王都マグンは、南ゲート付近の「サン・ストリート」。 「ん?」 家路を急いでいたリブレ・ロッシは、地面に転がる一つの石に目をとらわれた。 夕日を受けてキラキラと光る、数センチの小さな半透明の玉。まるで吸い込まれるようにして、彼はそれを拾い上げた。 「これって……」 彼はそれをまじまじと見つめる。異様なほど丸く、人の手が入ったものだとすぐにわかった。 リブレ・ロッシは基本的にこういう時、果てしなく自分にとって都合のいい解釈をする男である。それは今回も例外ではなかった。 彼はぱっと顔を明るくさせ、それを天に掲げた。 「もしかして、魔石じゃないの!?」 「んな訳、ねーだろが」 「ルーザーズ・キッチン」で話を聞いたグラン・グレンは、そんな彼の解釈を即座に否定し、テーブルに小石を転がした。 「こいつはどっからどーみても、装飾用の石かなんかだよ。丸すぎるのが逆に怪しい」 リブレは不満げに手を広げる。 「グラン、前々から思っていたけれど、お前ってやっぱりものを見る目がないよな。そっか、魔石を見慣れてないんだっけ」 グランは鼻をならしてグラスをあおった。 「そう思うんだったら、メーンストリートの鑑定屋にでも行ってみろ。なにせその石ころと来たら“魔力”を一切帯びてねえんだから。一日頑張っても『ただの小石です』で終わりだぜ」 「お前には可能性を信じる心というものがないのか。ひょっとしたらこれが国一つを崩壊に招くほどのものすごく重要なアイテムで、勇者選考試験の最終審査まで進んだほどの資質を持つ、このリブレ・ロッシが運命的に拾い上げてしまったとか、そういう風に解釈できないのかよ」 「しょうもねえ。『ルイス冒険記』の読み過ぎなんだよ。そんな石ころ一つで大冒険の始まりってか? お前がそれなら俺は、この酒を飲み干した瞬間、あのレジーナ・フィラメントみたいな美女が現れて恋に落ち、一大ハーレムを築き上げるだろうよ」 グランが笑いながらグラスをテーブルに置いた瞬間のことだった。 「あの……ちょっと、よろしいでしょうか」 彼らのテーブルの前に、美女が現れた。 二人は、思わず面食らった。 「あの、よろしいでしょうか?」 彼女はもう一度そう言った。 この薄汚れた酒場「ルーザーズ・キッチン」にはまるで似つかわしくない、すらりとした金髪の美女であった。 「なんでしょうか、お嬢さん」 グランは出来る限りのさわやかな笑顔と声色で、彼女に語りかけた。「顔だけの男」と多くの人間に評されるだけあり、初対面の人間ならば好印象を持つであろう、すばらしいエセ笑顔だった。 女性は、ちょっと驚いた感じで首をすくめた。 「あー……あの、えーと……あなたではなくて……」 「僕たちが用があるのは剣士のあなたです」 テーブルの反対側から、今度は長身の剣士が現れた。彼も非常に整った顔立ちをしており、背中にはきれいな装飾のついたロング・ソードを背負っていた。 「……んだよ、男付きか。どうやらハーレムの夢はついえたらしい。いったい何の用だい」 グランは一瞬にして、普段の残念な彼に戻った。対してリブレは、まだ硬直している。 男はにこりと笑って、テーブルを持ってきてリブレの隣に座った。 「僕はギチートのマルセルと言います。彼女はローラ。見ての通り、あなたたちと同じ冒険者です。たまたまクエストの途中にここで休憩していたのですが、あなたの持つその石がちょっと気になって」 それまで硬直していたリブレは、ここでとたんに笑顔になってマルセルに飛びついた。 「この石!? この石に何かあるの!」 「ちょ、ちょっと。落ち着いてください」 マルセルは彼をひきはなした。グランはそれを見て、ほんの少しばかりにやついた。 「へえ。この石に何かあるって言うのかい」 「そういうわけではないのですが」 答えたのはローラだった。 「私たちが今回のクエスト……お恥ずかしながら、その内容はただの『物探し』なのですけれど。その石が、まさにクライアントが探しているものにそっくりなんです」 マルセルは石を見ながら「間違いなさそうだ」とつぶやくと、手を叩いた。 「もうおわかりでしょう? そいつを譲って欲しいのです、リブレさん」 「なるほどねえ……」 答えたのはなぜかグランだった。彼はグラスを空にすると、それをわざらしくひっくり返し、テーブルに置いた。マルセルはただちにマスターに同じものを注文した。 リブレは石を拾い上げて見つめた。 「あの、話はわかったんですけど……これって、何なんですか。ひょっとして、魔石とか」 「いえ、単なる石です。装飾用の。なんだか大事なものらしくて」 マルセルが即答する。リブレはすぐに石に興味をなくしたようだった。 「そうですか……それだったら、別に」 「ちょっと待てや、リブレ」 交渉が終わる寸前、新たにテーブルに置かれたグラスを持ってグランが言った。 「まだ、そのせりふを言うのは早えだろうよ」 「……なんで?」 グランは怪しい笑顔を見せた。 「マルセルとローラだっけ。あんたら、さっき『クエスト』って言ったよな? それだけ、大層なものだってことなんじゃねーの、その石」 そう言われ、マルセルの眉が少しばかりぴくりとしたのを、グランは見逃さなかった。 「え、ええ。そうです。ですからもちろん、謝礼金は払いますよ」 「いくらだ?」 マルセルは少し時間を置いて言った。 「五千ゴールドでどうでしょう」 「ダウト」 グランは即答する。マルセルは困惑した様子で手を広げる。 「ど、どういうことです?」 「単なるもの探しごときに、あんたらみたいな強そうな冒険者を二人も雇う。そんなイカした頭をした奴は、どこのどいつだ? ……結構いい身分の方なんじゃねーの。安く見られたもんだぜ。これだけ食いつかれて、五千ゴールドぽっちじゃ、どう考えてもおかしいだろうよ」 ローラがため息をついた。 「……ずいぶん疑り深いんですね」 「いいや、お前らが怪しいだけだよ。リブレよう、俺にはそうは見えないが、その石コロ、案外値打ちモンかもしれねーぞ」 「やっぱり? 魔界の島へつながる重要アイテムとか?」 「……そういうことじゃねえ。いちいちスケールを大きくすんな」 マルセルは笑顔を作る。 「ちょっと、待って下さい。どうか落ち着いて。僕たちは普段からお世話になっているクライアントから、今回のクエストを頼まれたんです。僕はよく知りませんけれど、きっとその石にはそんな大層な価値はありません。ただ単に、大切なものだってだけで」 「大切なものだからこそ、お前等はどうしてもこれを手に入れたい。そういうことだろ? 簡単じゃねえか。ここで俺たちにしっかり金を払えば済む話さ」 グランがそう冷たく言い切ったところで、マルセルの様子が一気に変わった。彼はこめかみに血管を浮かび上がらせて、テーブルに拳を打ち付けた。 「あ、あんたって人はどうして……!」 「なんだよ、落ち着いてって言ったそばから。暴力に訴えるのか?」 「あ、あんたがそんなんだから……!」 「マルセル、落ち着いて」 ローラが彼を制止した。 「グランさん。あなた、さっきからこの話に当然のように参加してますけれど、あなたは関係ないはずです。私たちが交渉したいのは、あくまでリブレさんです」 「あいにく、コイツと俺は切っても切れない仲でね。一心同体みたいなもんなんだよ。なあリブレ?」 完全に話に取り残されていたリブレは、頷いた。 「まあね」 「リブレさん」 ローラは彼の手を取った。 「私たち、クエストのためにどうしてもこれが必要なんです。どうか譲ってもらえませんか? 一万、いいえ、五万ゴールド支払いますから」 グランは、ここで満足げににやついた。 ようやくこの言葉を引き出せた。これで五万ゴールド確定。今日の飲み代どころか、参考書が数冊買える。 リブレの拾ってきた石は、自分が鑑定したところ、間違いなく魔石ではないし、貴重なものにも見えない。きっと彼らが言う通り、彼らにとって大切なだけであって、本来はゴミに近いようなものなのだろう。また、彼らは詐欺師にも見えない。とくにマルセルは、こういう交渉ごとにまるで向いていないようだ。 お前がひろってきたゴミを五万までつり上げてやったんだ、リブレよ、感謝しろ。 美女に手を捕まれたリブレはまんざらでもない様子で、石をマルセルに放った。 「君たちの話はよくわかった。持っていきなよ。金はいらない。連れが意地悪して、悪かったね」 「おいリブレ!?」 グランはテーブルに両手をついて立ち上がった。 「グランも、もう満足したろ? お前が『魔石じゃない』って言ったんだ。……だったらもう、そうに決まってるじゃないか。必要な人に持って行ってもらうべきだよ」 マルセルはしばし、遠くを見つめるようにぼおっとしながら、リブレを眺めていた。 リブレは笑顔で彼に言った。 「さ、行った行った。俺たちはこれから、夜通しカードをやるんだから。なんなら一緒に、やっていくかい?」 「い、いえ」 マルセルははっとして椅子から立ち上がった。ローラも同じようにした。 「……いいんですね、グランさん」 グランは既にカードを配りだしていた。彼は二人に目もくれずに言った。 「何が? リブレとの交渉とやらはもう終わったんだろ? さっさと行けよ」 マルセルとローラはぺこりと一礼をして、出て行った。 「……間違いないのね、バレル」 王都を出たあと、ローラと名乗っていた女は、マルセルと名乗っていた男に言った。すっかり日は落ちて、夜の闇がトンカ平原に広がっている。 「ああ、間違いない。これが『フラッグストーン』だよ、マリア」 マルセルと名乗っていた男・バレルは、ローラと名乗っていた女・マリアに石を見せた。 「ようやく……これで進めるのね」 「ああ。本当に意外だった。まさかこの時代で、あの人たちがストーンを拾っていただなんて」 「さすがに少し緊張していたわね、バレル」 「それは言わないでくれよ。僕がどんな気持ちだったか、君にだってわからないわけじゃないだろう」 「ええ、まあ。グラン・グレンがあんなにつっかかって来たのが、ちょっと意外だったけれど」 「……あの人は、どんな気持ちであの場所にいたんだろうな」 「知らないわ。あの人の考えは、いつだって読めないもの。ともあれ……」 マリアは“魔力”を錬る。 闇の中に光り輝くゲートがそびえ立った。 「戻りましょう、私たちの時代に」 「ああ。これで魔界に乗り込める。……父さん。少しの時間だったけれど、あなたと会えて楽しかったよ」 二人は輝きの中に入っていった。 「ああっ!!」 カード遊びを続けていたグランが思い出したように声を上げた。リブレは不思議そうに彼を見た。 「なんだよ。そんなに手札が悪いのかい?」 「そうじゃねえ! さっきのあいつらだよ! 最初声をかけて来た時、あいつら、リブレの名前を呼んだよな!」 「そういえばそうだね」 「俺としたことが! あいつら、俺たちのことを知ってやがった! 何者か知らねーが、いっぱい食わされたのかもしれねえ!」 「……俺は、そんな風に思わなかったなあ」 「てめーな、お人好しもたいがいにしろよ! せめてあの時に五万引っ張っておけば!」 「でも、名前を知ってるからって、どうだっていうんだ? 俺たちの名前なんて、ここでメシ食ってれば、たいてい聞こえてくるでしょ」 「まあ、たしかにそうだけどよ……。なんか引っかかるんだよなあ。まあいい。五万はお前から奪い取ることにした。やろうか」 二人はカードを再開した。 |