幼い頃、森の中で宝箱を見つけたことがある。 遠い記憶だ。ひょっとして、夢の中での出来事だったのかもしれない。 あれは一体なんだったのだろう。 誰が、何の目的で置いたのだろう。 歳を食うに連れ、それらの思い出はいつしか、追憶の彼方に消えた。 苦笑を一つ。 まさか、俺が置くことになるなんてな。 このクエストで、自分は死ぬのだろう。 そう思った瞬間、今いるダンジョンに少しだけ愛着が芽生えた。不思議なものだ。そう思うと、絶望的な筈の状況下でも、正体不明の笑みがこぼれてくる。 だがその笑みも、直ぐに消えた。 目を擦った。一瞬、自分の目蓋が落ちているような錯覚に襲われたからだ。それほど濃密な闇、そして死の気配が、ここには漂っている。 闇は夜の海を思わす。深く、静かで、しかし何者かが常にこちらを見つめているようだ。 時折、剥き出しの岩肌が、まるで夜光虫のように青く鈍く瞬く。 岩に含まれる、世にも珍しい鉱石がその光を放っているのだと、相方であるリアドが言っていた。 その鉱石の名前は何だったか。 「動けるか、セイウス?」 俺が鉱石の名を尋ねる前に、リアドが口を開いた。濁った声だ。ヤツの腹に空いた、風穴のせいだろう。拳ほどの大きさの風穴から、鮮血だけでなく、空気も漏れ出してしまっているような声だった。 「お前を背負って歩け、と言われなければな」 「多少血も抜けて、軽くなっている筈だけど」 「お前の血で、俺のローブを汚せというのか」 「参ったな。じゃあ、干乾びるまで血を流すしかないか」 俺は鼻だけで笑った。 こんな時まで軽口か。コイツは本当に馬鹿野郎だ。 だが、この馬鹿野郎と一緒で無ければ、少なくとも俺はこの場にいなかった。 この馬鹿のお陰で、このクエストは成功したのだ。 「よくやったよな、俺達」 リアドが暗闇に向かって呟いた。自分に言い聞かすような口調だ。 今のこの絶望的状況は、やる前から分かっていた事だ。 そして、俺達は分かっていて引き受けた。 俺達は、崖から身を投げたも同然だった。そして今、崖か突き出ていた岩に、まるで神様の気紛れのように引っ掛かっている。 「俺達は誇れる仕事をやった・・・なぁ、セイウス?」 全くだ。全くもって、俺達はよくやった。 このクエストはどこまでもふざけた、どこまでも崇高なクエストだった。 時間の感覚などとうに喪失してしまっている。 あれは、何日前の出来事だったか。 「セイウス、俺への借りを返す日が来たぜ」 「借り・・・?」 「おいおい、忘れたとは言わせねぇぞ」 一体何の借りだったか。その時も、そして今も思い出せない。 ただ、リアドがボヤいていた事だけは覚えている。 「お前、相変わらず興味の無い事や都合の悪い事は、す〜ぐ忘れてしまうな」 「で、何をしろって?」 俺が顔を向けると、ヤツは咄嗟に目を背けた。 言い難いことなんだろう。きっとロクなことじゃない。 リアドは空へ向かって、呟いた。 −−−1度くらい、金の為じゃない、仕事をしたい。 俺はあの時もう既に、今のこの状況は予感していた。 分の悪い、いや、分の悪過ぎるそのクエストの事は、俺も耳にしていたからだ。 「いいよ」 「・・・え?」 「だから、いいよ。付き合ってやる」 その時、リアドは泣き笑いのような顔をしていた。 クエストの説明など要らなかった。 借りを返せと言われた。だから返す。例え、本当は借りなんてなくても。 俺とリアドは、それでいい。 孤児だったリアド。俺もそうだ。 コイツの、こういうセンスだけは褒めてやりたい。 よくぞ、死んでも誰も悲しまないヤツを相方に選んだものだ。 遡る事数ヶ月前、あるダンジョンが見つかった。いや、正しくは、再び現れた、と言うべきなのだろうか。 細かい事情など忘れてしまった。俺には興味の無い事だ。 ただ、遙か昔に封印された強力な装備品がそこには眠っているとされ、その話題は一瞬で王都を駆け巡った。 すぐさま精強なパーティーがいくつも派遣された。その伝説の装備とやらは、いつか復活するであろう強大な魔族に対抗するため、絶対に必要な物なのだと、人々は熱狂した。 だが、それらいずれのパーティーも、戻っては来なかった。 いつしか、そこは帰らずの洞窟などと呼ばれ始めた。 俺は冷めていた。放って置けばいい。触らぬ神に祟りなし、だ。 だが、リアドは違った。 今思えば、ヤツなりの弔いなのかもしれない。目の前で両親をモンスターに食われた、10数年越しの弔い合戦。 もう二度と、自分のような孤児が生まれて欲しくない。 リアドは、そんな青臭い事を平気で言うようなヤツだった。 「セイウス・・・まだ、魔力は残ってるのか?」 「まだ何か、飛ばして欲しい物が?」 「最後に拾ったこの石版を。多分、このダンジョンの簡易地図だ」 「さぁて・・・誰に拾われるかな」 俺の魔法は、炎を生み出すことも、傷を癒す事も出来ない。目の前の物質を、どこかに転移させる魔法だった。 神様も随分と変わった力を俺にお与え下さったものだ。どこに転移するか指定も出来ないこんな魔法じゃ、商売に使うことも出来ない。 その上、ザコ相手ならまだしも、強力なモンスターに仕掛けても駄目だ。つまり、戦闘でも役に立たない、ほとんど手品みたいな魔法だった。 「出来れば、勇者様ご一行に拾って貰いたいね」 「俺の使う魔法が、そんな幸運を呼ぶとは思えんよ」 だが、このダンジョンではこんな魔法が最後の切り札だった。 生きて帰ろうなんて、そんな考えは真っ先に捨てた。死への片道切符を手に、リアドとひたすら奥を目指した。 そして俺はやった。死に物狂いで、目に付いたあらゆるアイテムを片っ端から外界へ転移させたのだ。 俺達の目的は、攻略不可能と言われたこのダンジョンから生還し、アイテムを持ち帰ることではない。 俺達は、全てのアイテムをこのダンジョンから脱出させるため、血を吐いて戦ったのだ。 「伝説の装備・・・凄かったな」 「ああ」 「俺なんかがよく、モンスターの巣からアレを持ち出せたもんだよ」 リアドが控え目ながら、得意げな表情を浮かべた。 命を懸けた大仕事。まさに奇跡。 確かにそうだろう。 事実、その結果ヤツの体には風穴が開くことになったのだから。 「アレだけは宝箱に詰めて転送した。封印も施してある。半端者が回収しても、開ける事さえ出来ないはずだ」 数々のアイテムは、きっと無作為に散っていっただろう。 俺は願う。 誰か、俺達の意志を継ぎ、そのアイテムを拾ってくれ。 そして、お前さえ良ければ、この世界のために戦ってくれ。 俺達がここで、こうして戦ったように。 「伝説の装備品、あといくつあったんだろう」 「あの石版地図を拾ったヤツが、いつか探しに来てくれる筈さ」 「俺の死体も、一緒に拾ってくれるかな」 「金目の物を剥ぎ取られてお終いだろうな」 「・・・なぁセイウス、お前はまだ動けるんだろ?」 「傷の割りには、よく喋るな」 俺は聞こえない振りをした。 ヤツはどうせこう言うだろう。俺を置いて行け、などと。 冗談じゃない。 「よく喋る理由、お前にも分かってんだろ?」 「敵が近付いてきている。多いな」 「それに、恐ろしく強い」 リアドが俺に向き直る。 覚悟を決めたのだろう。屈強な意志を秘めた目が、不思議な光を放つ岩肌で青色に輝いていた。 「クエストの前に約束したよな。もし、どちらか片方でも生きて帰れそうなら、見捨ててでもそうするって」 俺は鼻で笑い、立ち上がった。 見捨てる?バカを言うな。 魔力を宿した杖を握り締める。地面に突き立て、体を支えた。 「そんな約束、忘れたよ」 俺は最後の力を振り絞り、魔力を練った。 リアドが何かを喚いている。俺を置いて逃げろ、とでも行っているのだろう。 敵の気配が迫ってくる。鋭い殺意。腹の底までも焼き尽くす死の匂い。 身体が、自分の意志とは関係無しに震え出した。これが、本当の絶望というヤツか。奥歯を目一杯噛み締めた。そうでもしないと、恐怖で倒れてしまいそうだ。 「なぁ、リアド」 「なんだよ!?」 涙声。コイツもビビってるのか。 ・・・いや、違う。 この大馬鹿野郎め、本当に俺の事を心配してやがる。 何度でも言ってやる。コイツは本当に大馬鹿野郎だ。 「なぁ、リアド」 俺はもう一度、リアドの名前を呼んだ。 闇の中で目が合った。 「・・・この鉱石、なんて名前だっけ?」 「は?あれだけ説明してやったのに・・・まさか忘れたのか?」 「すまないな」 鉱石がまた輝いた。 同時に、リアドの目も光を反射して輝く。 モンスターの気配が一瞬、曖昧な物になった。 不思議な心境だ。穏やかと言っても良い。 瞳に映った青。この色はきっと、絶望の中で見た希望なのだろう。 「じゃあな。リアド」 「え?お、おい!!」 練り上げた魔力を、リアドにぶつけた。魔力の光が、リアドを包んでいく。 「セイウス!?お前!?」 「どこに飛ぶか分かんねぇ。歯ぁ、食い縛ってろ」 俺は、興味の無い事や、都合の悪い事は、悲しいくらいすぐ忘れてしまう性格だ。 だけど、肝心な事は一度だって忘れた事、無いぜ。 「約束だ。生き残れよ、リアド」 「ふざけんなよ!生きて帰るのは俺じゃねぇ!お前じゃねぇのかよ!!」 いいんだよ、リアド。俺はしたいようにやっただけだ。それに、この魔法は自分にはかけられない。 「絶対!いつか絶対助けに来る!」 「・・・アホ抜かせ」 最後まで青臭いヤツだ。 リアドを包んだ光が消えていく。ヤツの声が遠ざかっていく。 女風呂にでも飛び込んでしまえ。俺は笑った。 そう。俺とリアドは、これでいいんだ。 暗がりから現れたモンスターが腕を振り上げるのを、俺はどこか他人事のように見つめていた。 恐怖はある。だが後悔は無かった。最初から、こうなる事は分かっていたのだから。 直後、熱い突風が俺の体を突き抜けた。胸か、それとも腹か。 ・・・参ったな。そういえば結局、この鉱石の名前、分かんねぇままだ。 視界が揺れ、モンスターの姿が滲む。闇が急に濃くなったのを、俺は遠のく意識の中で感じた。 「おい来て見ろ!人が倒れてるぞ!」 「凄い傷・・・ちょっと貴方、しっかりなさい!」 「ん?これなんだ?」 「そんな事よりまず手当てでしょ!」 その時、倒れていた男がかすれた声で呟いた。 通りがかった旅人が慌てて耳を寄せると、再び口が動いた。 「何だって?」 「・・・絶対助けに行く・・・だって」 2人の旅人は、顔を見合わせ、そして小さく笑い合った。 大丈夫。この人はきっと助かる。 貴方が見つけたその宝箱は、ただアイテムが詰まった箱かもしれない。 だけど、ひょっとして誰かの想いも一緒に詰まっているのかもしれない。 宝箱は語ることは出来無い。 だから、少しだけ耳を傾けて欲しい。人の想いが奏でる、声無き声を。 男の枕元には、板状の石が転がっていた。 文字や地図らしきものが書かれているが、今はそれどころじゃない。 旅人はその石を傍らに押し退け、理力を練り始める。 ヒーラーが放つ優しい光が、次第に男を包み始めた。 |