Usual Quest
ユージュアル・クエスト

番外編.「ブックオフ」

足場の悪い森の中をひたすら走っている。
息を切らしながら、それでも足を止めるわけにはいかず、懸命に一歩先へ、そのまた先へと、転がるように跳ねていく。
崖っぷちで下を見れば足が竦むように、恐怖ばかりが煽られると知りつつも、俺は後ろを振り返った。

……ゴゴゴ……ゴゴ……ズゴゴゴゴゴ!

そこには、人の足よりなお速く、木の根を押し上げ圧し上げ、土の中を潜行してくる魔物が居た。
追われている。そのことを確認した自分の行動に対し、後悔も反省も今は許されない。
ただ、心に恐怖のみを充填して、俺はさらに駆けた。

「はぁ、はァッ、何だってんだ、クソッ!」

次第におぼつかなくなっていく呼吸と足並みの中、現在に至るまでの経緯に頭を巡らせた。



時は遡る――――



――パタン。

「……ふぅ。次号を待て、か」

『コルデ・ショーンの冒険譚』のページを閉じ、月刊メリッサを本屋の棚に置いた。
買うでもなく、平然と立ち読みで済ませる客に本屋の主は一瞥をくれたが、すぐに興味を失って手元の文庫本に目を落とした。

かび臭い店内から脱けてぐっと伸びをすると、肩から首にかけてパキパキと音がした。
ひさしぶりに河べりの草原にでも行って、昼寝でもしようか、などと考えていると、

「おーい! ディオス、今、暇かー!?」

無駄にデカい声が俺の名を呼んだ。
呼べば必ず答えが返ってくる、と信じて疑わない程度には傲慢な彼の名はエセルレッドと言うが、そんなことはどうでもいい。
俺の頭はすっかり『厄介事が面倒を引き連れてやってきた』という風な倦怠ムードを受け入れつつあった。

「俺ら今から森行くんだけど、来てくんねーかな。あ、後衛でよろしく」

あくまで自分が先頭に立って目立たないと気が済まない……という欲そのものは理解できるし、
実際問題として、彼の引き受けるクエストは俺が個人で請け負うものよりよっぽど報酬が多い。
断る理由よりは承った時のリターンが、心の天秤をわずかに傾けせしめているのだが……。

「いやー助かった。あのクエスト、5人以上で引き受けないと依頼人が納得しなかったからさ。あ、もちろん報酬は山分けな」

そう言いながら既に歩を進めている彼の背中を見て、ため息を吐いた。
彼の取り巻きは、憐れみと嘲りの混じったような目を俺に向けながら、彼に同調するようなセリフを口々に述べている。
……見ざる、言わざる、そして聞かざる、だ。
俺はもう一度ため息を吐いて、彼の背中を追った。



「なんでも、珍しい植物がこの森のこの時期に生えるってことで、それを採ってこいってことらしい」

「ふーん」

なら、こんな大所帯で行くような用事でも無いじゃないか。
俺の時間を何だと思ってるんだ、まったく。

「ねぇねぇ、それってもしかして、ホワイトローパーのことかなっ?」

彼の取り巻きの一人が黄色い声を投げかける。ちなみに彼女の名はチルカと言い、主にアホっぽいところが彼に気にいられているが、
俺にとって割とそんなことはどうでもよく、よく弾む胸と、きわどい下衣からチラチラと見える肌着に先ほどから目を奪われていた。
そんな彼女が「ホワイトローパー」と口にした瞬間、その触手に絡め取られている画を想像してしまったが、表情に出すまでには至らなかった。

「ああ、一応アレも植物だし、白いのはそうそう見かけないからな。多分ソレだろ」

「ちゃんと聞いときなさいよー」

「っせーな、俺のせいじゃねーし」

しかし、よく考えると妙な話である。5人も人を集めるように決めたのは、彼じゃなく依頼人の方だ。
クエストの内容自体は、収集物が魔物であること以外はそれほど困難なことでもない。
肝心のホワイトローパーにしたって、バルーン十体にも満たないほどの弱さだ。
……裏がある。何かが引っかかっている。
だがそれに気づく前に、『裏』そのものが俺たちの眼前に姿を現した。

ゴゴ……ゴゴゴ…………

「この地鳴り……まさか」

震動につられたのか、記憶の奥底からホワイトローパーに関する知識が浮かび上がってきた。
植物図鑑に曰く――この時期になると、樹齢50年以上の木の幹から排出された魔素がローパーとして排出され、
生まれたてのものに関しては体表が白く、故にホワイトローパーとして扱われる。
そして群生する時期を狙って、これらを喰らい尽くさんと狙う――

ズゴゴゴゴ……ギジャァァァーッ!

目の前に現れた脅威、ランドウォームを前にして、彼は纏っていた楽観を悲観へと染め上げた。
いや、彼だけではない。この場にいる全員が漏れなく生命の危機を感じ取っていた。
地中から抜け出た部分だけでも傍らの大木を大きさで凌駕し、口元のキバをせわしなくガチガチと鳴らしながら、
食事を邪魔されたとばかりに荒れ狂うその姿は、まさに人の手に余る災害の様相を呈していた。

ビリビリと大気が震動する。森が哭く。
それが合図となったのか、俺の周りに居た人間は、彼も含めて散り散りに逃げ出した。



……どこか遠くで悲鳴が聞こえた。これで3人目だ。
満身創痍なくせに余計な情報を取り込む器官は鋭敏で、頭の中で割り切りながら恐怖を振り切る。
ふと後ろを見ると、さっきまで追いかけてきていた不吉な盛り土はもう迫ってきていなかった。
どうやら振り切ったか。だが、依然として俺は深い森の中に居る。
日没も近く、ただでさえ薄暗い視界に闇の帳が下りていく。
出口のアテなんて無い。体力の限界を感じた俺は、その場にくずおれた。

静かに夜へ落ちていく。ざわざわしていたのは俺の鼓動だけで、そよぐ風は木霊のささやきすら運ばない。
それでもかすかに地面が揺れているのを感じている。4人目の悲鳴が聞こえた。
意外に近くにいたことを鑑みると、どうやらこの森は方向感覚を狂わせる仕掛けがあったのかもしれない。
いや、そんな推測も、今更何もかもが些事、全て無駄に過ぎない。

地鳴りが次第に大きくなり、俺を取り囲むようにぐるりと輪を描く。
さっきまで追いかけてきていた不吉な盛り土が、三体、四体と、次々に数を増やして集まってきていた。
ランドウォームが人間をどう見てるのかは知らないが、仮に俺がランドウォームの立場だとして考えてみる。

「……は。さしずめ、エサに群がる害虫ってとこか」

そして、そんな害虫の末路は。

「!?」

唐突に盛り上がった地面に身体が投げ出され、刹那、前後不覚に陥った。
その隙を見逃すことなく、ランドウォームの口は、俺に狙いをさだめて――



――パタン。

「……ふぅ。次号を待て、か」

月刊メリッサのページを閉じ、無造作に積まれた書物の上に投げた。
買うでもなく、平然と立ち読みで済ませる客に古本屋の主は一瞥をくれたが、すぐに興味を失って手元の文庫本に目を落とした。

「今日は風が強いわねぇ」

一陣の風が古本屋の中へと滑り込む。
パラパラと乱雑にめくられたページには、『ディオス・アルダの冒険譚』と書かれていた。

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