Usual Quest
ユージュアル・クエスト

6.「アイとオッパイ」

「なんだ、これは!」
 怒号が飛んだ。その先には何人かの女性が、ばつが悪そうにたたずんでいる。
「この壷がいくらすると思ってる。お前ら三流じゃ、一生かかっても買えないだろうよ! 今日のクエストは、物資を壊さずに運ぶことだった。話が違うじゃないか!」
 壮年男性が指さす壷には、少し亀裂が入っている。
「すみません。運ぶ途中で、バジリスクが出たんです。予想外のことでした。あたしたちじゃ、そいつを倒すので精一杯でした」
 ランサーのアイ・エマンドが前に出て頭を下げた。
「でも、ほかの物は全部守ったんです。壊れたのはその壷だけですよ。バジリスク相手に」
 アーチャーのミランダ・リロメライは不満顔だ。
「この壷は、大事だったんだ! 話が違う!」
「私たちがやられていたら、物資も全部だめになっていたわよ。これだけ安い賃金で雇ったパーティなんだから、むしろ、運がよかったと思ってほしいわ。こっちは死ぬような思いをしたんだから、上がりをあげてほしいくらいよ」
 リノ・リマナブランデは強気に出た。アイがそれを咎めたが、リノは下がらない。
「なんだと、雇い主に向かって」
 リノは舌打ちをした。
「ミランダ」
 ミランダは前に出て、雇い主の元へ歩いていった。
 リノとミランダの二人は、雇い主に横から密着し、何かをささやいた。
 すると、雇い主は声色を変えた。
「ふん。まあ、確かにそうかもしれんな。そこまで言うのなら、いいだろう。上がりも、上げてやる」
 アイは仰天した。

「ねえ、さっきはなにをしたんだい」
 帰り道、アイは二人にたずねた。
「アイは知らなくていいこと」
 リノが笑う。
「なんで。気になるじゃないか、あんなに怒ってたおじさんが、すぐに機嫌を直したんだよ。あたしにもその魔法を教えておくれよ」
「どうせアイになんかできないもん」
 ミランダがゴールド札をめくりながら言うと、アイはむっとする。
「あんたたちにできなくて、あたしにできないなんてこと、ないさ。あのバジリスクを倒したのは、誰だったっけ」
 すると、ミランダは自分の胸を指さした。
「じゃあ教える。オッパイよ、オッパイ」
「はあ?」
 アイは眉を曲げた。
「あのおっさんに、オッパイを押しつけたのよ」
 アイはしばらく硬直した。心なしか頬を赤らめている。
「それだけ?」
「それだけ。楽なもんよ」
 リノが言った。
「で、でも。リノはオッパイなんかないじゃん」
 リノの目がぎらりと光った。しまった。つい禁句を。
「リ、リノはリノで、その、需要があるのよ。だから二人で押しつけたの」
 ミランダのすばらしいフォローにより、彼女は威厳を取り戻した。
「男はね、みんなオッパイが好きなの。まあ、中には特殊な人もいるけど、ほとんどがね。彼らはいつも、これを夢見て生きているのよ。女性からそれを押しつけられるなんて状況に直面したら、そりゃあ、関大にもなっちゃうのよ」
 ミランダは自分の豊満な胸を、わざと揺らしながら言った。
「アイ、なんで黙ってるの」
 リノがからかうが、アイはもうなにも言えない。
「だから言ったのよ。アイは知らなくていいって」
 この後二人から食事に誘われたが、アイは断った。

 アイはとぼとぼと自宅に向かった。
 途中、自分の胸を見た。大きさは、ミランダほどではないにせよ、まあまあだと自負している。
「あの二人、あたしをバカにして。いまに見てろよ」
 アイは武器屋に寄り道した。

「よう、アイちゃん。また新しいランスかい」
「こんにちは、おじさん。実は今日、バジリスクと戦って、だめにしちゃったんだよ」
 武器屋のリッヒ・スタールとはもうなじみの仲だ。彼女はここに週一回ほど通う。それほど武器を酷使していたし、こだわりを持っているからだ。
「あ、ブッフェ工房の新しいランス、出たんだね」
「ああ、先日ね。今回もいい出来だ。イチオシだよ」
 アイは即断した。この工房のランスは、自分でもお気に入りだし、なかでも今回のはとびきり好みのデザインだ。
「よし、買うよ。いくらだい」
「十五万ゴールドね」
 やはり、新モデルだけあって高価だ。
 アイは息を二回ほど飲んだあと、決意してリッヒの目の前に立った。
「どうかしたの? そんなに汗かいて」
「いや、その……」
 アイはリッヒの腕をおそるおそる手に取った。当のリッヒは、困惑している。
「アイちゃん、もしかして」
 リッヒの反応に、アイは何度も頷いた。
「風邪かい? ふらふらしてるよ」
 アイは派手にずっこけた。

「やっぱり、無理なのかな」
 結局、十五万ゴールドで購入した新しいランスを見つめながら、アイは肩を落としてため息をついた。
 しかし、先ほどの屈辱がまたよみがえった。リノとミランダのふたりを、なんとかして見返してやりたい。
 元気を出せ、アイ・エマンド。きみはかわいい。きみはセクシー、きみはいい女、男どもが競って奪い合うプリンセスだ。
 アイは拳を握って顔を上げた。

「おっ、アイじゃないか」
 しばらく歩くと、サン・ストリート手前でリブレ・ロッシに声をかけられた。
 今こそリベンジの時が来た。
「あ、あら。リブレじゃない。ごき、ごきげんうるわしゅう」
 アイはできる限りセクシーに振る舞った。リブレは首をひねる。
「なにそれ。新しい芸風? だとしたら考え直したほうがいい。俺の案はどうだい。自分のことを『ボク』って呼ぶんだよ。これは絶対受けると思うんだけど」
 リブレのことを一瞬で殴り殺したくなったが、アイはなんとかこらえた。
「それで。リブレ、今度のクエストなんだけどさ」
 彼とは、二日後にクエストの約束をしている。
「上がりを、上げてほしいんだよ。今は五対五だけど、六対四に」
「ええっ、なにを言うんだよ。今回は五対五で約束したじゃないか」
 ただちに不満を漏らしたリブレを見て、アイは満足そうにした。我ながらうまくやった。お膳立ては完璧だ。
「ねえ、いいじゃない」
「なんでそんな汗だくなの、しかも震えてるし。風邪かい?」
 先ほどのリッヒと全く同じ反応のリブレを無視して、アイは彼の腕を取り、深呼吸してから胸にちょっぴりふれさせた。
 リブレを相手に選んで正解だった。特に男として意識する必要がないからだ。
 しかも、リブレはオッパイが好きだと前にグランと会話しているのを聞いたことがあった。
 しばらくお互い無言だったが、リブレはゆっくりとアイを押し離した。
「ダメ」
「どうしてだい!」
「そんな下品なオッパイ押しつけ攻撃は利かないよ。ぜったい、まからないからね」
 リブレは立ち去った。
 アイは、気が抜けたようにその場に尻もちをついた。

「リブレ」
 リブレの肩をたたいたのは、古本屋のジョセフ・マルティーニだった。
「なんだよ」
「マリーちゃんからだ。さっき来た時に、お釣り忘れてったってさ」
 ジョセフは小銭をリブレに渡した。
「あっ、そうか。コースを勘違いしてた。今日は奮発したんだ」
 リブレはすっきりした顔で、小銭を財布に押し込んだ。

 アイはすっかり落ち込んで、家へと向かった。
 あのすけべ男・リブレにすら利かないなんて、本当にショックだった。
 女としての自信が、完全に崩壊していた。
「あら、お姉さまじゃないですか」
 そんな時、ひょっこりと花売りのセーナ・メーシーズが現れた。
「セーナ……」
 アイが泣きそうになるのを見て、セーナは自分も瞳を潤ませた。
「どうしたんです! なにがあったんです!」
「あたし、女としての自信を失ったよ」
 アイはいきさつを簡単に話した。

「なるほど、オッパイ押しつけ攻撃ですか。確かにあれは有効な戦術の一つです」
「そうでしょ! それなのに……」
 セーナは両手で、アイの肩をつかんだ。
「そんなことないですよ。お姉さまは、魅力的な女性です。相手が悪かったんですよ、武器屋のおじさんなんて、もう男として枯れはてていますし、リブレ・ロッシなんて……はっ」
 セーナは唾を吐いた。
「そうかい?」
「試しに、私にやってみてください。私はほら……女の子ですから、お姉さまも簡単でしょ?」
 アイが躊躇していると、セーナはむりやり自分の手をアイのオッパイに押しつけた。
「ほら! すごい、お姉さまの……」
 セーナは一人で悶絶している。アイの表情に明るさが戻った。
「ほんとかい!」
「ああ、今だったら何でも言うこと聞いちゃいそうです」
 アイは得意げにセーナを見下ろした。
「じゃあ……花をちょうだい」
「ええ、どうぞ、もうお好きになさってください」
 セーナは若干よだれを滴らせながらアイに花束を渡した。
「やった、やった!」
 アイはそれを握りしめて大喜びする。セーナは少し痙攣しながら胸にほおずりした。
「お姉さま……このまま、キスもしてみたらもっといいかもしれませんよ」
 恍惚としているセーナを見て、アイは思い出した。そうだ、この子は……。
「い、いや、ごめん。あたしもう行かなきゃ。あ、ありがとね!」
 セーナを押し退け、アイはそそくさと逃げ出した。
「ちっ、もうちょっとだったのに」
 セーナは舌打ちした。

「ふう、危ない危ない。セーナはいい子なんだけど、ちょっと危険だね」
 しかしながら、すっかりアイは自信を取り戻した。
 あたしってやっぱり魅力的なんだ。
 今までじゃまだと思っていたこともあるけど、武器だ。あたしの武器なんだよ、このオッパイは。
「よう」
 そこに、魔術師グラン・グレンが通りかかった。この都合のいいタイミングに、アイはにんまりとした。
「あーら、グラン」
「なんだお前。花なんか持って。どうした、ついに女になったのか」
 グランは例によってからかうが、アイは全くひるむ様子がない。
「知らなかったのかい。あたしはずっと女だよ。なんなら教えてあげようか」
「おお、いいとも。ぜひご教授願いたいねね」
 こんな言葉が出てくることに、自分でも驚いた。明らかにハイになっている。だがチャンスだ。
 アイはグランへと近より、自分の武器を彼に向けた。
 その時、奇妙な感覚が彼女が襲った。まだ、武器は使用していないのに。

「ふむ。まあまあかな。ちょっと垂れてるけど、合格だな」
 グランはアイの胸をむんずと鷲掴みにして言った。
「どうした。なんか言えよ。お前が教えてくれるって言ったんだぞ」
 返事がない。
「おい、なに。その汗は」
 返事がない。
「ちょっとまて。なんだその目は。なんでそんなに震えてるんだ。どうして泣いてるんだ」
 返事がない。
「わかった。謝ろう、悪かった。俺が悪かった。でもお前が最初に」
 アイの叫び声とグランの体は、サン・ストリートの端まで吹っ飛んでいった。

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