王都マグンは、サン・ストリート沿いの酒場「ルーザーズ・キッチン」。 リブレとグランは、だるそうにして席に座っていた。リブレは若干不安そうにしている。 「なあ、マジで来るの?」 「らしいぜ。どうやら本気らしい」 「どうにか、逃げ出せないものかな」 「文句言うなって、上がりはいいんだからよ。新しい装備がほしいんだろ」 どたどたと、ドアの外から足音が聞こえてくる。音は金属音を伴っている。 「来たらしいぞ」 がちゃりとドアが開くと、足と手だけに甲冑をつけたミハイル・バドルフスキーが笑顔で登場した。 「待たせたな二人とも! では出発しよう!」 ことの始まりは、前日の王都・第十二区画。 ミハイルはこの場所でお金をかけた格闘戦・マネーマッチを開いて生計を立てている。つまり格闘することを商売としているわけだが、そんな彼にも、金など関係なく戦いたいと思える相手がいる。 かつて彼が恋した女、アイ・エマンドである。 アイはこのマネーマッチに定期的に参加する。ミハイルは特別に彼女との戦いには金をかけずに受けて立つ。アイが目当てとするのも金ではなく、ミハイルとの戦いそのものだからだ。 その日も、アイはふらりと現れた。ミハイルはそれを歓迎し、商売を中断。すぐに戦いを始めた。 戦闘は数分で終わった。アイの強烈なハイキックがミハイルの脳天をとらえ、彼は第二城壁に吹き飛ばされて敗北を喫した。 「いい蹴りだった。さすがだよ。今日はみごとにやられてしまったな」 商売仲間のプリーストに回復してもらったミハイルは、笑顔でアイに握手を求めた。だが、彼女は少しいらついた顔をして、それを拒否した。 「気に入らないね」 「突然どうしたんだ」 アイはきっとミハイルをにらみつけた。 「それだよ、その顔。あんた、ここんところあたしに四連敗してるんだよ。どうして悔しそうにしないのさ。残念だけれど、今日の戦いはこれまでで最低だったよ」 「なに」 ミハイルは少なからず、衝撃を受けた。確かに悔しくなかった。今日の戦いにも、感動すら覚えていたのだ。 アイは親の敵を見るような目つきで彼を見て、指を突き立てた。 「今の戦い、モンスターとの戦闘だったら死んでいるよ。正直、緊張感がまるで感じられなかった。あんたは、命のやりとりから離れ過ぎちまったんだ、ミハイル!」 ミハイルは、はっとしてひざをついた。 アイは本来払う必要のないはずの、参加金を地面に置いた。 「少なくとも出会った頃のあんたは、今の戦いで満足するような男じゃなかったよ。こいつで装備でも買って、少しはモンスターと戦うことだね」 ミハイルは何も言い返せず、彼女の後ろ姿をただ見ていることしかできなかった。 「それで、どうしてパーティメイトが俺たちなんですか。あと、危ないから座ってください」 トン力平原を馬車で進みながら、リブレが聞いた。ミハイルは後ろの座席で仁王立ちしている。 「リマナブランデ氏の紹介だ。リブレ・ロッシ。きみがモンスター探しの専門家だという話は、アイからも聞いている。頼りにしているぞ!」 「だったら、俺はいらねーんじゃねえの」 グランがだるそうに言うと、ミハイルはくわっと目を見開いた。 「俺は過去に君にも破れているからな。魔術師が実戦で戦っている時の動きというものも、参考にしたいのだ。そして戦いのカンを、このクエストで取り戻す。待っていろアイ・エマンド! 必ずやお前を倒してみせる!」 ミハイルの高笑いを聞きながら、リブレとグランはため息をついた。 リノの紹介で上がりもいい仕事とはいえ、二人は全く乗り気でなかった。 「おいリブレ、今日は適当にごまかせよ。こいつのテンション、うざったくてついていけねえよ」 グランが小声で言った。リブレも相づちをうつ。 「いやあ、さすがですねミハイルさん」 リブレが声をかけた。ミハイルは振り抜いた拳についた血をぬぐった。近くにはゴブリンの死体がころがっている。 ミハイルの強さはまさに圧倒的だった。モンスターを見つけるや否や、馬車から飛び降りてたった数十秒で勝負を決めてしまう。 「リブレよ。こいつら、少し弱すぎやしないか。これでは組み手にすらならんぞ」 当然であった。リブレたちはあえて弱いモンスターしか現れない地区をまわっているのだ。 「い、いえ。そんなことありませんよ。こんな場所、危険すぎてめったに近寄らないんです。俺たちだけだったら、すぐ全滅ですよ」 もちろん嘘である。ミハイルはいぶかしげにする。 「君たち……。ひょっとして冒険者としての経験がない私をだまそうとしていないか? 私の祖国のモンスターはここまでやわくはなかったぞ。そしてアイもだ!」 リブレは困った表情をしていたが、すぐにはっとした。 「なんだ……? この気配、近辺のモンスターじゃないぞ……!」 「おお、強いモンスターを察知したのか?」 グランが馬車から顔を出した。 「おいリブレ! どんなのが来るんだ。距離は? 馬車の滑車がズレちまった。すぐには走れねえぞ!」 「ダメだ、間に合わない! こいつは……!」 草むらから飛び出したのは、灰色の鱗をもつ爬虫類系のモンスター・バジリスクだった。 グランとリブレは凍り付いた。勝てる相手じゃない。 「ったくよ、いい加減にしろよなクソレーダー!」 「うるさい! とにかくいつもの、行くぞ!」 二人が逃げるために技をくりだそうとした刹那、雄叫びとともにバジリスクに突っ込む影がひとつ。 「おいバカっ、ミハイル! 死んじまうぞ!」 「こいつは知っている。そうとう強いのだろう? わざわざ出向いた価値があったというものだ。いくぞモンスター!」 ミハイルはバジリスクの頭に拳をあびせた。それが合図となり、一人と一匹の戦いが始まる。 ふたりは驚愕した。あのバジリスクが手も足もしっぽも出ない。ミハイルは素早い動きで一方的にバジリスクを殴りつける。少し距離が離れようものなら、足を踏みつけて動きを止め、また殴る。 とうとう耐えきれなくなったバジリスクは、口をぶわりと膨らませた。 「ミハイルさん、石化液だ! それだけはよけてください!」 ミハイルがスウェーすると、液がびちゃりと地面に落ちた。その勢いを利用し、ミハイルはアッパーカットをバジリスクに見舞った。バジリスクは完全にノックアウトされて倒れた。 「オス!」 ミハイルは気合いのこもった挨拶を屍に送った。 リブレは口をあんぐりとあけていた。 「す、すごい。一人でバジリスクを倒しちゃった」 対して 、ミハイルは冷静だ。 「だが、どうやらやつは、右足をけがしていたらしいぞ。切り傷がいくつかあった。きっとほかの冒険者にやられたのだろうな。つまり本来の力を半分も発揮できず死んだのだ。さぞ悔しかろう……だが、これこそが命のやりとり。久しぶりに、思い出したぞ」 「そ、それなら今日はそろそろ……」 帰ろうと切り出すリブレだったが、ミハイルは首をふった。 「まだまだだ。アイに勝つには、この程度じゃ足りん。場所を変えてくれないか」 グランは心の中で舌打ちした。なんでもいいから、さっさと帰りたい。 「それなら別料金になるぜ。ちなみに、馬車を直す手間賃込みで十万な。払えるか?」 リブレは彼と目を合わせた。うまいかわし手だ。 だがミハイルは歯を見せて笑った。 「ああ! 確かに少し高いが、その精神的なダメージも私の糧となる。これもまた修行だ!」 さすがのグランも、その場でずっこけた。 「よし、では場所を指定させてもらうぞ。ええと、なんと言ったか……友人が前に死にかけたという場所だ。そうだ、ヴァーレン下水道!」 ヴァーレン下水道。過去にリブレたちが九死に一生を得た超難関ダンジョン。 「それ、おれたちのことですよ!」 「支援職がいねえと話にならねえって! マジで死んじまうよ!」 「なるほど、それは大変そうだ。だが真の修行とは、そういう場所でこそ行えるものだ! 頼むぞ二人とも、頼りにしているからな!」 二人は必死に止めたが、ミハイルは自分で手綱を持ち、王都へと向かった。 その夜、リブレとグランはげっそりしながら「ルーザーズ・キッチン」へと戻ってきた。 入り口の前で、ミハイルは二人を見て笑っている。 「なんだ、元気がないな」 無理もない話だった。リブレは久々に己の全精力を使って探知を行い、グランはミハイルにわからないよう「陽炎」で強いモンスターとの戦いを避けた。 「久しぶりに本気で疲れたぜ……」 「大して強い敵は出てこなかっただろう? 修行がたりん証拠だな」 言い返す力すら残っていないふたりは、ミハイルに今回の報酬を要求した。彼は喜んでそれを支払った。 「それじゃ、おつかれさまでした」 リブレが手をあげて店内に入ろうとすると、ミハイルはまた笑った。 「では、明日も同じ時間に頼む!」 「え、ええっ!? 明日もですか?」 「リマナブランデ氏に聞かなかったのか? 今回のクエストは一週間契約だ。よろしくな!」 ミハイルはさっそうと去っていった。 「めんどくせぇ……」 アルタ肉を食べながら、グランがつぶやいた。隣のリブレもぐったりしている。 「どうする、グラン? 一週間もあの人に付き合ってたら、さすがに身がもたないよ」 しかし、二人は沈黙する。たとえ厳しくてもクエストを放棄することはできない。 「どうやら、二人とも相当しごかれたみたいね」 リノがにこにこしながらやってきた。グランとリブレは彼女のやり方を非難したが、当のリノは動じない。 「何言ってるの。あんたたちだってゲレットさんが新婚旅行に出ちゃってて、生活が厳しいんでしょ? だからクエストを紹介してあげたのに、そんなこと言われる筋合いはないわ。なんにせよもう契約したんだから、ヴァーレン下水道でもルハーナ湖でも喜んで行きなさいよ」 ぴしゃりと言われて、二人はまたしても言い返せなくなった。 グランは腕を組んだ。 「しゃあねえ、明日もやろう」 「そんな! 絶対に一週間は無理だって。グランだってわかってるだろ?」 リブレの問いかけに、グランはにやりとして立ち上がり、依頼書の貼り付けられたボードに向かった。 「だったら、それなりのやり方をするまでさ」 |