・・」 ギロリ。 リノの視線にすくみ上がりながら、リブレは必死に説明を続けた。 「・・・つまり、巨乳の女が代金を踏み倒して逃げたもんで、それを捕まえろって事?」 「その通りです」 「ちなみに、なんの代金よ?飲み代?洋服代?」 「それは」 「豊胸手術代、だってよ〜」 ニヤけ面を顔に貼り付け、グランが店に入ってきた。 「ホーキョー?何それ?」 「医術と魔術のケチな混成技らしいけどな。早い話、胸に詰め物詰めて、膨らますって寸法だ」 「・・・膨らむ?胸が?」 興味あるだろ〜?と、グランが下衆じみた笑いを向けると、彼女は鬱陶しそうに手をふった。 だが、グランは見逃さない。手の影で誤魔化されかけたが、一瞬、リノの表情に強い興味の色が過ったのだ。 「だ、大体それ、対人間の揉め事じゃない。騎士団の仕事でしょ」 リノがリブレを見やると、リブレは困ったように視線を泳がした。 「その依頼主の店が、早い話違法営業でさ」 「そそ。表沙汰に出来ないってワケ。まぁ、犯人もそこに付け込んで踏み倒したって事よ」 「なんだ。自業自得じゃない」 「まぁ、闇医者だからねぇ」 「ただ。それだけに、確かな紹介が無いとそのホーキョーはやってくれないんだな、コレが」 テーブルのグラスを取ろうとしたリノの手が、思わず空ぶった。 ジロリ。 睨みつける、とは違う。探るような目つきをリノはグランに向ける。ここぞとグランは続けた。 「仕事が仕事だけに、女が一人いた方がやり易かったんだが・・・しょうがない、他を当たるか」 「そうだね。なんだかリノ、全然乗り気じゃないし・・・」 「待った」 それきた。 笑いを噛み殺しつつ、グランはカウンター席の椅子を引いた。 翌朝。 三人は街の広場で捜索を開始した。 「アイは誘わなかったの?」 「アイツの前で、他の女の胸ばっか見られるかよ」 「あらアイ。アンタの彼氏、広場でず〜〜っと通行人のおっぱい眺めてたわよ」 リノは作り物の声で、グランに微笑みかけた。勿論、広場にアイはいない。 それは紛れ間もなく脅迫だった。 「汚ねぇ!?何が狙いだ!?」 「ほら、余所見してないで、もっと良く観察しないと」 やかましい二人をよそに、リブレはぼんやり通行人に目をやっていた。少し肌寒い陽気のせいで、人々はまだ数枚の衣服を重ねている。 パッと見で分かるのかな。二人に悟られぬよう、リブレは欠伸を噛み殺した。 「リブレ、モンスターを感知するみたいに、巨乳も感知出来ないの?」 「あのねぇ、リノ・・・」 「巨乳なんて牛型モンスターみたいなモノよ。リブレもそう思うでしょ?」 「え?いや、別にモンスターってことは」 「・・・なに、アンタもデカい方が好きっていうの?」 「ええぇ!?」 なんでそうなる!? だが咄嗟の反応というのは恐ろしいものだ。無意識のうち目はリノの胸元に行ってしまう。 起伏なし。視界良し。そう、まるでトンカ平原・・・・・・。 その直後、リブレは杖ではたき倒され、その場にうずくまった。まったく理不尽な仕打ちだ。 「お・・・!」 「どした!?見つけたか!?・・・って」 「何やってんのアンタ達?」 そこに居たのは、小首を傾げたミランダだった。 「牛型モンスター発見」 「は?何よ何よ?」 「この者の胸、偽物の疑い有りね。グラン、検(あらた)めなさい」 「え?ちょっと?」 「そんなわけでちょっと調べるぞ、デカパイ」 グランが無遠慮に手を伸ばした瞬間、見事なまでの平手打ちが頬を貫いた。 「あだだだ!?」 「何なのよ一体!?」 「知ってるわよ。アンタのが天然モノだって事くらい」 リノは酔いの回った変態のごとく、いきなりミランダの胸元に手を突っ込んだ。 くっ・・・こんなんでよく弓が引けるわね。邪魔にならないの?狭い洞窟の道なんて、横になっても通れないじゃないの。・・・などなど、リノは言いたいだけ言って、粗雑に彼女を追っ払った。 すると今度は、セーナがやってきた。 事情を説明するのも面倒ね。 むんず。 有無を言わさず、リノは胸を鷲掴みにした。 「あのぅ・・・?」 「違うわね。行って良いわよ」 「・・・ねぇグラン?」 「ああ。面倒な事になりそうだ」 セーナは暫く何事かと状況を掴み損ねていたが、何を思ったかふとリノの手を取り、再び自分の胸にあてがった。 「リノさん・・・そうじゃなくて、こうです」 「ふぇ?」 セーナの目が危ない潤み方をしている。 しまった、とリノは男二人に助けを求めようと振り返ったが、二人は咄嗟に顔を背けた。 「っていうかグラン。見つけた後は触って確かめるって話だったっけ?」 「違った。あの性悪女のせいで調子狂っちまったぜ」 それから暫く後・・・。 「お、覚えてなさいよ、アンタ達」 「真面目に仕事して下さ〜〜い」 「いい加減飽きてきたわ。グラン、アンタの火炎魔法で何とか出来ないの?」 「衣服を焼けとでも言うのか?アホぬかせ」 「じゃあ温度上げて、薄着にさせるとか」 グランは無視し、人通りに視線を戻した。時間も下ってきて、街は随分と賑わいを見せている。 その時、リブレが怪訝そうに顔をしかめた。 「オークが女の格好して歩いてる・・・」 「げ。なんだありゃ?」 それはオークだった。 人間に似た新種のオークなのか、それともオークに似た新種の人間なのか。 とにかく、それはオークだった。 「って、コラ。いくら何でも失礼よ」 「つっても、どう見てもオークじゃねぇか」 「世の中には色んなオークがいるんだねぇ」 「いやいや、それを言うなら色んな人間がいる、だろ・・・て、うおい!?」 リブレとグランは絶句した。 デカい。 まさかである。まさかであったが、紛れも無くデカかった。 「リノ、確かめてきてよ」 「あれは大胸筋」 「ひでぇ・・・」 「ちょっと待って。あっちの人、そうじゃない?」 リブレが指差す先、オーガのやや後方だ。 露店の小物を眺める女性が一人。その豊かな胸に三人の目は釘付けになった。 ビンゴ。 グランは半ば直感したように呟き、リノに目配せする。リノはすぐさま理力を練り始めた。 「グラン、一体どうするつもりさ?」 「例のホーキョー施術には、ちょっとした魔法を使うらしくてな」 グラン自身も魔力を練りながら、説明を続けた。 その魔法に反応する治癒系魔法をリノが行う。それを、グランの魔法で飛ばす、という作戦だった。 「依頼主お墨付きのやり方だ。まぁ見てろ」 「それ、相手がホーキョーだったらどうなるの?」 「ニセ胸の中身に反応して、揺れるんだよ」 「ゆ、揺れ!?」 「そう。ぷるるんっ、ってな」 「お、おぉ!」 畜生。なんでこんなにバカな男ばっかりなのかしら。 怒りの感情任せにリノの理力が増大していく。 女も女だ。何が巨乳だ、何が代金踏み倒しだ。 代わりに石でも投げてやりたいところだったが、ぐっと我慢し、理力をグランに渡した。 ただし、予定より遙かに巨大な理力。 「くらいな、踏み倒し女ッ!」 グランの放った一撃は、ただの通行人にとっては、そよ風程度にしか感じなかっただろう。 だが、リノの込められた怒りはまさに突風だった。 胸は、ぷるんどころかゴム鞠のように跳ね上がる。そして、勢いそのままに服からも飛び出した。 まず響いたのは女性の悲鳴だった。 露わになる胸。いい気味よと、リノはほくそえむ。 「うわお」 「うわ〜お」 続いてバカ二人の声。死んでしまえ。 だが、その直後にリノは気付く。 異変。 そして脳裏を過った言葉。 誤爆。 そう、それはまさに誤爆だった。 「げ!?」 「ご!?」 続いて響いたのは、カエルを踏み潰してしまった音のような、男二人の悲鳴だった。 胸を押さえ、ひざまずく露店の女。 その女の姿を遮るように、大胸筋を誇示したオークが現れた。 オークならまだ良かったが、それはオークの姿をした人間の女だった。 きゃー。 空風のような悲鳴だ。いや、啼き声というのかもしれない。 リノは顔をしかめた。 「・・・って、アンタもかい」 「スゲェもん見ちまった・・・しばらくうなされるぜ、コイツは・・・」 「オーク・・・あれはオークだ。人間じゃない・・・」 「うるさいわね」 オークじゃない方の女は、予想通り踏み倒しの女だった。 魔法で眠らせた女を引き渡しに、三人は依頼人の元へと街を行く。 途中、勇ましく騎士団が脇を通り抜けていった。片や自分達の仕事は偽巨乳の追跡。 何やってんだか。 「んで、リノはどうするんだ?」 「な、何がよ?」 「まぁ、魔力が切れたら元通りらしいけどな」 「随分とあこぎな商売ね・・・」 「継続的に金が取れる実に効率的な商売だよな。俺達も一稼ぎ出来ないかな?」 「でもさ・・・やっぱり、ありのままが一番だよ」 不意のリブレの一言が、リノの胸に突き刺さった。 ・・・なんだかもう、どうでも良くなって来た。今はもう、早くルーザーズ・キッチンで一杯引っ掛けたい。 「偽物の胸じゃ、今の言葉も心まで響いてこないのかしら」 「小さい胸の方が感じやすいって事?」 「死んじゃいなさい」 「って・・・あんら?あらららら?」 「どしたのグラン?」 「さっきの騎士団が店に・・・」 「はぁ・・・!?」 「だぁぁ!?ガサ入れ喰らってんじゃねぇか!」 「じゃ、じゃあクエスト代金は!?」 「あじゃぱ〜」 「ええええ!?」 「しょうがないな、リブレ。このお姉ちゃんの胸でも揉んで諦めようぜ」 「・・・・・・・・・い・・・いやいや」 「随分と間の多い拒絶だなおい。じゃ、リノもどう?」 「わ、私の巨乳計画を返せ!!」 「結局そのつもりだったのかよ!」 やれやれと、グランは巨乳女の傍らに腰を下ろした。ほぅほぅ。こりゃ空気系の魔法が詰まってんのかな? その背後で、リノは無表情で手を振っている。 その視線の先にアイが居る事を、グランはまだ気付いていなかった。 |