Usual Quest
ユージュアル・クエスト

番外編.「死のない男」

騒々しい夜の「ルーザーズ・キッチン」にセーナ・メーシーズの高い声が通る。
「マスターさん、こんばんは。二人分の席は空いてますか?」
マスターは手近なカウンター席をちょいちょいと指差し、そこでよければと目配せをした。
「おや? セーナちゃんが男連れとは珍しいな」
セーナの隣に座った青年を見て、マスターは思わず口を滑らせた。先日、意中の相手だったアイ・エマンドのことで少なからず穏やかじゃなかったセーナのことを、心ばかりではあるが気にしていたせいもあった。
「あっ、誤解しないでくださいね。私まだ諦めたわけじゃありませんから」
しれっと答えるセーナに、マスターは苦笑いを浮かべた。構わず、セーナは畳み掛けるように口を継ぐ。
「この人はクエストの途中で助けてもらっただけですわ。何でも、お酒が大好きだそうですから、お礼も兼ねてここに連れてきただけです」
それだけを言い終えると、セーナは気分を切り替えて簡単な食事を頼んだ。マスターは帳面に注文をとりながら、連れの青年にも声をかけた。
「……できれば混じりっ気の無い強い酒を。食事は結構ですので」
青年から発せられた人当たりの悪そうな冷たい声色に、なるほど、セーナが懐かない理由も分かる気がした。だが客は客だと割り切り、マスターは注文どおりの酒を探すためにカウンター奥へと向かった。
「それにしても、本当に助かりましたわ。まさかあんな魔物がマグンの近くの街道で出るなんて」
「ああ、この時期のウルズラは餌を探しに人里まで降りてくることがある。本来は高山地帯の森にしかいないはずなんだが、ここ数年でそういった傾向が現れるようになった」
セーナは先ほど遭遇した魔物――ウルズラの姿を思い起こした。背丈こそセーナとそれほど変わらないものの、全身が体毛でびっしりと覆われており、口端からよだれを垂らしながら両腕を狂ったように振り回すその様は、戦闘に長けたものでなければ死を覚悟するに足るものだった。以前にアイから聞いていた話に出てくるベアという魔物に特徴が似ており、それと同レベルのものが目の前に現れたことを思うと、今なお鳥肌を抑えきれずにいた。
「君は運が良かった。僕が偶然通りかかったこともそうだし、何より、僕が人を助ける気分になっていたこともツイていた」
「え……いつもは、そうじゃないんですか?」
「ははは、どうだろうね」
はぐらかすように青年は笑ったが、目は笑っていない。命の恩人ではあるけど、変な人に助けられちゃったなあとセーナは思った。
「今日は記念日なんだ。だからまあ、僕は気分が良かったし、それと、今日という日を誰かと共に祝いたかったというのもあった。いつも一人で居るとやっぱり寂しいからね」
「あらそんな、私なんかで良ければいくらでもお祝い致しますわ。ちょうどマスターも来たようですし」
セーナには生ハムのサンドイッチとホットミルク、青年にはマスターの秘密兵器、ヴォルガドが並べられた。
「けっこうキツいヤツだが、これで良かったかい、あんちゃん」
「ええ、結構です。ところでマスターさん、今何時ですか?」
「ちょうど十時を回ったところだな」
頃合いも良いようで、と呟いて青年はヴォルガドをグラス一杯に注いだ。
「それでは、今日と言う日を迎えられたことを祝して……乾杯」
グラスと木のコップがコン、と擦れた音を立てる。セーナは生き延びた実感を味わうようにちびちびとミルクを啜り、青年はこれまでに耐えてきた何かを飲み下すように、一息に酒をあおった。
「ああ、美味い。今夜の酒は格別に美味い」
空になったグラスを見て、セーナはごく自然な動作で酒瓶をとり、青年のグラスに注いだ。少しだけ照れくさそうにしながらも青年は応じてグラスを差し出す。そんな隙を見計らって、セーナはさっきから気になっていた質問をぶつけた。
「ところで、その……今日は何の記念日なのか、聞いてもいいですか?」
セーナの記憶にある限り、今日はこれといった行事も無いただの平日である。
「そうだね、もうバラしてもいいか」
青年はぐるりと辺りを見渡した後、ひょいと軽い足取りで酒場の掲示板へ歩いていった。そして、主に騎士団や王国からのお達しが好き勝手に張られている一角から、古びた似顔絵付きの紙をはがして再び席に戻ってきた。
「今日でちょうど八十年が経った。時効成立だ」
カウンターに放られた古びた紙には『指名手配:イオン・タルマン 懸賞金三万ゴールド』と記されており、似顔絵にはセーナの目の前にいる青年の顔がそっくり描かれていた。
「しっ、指名手配――!?」
「おっと、大きな声を出さない方がいい。今日という日を穏やかに過ごしたいならね」
青年――イオン・タルマンはそう続けるが、セーナはなおも狼狽を隠せずにいた。
「やれやれ、少し言葉が足りなかったか。じゃあもうちょっと説明をしよう。ここをよく見てくれ」
セーナは恐る恐るイオンの指先を追う。そこには「罪状」が記されていた。

『上記の者は禁術を許可なく執り行い、且つ、術式を公衆の面前に晒した事件の当事者として、国家および国民の安全を脅かす罪を犯したものと判断する。かの者逃亡中につき、身柄を拘束し、当局に引き渡した者へ懸賞金を支払う。なお、生死の是非は問わない』

「少なくとも殺人や強盗で手配されてたわけじゃない、というのは分かってくれたかな」
イオンの言葉は理解できているが、そもそもセーナにとって禁術どころか魔術すら理解に及んでおらず、ましてやその実行者の得体など知りようも無かった。セーナは未だに安心できずにいたが、とりあえず黙って頷いた。
「よし。じゃあもう一度似顔絵を見てごらん」
改めて視線を移す。やはりそこには目の前の青年と同じ顔が描かれているだけだった。しかし、セーナはそのこと自体が異様であることに気付き、ハッと息を呑む。その様子を見て、イオンは満足げに再びグラスをあおった。
「そういうことさ。信じる信じないは自由だが、僕は不老不死の禁術に手を出したんだ。いや、手を差し伸べられた、といった方が正しいか……」
既に四杯目を空にしたイオンは、過去の出来事を一つ一つ懐かしみながらも饒舌に語り出した。

王都マグンから遠く離れた故郷のこと。
町一つを巻き込んだ、地方魔術師ギルドと魔物の抗争のこと。
野戦病院じみた診療所の中で、禁術によって蘇ったこと。
密告され、禁術を使用した魔術師と、禁術で蘇った自分に罪が着せられたこと。
迫害の日々の中、魔術師が自分をかばって倒れたこと。
故郷を捨て、旅人となってからのこと。
風の知らせで、故郷が滅びたことを知った時のこと。
そして、流れに流れて此処に辿り着いたこと――全てを語り終えた時のイオンの顔は、見た目は青年そのものでも、浮かぶ表情は長い時を生きし老人のものだった。

気が付くと既に他の客の姿は無く、酒場にいるのは、二人のほかには店じまいの支度を始めているマスターだけになっていた。
「やれやれ、年を取るとどうも話が長くなってしまうな。どうせなら中身も若いままにしてくれれば良かったんだけど、そうもいかないか」
「いえ、何だか大変な話を聞いてしまって、私……」
「確かに大変ではあった。けど、それは君たちも同じかもしれない。長い人生の中の一部を取りあげて比べてみたところで、幸福だとか不幸だとか言い合っても仕方ないだろう」
「……これから、どうするんですか?」
「さてどうしようかな。手配書が時効になったところで、魔術師たちは合法非合法にかかわらず僕を捕まえにくるだろうし、みすみす捕まって見世物にされるのは御免だ。かといって、自分を殺す方法を探すのも建設的じゃないしね」
ひとしきり考え込んだ後、イオンは確信を得た風に頷いた。
「うん、やっぱり人の命を救う仕事に就くことにしよう。もちろん禁術に頼らずにね。なに、時間はいくらでもあるんだ。いつか僕の仕事がなくなるような平和が訪れるまで続けてやろうじゃないか」
だったらこうしちゃいられないな、と呟きながらイオンは席を立ち、セーナに背を向けて酒場の出口に向かった。
「イオンさん、頑張ってくださいね。応援してますから」
「ありがとう。君も達者で暮らせよ」

王都マグンはサン・ストリートの宵闇の中。
禁術によって生まれ変わった、死の無い男が今日も走る走る。
定められた死の運命を詩わせずと、走る走る。

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