カッチャは、蒸し揚げたパンに炒めた豚肉と野菜を挟んだタッカーナ地方の名物だ。 中に入れる具材や香辛料が、各店ごとに違い、まったく同じカッチャはない、という。 人気店のカッチャを買うために昼夜を問わず行列ができることもある。 簡単なわりに、その店の個性が出る料理だからだ。 あまり広くない通りの、名もない露店のカッチャは、どうやら外れのようだった。 小さいおでこに皺が寄り、さらに狭くなっていて、 いつもなら口を大きく開いてかぶりつくカッチャを、今日は小さくもそもそと齧っている。 石垣に腰掛けてぶらつかせる足の幅も、今日はかなり小さい。 脳裏に『食べ物の恨みは恐ろしい』の言葉が浮かんだ僕は、そっと声をかけた。 「おいしくない?」 目を細めて僕を見上げる。 「野菜が芯ばかりで歯が痛いパンは水っぽくてぐちゃぐちゃしてる肉の味がなくて中が生」 キャムは一息に言うと、目を伏せて食事に戻った。 「ようは、不味いってことだよね」 言ってはならないことがある。口に出したあとでしか分からないものもある。 ゆらり、と空気が揺れたように思えた。 風を切る音がして、頬に加速した鉄の重さを一瞬感じる。気がつけば背中に土の感触があった。 【つうこんのいちげき!】 (まったく関係ない話で恐縮だが、僕はこのときおおよそ6m吹っ飛ばされたらしい。 カッチャの露店から道具屋までが3m。道具屋から町の案内図までがさらに3m。 横たわる僕の視界には、確かに看板らしきものが見えていた。ような気がする。 一部始終を見ていたカッチャ屋のおじさんが、あとでそっと教えてくれた。 吹っ飛ばされて歯が軋む原因をつくったのはあんただ! とも言えずきちんと礼を言った。 「……新記録でしたか?」 「いいや、俺が見た中で最高記録は、こっからそこの看板の先にある酒場まで飛んでたやつがいたな」 「その方は、今生きていらっしゃいますか?」 「ピンピンしてるよ。俺が母ちゃんに殴られたんだからな」) 遅れてやってきた頬の痛みと挨拶をしていると、無様な僕を見下ろすキャムが見えた。 背後の空気が陽炎のように揺らめいている。 「食べ物に不味いって言っちゃダメ」 「はい」 「どんなものでもちゃんとすればちゃんと美味しくなる。そうじゃなくしてるのはクソみたいな料理人」 横目に見たおじさんがウッとハンカチを噛み締めた。 「はい」 「食物には敬意を払いなさい。文句は調理方法と社会のクズの料理人にしか言っちゃダメ」 おじさんはハンカチを捨て、着ている服を脱ぎ顔を覆った。落ちたハンカチから湿った音が聞こえた。 「はい」 「この世には不味いものなんてない。生きていてマズい人間はいるけど」 キャムが翡翠色の瞳で、泣き伏せているおじさんを見た。 おじさんの周りには水溜りができている。いつの間にかそこにアメンボが二匹泳いでいた。 「私たちは命を奪う側。だから、奪う命に敬意を払いなさい。わかった?」 「はヵ……はい、分かりました」 顎が痛んで返事を噛んでしまったけど、我ながらいい返事ができたと思う。 どんな不遇な目に合おうと、この世の『理不尽』の権化のようなキャムに歯向かえる人間などいやしない。 何よりも打ち付けられた痛みの元が、今はキャムの腰の鞘に収められている重鉄製の剣であり、 それが『寝かせられて』横になぎ払われたときのことを想像したからだ。 僕は死ぬことよりも、カッチャと第二次もそもそ大戦に突入した、キャムが怖い。 「ねぇ、エマ」 高度4cmの世界からようやく70cmの世界に座りなおしたとき、キャムに呼ばれた。 顎に触れて、顔の下半分がまだ在ることを確認してから、 「なんでしょう、カッチャとの戦争に辛くも勝利したキャムさん」重い顎で軽口を叩く。 キャムの眉がぴく、と動いたが、当面のダメージはなさそうだ。 「わたしのお腹が膨れてなかったら、あなたは地平線でダンスをしているところ」 「そこからは月が見えるのかな?」 「エマは骸骨と踊ってる。あなたの腐った瞳じゃ月どころかなにも見えない」 「そういうことね。納得致しました」 ふん、と鼻息をひとつ。とりあえず腹が膨れて落ち着いたようだ。 時刻は夕刻。夕日がキャムのブラウンシュガー色の髪を照らしている。 カッチャを食べていた石垣に腰掛けたまま、キャムが僕を見た。 「エマ」 「はい、お嬢様。なんでげしょ」 「……ふざけないで。いつになったら、その、ガ……とかなんとかが通るの」 「ガガープ」 「それ。ほんとうにココにくるの」 「たぶん、おそらく、おおよそ」 「……三途の川近辺観光しておみやげ話持って帰ってきて」 「キャムがくれるのは片道切符だから、僕、帰ってこれないよ?」 「それでもいい。永住して素敵な家庭を築いてなさい」 少しだけ空気が揺れたけど、本気で怒ってはないようだ。 「情報によると」 「本題に入るまでに回り道しなければたどり着けないの」 「人生と同じだね。まっすぐとは限らないさ」 「……なにその『いいこと言った』みたいな顔。イラッとするからやめて」 そんな顔しているだろうか。やはり顎が飛び出ているのかもしれない。 「冗談は置いといて」 「ずっと置きっぱなしで腐って蛆が沸いて自然のサイクルに入ればいい」 「キャムが相槌を打たなければ話は進むよ?」 「それは、無理」 「なんで」 沈黙。この場合は大抵僕が負ける。勝ったためしはないけど。 「降参。ガガープの根城はここの隣町なんだ」 「だれの、どこの情報」 「スカイプのおじさん」 「……あンのクソジジイ」 「そう、一度キャムのお尻を触って生死を彷徨ったクソジジイだけど、確かな話」 「嫌なコト思い出させないで。それでなんでココで待つの。その町に行けばいいじゃない」 「いや、そこがね、クエストギルドがないくらい小さな町なんだ」 キャムが驚いた顔をする。年に3回しか見ない顔だ。カウント1。 「ありえない。いまどきそんなトコあるの」 「みたいだね。だからクエストを受けるにも報酬をもらうにもココにこなくちゃならない」 「だから、ココで待つの」 「うん。この町だったらそこそこ大きいし、隠れる場所もあるしね」 「わかった。待つ」 そうは言ったものの、どこか納得できない様子のキャムだ。 『あれだけ大騒ぎしといて隠れるもなにもない』 と言いたいのだろうけど、少しは責任を感じているのかそうは言わない。 膝を抱えたキャムを見て、僕はまた顎を触った。 僕とキャムは、二人だけのパーティーだ。 モンスターは時々しか狩らない。クエストもあまり受けない。 僕たちのメインの仕事は、懸賞依頼だ。 不正に報奨金を得たり、保護モンスターを狩ったりしても、人に害する事がなければ、普通は罪にはならない。 すぐにでもギルドでまたクエストを受けることができる。 僕たちの仕事は、全部個人的な依頼になる。 今回の依頼も、あるハンターからのもので、 『ガガープに横取りされたモンスターの報奨金を取り返して欲しい』 というどこか情けない内容だ。 詳しく聞けば、どうやらその人、ガガープとパーティーを組み、無事に大量の魔石を得た。 ところが最後の最後、ガガープはその魔石をもって清算時に逃げたらしい。 その魔石の合計は約120万ゴールドというのだから驚いた。 いつもならこんなケースは『自業自得』とだけ言って切り捨てるキャムだが、 この話をしたときのキャムは、一本20ゴールドの花串を、タイムサービスで15ゴールドで買って食べていた。 「……豪勢な話ね」キャムはそうつぶやいて、花串を飲み込んだ。 クエストを受けない魔石も集めない僕たちは、基本的にいつでも金欠なのだ。 そんなわけで僕たちは、大通りから一本外れたこの通りで、 ガガープがその魔石をギルドに換金しにくるのを待っている。 いつのまにか夕焼けは消え、月が顔をのぞかせていた。 ジジ、と音がして街頭が灯っていく。 キャムは座ったまま目を閉じて首を揺らしている。 布袋から毛布を取り出して、キャムに差し出した。 「見えたら起こすから、少し寝ていいよ」 「む」と寝言のように呟いて、毛布にくるまると、キャムはそのまま石垣の上で横になった。 「礼は言わない」と小さくきこえた。 キャムが横になってから2分後、大通りにガガープらしき姿をみつけた。 「キャム。いた。のんびり西に歩いてる」 軽くゆすると、キャムが寝起きのときにしか出さない、『最高に低い』声で言う。 「……人に貧乏を痛感させといて、今度は睡眠を邪魔するの」 あの時のように空気が揺れる。 怒りの矛先は僕にむいていないのに、背筋に冷たい汗がつたった。 「……エマ、いくよ」 風のようにふわりと石垣を降りたキャムは、ゆっくりとガガープの去った方角に歩いていく。 その後でまだぬくもりが残る毛布をたたみながら、必ず訪れるであろうガガープの悲しい未来に少しだけ同情した。 大通りに出るための細い路地で、突然キャムが振り向いた。 心を読まれたのだろうか。 「エマ」 「なに?」 「……西ってどっち」 思わず毛布をとり落とした。拾って布袋にしまう。 見えないように(決してきこえないように)少し笑った。 超・暴力的で理不尽で口が悪くて、そしてどこか抜けている。 だからこそ愛すべきパートナーに向け、僕は足を進めた。 |