Usual Quest
ユージュアル・クエスト

61.「ありがとう」

「ふう」
 ロバート・ストラッティはその夜の食事を終えた。ギルドの仕事で疲れた体が、少しだけ落ち着いた。
「どうだ、ロバート」
 マスターが水を持ってきた。ロバートは笑顔を返した。
「やっぱり疲れた時はアルタ肉だね。マスター、今日はちょっと、味つけが違ったようだけれど」
「珍しい薬草を仕入れたから、薬味として少し使ってみたんだ。お前、最近忙しそうだったからな。ちょっとしたエールだよ」
 ロバートは水を飲んでから、皿をマスターに渡した。
「ありがとう」
 ロバートはゴールド硬貨を普段より一枚多く出して、店を出た。

「おい、おいっ」
 サン・ストリートを歩いて家へとむかっている途中、ロバートは声をかけられた。本屋のジョセフ・マルティーニだ。
「ロバート、いいところに来たね。あんたにぴったりの本があるよ」
「おっ、『モラトリアム』の新刊かい?」
「違うよ。あれは作者が投げだしちまったらしいから、しばらく新刊は出ないはずだ。おすすめしたいのはこっちさ」
 ジョセフは本を差し出した。
 本には「必勝! オーガでもわかる恋愛実践テクニック」と書かれていた。ジョセフは悪意などみじんも感じさせない、無垢な笑顔を見せた。
「グランたちから話は聞いてる。こいつで勉強するといいぜ。おれの友達も、こいつのおかげでうまくいったんだ。クソみたいにモテない野郎だったんだけどな」
 ロバートは本を受け取った。
「そいつは、どうも」
「あ、タダじゃないよ。三百ゴールドね」
「……ありがとう」
 ロバートは微妙な顔をしながら去っていった。

 ジョセフは店じまいの準備を始めた。今日読まれた本がばらばらに置いてあるが、とくに彼は気にとめない。
「ジョセフ」
 リノ・リマナブランデがやってきた。小さな紙束を持っている。
「やあ、待ってたよ」
「今日の露店相場よ。あなたががこの間言ってたランス、また少し上がったみたい」
 ジョセフは肩をすくめた。
「だろう? だからアイに早めに買うようにすすめたんだ。これからもっと上がると思うよ」
「ジョセフ、あなたは本当にものを見る目があるわ。もっとそれを生かそうとは思わないの?」
「本を売ってるほうが幸せなんだ。何度も言ってるけど、武器や装備の転売で稼いでるのは、この本屋を維持するためなんだよ。だから、そこんところは、かまわないでくれよ。手伝ってくれた時に得た情報を使うのは自由だからさ」
 ジョセフはゴールド硬貨をリノに放った。それをキャッチしたリノは、少しだけ笑った。
「相変わらず、あまり物事を深く考えないのね。嫌いじゃないけど」
「それ、ほめてるのかい? まあいいや、ありがとう。リノ、次は三日後に頼むよ」
 リノは頷いて店を出た。

 リノは帰り道、ふらふらと歩くセーナ・メーシーズに出くわした。
「あっ、リノちゃん!」
 リノは心の中で舌打ちして逃げだそうとしたが、セーナにぎゅむと捕まれてしまった。
「セーナ、急いでるんだけど。酔っぱらいの相手はしないわよ」
「リノちゃん、相変わらずお人形さんみたい。このままお家に持って帰りたいわ!」
「どうもありがとう。ところで話、聞いてる?」
 セーナはリノの頭をなでた。
「怒らないで、リノちゃん。ちびっ子なのに怖いんだから」
「どきなさい。アイちゃんに相手にされないからって、不満を私にぶつけないで」
「そんなこと、ありません。お姉さまも、リノちゃんも、好きです! みんな好き!」
「残念だけれど今のところ、その気持ちは届きそうにないわ。あなたを好きになってくれそうな人のところに行きなさい」
 リノはセーナをふりほどき、小走りで逃げていった。
 セーナは大笑いしたあとしゅんとして、次の酒場へと向かった。

「セーナちゃん、そう落ち込むなよ。アイさんとグラン・グレンがどこまで続くかなんて、わからないだろ」
 ウェイン・ジェルスはカウンターにグラスを置き、セーナの肩をたたいた。
「ウェインさんはグランとしゃべったことないでしょ」
「あるよ。数回だけだけど。リブレから話も聞いてるし、彼の人間性については把握しているつもりだ。アイさんにはとうていふさわしくない男だと思うね」
 セーナは出されたグラスをいっきに空にした。
「そう思うでしょ! でも、お姉さまときたら、グランに夢中なの」
「わかるよ、その気持ち。僕の気持ちも、リブレには届いていないみたいだからね……最近はなんとか抑えて、できるだけ自然に彼と接しているが、つらいよ。でも一回、ひどく嫌われてしまったからね」
「ウェインさんはチャンスあるわ。リブレさんはリノちゃんが好きみたいだけれど、ぜんぜん相手にされてないみたいだから。今にふられるわ」
 ウェインは遠い目をした。
「……ありがとう。でも、リノさんとの事を考えても難しいと思う。彼、リブレには……届きそうにもない。彼はもしかしたら、もっと遠い存在になってしまうかもしれない」
「なんですか、それ?」
「……なんでもないよ。さあ、飲み直そう」
 二人はグラスをあわせた。

「じゃじゃーん」
 ミランダ・リロメライは服屋の試着室をあけた。きらびやかなドレスを見た男は、感嘆の声をあげた。 
「ミランダ! 君はなにを着ても似合うよ。その服もセクシーだ」
「上手なのね。じゃあ、これも追加して欲しいわ」
 男は店員を呼び、服の代金を払った。ミランダはとたんに笑顔になる。
「きゃあ、もう、あなたって最高ね。ねえ、あのイヤリングもいいと思わない?」
 男は、少しだけたじろいだ。
「つ、次はイヤリングかい?」
「ええ、この服とあわせたら、きっと最高よ。組み合わせてあげないと服がかわいそうよ」
「でも、五万ゴールドか……」
 ミランダは色目を使った。
「確かに高いわよね。でも今夜、あなたはもっと価値のあるものを手に入れることになると思うわ」
 男は即、店員をよんだ。
「きゃー、ありがとう! もう大好き! ねえ、それで、あのネックレスなんだけどさ……」
 ミランダは男に抱きついて、次のターゲットの品定めを始めた。そのとき、窓の外にリブレと見知らぬ男が言い合いをしている姿が見えたが、それどころではなかった。

「とうとう見つけたぞ、リブレ・ロッシ!」
 王都騎士団・討伐部隊長イナフ・ストラウフは、リブレに掴みかかった。リブレはパニックに陥っている。
「あ、あ、あなたは騎士団の!? 何の用ですか!?」
「とぼけるな。ずいぶん探したぞ。あの技を一体どこで覚えた!?」
「わ、技っていうと、モンスターの探知のことですか? 父親にモンスターの巣に投げ込まれたりしているうちに身についたんですよ」
「違う! ベアを倒した技だ」
「えっ……。べ、ベアが出たんですか?」
 イナフはにやりと笑った。
「おもしろい。しらを切るつもりか。確かに立場上、私から剣を抜くことはできんからな。それも計算のうちというわけか? ますます油断ならん男だ」
「あの、さっきから何を言ってるのか全くわからないんですが」
「余裕だな。だが、貴様の計算は狂うぞ。私は剣を抜くからな。ここで切り刻まれるか、話すか、選べ」
 イナフはリブレの胸ぐらを掴みながら、柄に手をかけた。リブレの顔は恐怖にひきつった。
「おっと、こいつはこいつは」
 イナフは背後からの声に反応した。グラン・グレンだった。
「誰だか知らねえが、リブレの奴を脅してくれてどうもありがとよ。そいつ、俺に貸した金をいつまでたっても返さねえんだわ。今回はあんたに任せるから、いっしょに頼むよ。終わったら教えてくれよな」
 グランが冷たい視線をぶつけながら“魔力”を練り出したので、イナフは何も言わず、リブレを突き飛ばして去っていった。
 リブレはその場に倒れ込んだ。グランは男の後ろ姿を見送った。
「なんだよ、あいつ。盗賊か? ずいぶんと物騒だな」
「グラン……助かったよ、ありがとう。よくわからないけれど、目の敵にされてるみたいだ。今後はあの人も、探知リストに入れておこう。今日は俺、もう帰るよ」
「なんだよ、今日は俺んちでカードやるって約束だろ」
「悪い。ちょっと、そんな気分になれないんだ。イヤな単語を聞いちゃったからさ……」
「ちっ、しょうがねえな。明日メシおごれよ」
「やだよ。その前にこの前貸した金を返せ」
「ありがとう、ロッシ君。アルタ肉、楽しみにしているからね」
「話を聞け」
 二人は別れた。

 グランはとぼとぼと歩いていたが、しばらく考えてから、王都西部に向かった。

「あら、グラン。なにしに来たの。大切な用事はどうしたの」
 ランサーの集う酒場の中で、アイ・エマンドはすっかりできあがっていた。
「よう、実はその用事がつぶれたんだ。『ルーザーズ』行かねえか」
 アイは顔をそむけた。
「やだ。あたしはここで飲んでるんだ。これだって、大切な用事だよ」
「なんだよ、一丁前に妬いてるのか? はずせない約束があるって説明したろ」
「いつもそうやって言うけど、リブレとカードしてるだけじゃん! たまにはあたしも混ぜてよ」
 グランはあからさまに機嫌を悪くした。
「確か以前、勝てないからって人を殴って、最終的には泣き出した奴がいたよな。あのゲームは、そういうアホたれには向いてねえんだよ」
 アイはテーブルをたたいた。
「あたしは泣いてない!」
 グランも応戦して席をたった。
「ああ、そうだったな! あれはモンスターのうめき声のマネだった! いやあアイちゃん、お上手でした! こんどメーンストリートでやってみろよ。きっとおおウケするぜ」
「そいつはどうも、アドバイスありがとう!」
「あーもう、わざわざ来てやったのがバカみたいだぜ!」
 グランはアイをにらむだけにらんで、店を出ていった。
 アイもしばらくそうしていたが、彼が見えなくなってからしばらくして、がくりと肩を落とした。

 グランはけっきょく、「ルーザーズ・キッチン」にやってきた。マスターは意外そうな顔をしながらカウンターに水を出した。
「珍しいな。ひとりか」
「まあね。……マスター、なんか適当に作ってくれよ」
 グランは辺りを見回した。あまり見かけない冒険者グループが一組いるだけで、ほかに客は見あたらない。
「さっきロバートとエイムスが帰ったところだ。今日はもう常連は来ないだろうな」
「へえ。珍しいね。この店っていつ来ても、誰かしら騒いでるもんだけど」
「騒がしい奴なら、今来たけどな」
 マスターは料理と、店で一番強い蒸留酒を出した。グランは苦々しい顔でグラスを押し返し、アルタ肉を食べ始めた。
「どうして、これなんだよ。俺、飲まないって」
「いやあ、珍しいと思ったついでだ。初めて来た時に、こいつを飲んだろう。久しぶりにやってみろ」
「あの時は、そんな強い酒だと思わなかったんだよ。ぶっ倒れて、運ばれたことを忘れたのかよ?」
 マスターは腕を組んで目を閉じる。
「ああ、そうだったな。懐かしいもんだ。もう三年くらいになるか? 入店するなり『金はないけど、できるだけうまいものを食わせてくれ』とか言ってな。なんてふてぶてしい奴だと思ったもんだ。最初のうちはずっと一人だったしな。でも、だんだん仲間ができて、今はきちんと金も払うようになったし……まるで我が子の成長をを見ているようだ」
「マスターにほめられると気持ち悪いな。もしかして酒飲んでる? だめだぜ、客もいるのに」
 マスターはわははと笑ってカウンターの蒸留酒を飲んでしまった。
「たまにはいいじゃねえか、誕生日なんだよ」
「へえ、あんたの年になってもうれしいもんなの」
「複雑だ。お前にもあと三十年くらいすればわかる。だが、いい気分だ。息子のようにかわいがってるお前と二人で誕生日を迎えられるなんてな」
 グランは少しだけ笑った。
「息子、ねえ。おせじでも光栄だよ」
「俺からすれば息子みたいなものだ」
「じゃあさ、マスター」
 グランはにこにこして指でマルを作った。
「実は最近ちょっと、苦しいんだよね。今日のぶん、つけにしといてくんない」
「わはははこいつ! くだらねえ冗談言いやがって!」
 グランは少し汗を流しながら片目を閉じ、祈るようにした。
「いや、冗談じゃなくてさ……今日誰かいると思ってたから、マジで金ねーの。息子なんだろ? たのむよ。よっ、誕生日おめでとう。本当に今日はめでたいね。マグニア記なんてふっとぶぜ。ついでにあんたは、かっこよくて本当に頼りになるよ、マスター」
 明らかに心のこもっていないグランの言葉を耳にしているうちに、マスターの酔いは一気に冷めた。彼は本当にお金がないと、よくこの手のおせじを言ってごまかそうとするのだ。
「……祝ってくれて、ありがとうよ」
 マスターはつけ用の帳簿を手に取って、「グラン・くそ野郎・グレン 四千ゴールド」と書いた。

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