Usual Quest
ユージュアル・クエスト

54.「レイニー・デイ」

 たし、たし、たし。
 何かが落ちる音が、メーンストリートの石畳をたたき始めた。
 露店で買い出ししていたプリーストのリノ・リマナブランデは、それに気がついて天をあおいだ。
 空は鉛色の空に包まれている。湿ったにおいが、少しずつ広がっていく。
「やっぱり、来るわね」
 リノはにやりと笑うと、握っていたポーチを肩にかけて走り出した。

 王都マグンは、サン・ストリート沿いの酒場「ルーザーズ・キッチン」。
「おはよう」
 リノはマスターに声をかけて、カウンターの一番端に腰掛けた。マスターはそれを見て、微笑した。
「おっ、今日はうちで仕事かい。リノちゃんも律儀だよなあ。こういう時はいつもそこに座るんだから」
「あたりまえよ」
 少し会話したところで、天井から、ばしばしと音が立ちはじめた。
 ばしばしばし。
 音は勢いをました。
「ああ、来たなあ」
 マスターがだるそうに言った。対してリノはうきうきしていた。
 雨が降ってきた。

「リノ、リノはいるかい」
 髪を濡らしたリブレが入ってきた。リノは手を広げた。
「いらっしゃいませ。お待ちしてました、朝一番の配達に向かうリブレ・ロッシさん」
 リブレはそれを聞いてぶすっとした。
「ちぇっ、やっぱりお金をとるのかい」
「あたりまえでしょ。“理力”は無限に湧いてくるものじゃないのよ」
「背に腹は代えられないな。いくら」
 リノはにこにこしながら指を三本たてた。リブレは百ゴールド硬貨を三枚出した。リノはそれを見て、彼をにらんだ。
「けたがちがうわよ。三百じゃなくて、三千」
 リブレは驚いた様子だった。
「えっ、前のときに、次は値下げするって言ってたじゃない。三千ゴールドだなんてぼったくりだよ!」
「久しぶりだから、そんなの忘れたわ。いやなら別を当たることね。さあ、どうする?」
 リブレはしばらく唸っていたが、それを楽しそうに見ていたリノは、「じゃあ」と指を二本にした。
「特別サービスで、二千にまけてあげる」
 リブレは手を叩いた。
「さっすがリノ! 話がわかるよな」
「それで、今回も物だけでいいの」
「ああ、もちろん」
 リブレは即答した。
 リノは頷くと、小さな杖を取り出して“理力”を練った。リブレは郵便物の入った袋を彼女に向けた。
「『エアコート』」
 光が袋を包み、薄いまくができあがった。リブレはそれを満足げに見つめた。
「ありがとう、これで郵便をぬらさずに済むよ」
「まいどあり。効果は二時間よ」
 リブレは千ゴールド硬貨を二枚リノに渡し、出ていった。
 リノは片方を指ではじいて、マスターに渡した。
「この間の、ワインの分ね」
 マスターは息をついた。
「確かに。しかし、リノちゃんも相変わらすリブレにはきついね。『エアコート』一回に二千ゴールドはかわいそうだ。まあ、毎回同じ手にはまるリブレもリブレだけどな」
「うん、リブレはちょっとチョロすぎてつまらないのよね。おもしろいのはここからよ」
 酒場の窓を雨がたたく。

 次の客がやってきた。
「ああ、ひどい雨だね。やんなるよ」
 アイ・エマンドだ。
「アイちゃん、ギルドのクエストは?」
「昼に予定が入ってるけど、まだ契約してないし、今日は断ろうかな」
「ダメよ、そんなんじゃ。グランはろくでなしなんだから」
 アイは顔を赤くした。
「グ、グランは関係ないでしょ」
「私は現実的な話をしているだけよ。このまま二人が結婚した場合、稼ぐのはあんたになるのよ」
 アイはその言葉にたじろいだ。
「けっ、けっ、結婚だなんて……そんな……まだ……あたしたち……」
「まだ、であって可能性はあるんでしょ」
 アイは恥ずかしげに、こくりと頷いた。
「だったら今のうちに稼いでくるべきよ」
 しかし、アイはそこではっとして普段の様子に戻った。
「リノ、あたしに魔法を売りつけようとしてるんだろ! 確か前に雨が降った時も、こんな調子で『エアコート』を買わされた覚えがあるよ! その手には乗らないからね。今日はクエストなんか行かない!」
 アイはそのまま席に座ったが、リノの表情は変わらない。むしろこの状況を楽しんでいるように見える。
「ええ、確かにそうよ。それにクエストに行かないなら、今日のアイちゃんにはいらないでしょうね。でも知ってた?『エアコート』って、美肌効果があるらしいの」
「ふん、興味ないよ、そんなの」
 アイはぷいと顔を背けたが、リノは指をたててふりふりと振った。
「あっ、あー。あんたはそうかもね。でも、グランはどうかしら?」
 アイはそこでぴくりとして、ゆっくりとリノの方をむいた。
「アイちゃん、お肌のケアとか全くしてないでしょ? それじゃさわっている人がかわいそうだわ」
 アイはまた、赤面する。
「グ、グランはさわったりなんて!」
「あら、そうなの。おかしいわね、あの女好きのグランが……もしかしたら、肌がカサカサだからじゃないかしら。きょうみたいに湿度の高い日に『エアコート』をすれば、しばらくの間は肌がつるつるになるわよ。さわりごこちも抜群なのよね。もしかしたら」
「いくら!?」
 リノが言い終わる前に、アイは財布を出した。マスターは小さく「お見事」とつぶやいた。

 雨が降ると、「ルーザーズ・キッチン」の客は普段よりも少しだけ増える。アイのようにクエストを中止する冒険者や、雨宿りに店を使う人間が多くなるためだ。もっとも、普段昼食を取りに来る常連客が減り、実質的な売り上げは悪くなるため、マスターはあまりいい顔をしないのだが。リノは逆に、その環境を利用して商売をするのだ。

「だーっ、急に降ってきやがって。最悪だぜ」
 次に入ってきたのは、ナイトのロバート・ストラッティだった。彼は席に座り、ぴかぴかのブレストアーマーをぬぐと、布で拭き始めた。リノはそれを見てにやりと笑う。
「ロバート、そのアーマー買ったの?」
「ああ、この間臨時収入があってね。でも、おろした日にこれだぜ、ついてねえよ。クエストも早めに切り上げちまった」
「これ、使いなさいよ」
 リノはそう言ってふわふわの布を取り出した。ロバートはそれを受け取ると、アーマーをふいた。
「おおっ、こりゃすげえ。きれいに水がとれるな」
「でしょ? 水分がしっかり取れるように、織り方が工夫してあるそうよ」
 ロバートは布をしきりにほめながら、アーマーの水をきれいにふきとった。
「助かったよ、サンキューな」
 ロバートは布を放ってリノへ返した。彼女はそのままポーチに布を戻した。
「……料金、取らないのか?」
 マスターが聞いたが、リノはにこりとして首を振った。
「いいの、今は恩だけで。あの子、最近活躍してるし」
 マスターは思わずぞっとした。取り返せると踏んでいるのだ。

「おっす」
 エプロン姿のグラン・グレンが裏のカウンターから現れた。マスターはその顔を見るなり、彼にげんこつをくれた。
「遅いぞ! 二時間半も何してたんだ」
「いってーな! マスターだって知ってんだろ、雨は嫌いなんだよ」
 グランは頭をさすりながらコップを手に取り、きょろきょろと店内を見渡した。
「アイちゃんならさっきクエストに行ったわよ。残念だったわね」
 リノは楽しそうに言った。それを指摘されたグランは、少しだけむっとした。
「べ、べつに。あいつを探してたわけじゃねえよ」
「いいかげん、水棲魔法を覚えなさいよ。そしたら二人でクエストに行けるわ」
「だから、違うってんだろ!」
 むきになるグランを見て、にやにやとするリノ。アイと付き合いだしてからというもの、彼はリノにとって格好の標的になってしまった。
「それで、本日のリノ様はここでご商売ってわけかい。どーせリブレを筆頭としたバカ一同に『エアコート』でもふっかけてんだろ」
「ご名答」
 グランは不適な笑みを浮かべた。
「なら今日は、そいつに便乗させてもらうぜ」
「あら。火炎魔法だけのあんたに、一体何ができるっていうの?」
 グランは笑みを崩さない。リノは少しだけいぶかしげにする。何かあるのだ。

 そこに、一人の女が現れた。
「もう、最悪。雨なんて聞いてないわ」
 アーチャーのミランダ・リロメライだった。全身がずぶ濡れである。
「いらっしゃい。クエストはどうした?」
「今日は魔石狩りよ、マスター。でも途中でやめたわ。モンスターもあまり出てこないし、こんなんじゃカゼひいちゃう。あ、とりあえずホットミルクちょうだい。そんで席とっといて。一回家に帰って着替えてくるから」
 リノは商売を見送る判断をする。すでに濡れてしまった状態の相手には処置のしようがない。グランはそれを見て目を光らせた。
「ミランダちゃん、何も帰ることはねーぜ」
 ミランダは手をすくめた。
「このまま、わたしにカゼを引けと?」
 グランは何も言わずに手をクロスした。“魔力”が彼の手元に集まっていき、炎の玉ができた。
「『流炎』」
 グランが腕を握ってミランダに向けると、彼女の周囲に“魔力”の熱波が発生した。ミランダは始めこそびっくりしていたが、途中から気分よさそうに頬をゆるませた。
「こんなもんかな」
 グランは「流炎」を止めた。ミランダは自分の髪や服に触り、驚きの声を上げた。
「何よ今の。すごいわ、服が全部乾いてる。髪も完璧よ。グラン、サービス利いてるじゃん!」
 グランはにこりとして、手を差し出した。
「だろ。五千ゴールドでいいぜ」
 ミランダの顔が一瞬にして曇る。
「勝手にやったくせに、お金取るわけ」
「あたりめーだ。“魔力”は無尽蔵に湧いてくるもんじゃねえ。それに、今から帰って着替えてくるよりはいいだろ。魔石狩りのあとじゃ、腹も減ってるんじゃないか?」
 ミランダは確かに、という顔をしておなかに手を当てた。グランはそれを見て、考え込む仕草をする。
「……でも、そうだな。確かに今のはフェアじゃなかったから、三千にまけるよ。さらにプラスでアルタ肉、少し安くしてやってもいいぜ。これでどうだ?」
「乗った!」
 ミランダは喜んで三千ゴールドを払った。
 リノは驚愕した。自分と全く同じ手口ながら、三千ゴールド払わせた。
 グランはゴールド硬貨をポケットにつっこみながら、リノを見下ろした。
「『エアコート』は肌にもいいんだよな。今のあいつなら落ちるぜ。行ってくれば?」
 リノはグランをきっとにらみつけた。
 彼女のプライドがそんなことを許すはずがない。

 こうして商売合戦の火蓋が切って落とされた。二人のやり方の場合、本来ならば協力した方がお互いにとっていい結果をもたらすだろう。しかし、最近アイのネタでいじられっぱなしのグランは、どうにかしてリノに仕返ししたいと考えていた。リノもリノで、グランになめた態度を取られるのは気にくわない。
 要するに、二人とも単純に相手に勝ちたいのだった。

「うわっ、本当に乾いた! すごい魔法だな。どうもありがとう」
 雨宿りにやってきたランサーは、自分の服が完全に乾いたことに驚きを隠せないようだった。彼は笑顔で席につき、料理を注文した。
 グランはリノの方を見て、にやりと笑う。対してリノはぎりと奥歯をかんだ。
「今の奴は五千くれたぜ。これで並んだな。リノ、あいつが帰るときに『エアコート』かけてやれよ。この際、プライドなんか捨てちゃえって。そしたら勝てるんでないの」
 リノは舌打ちした。こんなことを言われたら、ことさらやるわけにはいかない。
「ふたりとも、もうそのへんにしておけ。雨も弱くなってきた」
 マスターは窓を少しあけた。北の空が明るくなってきた。
 確かに、こうなると勝負も終わりだ。
 だがリノは納得いかなかった。グランごときに負ける訳にはいかない。

 そんな時、ドアが開いた。
 グランとリノの二人は、瞬時にターゲットたる人間か判断しにかかる。
 高背の男だった。鎧の類はとくに身につけていなかったが、彼がそれなりの冒険者だということはすぐに判断できた。彼はいかにも高級そうな金色の剣を腰に下げており、体が薄く光っていた。「エアコート」だ。
 体が濡れてもおらず、「エアコート」も必要ない……。この時点で二人のカードはなくなった。だが、金を持っていそうだ。何か手があれば、だしぬける。二人は目をぎらつかせた。
 この男からお金を引き出した方の勝ちだ。

 男は迷いなくカウンターまで歩いてきて、マスターの前に仁王立ちした。
「店主はあなただろうか」
 マスターはきょとんとしている。
「そうです。何かご用ですか?」
 グランが先手を打とうとばかりに言ったが、男はマスターから目を離さなかった。
 マスターはようやく口を開いた。
「パ、パレット君……?」
 男がその名に反応した。
「いえ。私はパレットの弟です」
「あ、ああ。そうだよな。悪いね、あまりにも似ていたもんだから……それにしてもどうしたんだ、こんなところまで」
「リブレ・ロッシという男を探しています」
 リノとグランの目の色が変わる。
「僕の親友に何か」とグラン。
「私の恋人に何か」とリノ。
 男はいぶかしげに二人を見た。
「この二人の言っていることは本当ですか?」
 マスターは言いにくそうに口ごもった。
「さ、さあな」
「では、二人に聞きたい。彼に会いたいんだが、居場所を知らないか?」
 リノが何か言おうとしたが、グランはその口をふさいだ。
「なぜ、知りたいんですか?」
「質問を質問で返すな。リブレ・ロッシはどこにいる?」
 今度はリノがグランの頭を押さえつけ、体を乗り出して言った。
「会いたければ、いくらでも会わせますわ。でも、先立つものが必要というか……」
 男はそれを聞いて鼻をならした。
「下衆が。貴様ら、嘘をついて私からたかろうとしたって無駄だぞ。今は金なんか持ってないからな」
 それを聞いて二人ともすごすごと席へ戻った。金がないのなら、用はない。
 男はマスターに視線を戻した。
「それで、どうなんですか」
 マスターはしばらく沈黙してから言った。
「知らん。たまに来るが、最近は見かけないな。別をあたってくれ」
 男はそれを聞くと、そのまま背を向けて出ていった。
 グランたちは意外そうにしてその後ろ姿を見送った。
「なんだよマスター、珍しいね。客に嘘つくなんてさ」
 マスターは恥ずかしそうに笑みをうかべた。
「い、いやあ。なんだかヤバそうな雰囲気だったろ。もしかしたらリブレに恨みを持っている人間かもしれないしな」
「でもマスター、なんだかあの人を知っているような雰囲気だったじゃない」
 リノの鋭い指摘に、マスターはわざとらしく笑った。
「さっきの奴の兄貴が、よく来てたんだよ。弟がいるとは知らなかった。そっくりだったから、間違えちまったんだよ。おっと、雨が少し強くなったな。二人とも、まだ商売のチャンスはありそうじゃないか。とくにグランはしっかり稼げよ」
 二人は首をひねった。

 けっきょく、二人の戦いは引き分けに終わった。あれから客が来ることもなく、雨があがってしまったのだ。
「ちっ、今日はこの辺にしておいてやらあ。セコい商売もたまにはいいね」
「ええ」
 グランは拍子抜けした。精一杯の皮肉をぶつけたつもりなのだが、リノはなぜか気分よさげにしているのだ。
「グラン、二十五番ちょうだい。それ飲んだら、今日は帰るわ」
「あ、ああ」
 グランはワインボトルをあけた。

 しばらくして、リブレが戻ってきた。
「おそかったな」とグラン。リブレはくしゃみをした。
「あっちでミゲルとハロルドさんに捕まっちまってさ、雨の中で剣の特訓とモンスター退治の手伝いだよ。全く、こういう時に限って……。グラン、何か暖まるものをくれないか」
「その前に『流炎』してやろうか?」
 リブレはかぶりを振った。
「別にいいよ、服はほとんど乾いてるからさ。ああ、くそ。カゼを引きそうだな。リノの魔法をケチらなければよかった」
 グランは暖かい紅茶を出した。
「リノか……あいつも不思議なやつだよな。どうしてこの店であんな商売をしているんだろう」
 そもそも、この商売はリノが考えたものではない。別の場所、たとえば王都門の前などにはこうした商売をしている連中が大勢いる。彼らはリノよりも遙かに高い料金で、「エアコート」など各種の魔法を売っている。その中に混じっていれば、彼女の売り上げは今日得た分の数倍は見込めるはずだ。
「さあ。でも……」
 リブレは、湯気が立つカップをちょっぴり口につけてから、さっきまで彼女が座っていた席の南にある小さな窓を指さした。
「前にちらっと言ってたよ。この窓から見える雨が好きだって」
 グランはわざとらしく手をひろげた。
「はあ? そんなセンチメンタルな理由で、あの女が動くはずねえだろ。きっと何かすっげー理由があんだよ。たとえばさ……」
 二人の話は続いた。

 リノは、帰り道の石畳で晴れ渡った空を見上げていた。雨に濡れた石畳から、かすかに湿った香りがする。きっと、暗くなる頃には乾ききってしまうだろう。
「……もう少し、見ていたかったわね」
 ひとりごとは、誰にも聞こえなかった。

戻る