Usual Quest
ユージュアル・クエスト

サイドストーリー「アムルとレン〜自己中女がデレるまで〜」
5.「ここで土下座して謝罪しなさい」

 ルハーナ湖に向かって山道を進む、1台の馬車の中。

「……どうしたのでござるか、アムルどの?」

 隣に座るレンが声をかけてくる。
 だが私は返答せず、しんとしたまま席に座っている。
 そうせざるを得ないからだ。

「どうしたのでござるか? もしや、そのおっぱいが重いのでござるか? ひとつ、アイデアがあるのだが……拙者がこの手で支えてみるというのはどうだろうか? さすれば、少しは楽になるでござろう」

 この、クッソムカつくセクハラ発言にも暴力をもって返答できない。
 そんなことをする気にもならない。

 その原因は、対面席に座る人々にある。

「……」

 私と同じように、ふくれっ面で座る2人の男女。
 長い青髪で、茶色い鎧をまとった剣士。
 そして、全体的にボサッとした雰囲気の、おさげの弓使い。

 その名を、バズール・ルドウィック。
 そして、リーザ・シュタイナー。

 そう。レンに出会う直前、私とケンカ別れしたおふたりさんである。
 最悪。もう最悪すぎる巡り合わせだ。
 彼らは「トランセンド」のメンバーではないはずだ。だとすれば、たまたま人手不足を補うために集められた傭兵ということになる。
 それに鉢合わせするとか、どんな確率なんだよ、これ!
 なぜ神は、わざわざこのふたりを同伴者として用意したのだろう?
 さすがの私でも、今のタイミングでこのふたりと顔を合わせるのは、あまりにも気まずい。
 きっと相手もそうなのだろう。馬車に乗って1時間近く経つが、何も言ってこない。

 ああもう、こんなの我慢できないわ。

「……あんたらさ、お願いだから足は引っ張らないでちょうだいね」

 ……こういう時、どうしてもこういうことを言ってしまう私である。
 バカだな、何やってんだ。
 案の定、バズールの顔つきが明らかに変わった。

「お互い様だろ。またヘイブンさんにむちゃくちゃなことを言って、クエストを台無しにしないでくれよな」
「同感だわ。アムル、不満になったら1人で帰ってね」

 おおう、やはりものすごい嫌われようだ。
 腹が立つが、報酬のこともある。
 自分のせいでレンにまで迷惑が及ぶのは避けたい。なにせ30万ゴールドの仕事だからね。

「お主たち、知り合いだったのでござるな。拙者はレン・アオカと申す」
「……えっ? もしかして、すごい技を使う異国のサムライって噂になってるレンさんか? 光栄だな。俺はバズール・ルドウィック。あんたの太刀筋は一度見てみたいと思ってたよ」
「おおっ、こちらこそ光栄でござるよ。なに、拙者など大したことはない。むしろ、ぜひこの国の剣術を教えてほしいでござる」
「ああ。それならあとで、互いに技を見せ合おうか」
「応!」

 私をさしおいたまま、いきなり和気あいあいとしだす2人。
 さすがはレンだ。あっという間にこのアホを懐柔してしまった。
 ちなみにリーザは無言のままだ。あのセクハラ発言を聞いていたから当然ではあるな。

 私もこの雰囲気に乗じて、何か言っておくか。

「……レンの技はスゴいわよ。あんたなんか到底及ばないわ」

 ……もうやめておこう。

 と、その時。
 レンが即座に立ち上がった。

「レンさん、どうしたんだ?」
「近くに、モンスターがいるでござる。おそらく拙者たちの馬車に向かって来ている。各人、戦闘準備を」

 顔を見合わせるバズールとリーザ。

「……からかってるのか? 何もいないぞ」
「とにかく、ひとまず馬車を停めて降りるでござる」

 レンはすぐさま、御者に声をかけて馬車をストップさせる。
 私たちは馬車を降りて山道に出た。
 周囲には森が広がっている。モンスターが近くにいる様子はない。

「何もいないじゃないか。レンさん、あんたどういうつもりなんだ」
「どうしたのですか」

 後方の馬車を降りて近づいてきたのは、メガネ君である。

「モンスターが来ているでござる。……上だ!」

 レンは抜刀して、上空に向かって斬撃を放った。
 すると、空から鳥のようなモンスターが斬られて落ちてきたではないか。

 直後、甲高い鳥の叫び声が上空から聞こえてくる。
 見やると、先ほどのモンスターが数十体ほど飛んでいた。

「ニルートの群れだ! 奴ら、魔法で姿を消して空から来ていやがった!」
「追い払うぞ! 各員、戦闘配置につけ!」

 メガネの指示が飛ぶ。
 ニルートは、魔法を使ってくる厄介な鳥型モンスターだ。
 しかし、単体の強さはそうでもないため、しっかりと対処すれば脅威にはなりにくい。
 こちらの人数は10人にも満たないが、メガネを始めとした、有力ギルド「トランセンド」の正メンバーもいる。
 10分ほどで大方のケリがついた。

「レンさん」

 槍を地面に刺して、メガネが声をかけてきた。
 レンは、最後に残ったニルートが後ろから仕掛けてきた突進をしゃがんで避けると、瞬時に相手を真っ二つにしてみせた。

「これで、片づいたでござるな」
「……どうやら、本当のようですね。モンスターの場所を察知できる、不思議な力をお持ちというのは」

 不思議な力。
 先ほどもそうだったが、先日のグリーンバジリスクの一件で、レンはモンスターの襲来を事前に感じ取り、さらには、戦闘中にはその攻撃を見ることすらなく避け続けた。
 それもそのはず。彼にはモンスターの気配や位置を察知する力があるのだ。
 どういう原理だかわからないが、モンスターが特定の距離まで近づくと、まるで「虫の知らせ」のようにそれを感じることができるそうだ。
 さらに、すぐ近くにいる時には、より感知性能が向上。相手の動きを手に取るように察知することができるのだという。
 そんなことができる人間は、この国でもそうはいないだろう。
 だからこそ、メガネは大金を出してでも、彼を利用したがったというワケだ。

「す、すっげぇ……」

 ため息をつくバズール。リーザや「トランセンド」の面々も驚いているようだ。
 レンは例によって、ものすごい動きの速さで、誰よりも多くモンスターを倒してみせた。
 初めて見る人は、やっぱりビックリするわよね。

「その能力、便利よね。私も欲しいわ」

 私にその力があれば、今回のように大もうけできるだろう。
 有力ギルドに入ることだってたやすいはずだ。

「実は、そんなに難しいものじゃないのでござる。生きとし生けるもの、誰しもが生命エネルギー……つまり“魔力”を帯びているでござろう? 拙者はそれを感じ取っているだけでござる。なんというか、相手を思う気持ちみたいなものを持っていれば、誰にでもできることなのではないかと思うが」

 誰しもが常に“魔力”を帯びていることは確かに定説だが、その“魔力”は錬成、つまり魔法を使わない限りかなりの微量だと言われている。
 レンは「誰にでもできる」と言うが、かなりの特殊能力だと私は思う。
 つーか、なんなんだその謎理論は。

「レンさん……それ、俺にも教えてくれないか!?」
「さっきの、相手が一瞬で切り裂かれる技はなんていうんだ!? 魔法なのか?」

 案の定、騒ぎ出すギルメンたちとバズール。
 これまでにも、レンを軽く見ていた人間たちが態度を豹変させるのを何度か見てきたが、今回はその中でもとりわけ驚きが強い。
 こうして、この男はたやすく人の心をつかんでしまうのである。

「レン。あんたなら、『魔人』なんて楽勝なんじゃないの?」
「ははは。……おそらく、厳しいでござるよ。簡単な相手ではない。こちらも気を引き締めてかからなければ」
「……? まるで相手を知っているかのような口振りね?」
「……そういうことではござらん。なんとなく、そんな気がするのだけでござるよ」

 察知能力でわかってしまうのだろうか?
 それにしても、うらやましい。
 私にもそういう力があれば、他人とうまくやっていけるのだろうか。





「まいりましたね……」

 ニルート退治から半刻ほど後。
 私たちは、ルハーナ湖の近くにある大きな洞窟の中で、立ち往生することになってしまった。

 目の前には、幅の広い川が広がっている。
 すぐ右側には、大きな滝。ルハーナ湖の水がここまで流れているのだろう。
 そこまでなら、特段おかしな光景ではないのだが。
 川幅が、普段の数倍以上に広がっているのだ。
 向こう岸まで、50メートル以上はあるだろう。
 そして本来なら、ここには橋がかかっているはずなのだが……。

「橋はどこにいったのです?」
「先日、周辺で水の精霊が出たようです。その影響で増水して、流されてしまったようですね」

 ギルメンの報告に、小さなため息をつくメガネ。
 それもそのはず。この川を渡らねば、ルハーナ湖にはたどりつけないのだ。

「仕方ありませんね。各人、重い装備は袋に入れてください」

 げっ……。
 私は思わず、松明用の火炎呪文を地面に落としてしまいそうになった。

「ちょ、ちょっとメガネ……じゃなくて、ヘイブンさん? まさか、渡るつもりなの?」
「当然です。見ての通り、流れはそう強くありません。水深が深ければ、泳ぐはめになるでしょうが……何か問題があるのですか?」

 問題は、ある。
 しかし、ちょっと言い出しにくい。

 実は私、水が大嫌いなのだ。

「あるわ。このまま渡るのは危険なんじゃない? 流されたらどうするのよ? 洞窟を出てもっと下流に行けば、別の橋があるんじゃないの?」
「下流の橋も流されているかもしれません。そもそも、ここの洞窟は湖への一番の近道。いまさら馬車まで戻って別の道を使うのは得策ではありません。時間を無駄にするだけでしょう」
「でも……!」

 さすがに分が悪い。普段の私なら、メガネの意見に賛成しているだろう。
 だが、残念ながら私は泳げないし、水なんて一瞬も浸かりたくない。

 粘っていると、イヤーな空気が流れ始めているのを感じる。
 バズール、リーザ、そして「トランセンド」の面々。全員が白けた様子で私を見ている。
 「またアムルの自分勝手が始まった」と、言わんばかりに。

「とにかく。クエスト方針の統括は私が行っています。あなたが口を挟めることではありません。もし反対だというのなら、ここであなたは離脱、ということでも結構です。もちろん報酬の件は考えさせて頂きますがね」

 ピシャリと言い放つメガネ。

「あ、あんたねえ……!」

 だが、ここで踏みとどまる私。
 ダメだ。報酬が少なくなったら、レンに迷惑がかかってしまう。
 正直、それだけはしたくない。

「アムル、もしかして泳げないのか?」

 にやりとするバズール。

「確かに、川にいるモンスターを倒すクエストを、前に断っていたわよね」

 ここぞとばかりに、リーザ。

「そっ! そんなワケないじゃない!」
「だったらどうして、そんな効率の悪い方法を選ぼうとするんだ? いつものお前だったら、開口一番に渡ると言い出すだろうに。本当は泳げないんだろう?」

 その通りだ。水なんか触れたくもない。
 本当はそう言いたいが、どうしてもできない。

 それにしてもこいつら、ここぞとばかりに攻撃してきやがって!
 だが、レンの手前、やめるとも言えないし……。

「ア、アムルどの? 大丈夫でござるか?」
「だ、大丈夫よ! 仕方ないわね。さあ、渡る準備をしましょう!」

 思わず、強がってしまった。

 そうして、川を目の前にして、1人取り残された私である。

「どうしたんだー! はやく来いよ!」

 かすかに聞こえる程度だが、向こう岸からバズールが叫んでいる。
 メガネたちは、すでに先へと行ってしまった。

 やるしかないと心に決めて、マントまで脱いだ。
 だが、やはり無理だ。
 不可能だ。インポッシブルだ。

 どす黒い水面が、松明の光を怪しく反射している。小刻みに立つ波が、ざざざ……と、容赦なく音を立てて私を追いつめる。

 ダメだ。
 風呂ですらちょっと怖いのに、こんな流れのある川にダイブなんて、できるわけがない。

 だが、やらねばレンの足を引っ張ることになる。
 一体、どうすればいいのだ。
 めまいがする。心臓がドキドキしてきた。汗がぶわっと吹き出てくる。

「アムルどの……」

 気の毒そうに言うレン。

「大丈夫よ。あんたは、先に行きなさい」
「そうは、見えぬでござるが……」
「早く行きなさい!」

 しぶしぶ、レンはすいすいと泳いでいった。
 コイツ、泳ぎまで完璧だ。
 どこまでパーフェクトなのだ、この男は。

 私はそれからも、行くかどうかしばらく迷っていた。
 どうしても、勇気が湧かない。だいたい、水に濡れてしまったら私の得意の炎術も、威力が半減してしまう。そこでモンスターに出くわしたら、一体どうすればいいのだ。

 そんなことを考えていたら、向こう岸までたどり着いたレンが、先に歩いていってしまうのが見えた。
 あーあ。もう、いつもみたいに助けは呼べないぞ。

「どうしたのよ、アムル」

 背後から声がしたので、思わず体が跳ねた。
 振り返ると、リーザだった。

「あ、あんた、行ったんじゃなかったの?」
「いえ。アムルが水に入るのを待っていたのよ」

 どうしてそんなことを……。
 それにしても、声のトーンが普段と異なり、低い。
 男の前ではブリっ子していることが多いが、きっとこれが素なのだろう。

「まさか、マジで泳げないワケ?」
「そ、そんなこと、ないわよ」
「声が震えているわよ」

 リーザは、私の肩に手を置いた。

「いい機会だから、教えておくわ。私ってさ……やられたら、やり返さなきゃ気が済まないタチなの」
「な、なによ……?」
「よくも、この間は無能扱いしてくれたわね。バズールがいたから我慢したけど、本当にムカついたわ」
「……こんなときに、何言ってるの……?」
「こんなときだから、よ」

 リーザは私の頭をつかんで、ぐいと前に押しやった。
 私はたまらず膝をついてしまった。

「なっ、何すんのよ! やめなさいって!」
「アムル、どうしたのよ? いつもの威勢はどこにいったの?」

 リーザは、力任せに私の顔を川につけようとする。
 思わず涙が出そうになる。

「ひ、ひいっ!」
「ここで土下座して謝罪しなさい。さもないと、どうなるかわかっているわね」
「やめて! やめてったら!」
「早くしろ!」

 心臓のバクバクが、さらに加速する。
 こいつ、本気でやる気だ……。

「この間のことだけじゃない。お前の態度が、ずっと気にくわなかったんだ。初めてギルドで会ったときから、私のことをえらく見下していたわよね。すぐにトラブルを起こすのは、常にそういう風に他人を見ているからよ」
「そ、そんなことないわ……!」
「黙れ。さっきだってそう。ヘイブンさんが機嫌を悪くして、私たちの報酬までなくなったらどうするの? このクエスト、知り合いのツテをたくさん利用して、ようやく補佐メンバーに選んでもらえたのに。あんたみたいな自分勝手なヤツがいると、迷惑を被るのはこっちなんだよ」
「や、やめて……!」
「謝らないの?」
「……」
「……一度、痛い目を見ないと気が済まないみたいね」

 リーザの腕の力が、さらに強まる。
 彼女は、私が首からかけるペンダントのひもをぐいとつかみ、首を締めた。

「やめて! それは大切な……!」
「知るもんか……落ちろッ!」

 どんと、背後から衝撃。
 ペンダントのひもがちぎれ、私は水中に放り出された。

 ざば、と不快な音と共に、体全体にずた袋が張り付くような感覚。
 視界がぼやけ、めちゃくちゃに動く。
 信じられないほどの、異世界感。

 私の中のすべてが、それを拒絶する。
 必死に手をかく。だが、何もつかむことはできない。

 体がいっきに冷えていく。
 それだけじゃない。
 記憶がよみがえる。

 水にトラウマを持ったきっかけは、幼少の頃。
 川に落ちて死にかけたことがあるのだ。
 流されている間、もちろん私はひとりぼっち。
 水は冷たく、残酷に心と身体を冷やしていった。

 まるで凍り付いたかのように、体が動かなくなった。
 体が、少しずつ沈み始める。
 おそらく、そんなに深い川じゃない。

 だが、それでも、死ぬ。
 死ぬ。
 私はこれから死ぬのだ。

 イヤだ。
 イヤだイヤだ。
 誰か……誰か。
 さんざん自分勝手しておいて、今さらこんなことを言うのは、卑怯かもしれない。

 でも、誰か、助けて――。






 がしり。






 誰かが私の手を取った。
 感覚に驚く前に、誰かは私の体を思い切り引き上げた。

「――だいじょうぶでござるか」

 私の手をつかんだのは、レンだった。
 私は、驚きのあまり何も言えない。
 彼は私の手を引くと、体をつかんで川べりにかけた。

 水を吐きまくる私。
 思い切り飲みまくってしまった。気持ちが悪い。
 心臓の鼓動が、先日のグリーンバジリスクの時よりも早い気がする。

 マジで、死にかけた――。

 これ以上水に浸かるのはごめんだ。私は地上に上がった。

「……」

 そこにいたのは、憎き女リーザ。
 彼女はばつが悪そうにこちらを見ている。

「なによ、そんな目で見ないで。私はちょっと、あんたに灸を据えてやろうと……」
「リーザどの。アムルどのが泳げないと知っていたのか?」

 私に遅れて上がってきたレンが言った。

「知らないわよ」
「だとすればお主、軽い気持ちだったのかもしれぬが……。おそらく、拙者が来なかったら殺人者になっておったぞ」
「そんなわけ……」
「そんな訳はある。ずいぶんと興奮していた様子ではないか。……拙者の感知能力に引っかかるほどな。そんな状態で他人をおもんばかることなど、できはせぬよ」

 なるほど。リーザの悪意みたいなものを感知して、戻ってきてくれたのか。
 などと考えている間に、レンはのしのしとヤツの前まで歩いていき、なんとその胸ぐらをつかんだ。

「何を考えておるのだッ! もしかしたら、お主にしかわからない理由があったのかもしれない。それでも……自分の都合を理由に、他人の命を危険にさらすことなど、あってはならぬ! 恥を知れ!」

 ものすごい大声。
 さすがのリーザもびっくりしたようだ。彼女はその場にへたりこんでしまった。

「ご、ごめん……なさい」
「わかれば、よいのでござる。お主も人のために何かしてみるといい。なかなか悪くないでござるよ」

 レンはそこで、普段のひょうひょうとした口調に戻った。



「アムルどの」

 川の中。下のほうからレンの声がした。
 私は今、レンの肩と首に乗っている。肩車をしてもらっているのだ。
 足は水に浸かるが、この程度なら我慢できる。
 どうやらレンは、背伸びして川の底に足をつけているようだ。
 首から上がぎりぎり水から出ている。

「お主、強がりすぎでござる。泳げないなら泳げないと、最初に言えばよかったのでござるよ」
「う、うん……」

 それにしても、だ。

「レン。どうしてそう、私のためにいろいろしてくれるの? 今まではたしかに、得になることがあったかもしれないけどさ……さっき私を救ったことは、いったいどんな得になるの?」
「ははは。お主はそればかりでござるな。前にも言ったろう。誰かを助けることは、絶対に自分のためになる。だからやったのでござる。まあ、今回はアムルどのが明らかに泳げなさそうだったから、単に心配して戻ってきたというのもあるのでござるが……」

 また、そういう感じなのか。
 相変わらずブレない男だ。

「そういえば、リーザどのはどこへ?」
「先に行ったわよ。……にしても、あいつがあんな風に思っているなんて、私、全くわからなかった」
「まあ、そういうものでござろう。人の気持ちなど、簡単にはわからぬよ」

 リーザは、明らかに異常な状態だった。
 私への恨みがあるタイミングで爆発したのか、洞窟という閉鎖空間にいるストレスが限界に達したのか。いったい何が引き金になって彼女が行動を起こしたのかは、わからない。

 でも。
 その最大の要因は、明らかに私にある。
 私は、リーザのことを心の中でバカにしていた。無能だったからね。それは覆しようのない事実だ。
 だがきっと、そういう態度が本人にまで伝わっていたのだろう。今回のことは、それが積もりに積もった結果に違いない。

 私は今日、私の態度のせいで死にかけたのだ。

「自己を省みるきっかけにでも、なったでござるか?」
「……まあね。でも、どうしてもわからないんだ」

 私は、握っていた手を開いた。
 鳥の細工が施してある、金色のペンダント。
 リーザにひもを切られたあと、地面に転がっていたのをレンが拾ってくれたものだ。
 川に落ちなくてよかった。

「なぜ人のことを、いたずらに信じることができるのかなって。私には、簡単にはできないの。私はさ……」

 こいつには、言ってもいい。そう思った。

「捨てられたんだよ、両親に」

 水へのトラウマにもつながる話なのだが。

 私は幼少の頃、けっこう裕福な暮らしをしていた。
 まだ小さかったから、なんという国の、なんという場所なのかは、思い出せないけれど。
 森に囲まれた、大きくて白い屋敷に両親と住んでいたのをよく覚えている。

 しかしある日、その生活は唐突に終わった。
 何が原因でそうなったのかは、わからない。
 だが、これだけは忘れられない。

 私は父親の手で、川へと捨てられたのだ。

 今でもよく覚えている。
 轟音と、まとわりつく冷水。
 私はその中で、ただ苦しみ、もがくしかなかった。

「ま……そんな状況でも奇跡的に生き残っちゃうのが、いかにも私って感じだけどね。その時に思ったのよ。人間、誰も信じることなんてできない。信じちゃいけない。だって、生みの親ですら裏切るんだからさ。あんたみたいに他人をすぐ信じるなんて、できないよ」

 レンは、何も言わない。

「このペンダントはさ、両親にもらったものなの」

 当時は、お気に入りのペンダントだった。
 だが、今は……。

「唯一の手がかりなんだよ。両親を見つけるための。私はこれを使って、きっと両親を見つけてみせる。そして……復讐してやりたいのさ」
「そうか」

 黙って聞いていたレンが、ようやく言った。

「なるほど、よくわかった。だったらなおさら、人を信じて、人のために何かをしてみるといい」
「なぜよ? 私の話、聞いてた?」
「答えは簡単でござる。他人を思う気持ちというのは、形を変えて自分に返ってくるものだからでござる。アムルどのはついさっき、それを身をもって体験したのでは?」
「ッ……!」
「せっかくなら、幸せになりたいでござろう。人を信じられないのは、信じたことがないからであろう? 今からでも、その最初の一歩を踏み出すことはできるのではないか」
「……でも、人を信じたところで、そいつのことが理解できない可能性だってあるじゃない」

 結局、そうなったらうまくやっていくことなんてできない。
 だからやらないのだ。
 しかし、レンは笑った。

「もちろん、その可能性もある。理解できないなんてふつうのことでござるよ」
「だったら、なんで!」
「大切なのは、『わかろうとすること』ではないか。その結果わかり合えないのなら、仕方のないこと。でもけっして、その姿勢がマイナスになることはないはずでござるよ。理解への第一歩は、歩み寄ることでござる」
「私は、あんたみたいに純真無垢で、単純じゃないのよ」
「拙者は、お主が思っているような人間ではござらん。……こう見えてけっこう、嘘つきなところもあるのでござる」
「……?」

「それに」と畳みかけるレン。

「アムルどのはなんだかんだで、そのペンダントをとても大切にしておるように見える。復讐のために持っているとは思えないほど、でござる。やはり、ご両親のことをどこかで信じたいという気持ちもあるのではないか? お主もそうやって『わかろうとしている』のではないか」
「違うわ! 余計なお世話よ」
「相変わらず、素直じゃないでござるな」
「うるさいんだよ!」

 なんてヤツだ。
 人の心に、ずけずけと入ってきやがって。
 なんて無神経なんだ。

 ……でも。

「……その、今回のことはさ……あのー、あれだ。単純に、助かったというか……」
「ひょ、ひょっとして、礼を言おうとしているのでござるか!? あのアムルどのが!?」
「……」
「拙者、ちょっと調子に乗りすぎたでござる。だから頭をグリグリしないでほしいでござる」
「ありがとよ。バカ野郎」

 素直に、そう言うほかなかった私である。

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