Usual Quest
ユージュアル・クエスト

52.「勇者の息子と黄金の騎士」後編

「お、終わった?」
 森に入って十回目の戦闘後、木の影に隠れていたリブレが顔を出した。ロバートとウェインはお互いの剣についた血を払って、手を打ち合わせた。
「見慣れないモンスターばかりだけど、レベル自体はそう高くないみたいだ。エンカウントは俺とウェインだけで問題なさそうだな」
 ウェインは頷いて、リブレを見た。
「リブレ、今のは小さいほうがレブス。でっかいのがスパイドだ。これで、この森のモンスターはほぼ網羅したはずだよ」
 リブレはこめかみに指をつけた。
「ええと、レブス……スパイド……。よし、覚えた。そうなると残りは……うん。少し先に、知らない奴がいるみたい」
 三人の顔が明るくなった。彼らはついにウイングラビットの居場所を突き止めたのだ。
「よし、とりあえず目視で確認できてから応援を呼ぼう。案内してくれ」
 リブレはさっそく駆けだした。

 一方イナフ・ストラウフは、その様子を遠目から見ていた。
 イナフは思った。モンスターの捜索のプロだと? 確かに冒険者や騎士団の中にはそういった野生の勘が強い奴はいるが、完全に察知できるだなんて話は聞いたことがない。
 今や彼の興味は、師団の視察から見知らぬ冒険者二人の動向に移っていた。
 剣士の一人は平凡そのもの。そしてもう一人、リブレ・ロッシはモンスターに恐れて戦いもしない。
 イナフは確信していた。あいつら二人は詐欺師に違いない。証拠を見つけてとっつかまえてやる。誇り高き騎士団を、クズどもの好きにさせるわけにはいかない。
 イナフはリブレたちが走り出したのを見て、あとをつけた。

 リブレは少し開けた場所で足を止めた。
「このあたりだ。近いよ。俺はいざという時のために、逃げる準備をしておこう。あとは二人に任せる」
 ロバートが腰に手をやった。
「おいリブレ、かんしゃく玉はやめてくれよ。敵が驚いて逃げちまう。あと、もっと正確に教えてくれ。できればこの広場まで一緒に来てくれるとうれしいんだけど」
「イヤだよ。俺は、ここで待ってる。ウイングラビットってのは、本当にヤバいモンスターみたいだ。恐ろしい気配がビンビン伝わってくる。あの木の隅だ。俺、いかないからね」
 リブレの顔色はみるみるうちに悪くなってきた。ウェインはそれを見て、ロバートの肩に手を置いた。
「どうやらリブレには無理そうだ。僕らで目視しよう。敵さんが気づいてなければ、二人でもしとめられるかもしれない。うまくいけばヒーローだぜ」
 二人は頷きあい、リブレの指定した木にそろそろと近づいてゆく。

 リブレはしばらく二人の様子を見ていたが、急にはっと頭をかかえた。
「あれっ、どういうことだ? 俺、知らないはずなのに。ウイングラビットの気配なんて、知らないはずなんだ。どうしてだろう。俺、この気配、どこかで……」
 リブレは血相を変えて叫んだ。
「二人とも! そいつは……ウイングラビットじゃない!」
 木のそばまでやってきていた二人はびくりとした。
「おい、大声出すなよ!」
 ロバートは小さな声でどなった。ウェインはすぐに彼を肘で小突いた。
「ロバート、今はほっとけ。どうやら本当にいるようだぞ。君はあっちだ」
 二人は二手に分かれて慎重に木に寄った。

 木の隅から、白くて小さなウイングラビットの姿が見えた。
 しかし、奇妙なことに宙に浮いている。飛ぶこと自体はおかしくないのだが、肝心の翼が出てきておらず、ウイングラビットも、どこかぐったりしている。と、言うよりも……。
「死んでいる……?」
 ウェインがそうつぶやいた刹那、ウイングラビットがばっと前に出てきて、そのままぽとりと落ちた。体からは血がどくどくと出てくる。すでに息耐えているようだ。もう、目をこらして見る必要はなかった。ウイングラビットは、別の何かに殺されたのだ。

 直後、木の隅から大きな熊が現れた。ロバートとウェインは戦慄した。
「ベアだ!」

 ベア。人間の数倍はあろうかという体長を持つ熊のようなモンスター。強靱な牙でと持ち前の怪力で、目の前にいる敵を無差別に攻撃する凶暴性溢れる性格。強さはバルーン(青)の約九百倍。

「まずいぞ、手に負える相手じゃない!」
 ウェインはすぐにひものついた小さな鈴を取り出すと、上に掲げた。微量の“魔力”を持ったそれは、小刻みにふるえて大きな金属音を出し始めた。ベアはそれを聞いて少しひるんだ。
「これで気づいた人たちが集まって来てくれるはずだ。ロバート、とにかく逃げよう!」
 ウェインとロバートは後ろを振り返って走ったが、リブレの横に黄金の甲冑をつけた男が立っているのを見て、立ち止まった。
「イナフ隊長!?」
 イナフはにやりとした。
「まさかベアとはな。貴様らがペテン師かどうかの判断は、あとにしてやろう。今はとにかくこいつを片づける」
 ウェインは汗をたらしながら反論した。
「お言葉ですが、隊長。このクラスのモンスター相手に支援職なしで挑むのは危険です! 討伐師団でも滅多にやりません」
「じきに『鈴』を聞いた奴らが来る。それとも何か、私では奴を倒せないとでも言うのか?」
「そういうことでは……」
 口論しているうちに、ベアが大きなうなり声をあげて、こちらに敵意を向けていた。ロバートは恐怖に身をよじらせた。
「まずいぞ、こっちに来る。リブレ、かんしゃく玉だ!」
 ロバートが言うが、当のリブレはしゃがんだまま反応しない。ロバートはもう一度彼を呼んだが、リブレは表情を失わせたまま、ぶつぶつと何かつぶやいていた。
「あいつは……あいつは……」
「リ、リブレ?」
 リブレは頭を抱えて叫びだした。
「うわああああ!」
「リブレ、どうしたんだ。しっかりしろ!」
 ロバートは彼を揺すったが、リブレに声は届いていない。ウェインも心配そうにかけよった。イナフはそれを見て笑い出した。
「これではっきりした。貴様等はやはりペテン師だな。モンスター捜索のプロが、ベアごときを見たくらいで平常心を失うわけがない」
「リブレ、リブレ! 一体どうしちまったんだよ?」
 それなりに付き合いの長いロバートでも、彼がここまで錯乱しているのは見たことがなかった。
 イナフはベアを見据えながら、前に出て金色の剣を抜いた。
「来るぞ。貴様等は邪魔だ、下がっていろ。終わったら牢獄にぶちこんでやる」
 ベアは、対峙するイナフを標的と定めたようだ。じりじりと二人の間に殺気が漂う。
 イナフが剣に力を込めると、刀身が輝き出し“魔力”があふれ出た。
「ベアをやるのは久しぶりだな。わが聖剣『ガルズ』の錆にしてくれる」
「うわああああ!」
 イナフは聖剣「ガルズ」を腰だめに構えた。ベアも腰を低くした。
 イナフは注意深くベアを見た。
 どうやらウイングラビットを狩る際に相当消耗させられたようだ。ところどころに傷がついている。その中でも右足は特にダメージが大きい。おそらくベアは一瞬、出足が遅れる。そこが狙い目だ。
「うわああああ! うわあああああ!」
 イナフはじっと黙ったまま、ベアをにらみつけた。ベアというモンスターは、基本的に人間には恐れられている。だからこそこちらから威圧することで、相手の動揺を誘うのだ。
「うわあああああ! うわああああああ!」
 イナフの思惑通り、ベアの様子が次第に変わってくる。自分に明確に敵意を向ける人間というものに、おそらく初めて出会ったのだろう。ベアは一歩、後ずさりをした。イナフはそれを見て、一歩前に進む。
「うわああああああ! うわあああああああ!」
 イナフは、プルプルとふるえた。
 さっきから、リブレ・ロッシの声がうるさすぎる。あと一歩だというのに、集中できない。
「うっわああああああああ! うっわあああああああ!」
 ベアが、また一歩下がった。今度は、それを追わない。威嚇しすぎて逃げられても厄介だ。
 次のタイミングで、ベアはおそらく攻撃をしかけてくる。
 イナフは、聖剣を強く握って集中をーー
「あああああああああ! ああああああああああ!」
 とうとう、我慢の限界が来た。
「おい! そいつをーー」
 黙らせろ、という言葉が出なかった。振り返ったイナフが見たのは、剣士、二人だけだった。
 さっきの騎士団員に、平凡な剣士。二人ともイナフではなく、その先を見て硬直していた。リブレ・ロッシの姿はない。
 イナフは、すぐにベアのほうへ振り返った。

 ベアは、すでに右足と首を飛ばされて倒れていた。
 その先では、リブレ・ロッシがしゃがんだ姿勢のまま、剣を納めていた。
 リブレはその後、ばたりと倒れた。

「第十二師団、ただいま参上! ウイングラビットはどこだ!」
 そこに、マーク師団長率いる騎士団の兵士たちがどっととやってきた。マークはしばらくきょろきょろしていたが、イナフが立っているのを見て、すぐに駆けた。
「隊長、すでにお着きでしたか!」
 イナフは、呆然としていた。
「あ、ああ……」
「さすがでございます。『鈴』の音を聞きつけ、すぐに飛んできたのですが……」
 団員の一人が声をあげた。
「ウイングラビットを確認! すでに死んでいます!」
「ベアを確認! こちらも死んでいます! また、意識のない剣士を一名確認! 救護班急げ!」
 マークはそれを聞いて驚いた。
「なに、もう死んでいる? それにベアだと? ……もしや、イナフ隊長が討伐されたのですか?」
 イナフは目を見開いたまま、ベアの死骸を見つめた。
 自分が見つけたあのベアの弱点が、見事に両断されていた。
 イナフは、信じられないと言った様子で汗をたらしたが、マークにそれを悟られないよう、ゆっくりと頷いた。
 すると、マークの顔が一瞬青くなったが、彼はすぐに顔を明るくさせた。
「す、すばらしいっ! さすがは団長殿! イナフ団長、ばんざい! イナフ団長、最高!」
 マークは周りの団員をけしかけた。彼らも察したのか、イナフの周りに集まってはやしたて始めた。しかしイナフはそれに反応すら示さず、倒れたままプリーストの治療を受けるリブレ・ロッシを見つめていた。

 結局、リブレとロバートの二人は騎士団の公務に貢献したとして、破格の報酬を得た。
「でもよ」
「ルーザーズ・キッチン」のテーブルにジョッキをおいて、ロバートがつぶやいた。正面にはウェインが腰掛けている。
「なんで、おとがめなしなんだ? 牢獄行きの件はどうなった」
 ウェインはビールを飲んでから答えた。
「君らに関しては、モンスター捜索っていう勤めを立派に果たしたんだから当然だろ。……今日の討伐については、イナフ隊長が団員のあるべき手本を示したってことで片がついた。たぶんあの人が、なにも言わなかったんだよ」
 二人は沈黙した。
 ロバートは、カウンターで食事をするリブレをちらりと見た。
「あいつ、ベアが出てからのことは何も覚えてないらしい。恐怖で倒れただけだと思ってるみたいだ。今回、報酬がもらえたことについても多分よくわかってねえ」
「そうか。だがロバート、あの時なにが起こったのか、君にはわかったのかい?」
 ロバートは視線をはずして、息をついた。
「わかんねえ。ほとんど見えなかったからな。ウェイン、お前は」
「僕もだ。全く、あの一瞬のうちに何が起こったっていうんだ?」
 だが二人は、それを改めて確認したいとは思わなかった。

 イナフは一人、街の外れにある墓地にやってきていた。あたりに人は誰もいない。ひとつの墓の前で、彼は目を閉じた。
「兄さん」
 イナフは剣の柄に手を置いた。月明かりに照らされて、鞘がうすく輝いていた。
 今日のことが鮮明に蘇る。あの速さ。あの、剣の納め方。
 断片だけではあるが、そっくりだった。
 イナフは目を開いた。
「あなたはリブレ・ロッシに何を与えたっていうんだ。どうして、兄さんの技を、あの男が使うんだ……?」
 墓には「勇者パレット・ストラウフ」と刻まれていた。

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