「なぁグラン」 「なんだ?」 森を、3人組みのパーティーが行く。 先頭を、高いモンスター探知能力を持つリブレ。それに続く魔導士グラン。 そして・・・。 「あのおっさん、本当に大丈夫なの?」 「知らねぇよッ」 グランは自分の肩越しに、最後尾の男に目をやった。 男は、森に入ってから一言も口を聞かなくなっていた。昨夜の、酒の席の饒舌さがまるで嘘のようだ。 モンスターの気配が増すにつれ、緊張でもしているのか滝のような汗が頬や額をつたり、顔色はどんどん青ざめている。 「なぁおっさん。顔色悪いぞ」 「冗談抜かせ、小僧」 「ならいいけどさ」 「心配無用。決して二日酔いなんかじゃないぞ」 「おい!?」 「静かに。敵に勘付かれたらパァだ」 それは昨夜のルーザーズ・キッチン。 スツールに腰を下ろしたその男は、開口一番、カウンターの中にいるグランに声をかけてきた。 「なぁ、森の道案内を出来るヤツを探しているんだが」 「ご注文は?」 酒場で酒も飲まずに訊ね事とはナメたヤツだ。 不遜なグランを前に男は笑みを浮かべ、まるで動じる様子も無く言った。一番安い酒を。 「はいよ。シミったれ発泡酒おまちどう」 「ほとんど泡じゃねぇか」 口ぶりとは裏腹に、男は一気に酒を干した。グランは無言のままグラスを満たす。勿論、サービスなどではない。安酒で粘られてたまるか。この手はさっさと酔わせさっさと帰らすのが一番だ。 「金はそれなりに出す」 じゃらり。 テーブルに置かれた硬貨を前に、酒を注ぐグランの手が止まった。 「話、聞きましょう」 「俺は、こう見えてハンターだ。対モンスターのな」 「なんと・・・」 冴えない身なり。濁った目。無精髭に突き出た腹。 はは、酔っ払いか。ははは。 「これはびっくり」 再び、グランは泡を注ぎ始めた。 「おっさん、もうじき目的地だ」 「おう。快適なピクニックだったな」 そうか?と、グランは周囲を見回し、最後に空を見上げた。 鬱蒼と茂る老木の木肌は、幼い頃絵本で読んだ魔女を思わし、立ち枯れた木々は喰い散らかされた怪物の骸のようだ。 「リブレ、モンスターの気配は?」 「いや・・・なんでだろ。抜け落ちたようにまるで感じない」 「ヤツのせいだ。とんでもないヤツがいるのさ」 「ちょっと、なんか危ないのがいるの?聞いてないよ!?」 「落ち着けって。現にお前は何も感じないんだろ」 確かに、と、リブレは頷いた。 さぁ、こっからはおっさんの狂言か、それとも本当に何かいるのか。 「こっからは博打だぜ、兄ちゃん達」 真っ青な顔して、何を強気な事言ってんだか。 前金で全額貰って置けばよかった。グレンは舌打ちし、前方に向き直る。すると急に視界が開けてきた。目的地に到着したようだった。 「このアワ酒、独特な味がするな」 「へぇ。どんな味がします?」 「二日酔いの味だな」 分かってんなら止めときゃいいのに。伝票に数字を書き加えながら、グランは舌を出した。 「なぁ、聞いてるか?」 「なんでしたっけ?」 まるで口を封じるように、グランはおかわりの酒を注いだ。 男は律儀にグラスを干すまで続きを話さない。どんどん伝票の数字が伸びていく。 次第に呂律も怪しくなってきた。 「俺が狙っているモンスターの話よ」 「ああ・・・コガネツチノコですっけ」 バカを言え。幻の中の幻、本当に実在するかどうかの噂話、都市伝説レベルの珍獣だ。 酔っ払いの戯言になど付き合ってられない。さっさと酔い潰れてしまえ。 眉唾どころか、頭から樽ごと酒をかぶっても信じられない話を、グランは適当に聞き流した。 「もし見つけたら・・・こうよ!」 どすんッ。 すると、熱っぽく語る男は、勢い余ったかテーブルを叩き、酒を引っ繰り返した。 このクソ酔っ払い野郎・・・。 手が出かけたグランだったが、男の手元を見て目を見開いた。机を叩いたんじゃない。金を積んだのだ。 「うわぉ」 「見つからなくてもいい。俺の言う場所まで同行してくれれば、この半分は出す」 「どうぞ、ウーコンナッツの実です」 「なんでぇコレは?シケたつまみだな」 「二日酔い対策にはコレに限りますよ」 満面の笑顔でグラン自身もナッツを齧る。この苦みに、何度助けられてきた事か。 「・・・これも独特な味だな」 「どんな味がなさいます?」 「二日酔いの味だ」 ありゃ。もう手遅れだったか。 木々が開け、柔らかな陽光が降り注いでいた。 泉。 まるで鏡面のように静かな泉が、森の中に現れた。 「森の中に、こんな場所が・・・」 「間違っても落ちるんじゃねぇぞ。ここは底無しに深いぞ」 太陽の下で見ると改めて思う。 冒険者というより、くたびれた屋台を引いている方がよっぽど似合う風貌だ。串焼きの串代わりに剣を握っているようで、その様は冗談としか思えない。 「じゃ、後は手筈通り頼む」 その風貌には似つかわしくない、重厚な鋼鉄製の鎧を揺らしながら、男はゆっくりと泉の淵へと歩いていく。 リブレとグラン、二人に予め手渡された特製ケムリ弾。 男曰く、標的モンスターを確実に眠らせる特注品、とのことだった。 「いけねぇ、酔ってきたな。酒の味がしねぇ」 「それはいけませんね」 とっくに、グラスの中身は水に替わっていた。 3杯目でやっと気付いたか。伝票を裏返しにし、グランは悪い笑みを浮かべた。男は充血した目でウーコンナッツを齧っている。 「それにしても本当にいるんですか?そのモンスター・・・えっとコガネツチ----」 「おう。キンイロサンショウウオだ」 「そうそう。キンイロサン・・・キンイロ?」 チェイサーです。 グランは陶器のコップを差し出した。中身は他の客の飲み残した無色の蒸留酒だ。 やっぱり酔い潰れろ、ホラ吹きめ。 「で、いそうか?適役は」 「どうでしょうね」 「ギルドとは関わりたくないんだ。面倒が多い」 「それはそれは」 「欲しいのは2人。金の半分は前金で払う」 前金? テーブルの上の酒を引っ手繰った。 「お任せ下さい」 グランは両手で、男の右手を固く握り締めた。 「契約成立だな」 男は満足げに空いた左手でグラスを掴んだ。 「あ」 ぐびぐび。 惚れ惚れするね。まるで水のような飲みっぷりだ。 ああもう、何が何やら。 「囮!?あの人、自分で囮役を!?」 「バカ、声を落とせ」 リブレはぶるぶると首をふり、茂みの中に頭を引っ込めた。 「遭遇するのが難しいモンスターは、探し出すよりおびき出す・・・そんな職業があるって聞いたことはあったが、まさかあのおっさんがねぇ」 「本物なの?」 「さぁ?貰ったカネは本物。重要なのは、そこ」 リブレは肩を竦めた。真偽はさておき、しかし付近にモンスターの気配は無い。 「で、その・・・なんだっけ?オウゴンナメクジ?実在すんの?」 「塩をかけたら金塊に変わる、夢のようなモンスターだ」 契約時間は日暮れまで。帰りの時間を考えれば、せいぜいあと2〜3時間の辛抱だ。 さて、どうやって時間を潰そうかと考えていると、ふと男の方で動きがあった。 「なんだ?どした?」 「あの動き、まるで・・・」 擬態。 囮屋の、腕の見せ所である。 男はなりきっていた。 魚。 自分は魚、間違って陸地に上がってしまった魚。 それも喰い応えのある巨大魚だ。さぁ、喰いに来い。 びちびち。びちびち。 お兄ちゃん達、どうだこの躍動感、表現力。 この演技は、素人がどう真似したところで魚には見えない。せいぜい、腹痛でのたうち回っているようにしか見えないのだ。 「凄い演技力だ」 「ああ。どう見ても本物の腹痛にしか見えないよ」 「弱っている感を演出しているんだな」 「うんうん」 びちびち。びちびち。 30分後・・・。 「ぜぇぜぇ・・・はぁはぁ」 「おい、なんか本当に弱ってないか?」 「あれは疲れたっていうんじゃない?」 男は汗を拭い、泉の水をすすった。 さすが超レアモンスター。一筋縄ではいかない。 グランは陽の傾きを確認した。あと1時間ちょっと、あれを見せられ続けるのか。勘弁してくれ。 グランの気持ちを察したのか、男は不意に動きを止め、天を仰いだ。 「・・・やっぱり、鉄の匂いにゃ敏感って事かい」 男は意を決したように鎧を脱ぎ始めた。 「よく見りゃスゲェ鎧だな」 グランは背筋に薄ら寒い物を感じた。傷だらけの鎧は、半端では無い年季を思わせる。まさに歴戦の勲章だ。 「安物なんじゃない?」 ・・・そっちの可能性もあるか。そう言われると、途端に二束三文で売られている粗悪品に見えてくる。 ただどちらにせよ、目的のモンスターが出て来る気配は微塵も無い。 「ダメっぽいね」 「あんな不味そうな餌に食いつけって方が間違ってんだよ」 2人がそろそろ帰り支度を、と思っていると、男は何を思ったか鎧を泉の中に蹴り落とした。何かを喚いている。 何やってんだか・・・と思った次の瞬間、リブレが鋭く体を震わせた。 「く、来る!」 「来る!?どっから!?」 グランは魔力を練りながら周囲を見回した。 が、静か過ぎる。鳥一羽飛び立つ気配も無い。 リブレは派手に尻餅を付きながら、男の方を指差した。 「はぁ!?あのおっさんか!?」 「違う、泉!」 まず水柱が上った。 男が振り向くと同時に水柱が割れ、居合わせた3人は言葉を失った。 タイダル・パイソン。 レアはレアでも、絶対に遭遇してはいけない水棲巨大蛇型モンスターだった。 男が悲鳴を上げる間もなく、尾の一撃が飛んで来た。 枯れ枝をくじくような音と同時に、男がゴム鞠のように吹っ飛んでいく。 「ッッざけんな!おいリブレ!」 「ああもう最悪だよ!」 リブレがかんしゃく玉を振りかぶった瞬間、2人は地面を跳ね回った。パイソンが口から放った鉄砲水が襲ったのだ。 「か、かんしゃく玉が水で!?」 「クソッたれ!こうなりゃ逃げるっきゃねぇ!」 「おっさんは!?見捨てるの!?」 言いながら、真っ先にリブレは走り始めていた。 見捨てるも何も、それが囮というものだ。いや、理屈なんてどうでもいい。 パイソンの咆哮に、森そのものが震えた。 そう。つまり相手が悪過ぎるのだ! 「囮屋の頑丈さ、ナメたらいかんぞ!」 「お、おっさん!?」 パイソンの注意を引きつけるように、絶叫を上げながら男が突っ込んできた。 「喰らえ特製ケムリ弾んんんんん?」 「・・・んん?」 「ひ、肘が反対側に向いとる!?」 「折れてるじゃん!」 「アホか〜!」 男は叫んだ。ならば体ごとぶつけるまでだ、と。 こうなりゃヤケクソだとグラン、そしてリブレもケムリ弾を放り投げた。 宙に描かれた放物線目掛け、リブレは炎の魔法を打ち出す。計3発のケムリ弾は、ほぼ同時に炸裂し、閃光と濃密な催眠ガスがパイソンと、そして男を包み込んだ。 「しまった・・・俺も寝てしま・・・おふッッ」 効果は絶大だった。 パイソンは暴れ狂い、眠りに落ちかけた男はそのパイソンに弾き飛ばされた。 一人と一匹が、泉の中に消えていく。 「た、助けに行かなきゃ!」 飛び出そうとしたリブレは、グランに襟首をつかまれもんどりうった。 「何さ!?」 「バカ、今行っても寝ちまうだけだ」 その時、水泡に混じり何かが浮上してくるのを、2人は見逃さなかった。 「ぶはッ!死ぬトコだったわ!」 「おっさん!無事だったか!」 「おう、早く引き上げて・・・く・・・」 「あれ?」 ぶくぶくぶくぶく。 男は再び撃沈した。再び催眠ガスが回ったのだ。 「おいおい!?」 「ぶはッ!は、早く助け・・・がく」 ぶくぶくぶくぶく。 「・・・スゲェ効き目だな、このケムリ」 「全く。あと、どれくらい効くんだろ」 ぶくぶくぶくぶく。 その日の夜。ルーザーズ・キッチン。 「終わった事なんて振り返るな。首が疲れるだけだぞ」 男は、折れた右腕を吊りながら豪快に笑い飛ばした。 「よく言うよ。なんてイカれたおっさんだ」 「お前等もじきにこうなる」 「冗談じゃないよ」 グランもリブレもまだ言い足りないようだったが、男が報酬を取り出すや、速やかに口を閉じた。 目的は失敗したというのに、なんとも気前のいい男だ。 「いいんですか、こんなに貰って?」 「つっても、もう返さないけどな」 「構わんさ。泉の中で、女神を見つけたんでね」 「女神?」 「貴方の落とした鱗はただの鱗ですか?それとも」 男は得意満面に、リュックから何かを掴み出した。 「金色の鱗ですか?ってな」 それは、見たことも無いような金色の鱗だった。 「何これ!?」 「知らん。ただ、コレがあればまた金なんていくらでも集まる」 「・・・ホント、イカれたおっさんだ」 「人生は博打だ。より多く賭けたモンが勝つのさ」 「その分、負けも大きそうだけど」 まだ若いな。 男は大袈裟に肩を竦めて見せ、酒を放り込んだ。 「人生はどんだけ負けても持ち直せる。それが博打との大きな違いよ」 |